2013年12月27日金曜日

ブルー・ゾーン

篠宮龍三著
オープンエンド

もっと深く、もっと美しく。日本でただ一人のプロフリーダイバー・篠宮龍三さんの挑戦。




私は、高所恐怖症でちょっとした吊り橋も怖くて渡れません。
高いところだけでなく、スキューバダイビングなど海に潜るのも怖いので経験したことはありません。
美しい海の中の映像を見ると、綺麗だなぁ、いいなぁと思うものの、潜っている時にハプニングがあったらと考えるだけで、ブルブル震えてしまうのです。

フリーダイビングという言葉を初めて聞いたのは、女優の高樹沙耶さん(現在は大麻合法化活動家で益戸育江さんですが)がフリーダイビングの日本新記録を樹立したという記事を読んだ時でした。
そんなに長く息を止めていられるのかと驚いたことを覚えています。

この「ブルーゾーン」は、日本で初めてプロになったフリーダイバー・篠宮龍三さんが、あまりメジャーではないスポーツ・フリーダイビングの魅力を語った一冊です。

フリーダイビングは、機材を一切使わず、一息でどれだけ潜れるかを競うスポーツで、フィンや重りを付けるものなど、8種目あるそうです。

そして、かつて素潜りの限界は50mと考えられ、その後100mまで可能かも知れないと予測されていたのが、今では種目によっては200m以上潜ることができるのだそうです。
そこにはブルーしかない。上も下も左も右も、全てが同じブルーに包まれる深海。自分の心臓の鼓動のみが聞こえる世界。
そう聞くとどれだけ美しい世界なのだろうかと興味がわいてきます。

でも、サッカーボールを海中に沈めると水圧の影響で、水深10mあたりで形が歪み始め、50mを超えると潰れてきて、80mにもなると原型をとどめないほどぺちゃんこに縮んでしまう・・・ということは、肺も潰れちゃう!と素人の私は考えてしまいます。
そうならないために呼吸法などのトレーニングをするそうですが。
顔を水につけると、「潜水反射」が起きて心臓の鼓動がスローダウンする。
さらに潜ると、体内の血液が手足の末端から生命維持にかかわる脳や肺、心臓に集まってくる「ブラッドシフト」という現象が起こる。
人間はそうやって体を守るようにできているらしいのですが、「じゃあ、潜ってみようかな♪」という気には残念ながらなれません。

前に、潜水をして「ブラックアウト」(酸欠によって意識を失うこと)状態になった人を
TVで見たことがあるのです。
一時的に意識を失うだけで大抵は助かるそうですが、恐ろしいことに変わりはありません。
ただ、篠宮さんは恐怖心を感じたことはないとおっしゃいます。
日々のトレーニングに裏付けされた肉体と、海の怖さを十分知っているからこその言葉だと思いました。

本書を読んで、著者の飽くなきチャレンジ精神と海への敬愛はとても素晴らしいと感じました。
実際やってみたいとは思いませんが、大会が放送される際には海の美しさとともに、選手たちの潜りの美しさも見てみたいと思ったのでした。

2013年12月24日火曜日

人生、行きがかりじょう――全部ゆるしてゴキゲンに

バッキー井上著
ミシマ社

君はバッキー井上を知っているか?自称スパイ・忍び・手練れであり、漬物屋・居酒屋の店主でもあり、時折コラムを書く男。その正体は・・・?





皆様、毎日ゴキゲンに過ごしていますか?
私はいつもゴキゲンな乙女でいたいと願っていますが、悲しいニュースを見聞きして胸を痛め、あまりの忙しさにイライラし、体重計を見てはため息をつく日々を送っています。
四六時中ゴキゲンでいることは、なかなか難しいことではないでしょうか。

毎日ゴキゲンに暮らし、周りの人もゴキゲンにさせてしまう・・・そんな人物がこの「人生、行きがかりじょう」の主役であるバッキー井上さんです。

取次を介さず書店と直接取引を行う新進気鋭のミシマ社が、7周年記念の一環として「人生の達人たち」の声を集めた「22世紀を生きる」というシリーズを創刊し、その第一弾として出版されたものが本書です。
バッキーさんが語りかけるようにご自分の人生について語っていて、肩肘張らずに生きていくヒントのようなものがギュッと詰まっています。

本名・井上英男。1959年京都生まれ。
水道屋さんで働いたあと、広告代理店に転職しその後独立。
37歳で漬物屋さんを開業し、さらに居酒屋「百練」も始める。
酒場に関するコラムを書く「酒場ライター」として雑誌に執筆もしている。
自称スパイ・忍び・手練れ・・・
こうやって経歴を並べたところで、正体不明な人物だと思われるだけでバッキーさんの魅力は伝えられません。

歯医者さんでも「バッキーさん」と呼ばれ、待合室で「外人かよ」という目で見られる。
ワンピースを着て踊る画家として「ぴあ」に載った。
ヤクザともめて刺される・・・爪楊枝で。
などなど、過去のエピソードからもバッキーさんの凄さを伝えることはできません。

バッキーさんの凄いところはその生き方にあるのです。
本書を読んで私が感じた彼の印象を一言で言うならば、「西川のりおに似ている!」・・・ではなくて「自分を持っていて尚且つ柔軟な方だなぁ」ということです。
あと、「得体の知れない人物」だけど「24時間バッキーさん」しかも「色気のあるおっさん」でもあります。
(あっ!一言じゃなくなっちゃった。)
気負わず力を抜いて流れに身を任せながらも、どんな時でもどんな場所でもバッキーさんらしく生きている方・・・それがバッキーさんなのです。

誰でも生きていたら、失敗も苦しいことも悲しいこともあります。
それを全部オッケーにしてゴキゲンに生きていく・・・なんて「人間力」の高い方なんでしょうか。
こういう方が人生の成功者なんじゃないかなと私は思うのです。
私も今さらお金持ちにはなれないでしょうが、ゴキゲンに暮らす「人生の成功者」には考え方を変えるだけでなれるような気がします。

年の瀬も押し迫りますます気忙しくなりましたが、バッキーさんのように肩の力を抜いてゴキゲンに毎日過ごしていきたいものです。

2013年12月19日木曜日

女子漂流 ーうさぎとしをんのないしょのはなしー

中村うさぎ・三浦しをん著
毎日新聞社

男子禁制、女の花園。うさぎさんとしをんさん、最強コンビが送るちょっぴり暴走気味の対談集。




私は女子校出身です。
「女子校は清らかで美しい」という幻想を抱く方は今さらいらっしゃらないでしょう。
通っていた学校は、それはもう個性豊かな男前の女子ばかりで、毎日がお祭り騒ぎの楽しい高校生活でした。
授業中、新婚の先生に寄ってたかって根掘り葉掘り新婚生活についての突っ込んだ質問をしたり、学食にアイスやお菓子が置いてないのはおかしいと一致団結して学校側に働きかけたりと、たくさんのいい想い出があります。
だから、女子高は嫌だと思ったこともなかったですし、娘ができたら共学に通って欲しいという希望もありませんでした。

でもこの「女子漂流」で、「女子校出身者は共学出身者と違って、ズケズケした言い方をする」・・・そんな文章を読んでドキッとしたのです。
そうかもしれないなと思い当たる節があったからです。

本書は、女を分析したらピカイチの中村うさぎさんと、オタクっぷりは誰にも負けない三浦しをんさんという、今をときめく最強のお二人がタッグを組んだ対談集です。

お二人共女子校出身ということで、「女子校の女子」について語ったり、汚部屋で暮らす「女子の日常」を暴露し合ったりと、楽しい会話が続きます。
さすがのお二人ですから、「なるほど」と頷くようなことや、モヤモヤを晴らしてくれる目からウロコの分析が満載で、観察力が鋭いなぁと感心しきりでした。

そしてなんといってもお二人の本領が発揮される分野が「女子の恋愛」や「女子のエロ」なのです。
女にユーモアを求めている男なんていないのだから、男の会話に面白く切り返すのではなく、「へー、そうなんですかぁ」「すご~い」と言っていればいい。
そうだったのか!私が大学時代全然モテず、男子たちと同志のような関係になってしまったのは、おだてる事ができなかったからだったのだ。(違うかも・・・)

・保健体育のテストで「精液の色は?1.白2.赤3.緑4.黄色」という選択問題が出された。
・外人男性のヌードカレンダー(ノーカット)をみんなでキャッキャ言いながら見た。

暴走するそんな会話に大笑いしながら、ふと我に返って気付いたのです。
みうらじゅんさんと宮藤官九郎さんの対談集『どうして人はキスをしたくなるんだろう?』を読んで彼らの暴走するやんちゃぶりに、「もういい加減にしなさい」と言いたくなってしまったのですが、殿方がこの本を読んだら同じように呆れて「女って怖い」と幻滅するのではないでしょうか。
ということは、「結局男と女、どっちもどっちなのだ」という結論に達したのです。

・男は視覚的な性的記号に発情するが、女は関係性やシチュエーションに発情する。
・あなたがモテないのは、顔やお金がないせいではありません。
こういった所は、殿方たちの参考になるのではないでしょうか。

大いに共感したのが、「女はただ愚痴りたいだけ」の時があるということです。
そうなのです。
友人たちにもたくさんいますが、相談を持ちかけられても結局は本人が既に結論を出していたり、愚痴りたいだけだったりすることが多いのです。
ですから、殿方の皆様。
女性から相談を持ちかけられても、論理的に結論を導き出そうとはせず、「そうだね」と共感しながら話を聞いてあげてください。お願いします。

2013年12月17日火曜日

首のたるみが気になるの

ノーラ・エフロン著
阿川佐和子訳
集英社



皆様、お元気ですか?
私は元気です。
だけど、年齢を重ねるにつれ、体のメンテナンスに時間が掛かるようになってきました。

冬になると、すねが乾燥して粉を吹きます。
気にせず放置していたら、どんどん痒くなって掻きまくってしまい、化膿して腫れ上がったことがあります。
今は仕方なくお風呂上がりにボディミルクを塗っています。
かかとも何もしないとガチガチになってしまうので、お手入れは欠かせません。
運動前にも入念なストレッチをしなくてはなりません。
急に動くと、膝・腰・肩に痛みが走ってしまいますから。

もう少ししたら、ヘアカラーも「おしゃれ染め」から「白髪染め」に変更したり、
「リーディンググラス」という名の老眼鏡を購入しなくてはならなくなるでしょう。
若い時は何もしなくても大丈夫だったんだけどなぁ。
ウン十年もこの体を酷使してきたのですから、仕方がないのかもしれません。
でも、大変なのは私だけではありません。
大女優さん達もあちこち上げたり引っ張ったりと、必死みたいですから。

まだまだ若いから「加齢問題」とは関係ないと笑っているそこのあなた。
他人事ではありませんよ。
「老いるショック」は誰にでも訪れるのです。

本書は、『ユー・ガット・メール』などの脚本・監督を務めたノーラ・エフロンさんの爆笑共感エッセイです。

首のたるみを隠すためにタートルネックを着る。
若い時はシンプルだった肌のお手入れも、現在は高価なものを時間をかけて擦り込む・・・
などなど、「老いることは素晴らしい」と老いを称賛する人を「信じられない」と愚痴りながらも、著者はとても明るくポジティなのです。
加齢を嘆きながらも「今が一番いい」とおっしゃっているのです。

なんて正直な告白でしょうか。
若い時の方がいいに決まっています。
ちょっとぐらい無茶をしたって、次の次の日に筋肉痛になることもなければ、一日寝込むこともないのですから。
お肌も体もほっといてもピカピカで、高価な化粧品やアラ隠しの化粧をしなくても十分に綺麗なんですから。

でも、歳を重ねて肉体的には大変でも、精神的には充実していると著者はおっしゃりたいのだと思います。
それも、若い時から色々体験してきたからこそ言えることではないでしょうか。
加齢についての愚痴を聞かされながらも、大笑いしつつ「歳をとるのも悪くないな」と思えてくるのは、著者の姿勢が前向きだからなのだと思います。

その他、ホワイトハウスでインターンをしていた時のJFKとの思い出を告白したり、
人生を振り返ったエッセイが収録されていますが、どれも毒舌的でありながら「かわいい大人の女性」の魅力に溢れています。
こういう風に歳を重ねていけたらいいなぁと憧れます。
老いが忍び寄ってる方、まだまだ若いと思っている方、もうとっくに老いてる方、全ての方にお勧めします。

※著者のノーラ・エフロンさんは、2012年に白血病で逝去されました。

2013年12月15日日曜日

おもいついたらそのときに!

西内ミナミ著
こぐま社

すぐに行動に移してしまうおばあさん。誰か~!このおばあさん止めて~!



小さな家で、おばあさんと猫が暮らしていました。
チューリップが見事に咲き、おばあさんは「私は花作りの天才だわ。」と自画自賛します。
その時!!!
おばあさんの頭の中で、何かがピカッと光ったのです。
「思いついたらその時に!私、花屋さんを始めよう!」
とすぐに花屋さんを始めてしまいます。
なんとアクティブなおばあさんなんでしょう。

おばあさんが台所で料理を始めると美味しいシチューが出来上がりました。
「私は料理の天才だわ。」
自画自賛したその時!!!!
またまたおばあさんの頭の中で、何かがピカッと光ったのです。
ヒラメキすぎのような気がしますが、「思いついたらその時に」がモットーのおばあさんですから、すぐにレストランを始めることにしました。

こうしておばあさんは、色々な方面に才能を発揮し、その度にピカッと閃いて行動に移すのです。
同居しているネコだって止めればいいのに、おばあさんのやることなすことにいつも賛成して応援してしまうのです。
そんなに才能豊かで行動的なら、もっと若いうちから色々始めていれば今頃は・・・というのは言わずにおきましょう。

どんどん行動に移すものですから、おばあさんはたちまち忙しくなり、やがてトンでもないことが起こります。

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展開が早く、あれよあれよという間におばあさんが凄いことになっていくので、えーっ!と言いながら面白く読みました。
幼稚園位の子供たちも、飽きずに楽しめそうないい本でした。

2013年12月13日金曜日

混浴と日本史

下川耿史著
筑摩書房




先日週刊誌で、1951年生まれの吉田照美さんが、「家にお風呂がない時代です。オヤジが勤めていた小さな製紙会社のお風呂にも行きました。男女混浴なんです。湯船の中で大人同士が挨拶してました。今思うとすごいですよねぇ、同僚の奥さんの裸を見てるんです。お互いにね(笑)」(週刊文春10/24号より抜粋)とおっしゃっている記事を読んだ。
昭和の中頃までそんな風習があったというのは驚きだったが、今でも日本のどこかに細々と混浴風呂が残っているらしい。
そんな混浴事情を知りたくてこの「混浴と日本史」を手にとった。

興味本位で読み始めてみると、「湯」の語源に関する考察や皇室の祭祀についてなど、内容は本当に歴史の授業の様に硬く、私が知りたかった近代の混浴事情にはあまり触れてなかったのだが、なかなか興味深い内容が満載だった。

温泉が豊富に湧き出る日本では古代より、温泉地を中心に混浴は当たり前だったらしい。
和歌の元となった歌垣(男女が歌を交わしながら気のあった相手と性的な関係を結ぶこと)が一般的だった昔は、川辺や温泉地で水浴びしながらおおらかに性を楽しんでいたようである。

記録としての混浴は「常陸風土記」(711年)から始まるとされている。
温泉は万病に効くと、老若男女が集まって市が立つほど大賑わいだったという。

そして、奈良時代には寺院で庶民に風呂を提供する「功徳湯」がスタートした。
「功徳湯」とは、庶民を入浴させることで清潔さと健康増進に寄与し、国家や仏教のありがたさを植え付ける目的の寺院の活動のことである。
その後「功徳湯」は、遷都に伴い溢れた坊さんと尼さんの混浴の場と化し、乱交に歯止めが効かなくなっていったため、「混浴禁止令」が出されてしまう。

そして、1191年に有馬温泉で入浴のお手伝いをする「湯女(ゆな)」というサービスガールが誕生した。
その後だんだん客の酒の相手もするようになり、遊女に変化していく。
それが遊郭の先がけのようになり、またまた風紀が乱れてしまうのである。

江戸時代、女性が極端に少なかった江戸では女湯は元々存在しなかったが、そこに女性客が押しかけて、自然発生的に混浴になっていった。
その後風紀が乱れ、徳川幕府により度々「混浴禁止令」が出されるが、女湯が出来ても混み合ってうるさいのでわざわざ男湯に入る女が続出して、あまり効果が無かったようである。
混んでいるサービスエリアで、男子トイレに入ってしまうおばさんと同じ感覚だろうか。

そして混浴史上最大の出来事が、黒船来航である。
混浴の風習を「淫ら」「不道徳」「下劣」と欧米人に罵倒され、明治政府が繰り返し「混浴禁止令」を出したのだ。
そんな政府の施策も、庶民にとっては馬耳東風でなかなか是正されなかったのだが。

こうして混浴の歴史を見ていくと、「純粋な混浴 ⇒ 風紀が乱れる ⇒ 取り締まり」の繰り返しであったことに気付く。
男女が裸で一緒にいたら、どうしても淫らなことを考えてしまうのだろうか。

私が今、混浴のお風呂に入れるかと考えたら・・・それはやっぱり入れないだろう。
特に、顔見知りの人とは絶対に入りたくない。
ならば、全く知らない人ばかりだったらどうだろうか?
う〜ん。やっぱり入りたくないなぁ。

2013年12月10日火曜日

永遠の0

百田尚樹著
講談社




先月、ある大学の「ジャーナリズムの最前線」という講義で、百田尚樹さんがゲストとして講演されると聞き、聴講させてもらった。
おしゃれなスーツに身を包んで現れた百田さんは、思った以上にとてもダンディな方だった。

多忙な現在でも、担当している「探偵ナイトスクープ」の企画会議に毎週出席され、送られてくる約500通の依頼全てに目を通されていること。
長時間かけて準備しても、1回放送されたらおしまいであること。
49歳の時に、これからは違う人生を生きようと決意し、小説を書き始めたこと。

そういった内容を、芸人さんのような早口の関西弁で話してくださり、巧みな話術にすぐに魅了されてしまった。

そして、「永遠のゼロ」を書かれたきっかけを次のように話された。
大正13年生まれの父もおじも戦争体験者であり、子供の頃から当たり前の様に戦争の話を聞かされていた。
しかし、彼らは孫の世代には戦争の話を全くしていない。
戦争体験者が歴史から消えようとしている今、次世代に彼らの思いを伝えたい。


講演を拝聴し、ずっと気になっていたものの未読だった本書をぜひ読まねばと思い手にとった。

司法試験浪人ながらやる気を失っていた健太郎は、フリーライターの姉から「祖父のことを調べたいからアシスタントをしてくれ」と頼まれる。
祖父とは、今まで血が繋がっていると思い込んでいたおじいちゃんではなく、おばあちゃんの最初の夫で太平洋戦争で戦死した祖父・宮部久蔵のことであった。
祖父は、パイロットとなり終戦の数日前に神風特攻隊として最期を迎えていた。
そして、祖父は帝国軍人なら決して言ってはならない「生きて帰りたい」と口にする臆病者だったという証言を聞く。
「家族のためにも死ねない」と言い続けた臆病な祖父が、なぜ自ら特攻に志願したのだろうか?
祖父のことを知る人物を訪ねて回るうちに、少しずつ驚きの真実が明らかになっていく。


なんて読むのが辛い小説なんだろうか。
貴重な青春時代を戦争に捧げた若者たち。
死ぬとわかっていながら戦闘機に乗り込む兵士たち。
一人一人の兵士に家族がいて愛する者がいるのに、使い捨てにされる彼ら。

彼らや息子を送り出す家族たちのことを思うと胸が張り裂けそうになってしまう。
しかし、冬だというのに暖かい服を着て、十分すぎる食べ物を食べている私に彼らのことを思い泣く資格があるのだろうか。
辛かっただろう、悔しかっただろうと彼らの気持ちを想像し苦しくなるけれど、彼らの本当の苦しみや哀しみを理解するのは、現代に生きる私には不可能ではないだろうか。
読み終わった今も、本書の余韻に浸りながらそう考える。

本書は既に300万部を突破し、平成に入って一番売れた本だという。
読みやすいミステリー仕立てのエンタメ小説で手に取りやすく、過去にあった出来事をわかりやすく知ることができるという意味で、本書の功績は大きいと思う。
イデオロギーを問わず、また本書をどう読み解くかに関わらず、読者は否応なしに戦争と向き合うことになるのだから。

そして12/21に、V6の岡田君主演で映画も公開される。
それをきっかけに、本書を手に取る方も多いだろう。
「日本人ならこの悲劇を忘れて欲しくはありません。」
そうおっしゃる百田さんの想いが多くの方に届きますようにと願う。

講演会場の大学のホール

2013年12月8日日曜日

クローズド・ノート

雫井脩介著
角川文庫



主人公は教育大学に通う 香恵
影響されやすく、あまり主体性のない天然系女子である。
一人暮らしの部屋で、前の住人が残していった手紙とノートを発見した。
どうやら前の住人は「伊吹先生」と呼ばれる小学校の先生だったようで、手紙には「先生大好き」といった生徒たちからのメッセージが書かれていた。
そして、ノートには受け持ちのクラスのことを真剣に考えている様子や、好きな男性「隆」のことが事細かに綴られていた。
それを少しずつ読み進めるうちに、香恵は「伊吹先生」の大ファンになり、先生の恋愛を応援するようになっていった。

香恵はある日、自分の部屋を見上げているイケメンに出会う。
その男が、バイト先の文房具店に万年筆を買いに来て交流が始まった。
その彼・イラストレーターの隆作は、亡くなった「伊吹先生」の元カレだった!
その事実に、読者はすぐにピンと来てしまうのだが、香恵はずっと気づかないまま・・・

偶然が重なりすぎの都合のいいストーリーなのだが、不思議と不自然さは感じない。
それは、香恵の心情を細かく丁寧に追っていくからだろう。

しかし、どうも今ひとつ物語に入り込めない。
主人公の女の子が、ドジで天然で素直でかわいい「男が理想とする女」のような気がするからだ。
こんな子いないよ、とひねくれ者の私は思ってしまうのだ。
女性作家が書いた私の好みの「理想の男性」にはすぐキュンキュンするくせに、なんてわがままな読者なんだろう。

ただ、ストーリーは正統派の純愛物語でなかなか面白いなと読み進めると・・・
これは反則だぁ!
「恋人の死」「死んでも想い続ける」っていうのだって悲恋の鉄板なのに、子供たちまで使うとは!
筋書きが見えていても、これは切なすぎるではないか!
登場人物には共感できないものの、哀しみだか感動だかなんだか自分でもよくわからないものがこみ上げてきてしまった。

雫井脩介さんは、ミステリーしか読んだことがなかったけれど、こんな物語もお書きになるんだなぁ。
やられてしまったではないか。

2013年12月5日木曜日

苦手図鑑

北大路公子著
角川書店

私も妄想するけれど、北大路公子さんには負けます!大笑いしながら読めるエッセイ集。



妄想しているとどんどんエスカレートしていき、気がつくとニヤニヤしていることはありませんか?
私はよくあります。
先日も、通りすがりのイケメンが「何かお困りですか?」と突然声を掛けてきて、特に困っていなかったのにも関わらず、なぜかいい感じになって「どーしよー♡ 困っちゃう」と一人で身をよじらせていました。
でも、私の妄想なんて北大路公子さんに比べたら全然たいしたことありません。
この「苦手図鑑」の中で、北大路さんの妄想ったらどんどん暴走して止まらなくなってしまうのですから。

本書は、「小説 野生時代」に連載された短いエッセイ34本が収録されているエッセイ集です。
北大路公子さんのことはこの本を読むまで全く知らなかったのですが、なんて楽しい方なんだろうと読みながら何度も大笑いさせてもらいました。

ふんふん。
北大路公子さんは、札幌の実家で両親と同居しながら、昼間から酒を呑み、長時間ドラクエをして、佐藤浩市さんをこよなく愛する独身女性・・・
ああ!!
佐藤浩市さんLOVE♪とは、もうそれだけで素敵な女性だとピン!と来るではありませんか。

五月みどりと小松みどりは姉妹なのになぜ名字ではなく名前部分を共有しているのか。一人では答えがでず、思い切って妹に質問したところ、「みどりが名字なんじゃない?」
が、外国人?
といった軽妙な文章が続きます。

客の容姿を見ただけでピタリと予言するタクシーの運転手さんに、「今年の夏は恋をする。しかものめり込んでドロドロになるよ。」とまで言われた著者。
あははうふふと砂浜を走るが、抜き差しならなくなって・・・と昔の2時間ドラマのような妄想を繰り広げていくのですが、それがすごい!
えー!そういう展開!?と凡人には想像つかないストーリーが披露され、大笑いしながらも「この方、大物だ!」ととても感心しました。
ただ、そこまで妄想しながら今か今かと恋を待ち構えていたのに、何事もなく夏は終わってしまうのですが。

大量に残ったおでんを前に苦悩する場面を読んで、かつて一人暮らしの男の子と付き合っていた友人が「冬は毎週末おでんを大量に作って、一週間毎日夕飯におでんを食べてもらう」って言っていたことを思い出しました。
いくらおでん好きとはいえ、彼氏は喜んでいたのかな?

題名は「苦手図鑑」ですが、別に苦手なものが列挙されているわけではありません。
読んで笑ってストレス解消にはもってこいのエッセイでした。

※北大路公子さんの苦手なものは、チーズとトマトとみのもんたと人生の変化だそうです。
私の苦手なものは、しいたけと高所と暑さです。

2013年12月3日火曜日

ダイエットはオーダーメイドしなさい!

森田豊著
幻冬舎



自慢じゃないが、私はデブ歴が長く、ダイエット歴も長い。
そんな私だが、2013年5月に「太らない生活」を読んで、デブ人生にピリオドを打とうと決意した。
「モデルさんのようなナイスバディに!」と目標を高く設定して意気込むから挫折するのだ。
ならば、毎日少しずつ努力を続け、無理せず1年かけて3.5kg痩せよう。
そう固く心に誓ったのだ。

今のところ順調なのだが、これからダイエッターにとって恐怖の季節がやってくる。
クリスマスにはどうしてもクリスマスケーキを食べなきゃならない。
なぜならば、クリスマスだから。
お正月には食っちゃ寝の生活になるだろう。
なぜならば、お正月だから。
仕方がないのだ。
そう思ってしまう自分に喝を入れたくて、この「ダイエットはオーダーメイドしなさい!」を読んでみた。

本書では、個々の体質・年齢・性格・生活習慣などを考慮して、一人ひとりがオーダーメイドで「太る原因」を解消していこうと提案している。

まず、チェックシートで「なぜ太っているのか?」を検証し、A~Eまでのタイプに分ける。
そして性格やライフスタイルを考慮し、イヌ型やカンガルー型など6つのタイプに分ける。
その二つを組み合わせ、最適なダイエット方法を見つけていくのだ。

えっと私は・・・体育会系と自称している私は・・・(;゚Д゚)! なんと「運動不足太り」と判定されてしまった。
そんなバカな!と思いつつもよく考えてみると、毎日運動はしているがそれ以外の時間は座っていることが多く、なるべく楽をしよう、手抜きをしようと考えていたことに気付かされた。

運動習慣があっても、その運動に体が慣れていれば維持には役立っても痩せることにはなんの効果も及ぼしません。
Σ(゚д゚lll)・・・なんともショックな文章が続く。
「影響されやすく、付き合いがいい」というのも、合っている。
用事がない限りお誘いを断ることがほとんどないのが自慢だったのだが、少し考えた方がいいかも知れない。

そんな私に必要なのは、「日中の消費カロリーを大幅アップするために、朝軽めの運動をして代謝を上げる」方法らしい。
何も朝からジョギングしろと言っているわけではなく、軽いストレッチや歯磨きしながらスクワットなど、手軽で続けられるようなことでいいのだという。
これならさっそく明日の朝からできそうだ。

減量とは一時的な調整。
ダイエットとは、一生続けるスリムで健康に生きるための生活習慣。

そう著者は言う。
ならば、私のダイエット生活に終わりはないのだ。
よし、気を引き締めてこれからも少しの努力を続けていこう!

神田橋條治 医学部講義

神田橋 條治, 黒木 俊秀, かしま えりこ著
創元社

大学医学部の講義をまとめたもの。体育会系の私に読めるのか?不安になりながら手にとってみた。



本書は、精神科医の神田橋條治(かんだばしじょうじ)先生が、母校の九州大学医学部で年に1回4年生を対象にお話されていることを、10数年間分まとめた医学部講義録である。

1937年生まれの神田橋先生は、九州大学医学部を卒業され、同大学医学部精神神経科に勤務されたあと、現在は故郷・鹿児島の病院に非常勤で勤めながら、後輩の育成と指導に努めている。

普通に考えれば、医学部の講義なんて門外漢の私に理解できるわけがないのだが、本書は注釈付きで専門用語が多少出てくるものの、一貫して優しい話し言葉で語りかけてきてくれるので、体育会系の私でもなんとか読み通すことができた。

本当かどうかはわからないが「大学時代、講義中はずっと寝ていた」ととても親近感が湧くようなことをおっしゃる先生の語り口は、方言混じりの「~なの」「~ほしいの」といった調子でとても柔らかく、お会いしたこともないけれども勝手に優しいおじいちゃんというイメージが浮かぶ。

そんな温かみのある口調で、医師を志す学生たちに専門の垣根を越えて患者と向き合う姿勢を伝えていく。
機械がなければ何もできないとしたら、そのお医者さんは機械の付属品だ。
知識中心の普段の講義では学習できない医師としての心構えをは、彼らに説いていく。
聞いている医学生の中から精神科に進む者は少ないだろうが、どの分野に進んだとしてもきっと将来患者と関わる際に先生の言葉が頭の片隅に残っているだろうと信じたい。

人には自然治癒力が備わっていること。
医師や薬はその手助けをするのが本来の仕事であること。
プラセボ効果があるように、精神的な部分が体に影響を及ぼしていること。
今ある症状だけでなく、病状の流れ・ストーリーをよく診ること。

具体例を挙げながら、わかりやすく解説してくれるそういった話を聞いていると(実際は読んでいるのだが、本当に聞いている気分になる)、だんだん自分の心が軽くなっていくのがわかる。

かつて自分の不注意からジャンプに失敗し首を痛めているのだが、首の調子が悪いと心まで凹んでしまう。
特に最近痛みがひどく、もしかしたら重大な病気なのかもと精神的に落ち込んでいたのだが、先生のお話を聞きながらなぜか少しずつ癒されていったのである。

ああ、直接講義を聞くことができる医学生たちはなんと幸せなんだろう。
患者のことを一番に考える医師たちが、もっと増えればいいなぁと願う。

2013年11月26日火曜日

飛田の子: 遊郭の街に働く女たちの人生

杉坂圭介著
徳間書店 

大阪の遊郭・飛田新地で働く女たちの1年。


通りにずらりと並ぶ狭い間口の玄関先で、ピンクや紫の怪しげな蛍光灯に照らされながら、お姉さんがにっこり微笑んでいる。
曳き手のおばさんたちが、通りを歩く客たちに「お兄さん!」とひっきりなしに声を掛けている。
そんな光景が毎日のように繰り広げられている飛田新地のシステムは、どう考えてもこじつけだと思う。
店は「料亭」であり、個室でお茶やビールを飲んでいるうちに偶然にもホステスさんとお客さんが「恋愛」に陥る。
そして個室の中で「遊ぶ」のである。
料金は建前上、ビールやお菓子の代金で、11,000円/15分~41,000円/60分。
おばさんの取り分の1000円を引いた残りを、店とお姉さんが折半する。

流れは、お菓子と飲み物とおしぼりを渡し、少し言葉を交わし、トイレで洗浄する。
その後、部屋に戻りサービスする。
時間はおばさんにお金を渡すところからスタートするので、帰り支度を考慮すると15分コースの場合、実質7分程度なのだという。
慌ただしいことこの上ないが、客は女の子の顔を確かめてから気軽に遊べ、お姉さんにとってはソープのように長時間みっちりとサービスする必要がないので、気楽なシステムらしい。

なぜ取り締まりの対象にならないのか疑問に思うのだが、15年前のピーク時に比べて売上が1/10に落ち込んでいるものの、今でも160軒近くの料亭が営業しているのだという。

本書は、飛田新地での料亭経営の経験を綴った『~遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白~ 飛田で生きる』 の著者が、飛田新地で働く女たちの1年を追ったものである。

子供ができないことが原因で離婚し、助産師になることを夢見るカナ。
独身時代に飛田で働き、その後結婚・出産した後に、空いている時間に働きたいと飛田に戻ってきたナオ。
某大手商社に勤めながら、お金が欲しいから土日だけ働きたいと応募してきたアユ。
歯科技工士の専門学校に通いながら、学費や生活費を稼ぎたいと彼氏がいながら働き始めたメグ。
夏休みの間だけ働きたいと東京からやってきた大学生のリナ。

そんな彼女たちが、日に何本もこなしながら、客を奪い奪われ、喧嘩し、成長し、少しずつ壊れていく様子が綴られていく。
本数が減り稼げなくなってくる、お客さんのちょっとした一言に傷つく、曳き手おばさんの嫌味、一緒に働いている同僚との軋轢・・・
この仕事を長く続けていくと、体だけでなく精神の均衡を崩していく人が多いのだと著者は言う。
入るのは簡単だが出るのは難しいこの世界。
短時間で効率よく稼げるからといって安易に踏み入れない方がよいと思うのだが。

一応本書は「ドキュメント」となっているが、デリケートな問題を含むため都合の悪いことは書かない書けないということに加えて、読みやすい文体、出来すぎた話などから、「飛田新地に詳しくなる小説」と思って読んだ方がいいのかもしれない。

※新たに知った言葉
「一見倒し(いちげんたおし)」・・・新規客からお金をもらえばもう関係ないと、それまでの笑顔を引っ込め、あまりサービスをしないこと。

2013年11月25日月曜日

花々

原田マハ著
宝島社

あの号泣恋愛小説「カフーを待ちわびて」のサイドストーリー。



本書は、第1回日本ラブストーリー大賞を受賞した『カフーを待ちわびて』 の与那喜島を舞台とした連作短編集である。
1編ごとに「鳳仙花」「デイゴの花」など、花の題名がついている。
「カフー」の主人公である明青と幸の名前も出てくるが、ストーリー的には続きではなく独立した物語になっている。

母の介護や色々なことに疲れてしまい、故郷の岡山から逃げ出すように与那喜島にやって来てアルバイトをしている純子。
一方、与那喜島で生まれ育ち、現在は故郷を離れ大企業で働いている成子。
対照的ではあるが、人生に疲れ傷ついた二人が出会い、それぞれの道を歩んでいく。

「カフーを待ちわびて」と同じように静かに流れる時、美しい風景をバックに話が進んでいき、哀しくも温まる素敵な物語になっている。

「カフーを待ちわびて」「さいはての彼女」 、 そしてこの「花々」と原田マハさんの「美術系」でも「楽しい系」でもない、静かな物語を続けて読んできたが、やっぱりこういった話が私は大好きなのだと改めて思った。
「カフー」のような号泣恋愛物語ではないが、読後に温かな気持ちになれ、沖縄の余韻に浸っていたくなる1冊である。

2013年11月23日土曜日

さいはての彼女

原田マハ著
角川書店


 「人生をもっと足掻こう!」頑張りすぎて疲れてしまった彼女たちの再生。原田マハさんの元気を与えてくれる短編集。




「さいはての彼女」
25歳で下着の通信販売の会社を起業した主人公の鈴木涼香。
社長としてバリバリ頑張ったお陰で業績はいいのだが、恋に破れ部下に当り散らすという荒んだ生活を送っていた。
久しぶりに休暇を取り、沖縄で優雅な日々を過ごそうと思い立つ。
しかし手違いか嫌がらせなのか、秘書から受け取ったチケットはなぜか北海道、それも女満別行きだった。
そこで、「サイハテ」という名のハーレーに乗っている凪と偶然出会う。
凪は、耳が聞こえないのだが、前向きでいつも明るく、彼女の周りには笑顔が絶えない。
彼女と旅をするうちに、だんだん涼香の心も癒されていく・・・

「旅をあきらめた友と、その母への手紙」
失恋・失業した女が一人旅へ出かけ元気を取り戻す。

「冬空のクレーン」
大手都市開発企業で大規模な案件を抱えている女性が、北海道へ逃避し、鶴やタンチョウレンジャーに出会う。

「風を止めないで」
夫をハーレーの事故で失った凪の母が、一人の男性と出会いときめきを思い出す。

本書は、以上4編が収められた原田マハさんの短編集である。

「都会での仕事や生活に疲れた女が旅をして自分を見つめ直す」そんなありがちなパターンである。
都合よくいい人ばかり出てくる話である。
しかし、「私」の視点から終始落ち着いたトーンで語られるこれらの短編は、一味違う。
旅先での風景、出会う優しい人々、少しずつリフレッシュしていく彼女たち・・・
ああいいなぁ、と素直に思える話ばかりなのだ。

「人生を足掻こう」
「いい風が吹いています。この風、止めないでね。」
など、心に染み入る文章が散りばめられ、ひねくれたこの私でもほっこり温かくなってくる。

パワフルに頑張っていて強そうに見える女性でも、ふとしたことで心が折れる。
体型は太めだが、別にパワフルでも強くもない私なんかしょっちゅう心が折れている。
折れまくりの人生である。
細かいことにこだわらず、もう少しおおらかに生きたら楽になるのにと思いながら、グヂクヂ悩むことも多い。
本書を読んだからといってすぐに心が強くなれるわけではない。
けれども、「大丈夫だよ」と優しく背中を押され励まされてる気持ちになれる一冊だった。

※「さいはての彼女」と「風を止めないで」に登場する耳が不自由な凪が、明るくとても魅力的に描かれている。
この子いいなぁ、彼女を主人公とした長編小説が出版されないかなぁと思う。

2013年11月21日木曜日

しろくまのパンツ

tuperatupera著
ブロンズ新社

しろくま、パンツ失くしたってよ。
 
 
 
 



「パンダ銭湯」があまりにも面白かったので、同じ著者のこの本、「しろくまのパンツ」を読んでみました。

「どこにいったんだろう」
しろくまさんが、パンツを失くして困っています。

小学生の時の修学旅行で、先生が「これ、誰のパンツだ~?」とパンツをつまみながら大声で叫んでいたのを思い出しました。
誰も名乗り出ることはなかったので、先生はしつこくしつこく叫んでいました。
「持ち主は後でこっそり先生のところへ取りに来なさい。」とでも言ってくれれば取りに行くかも知れないのに、と大人になった今はそう思います。
いえ、落とし主は私ではありませんでしたが。

「小学生」「パンツ」でもう一つ思い出しました。
水泳の授業が1時間目の日は、みんな家から水着を着て登校していました。
その中に、着替え用のパンツを忘れてくる子が何人かいました。
その子達は一日ノーパンで過ごしていたのでしょうか?
告白すると、私自身も忘れた経験があるのですが、その後どうしたのか、遠い昔のことなので全く記憶にありません。
ブルマでもはいて帰ったのでしょうか。

そうそう、しろくまさんのパンツの話でしたね。
しろくまさんは、どこでパンツを失くしたのでしょうか。
ねずみさんが心配して一緒に探してくれることになりました。

ねずみさんがしろくまさんに聞きます。
「今日はどんなパンツをはいていたの?」
「忘れちゃった・・・」
どうやらしろくまさんたら、今日はいたパンツを覚えていないようです。
でも、私はしろくまさんのことを笑えません。
今だって、どんなのをはいているか見てみないとわからないのですから。

縦じまのカラフルなパンツがありました。
「これしろくまさんのパンツ?」
「ううん、違う。」
「じゃあ、誰のパンツ?」
シマウマさんのパンツでした。
シマウマさんは体のしまだけでは飽き足らず、パンツまでしま模様にこだわるようです。

こうして二人はしろくまさんのパンツを探していきます。
すると、驚きの場所にしろくまさんのパンツがあったのです!!!

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「パンダ銭湯」のような衝撃的な内容ではないですが、笑いながら読みました。
ページに穴があいているので触ることもでき、1歳位の小さいお子さんから楽しめるいい本だと思います。
表紙の赤いパンツは脱ぐこともでき、破れたりなくした場合は80円切手で購入することもできるそうです。

2013年11月19日火曜日

カフーを待ちわびて

原田マハ著
宝島社

「嫁に来ないか」と絵馬に書いたら「お嫁さんにしてください」と女がやってきた!恋愛小説で泣きたい貴方へ。㊟泣けなくても責任は取れません。



この「カフーを待ちわびて」は、原田マハさんのデビュー作であり、第1回ラブストーリー大賞受賞作でもある。
題名のカフーとは、主人公が飼っている黒いラブラドールの名前でもあるが、与那喜島の方言で「いい報せ・幸せ・果報」という意味だそうだ。

主人公の明青(あきお)は、沖縄の離島・与那喜島で小さな「よろずや」を営んでいる。
北陸を訪れた際、神社の絵馬に勢いで「嫁に来ないか、幸せにします。与那喜島・友寄明青」と書いて奉納した。
するとその後、自宅に「私をあなたのお嫁さんにしてくださいますか」という手紙が届き、本当に女がやってきた!
しかも「でーじ美らさん」(とても美人)が!

美人の女が都合よく向こうからやってくる・・・
まるでイケメンが「拾ってください」と突然やってきた「植物図鑑」のような都合のいい設定である。
それはわかっている。
わかっていても、島で唯一のユタであるおばあとの温かい関係、沖縄の方言、目に浮かぶ美しい風景が、ドラマチックな恋愛物語を雰囲気たっぷりに盛り上げるのだから、ハマってしまうのは当たり前ではないか。

青い海、晴れ渡った空。
静かに、そして穏やかに流れる時。
過去の出来事から自信が持てなくて、お互い想い合っているのに踏み出せない臆病さ。
そして過去がだんだん明らかになり・・・
ああ、そうだったのか!
だからそうなのか!
これが泣かずにいられるだろうか!

「植物物語」では、「いいなぁ。こんな男欲しいなぁ。」と羨ましくてハマってしまったのだが、本書では純粋にこのおとぎ話のようなストーリーに感動した。

自覚していなかったが、実はベタな恋愛物語が好きなのかもしれない。
平凡な人生を歩んできたので、今更ながらドラマチックな恋愛に憧れているのだろうか。
それともヘンな本ばかり読んでいるので、純粋な愛に飢えていたのだろうか。
自分でもよくわからないのだが。

何にせよ、沖縄に思いを馳せながらこの素敵な物語の余韻に浸っていたい。

2013年11月14日木曜日

蚊がいる

穂村弘著
メディアファクトリー

歌人の穂村さんが、脳内で考えているずるいことや恥ずかしいを赤裸々に告白したエッセイ。それでもやっぱり穂村さんはいい人だなぁ。



人の家の洗濯物を眺めるのが好きだ。
変態だと思わないで欲しい。
別に、下着を詳細に眺めたいわけではない。
どういう干し方をしているのか見るのが好きなのだ。
ああ、この人は大きさ順に干している。
こちらは何でも竿にかけるタイプの方だ。
この家は無秩序だ、きっとこだわらない方なのだろう。
うわっ、色がグラデーションになっている、すごい!
ベランダが満艦飾だ!大家族なんだろうな。
などと妄想している。
自分はいつも乾きやすさだけを考えた、見た目軽視派なのだが。

誰にも言ったことのない、こんな告白をしてしまったのも、この「蚊がいる」という穂村弘さんのエッセイを読んだからかもしれない。
歌人の穂村さんが脳内で考えている、ずるいことや恥ずかしいことまで正直に赤裸々に告白してくれているのだから、私も恥ずかしながらカミングアウトしてみたくなったのだ。

会社員時代の飲み会とカラオケは「楽しまなければいけない」ものだったので、とても辛かったと告白する穂村さん。

街頭でティッシュを配る人が立っていると、かなり手前から緊張してしまう穂村さん。

テレビ番組に出演した際、最後に出演者たちがテレビカメラに向かってバイバイをする場面で、「普通のバイバイをするような俺じゃねぇ。誰も見たことないような格好良いバイバイをしよう。」と思ったけど、「特別なバイバイ」なんて咄嗟に思いつくはずも無く、手を挙げたまま固まってしまった穂村さん。

脱力系の文章の中に、人の良さがにじみ出ていてとても好感が持てる。
すれ違いざまにぶつかった相手に舌打ちされて、「『こいつの心臓が止まるボタン』が手の中にあったら即押す」などと物騒な告白をしているけれど、穂村さんはそんなボタンがあったとしても絶対に押せないタイプなのだと、私は確信している。

自信のなさから迷いに迷ったり、人目を気にしてしまう穂村さんに、「もう穂村さんたら!しっかりして!」と思わず言いたくなってしまう。
エッセイを読んでいると、スゴイ方だということを忘れてしまうのだ。

「手を汚さない納豆」から「フロントホックブラ」に繋がってしまうように、妄想が激しく思考の飛躍がすごい。
こんなエッセイは、穂村さんにしか書けないだろうなぁ。

えっ!そうなの!と驚いたり、じれったいなぁと思う場面もたくさんあった。
でも、今まで私の頭の中でモヤモヤしていたことを、穂村さんが言葉にしてくれてスッキリしたり、時には共感する場面もあったのだ。

誰でも心の中で思っているけどあえて口に出さないようにしていることを、正直に書いちゃう穂村さん。
ああ、穂村さんてやっぱりいい人だなぁ。

※本書は、「L25」「週刊文春」「読売新聞夕刊」などに掲載されたエッセイをまとめたものである。
巻末には、又吉直樹さんとの対談が収録されている。

2013年11月12日火曜日

あい 永遠に在り

高田郁著
角川春樹事務所

幕末から明治を生き抜いたある夫婦の物語。





北海道足寄郡陸別町。
そこに関寛斎資料館がある。
関寛斎は、幕末から明治にかけて活躍した医師である。
その後、古希を過ぎてから北海道に渡り「開拓の祖」と呼ばれた。
本書は、その関寛斎の妻 あい を主人公にした高田郁さんの小説である。

上総(千葉県)の農村に生まれたあいは、18歳で従兄弟である関寛斎の元へ嫁ぐ。
関寛斎は、「乞食寛斎」と呼ばれながら苦学して医師になったばかりの23歳であった。
私塾を開き厳しい指導で知られる舅、他人に厳しく自分にはもっと厳しい「般若のお面の下に、菩薩の顔が隠れている」と言われる姑の下で暮らしていたが、その後夫と共に銚子・徳島へと移り住んだ。
夫・寛斎は、徳島藩医、戊辰戦争の軍医として偉大な功績を残したが、立身出世や金儲けには目もくれず、患者のために尽くし、あいは内助の功を発揮して夫を心身ともに助けていく。
そして、寛斎73歳あい68歳の時に築いた財産を整理し、北海道開拓の道へと旅立つ。
人たる者の本分は、眼前にあらずして、永遠に在り。
(目先のことに囚われるのではなく、永遠を見据えること。)
偉大な功績を残した夫と、陰ながら支え続けたあい。
そんな素敵な夫婦の愛の物語である。

あいは過酷な運命に翻弄されながらも沢山の子を産み育て、大きな試練を乗り越えていく芯の強い女性である。
しかし、寛斎に「どのような状況にあっても物事の良い面だけを見る」と言われるような、明るく楽観的な一面がある人物として描かれている。
困難を乗り越えていく強い女の迫力ある物語になりそうな設定だが、心温まる「愛」の物語になっているのは、高田郁さんによってまろやかさが味付けされているからだろうか。

これで高田郁さんが書かれた既刊の小説は全て読破したが、どれも本当に心温まるいい物語ばかりで、全くハズレがない。
11/14に初めての現代小説が出版されるようなので、そちらも楽しみに待ちたい。
(本音は、早く「みをつくし料理帖シリーズ」や「出世花」の続編を書いていただきたいのだが。)

2013年11月10日日曜日

国史大辞典を予約した人々: 百年の星霜を経た本をめぐる物語

佐滝剛弘著
勁草書房

明治41年に刊行された「国史大辞典」を誰が予約したのか?彼らを探る長い長い旅。

2008年、著者は群馬県の老舗旅館で一冊の芳名録に出会った。
A5版170ページほどの「国史大辞典予約者芳名録」。
そこから、100年ほど前に生きた人々を探る長い長い旅に出ることになる。

明治41年に、吉川弘文館(1857年創業)から出版された日本史の辞書「国史大辞典」。
当時の教員の初任給が12~15円という時代に、定価20円という高価な辞典である。
(現在は1979年から20年かけて出版された全17巻、定価29万7千円+税が最も新しい。)

経費がかかる辞書の出版に際し、刊行前に予約金が入り発行部数の目処も立てやすいというメリットがあることから予約出版という形態になり、「国史大辞典」刊行の約1年前に出版されたのが、本書の主役である「国史大辞典予約者芳名録」である。
選ばれし者だと予約者たちのプライドをくすぐったり、多くの人が予約していることに安心してもらうために刊行されたようだ。
個人情報の扱いにおおらかだった時代だからこその出版なのだろう。

そこに記された約1万件の記載名を、地道にそして丹念に著者は辿っていく。
与謝野晶子、柳田国男、金田一京助、開成・麻布などの有名校、法隆寺・厳島神社などの社寺・・・
ひと目でわかる名前ばかりでなく、苗字しかないもの、誤植、雅号や筆名または本名で書かれたものと一筋縄ではいかない名前に頭を悩ませながら、少しずつ特定していく。

「芳名録」は無機的な名前の列記であり、また本書は、言うなれば調査結果を羅列したものだが、それがなぜこんなにも面白いのだろうか。

芥川龍之介の実父、太宰治の実家も購入していた・・・そんな事実から、彼らもこれを見ながら作品に生かしていたのだろうかなどと、想像力を掻き立てられるのである。
また、名古屋大学に農学部が設置された際、東京大学農学部から重複文献を提供する申し出があり、国史大辞典が寄贈された・・・など、この辞典に関わる小さなストーリーや歴史的繋がりを発掘していくのである。
ロマンを感じさせてくれる驚きと発見が詰まっているから、こんなにもワクワクするのだろう。

裕福な人が本棚の飾りとして購入するというより、飽くなき探究心・向学心から購入していたようである。生活を切り詰めてまで購入した、私財を投げうってまで学校の運営や地域の社会教育に勢力を注ぎ込んだ・・・当時の人々の気概を感じるそんなエピソードがあぶり出されてくる。
多くの人に利用されてボロボロになり、表紙を補綴しながら廃棄せずに現在まで保存されている「国史大辞典」の写真を見たときは、著者のみならず私まで感銘を受けた。

検索すれば何でも気軽に調べられる時代、こういったドラマも無くなっていくのかと思うと寂しく感じられる。

2013年11月7日木曜日

おとうさんがいっぱい

三田村信行作
佐々木マキ絵
株式会社理論社

お父さんが増えた!誰が本物のお父さんなのか?・・・これは童話なのか?SFなのか?それともホラーなのだろうか?



表紙の男3人が夫に似ている。
禿頭でヒゲを生やしているところが同じ、というだけなのだが。
図書館から借りてきたら、子供たちが表紙を見て「うわぁ、まさにお父さんがいっぱいだ!」と大盛り上がりだった。

この「おとうさんがいっぱい」は5編が収録された児童書である。
児童書といっても、侮れない、なかなかシュールな物語ばかりだ。

「ゆめであいましょう」
ミキオは、昔の自分が出てくる夢を見た。
最初は生まれたばかりの赤ん坊、次は5歳くらいの男の子・・・と夢を見るたびに大きくなっている自分。
どの子も夢の中で現在の自分を見ると怖がってしまう。
良い子は夢を見るのが怖くて、夜な夜な怯えてしまいそうな話である。

「どこへもゆけない道」
駅から自宅へ戻ると、そこはいつもの自宅ではない。
もう一度駅前へ戻り、自宅へ帰ってみるが、今度は自宅が消えている。
自宅が変わってしまったらどうしようと、外出するのが怖くなってしまいそうな話である。

そして表題作の「おとうさんがいっぱい」
いつの間にかお父さんが増えているのである。
どのお父さんも自分が本物だと言い張り、喧嘩になってしまう。
我が家だけではなく、全国いたるところで父親が増えるという騒ぎが持ち上がっていた。
中にはお父さんが12人も増えてしまった家庭も!
政府も対策に乗り出すのだが・・・

その他
マンション5階の自宅からどうしても出られなくなってしまう「ぼくは5階で」
お父さんが壁の中へ入ってしまう「かべは知っていた」
など、子供に全く媚びていない物語ばかりである。

どの話も、なぜそうなってしまったのかという説明もなしに、強引に話が進んでいく。
読者は、えー!と驚愕しながらどんどん引きずられていってしまう。
これが子供向けなのか?
SF、いやホラーではないのか?
童話ならばせめて話を丸く収めてくれたらいいのに、そんなこともなく突き放されたまま話が終わってしまう。

良い子のみんなは、この本を読んで夜ぐっすり眠れるのだろうか。
是非とも小学生の感想を聞いてみたい。

2013年11月5日火曜日

マラソン中毒者 北極、南極、砂漠マラソン世界一のビジネスマン

小野裕史著
文藝春秋

南極・北極を走り、灼熱の砂漠を7日間で250Km走り続ける!これぞまさにジャンキーだ!



マラソンとは、中毒になるものらしい。
父は元気だった頃、毎月各地のマラソン大会に出場していた。
叔父は、もっと重症だ。
大怪我をして医者に止められているにもかかわらず、相変わらずマラソン大会にエントリーして、熊野古道を走り回ったり、富士山を走って登る大会にまで出場している。
私自身も楽しいから毎日運動を続けているのだが、長距離を走るのは苦しそうでとても挑戦したいという気になれない。

しかし、世の中には上には上がいるらしい。
この「マラソン中毒者」の著者は、数え切れない程のフルマラソンや100Kmマラソンを完走しているのである。

ベンチャー企業経営者からベンチャー投資家になった著者は、元々は運動経験ゼロのインドア派だったという。
それが、ちょっとしたきっかけから走り始め、3ヶ月後にはフルマラソン、11ヶ月目には100Kmマラソンを完走してしまうのだ。
私にとっては、42.195Kmだって走ったり歩いたりする距離じゃない。
車か電車移動の距離だ。
それを100Kmとは!

まばたきをすると、上のまつ毛と下のまつ毛の氷がくっついて目が開かなくなってしまうという想像を絶する寒さの中、北極マラソンを走る。
南極では、フルマラソンでは飽き足らず100Kmマラソンを走る。
もはや何かに取り憑かれているとしか思えない・・・
しかも、頼まれてもいないのに忍者のコスプレをしながら走るのだから、もう頭の中に「crazy」の文字が浮かんでくるではないか!

そして、高山病の危険もある高地の灼熱の砂漠を、荷物10kgを背負いながら、7日間で250Km走り抜けるというレースに、チームでエントリーするのだ。
誘われた友人たちも、経験が浅いながら二つ返事で参加するのだから、マラソン中毒は伝染するのかもしれない。
しかも彼らは、なるべく荷物を軽くする工夫はしても、コスプレ衣装を置いていくことは考えていないのだ!

ある意味こんな怖い本もない。
軽妙な語り口調で笑わせてくれ、走るのって楽しそうと一瞬思ってしまうが、違う違う。
冷静に考えると、いや冷静に考えなくても、なんて無謀な!なんて危険な!と怖くなってくるのである。
もう止めてぇ~!と何度思ったことだろう。
読みながら、「著者はこの先大丈夫なのだろうか?この本が出版されているということは無事に違いない。」と自分に言い聞かせ続けなければならなかった。

彼らはなぜ走るのだろうか。
ゴールの先には何が見えるのだろうか。
自らエントリーし、時間とお金をかけて大会に出場し、苦しい思いをするのだから、よっぽど素敵な何かが、走る者にしか見えない何かが、そこにはあるに違いない。
彼らこそ、まさしく素敵なジャンキーだ!

2013年11月3日日曜日

祈りの幕が下りる時

東野圭吾著
講談社

一気読みでした!「加賀恭一郎シリーズ」の10作目



養護施設で育ち、苦労しながら、夢見ていた大きな舞台を成功させた女性演出家。
彼女を訪ねてきた幼馴染みが、数日後遺体で発見された。
同時期にホームレスが河川敷で殺害され、テントが燃やされる事件があった。
二つの事件を追ううちに、過去の悲しい出来事、複雑に絡み合った人間模様が徐々に明らかにされていく。
本書は、東野圭吾氏による「加賀恭一郎シリーズ」の10作目である。

「新参者」「麒麟の翼」で出てきた場所や出来事があちこちに登場したり、加賀が子供の頃に突然失踪した母親のことも次第に明らかになっていく。
普段あまり感情をあらわにしないクールな加賀だが、彼の中にある温かみや情熱をも感じさせてくれる、加賀シリーズのファンには見逃せない一冊である。

ストーリー的にも、冒頭から惹きつけられ、一気読みせずにはいられない。
前作「麒麟の翼」をご本人が「自己最高傑作」とおっしゃっていたが、正直とてもそんな風には思えなかった。
本書の方がよっぽど面白く、加賀シリーズの中では一番読み応えがあるように感じた。
「麒麟の翼」より活字量が多く、人物の心情が細やかに描かれていたからだろうか。

親が子を想う気持ち、追い詰められていく犯人・・・確かに今までどこかで読んだことのあるような題材なのだが、読者を夢中にさせるのだから人気がある作家だというのは頷ける。

これぞエンターテインメントだなぁ。

2013年11月1日金曜日

望郷

湊かなえ著
文藝春秋

涙腺のネジを締め忘れたのか、泣けて仕方がなかった!今までとはひと味もふた味も違う、湊かなえさんの連作短編集。



物語の舞台は、瀬戸内海に浮かぶ小さな島、白綱島。
橋を渡ればすぐ本土に行けるというその島は、作者の湊かなえさんの故郷・因島をイメージしているのだろうか。
本書は、そんな小さな島で生まれ育った人物の複雑な心情を描いた連作短編集である。

「みかんの花」
駆け落ちしたまま25年間も音沙汰がなかったのに、有名作家として突然帰ってきた姉を迎える妹の複雑な心境。
「海の星」
父が失踪し、母子二人暮らしの苦しい頃になぜか助けてくれたおっさんがいた。20年経って明かされるその真相。
など、6編が収められている。

湊かなえさんといえば「告白」に代表されるような、何とも後味の悪い「イヤミス」の女王と言われている。
が、この本は後味も悪くなく、今までの湊さんの小説とはひと味もふた味も違っていた。
激しい起伏があるわけでもなく、静かにそして細やかにそれぞれの心情を綴っていく。
私の今の心理状態とピッタリ合っていたのか、途中からは涙腺のネジが緩みっぱなしになってしまった。

特に、「雲の糸」という話では、なぜか涙が溢れて仕方がなかった。
主人公はその島出身の男性有名歌手。
母が殺人犯であったため、子供の頃から辛い思いをしていた。
島を出たい一心で大阪に就職し、その後努力を重ねて現在の地位を得た彼は、島で行われるあるパーティーにゲストとして出席することになった。
殺人犯の息子として虐げられた過去がある彼は、帰りたくなかった故郷でたくさんのサインを書かされ、彼に辛く当たっていた人々に、さも自分のおかげで有名になったんだという態度を取られるのだ。

わかる、わかる!
うん、うん。有名になると突然親戚や友人が増えるんだよね。
みんななんて酷いんだ!
血のにじむような努力をして掴んだ今の地位なのに!
あれほど酷いことをしてきたくせに、スターになったとたん態度を変えるなんて!

私は有名人でもなくサインを頼まれたこともない無名の女だけど、
特に深刻な過去があるわけではない平凡な人生を歩んできたけれど、
なぜか大いに共感してしまい、悔しくて悲しく泣けてきたのだ。
なんの共通項もない読者の心を、ここまで揺さぶるとは!

島と決別する者。
家や墓を守るため島を出られない者。
都会に出たけれど、島に帰ってきた者。

それぞれの「望郷」が心にしみる一冊だった。

2013年10月29日火曜日

政と源

三浦しをん著
集英社

国政73歳。源二郎73歳。政と源、合わせて146歳。只今参上!





荒川と隅田川に挟まれた墨田区Y町。
そこで生まれ育った幼馴染の国政と源二郎は、正反対の性格ながら、なぜか昔から仲がいい。

源二郎は、「世界一の」つまみ簪(かんざし)職人である。
大恋愛の末結婚した妻は40代で亡くなったため、今は一人暮らしをしている。
しかし、73歳の今でも仕事に精を出し、若い弟子の徹平とその彼女で美容師のマミが家に出入りしてるため、楽しく充実した毎日を送っているように見える。
耳のあたりにちょぼちょぼと残っている髪の毛を、マミが赤やピンクや青など奇抜な色に染めているので見た目は怪しいのだが。

一方、国政は銀行員として定年まで働き、今は悠々自適の暮らしをしている。
妻は数年前に家を出ていき、長女一家と暮らしていて国政と連絡を取りたがらない。

お互い一人暮らしの真面目な元銀行員と、破天荒だが情に厚い職人という二人が、徹平を昔の不良仲間から助けたり、マミと徹平の結婚に一役買ったりと活躍していく楽しい物語である。

堅物とやんちゃ。
そんな二人のじいさんが、愛らしくて可笑しくていい味出していて、何とも言えない関係を築いているところが魅力的である。
老いて一人になってしまった寂しさも漂うのだが、それ以上にお互い口は悪いが認め合い固い友情で結ばれている。
いいなぁ、こんな関係。
自分もこの下町のY町で暮らす住人だったら楽しいだろうなと想像しながら読んでいた。

破天荒な源と生真面目な国政のやりとりや日常が面白くて面白くて、思わず笑ってしまう場面が何度もあった。
特に、生真面目な政が離れて暮らす妻に毎日手紙を出すところは可笑しくて可笑しくて笑いが止まらなかった。
そうかと思うと一転してホロリとさせられる。
しをんさん絶好調といった感じの物語である。
このコンビで続編出して欲しいなぁ。
またこのじいさんコンビと再会して癒されたいから。

※政と源の挿絵が載っていたのだが、二人共顔が西洋風で王子様のようなイケメンだった。
下町のおじいさんという設定なのだから、いい男に描くのはともかく、西洋風はないだろうと思う。
もっとも、この物語の面白さには全く影響がなかったが。

2013年10月27日日曜日

のたうつ者

挟土秀平著
毎日新聞社

「土は人を裏切らない。そうオレは信じている。」なんてかっこいい方なのだろう。惚れてまうやろ!



この表紙の男性をみて欲しい。
鋭い目つき、精悍な横顔、この表紙の写真だけで女性なら誰しも惚れてしまうに違いない。(私だけ?)
本書は、この素敵な男性・左官の挟土秀平(はさどしゅうへい)さんの自伝である。

メディアにも登場する有名な方らしいのだが、この本を読むまで全く存じ上げなかった。
こんな素敵な方を知らなかったなんて、私は今までどこを見ていたんだろう。

挟土秀平さん、1962年生まれ。
矢沢永吉をこよなく愛する男。
岐阜県高山市で左官業を営む家に生まれ、「しゃかんになりたい」と幼稚園の頃から夢見てきた彼は、高校卒業後あえて遠く離れた熊本での厳しい修行の道を選び、技能五輪左官部門で優勝する。(高卒での優勝は初めて)

その後あちこちで修行したあと、飛騨随一の左官会社「挟土組」に、二代目跡取りとして入社する。
父親が社長のその会社で、実力がありながらなぜか不当な待遇を受け、艱難辛苦しながら孤立していく。
その中で「土」に出会い、苦悩の日々を過ごしながらも研究を重ねていき、「職人社秀平組」を立ち上げ独立するのである。
そして、「NEWS23」のセット、「泥の円空」など数々の挑戦的で独創的な作品を生み出していく。

研究ノートの写真が掲載されているのだが、これがまぁ丁寧な文字でびっしりと書かれていて、仕事に対して真剣に取り組んでいるのがよくわかる。
研究熱心な姿勢に加えて、努力を重ねた上で彼の作品が成り立っているのだなと感動する。

本書に掲載されている作品の写真だけでも迫力が伝わって来るのだから、実物はもっとすごいんだろうなぁ。
一度この目で見てみたい。

芸術的な作品や大きな仕事ばかりしている方なのかと思ったのだが、「個人宅の一部屋でも、風呂のタイル張りでも、どんな仕事でも引き受ける」のだそうだ。
狭いマンション暮らしの我が家では、いくら見渡してみても頼めそうな箇所はないのが悲しいのだが。

2013年10月24日木曜日

きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)

宮藤官九郎著
太田出版

男子高校生の脳内を覗いてみたら・・・思いっきりくだらなかった!!クドカンの自伝的小説。



この笑っていいのかどうか戸惑ってしまう長いタイトル「きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)」は、「あまちゃん」の脚本を担当した宮藤官九郎さんの初小説である。
自伝的小説でもあり、体験した恥ずかしい話を虚実織り交ぜ「虚8実2」ぐらいで書いた「恥小説」でもあるという。

「宝島」を愛読し、「たけし軍団」に入ることを夢見ながら、ビートたけしのオールナイトニッポンにせっせとネタを投稿している少年が、宮城県北部にあるバンカラな高校に入学した。
その高校は、「質実剛健」をモットーにしており、腰から手ぬぐいを下げ、冬でも下駄を履いて登校するという風習が残っていた。
挨拶はもちろん「押忍!」。
そんな高校で、バスケ部に入るが練習はサボりがち、エレキギターを買うが弾けないコードがある、友達は次々に彼女を作っていく・・・
モテたいのにモテない・冴えない少年が、「白鳥おじさん」と交流したり、下ネタを妄想したりしながら成長していく物語である。

男子高校生の脳内を覗いているような小説で、バカバカしい!くっだらない!と思いながらも笑ってしまう面白さがある。
「あまちゃん」と同じく、「夕やけニャンニャン」「ゲームウォッチ」など80年代の小ネタがたくさん散りばめられていて、その年代を知っている者としてはとても懐かしさを感じた。
クドカンの、そして「あまちゃん」の原点が少しだけわかったような気がして、クドカンファンとしてはくだらないながらも読んでよかったと思える一冊だった。
お忙しいでしょうが、続編として「くだらない大学生活」編も書いてくれないかな?

※たくさんある黒歴史の一つを告白しよう。
「ビートたけしのオールナイトニッポン」に、私も恥ずかしながら中学生の時に1度だけ投稿したことがある。聴こうと思っても起きていられず寝てしまうのが常だったので、採用されたかどうかはわからないが、たぶんボツだっただろう。お恥ずかしい出来だったから・・・
投稿したネタは「佐渡ヶ島のマゾ」です。皆様ご内密に。

2013年10月22日火曜日

ハピネス

桐野夏生著
光文社

幸せそうに見える母親たちの葛藤。桐野夏生さんの、こういう小説を待っていた!



「公園デビュー」という言葉を初めて知った叔父が、「なにそれ?人のことを気にせず、行きたい時に行きたい所に行けばいいのに。」と言っていた。
それはもちろん正論なのだが、女のそれも子育て中の母親たちの関係は複雑なのだ。
そんな複雑な女の世界を描いているのがこの「ハピネス」だ。

主人公は、憧れだった都心のタワーマンションに住んでいる有沙。
夫は「お願いだから離婚してください」というメールを一方的に送りつけてアメリカに単身赴任しているため、3歳の娘と二人暮らしをしている。
セレブ感漂うおしゃれなママ友たちのグループに入り、一緒に子供を遊ばせている。
彼女たちは一見幸せそうに見えるが、それぞれ家庭や子育ての悩みを抱えている。
それは、児童虐待、貧困、DVといった深刻な悩みではないけれど、誰にでも起こりうる身近な悩みである。
そんな母親たちの葛藤を、この物語はリアルに映し出していく。

女同士が集まれば、軋轢が生まれるのは当然のこと。
有沙も、夫の職業、タワーマンションの高層棟か低層棟か分譲か賃貸かなど、見えない階級意識に息苦しさを感じている。

人と比べてしまう、浮かないように周りに合わせる、家庭内の弱みを見せないようにする・・・都会で生きるためには必要なことかもしれない。
しかも子育て中、特に子供が小さいうちは親も側についていなければならず、そこに子供同士の関係も絡んでくるのだからもっと複雑になる。
バカバカしい、人は人自分は自分、と割り切ってゴーイングマイウェイを貫けば、母親ばかりか子供も浮いてしまうのだから難しい。

都会的なママ友グループで、精一杯皆に合わせている有沙はとても危うく、大丈夫?周りに流されないで!と励ましたくなってしまう。
このままママ友たちとのドロドロの関係がずっと続く話なのかと思いきや、中盤あたりから有紗に変化が訪れ、物語は違う方向へ走り出す。

女の汚い部分を描くのが上手い桐野夏生さんの、こういう小説を待っていた!
特に子育て中の女性にお勧めしたい本でもある。
読んで「どうしてハッキリ自分の意見を言わないんだろう、私とは無縁の話だ」と思う人は幸せなのかもしれない。
多くの女性たちが、ママ友たちとの関係に悩んでいるのだから。

2013年10月20日日曜日

幕が上がる

平田オリザ著
講談社

高校の演劇部が舞台の物語。高校生ってやっぱり眩しい。キラキラ輝いていて眩しい。




小学校の発表会で宮澤賢治作「よだかの星」の劇をした際、大きな声が出るという、ただそれだけの理由で主役のよだかを演じた。
今から思うと単なる棒読みで、心を込めて演じる・役になりきるということの意味すらも分かっていなかった。照れや迷いを捨てきることができなかったのだ。
映像が残っていなくて本当によかった。

舞台を見に行くと、時々最前列の席がとれることがある。
間近で見る俳優さんたちは役になりきっていていとも簡単に涙を流し、喜びを体いっぱいに表現している。
心技体に加えて、理解力も必要な難しい仕事だろうと思う。

で、この 「幕が上がる」 である。
舞台は、北関東にある高校の演劇部。
目標は地区大会を突破して県大会に出場するという弱小のクラブではあるが、それぞれ懸命に努力していた。
そんな中、新学期に新任の美術教師が学校にやって来た。
美人な上に、大学時代演劇をやっていたという噂だ。
さっそく副顧問をお願いし、指導してもらうことになった。
その美術教師は、なんと「学生演劇の女王」という異名まで持つ人だった。
強豪校から転校してきたクールな天才少女。
ちょっぴりメンドくさい性格のお姫様キャラの看板女優。
演劇はど素人で「すげー」が口癖の顧問の先生。
そんな登場人物たちが県大会を目指して奮闘する青春物語である。

演劇部の部長である さおり の一人語りで綴られていくこの物語は、読みやすく、演劇に打ち込む高校生たちにすぐに惹かれていった。
今までも別にやる気がなかったわけじゃない。
ただ、どうすればいいのかわからなかったのだ。
上手く指導したり助言するだけで、彼らは格段に上達していく。

女子高生の心の中をちょっと覗き見させてもらうくらいの気持ちでいたのに、いつの間にか、頑張れ!頑張れ!と保護者の気分になって応援している自分がいた。

悩みながらも力を合わせ少しずつ形にしていく。
本番の舞台で緊張し、手が震える。
きっと大丈夫と確信したり、不安に思ったりと揺れ動く少女の心情が手に取るようにわかり、「ああ、懐かしいな」と遠い昔を思い出していた。

スマホやギャルメイクとは無縁の田舎の高校生たちだが、演劇に勉強に真摯に打ち込んでいる等身大の高校生たちに好感が持てる。
高校生たちってキラキラ輝いていて、眩しいな。
自分たちはそのことに気がついていないだろうけど。
遠い昔を思い出して、感傷的な気分にさせてくれた1冊だった。

2013年10月17日木曜日

江戸の色道: 古川柳から覗く男色の世界

渡辺信一郎著
新潮社

ようこそ!ディープな男色の世界へ!



長年江戸の古川柳を研究してきた著者が、その中でも男色に関する部分を取り上げてまとめたものがこの「江戸の色道」である。

女色も深く嗜み、男色をも究めることが、色道としての正道なのだ。
弘法大師が帰朝して広めたとされる男色は(実際は古代から受け継がれてきたようだが)、江戸時代には女色/男色、二本立ての色道だったらしい。
平賀源内先生も著書「男色細見三の朝」で、未経験者に対して「此道の味ひを知らざる愚痴の衆生」とまで書いているそうだ。
それほど一般的だったため、様々な文献・川柳が残されている。
本書は、それを背景とともに丁寧に解説してくれる、いわば「男色の解説書(江戸編)」といった内容である。

潤滑油・通和散のこと、陰間の修行のこと、陰間茶屋のこと・・・
様々な男色のあれこれについて、それはそれはご丁寧に解説してくれるのである。

読み通すのに大変苦労する本でもある。
春画が満載で人前で読めない。
古文や古川柳がたくさん引用されている。
例えば「唐辛子」「提灯」などの隠語が多用されている(解説はついているが)。
具体的すぎる。
そういった理由もあるが、それだけではない。
ずっと、違和感というか根本的な疑問が頭から離れなくなってしまったのだ。

・男色は、する側は悦楽が伴うがされる側は苦痛に耐えなければならない。そのため、「一人だけが悦楽に耽る」の意味で「一人」の字を合体させて別名「大」悦と言う。
・陰間は商売道具である菊をいかに傷つけないようにするかの訓練を小さい時から行う。
菊の訓練、手早く終わらせる方法、傷の手当て・・・
・受ける方はどんなに経験を積んでも快楽を伴うことはない・・・
本書では、いかに受ける側が大変な苦痛を伴うかということが繰り返し書かれているのだ。

そうなのだろうか?
私はずっと、両方に悦楽が伴う対等の立場だとばかり思ってきたのだが。
もし、いつまでも片方は苦痛に耐えなけらばならないとしたら、金銭を伴わない関係は成立しないのではないか?
交代するのか?
誰にも聞けず、いや聞いても答えてくれそうな人が周りにいないため、一人でずっと考え込んでしまったから、なかなか読み進めなかったのだ。

まえがきで著者は「読者の肝を冷やすことになる筈である」と述べている。
肝を冷やすというより、・・・以下自粛。
私には全く必要がない、ディープな男色の世界の知識を与えてくれたと同時に、大きな疑問も残してくれた1冊だった。

※ちなみに、傷にはネギの白い部分を蒸してその部分に押し当てるといいらしい。

2013年10月15日火曜日

明治のサーカス芸人は なぜロシアに消えたのか

大島幹雄著
祥伝社

「日本の奇跡」と呼ばれた「ヤマダサーカス」を追え!海を渡った名も無き曲芸師たちの足跡。



それは3枚の写真から始まった。
学生の頃ロシア・アバンギャルドをテーマに卒論を書き、その後ソ連のサーカスを招聘するプロモーターの仕事をしていた著者は、ソ連末期のモスクワで3枚の写真と出会った。
そこには、着物を着たサーカス芸人達が写っていた。
彼らの名前は「イシヤマ」「タカシマ」「シマダ」だという。
興味を持った著者は、彼らのことを調べてみようと決意する。
そして、外交資料館で外国旅券下付表の記録を確かめ、サンクトペテルブルクのサーカス博物館へ足を運び、内外の資料やインタビューから彼らの足跡を追っていく。

幕末に芸人たちは一斉に海外へ飛び出し、パリ万博始めヨーロッパ・ロシア各地で評判を呼ぶ。
未知の国・日本の芸人達が演じる初めて見る驚愕の技の数々は、どこへ行っても好評だったという。

その中でもヤマダサーカス一座は、ロシアで最も有名な日本のサーカス団だった。
芸のレベルの高さも然ることながら、衝撃的な「ハラキリショー」でセンセーションを巻き起こしたのだ。
自らの手足を刀で切りつけ血を流しながら、押さえつけた少年の喉から腹にかけて切りつけ血まみれにし、シーツにくるみ運び去る・・・もちろん種も仕掛けもあるのだが、ロシア人を恐怖に陥れたという。
子供が見たらトラウマになりそうな衝撃的なショーではないだろうか。
いや、大人の私が見てもショックを受けそうである。

また、とりわけ印象深かったのが「シマダ」グループが行ったという「究極のバランス」芸だ。
サーカス関係者たちが「奇跡の芸」と言う、綱渡り・ハシゴ芸・棒技を合体させた神業。
長い長い棒を額の上に乗せたまま2本の綱の上に腹這いで寝そべり、その足元をつかんで一人が倒立し、棒の上ではもう一人が倒立する。
著者が何度見ても鳥肌が立つというサーカス史上最高の技。
来る日も来る日も練習に明け暮れたからこそ成り立つ、一流の芸なのだろう。
映像が残っているというのでいつか機会があったら見てみたい。

著者は、丹念な取材から少しずつ、少しずつ彼らに繋がる糸を手繰り寄せていき、彼らの足跡と人間ドラマを浮き彫りにしていく。
次第に彼らを追う旅に引き込まれて行き、中盤で写真の人物が明らかになる場面では、思わずあっ!と声を上げそうになった。
そして、彼らに日露戦争・ロシア革命といった歴史が襲いかかり、明暗が分かれていく。

ロシアで活躍していた日本人芸人たち。
毎日毎日辛い鍛錬を重ねていただろう彼ら。
歴史に埋もれ、今では誰も知ることのない名も無き彼ら。
そんな彼らがいたことを、心にとどめておこうと思う。

2013年10月13日日曜日

東京にオリンピックを呼んだ男

高杉良著
光文社

日本の心。おもてなしの心。東京オリンピック招致に尽力した日系2世の物語。





本書は、1964年の東京オリンピック招致に尽力した日系2世・和田勇さんの物語である。

和田勇さん(Fred Isamu Wada)は、1907年(明治40年)にワシントン州で食堂を営む日系1世の両親の元に生まれた。
生活苦のため12歳で農園で働き始め、17歳で青果商に就職した際はその働きぶりが評価されて1年で店長に抜擢される。
その後独立し、努力と才覚で店舗を増やし、日系人の中心的存在となっていった。
太平洋戦争の際は、強制収容所入りを逃れるため、日系人を束ねユタ州で辛い農場開拓に挑戦する。
戦後は再び店を構え、多数の店舗を経営するまでになった。
日系人は日系人同士で付き合っていた当時、ポーカーを覚えたりしながら白人社会に溶け込む努力を重ね、白人たちからも尊敬される存在になっていく。

強力なリーダーシップを有し、経済的に余裕が出来ても身を粉にして働く、困っている人を見ると助けずにはいられない、祖国日本を愛し続ける・・・そんな人物なのである。
だからこそ、東京オリンピック招致に向けて協力を求められたのだろう。
私財をなげうち全身全霊を打ち込み「アジアで最初のオリンピックを開催する」という夢に向かって邁進するのである。
またその後は、米国のためにロス・オリンピックの誘致にも尽力していく。

困窮している時に知り合いの結婚祝いとして2カラットのダイヤの指輪をポンとプレゼント。
若いメキシコ女を2回買ったことがあると告白。
借金がある身ながら6000ドルを二つ返事で貸す。
豪快エピソードには事欠かないが、奥様はどんなに大変だっただろうと思う。
南米での招致活動にも同行し、内助の功を発揮する。
この奥様がいなかったら東京オリンピックはなかったのかもしれない。
これは、一人の尊敬すべきリーダーの話でもあるが、強くしなやかな奥様の物語でもある。

ある方が、喜寿を迎えた和田さんに会った印象を「古武士のような人」だと表現していた。
「日本の心」「おもてなしの心」を持ち、献身的に奉仕する日系人がいたことを日本人として誇りに思う。
2020年のオリンピックの開催地が東京に決まり、きっと和田さんも天国でお喜びになっていることだろう。

※本書は、1992年に講談社から刊行された「祖国へ、熱き心を」を、2020年のオリンピック招致に絡み、光文社よりソフトカバーで再出版されたものです。

2013年10月11日金曜日

パンダ銭湯

tuperatupera著
絵本館

君はパンダの秘密を守れるか?人には口外しないと誓えるか?



あなたは口が固いですか?
秘密を守れますか?

すぐに「はい」と返事できない方は、この本を読んではいけません。
なぜならば、ここにはパンダの決して知られてはいけない秘密が書かれているのだから。


ある日パンダの親子は、「よし、今日は銭湯に行くか」「やったぁ!」と仲良く銭湯に向かいます。
そこは、「パンダ以外の入店は固くお断りしています」と貼り紙があるパンダ専用の銭湯「パンダ湯」です。
客をパンダに限定して経営が成り立つのか疑問に思いますが、意外と繁盛しています。

脱衣所には、ビールメーカーのキャンギャルでしょうか、若くて美しい(たぶん)パンダの水着姿のカレンダーがかかっています。
パンダの親父たちも、やはり若いお姉ちゃんが好きなようです。

湯上りには飲むのはこれで決まり!とばかりに、竹林牛乳さんの「サササイダー」もキンキンに冷えてスタンバっています。
彼らも飲む時は腰に手を当てるのでしょうか。

そして、裸になって・・・

・・・えっ!《゚Д゚》
え━━━(゚ロ゚;)━━っ!!
そ、そうだったのか。
||||||||||凹[◎凸◎;]凹||||||||||
と、とてもショッキングな絵が続きます。

・・・・気を取り直して洗い場です。
パンダ同士の社交場にもなっているようで、飼育員さんの噂話も聞こえてきます。
備え付けのシャンプーは「スーパーワイルドシャンプー」です。
彼らも「野生」の魅力に憧れているようです。


これでもかと秘密を見せつけられショックを受けている読者たちに、湯上りの脱衣所で最後の仕上げとばかり、衝撃の事実が突きつけられます。 
)゚0゚(   
誰でも自然とムンクの叫びになってしまうことでしょう。

愛くるしく、見ているだけで癒されるパンダたち。
その可愛さを保つために、笑顔の裏で血のにじむような努力をしているのです。(たぶん)
次にパンダに会った時、「君たちも大変だね」と声をかけながら、耳の後ろを確かめてみたいと思います。

2013年10月9日水曜日

昆布と日本人

奥井隆著
日本経済新聞出版社

昆布のソムリエ、「コブリエ」が案内する昆布の世界。 


昆布と鰹節で出汁をとっている。
その前は鰹節や煮干の粉が入った「だしパック」を使っていたのだが、出汁とり鍋を使い始めたら簡単においしい出汁がとれる点が気に入り、今では毎日のように使っている。
出汁とり鍋は、鍋とざるがセットになっていて、ざるは細かいメッシュ状なので布で漉さなくても簡単においしい出汁がとれるのでおすすめだ。

本書は、1871年創業の昆布商「奥井海生堂」(福井県敦賀市)の4代目である著者が、昆布の歴史や使い方などについて語っているいわば「昆布の解説書」である。

昆布が歴史上の文献に初めて登場するのは奈良時代、また「出汁」として活躍するのは鎌倉時代、それ以降、昆布と日本人は切っても切れない関係にある。
そんな昆布について、近江商人の北前船によりポピュラーになり、日本全国へ普及していった歴史が綴られている。

また、曹洞宗大本山永平寺御用達の「御昆布司」(おこぶし)となり出入りを許されたり、北大路魯山人から特注を受けたりと栄華を極めながらも、第二次世界大戦の空襲により全てを失い、再び立ち上がった昆布商としての140年の歩みを振り返る。
とりわけ「関西のような昆布文化は関東では浸透しない」「昆布の使い方がわかりません」と言われながらも、東京進出を果たしていく様子は、一代記ものの小説を読んでいるようだ。

その他、
限られた収穫期に、手間ひまかけて誕生する昆布の製造過程。
ワインのように収穫される場所やヴィンテージ(収穫年)によっても品質が違うという話。
永平寺の「心」が最も大切だという食の教え。
母乳と同じ旨味成分「グルタミン酸」。
フランス料理のシェフも注目する出汁の美味しさ。
旨味成分が一番抽出しやすいのは60度。
など1冊まるごと興味深い話が満載だった。

私がとりわけ惹かれたのは熟成させた「蔵囲昆布」(くらがこいこんぶ)である。
昆布を蔵で寝かせて熟成させると雑味のない、旨味だけが凝縮した出汁がとれるのだという。
出汁をとる一瞬のために、海で育つこと2年、手間ひまかけて製品になり、蔵囲いして熟成させる・・・なんという贅沢さだろうか。

奥深い昆布の世界をわかりやすく解説してくれる極上の一冊だった。

※気になって調べてみたら「蔵囲利尻昆布 80g」が1,365円だった。(私が普段使っているのは65g398円)
ちょっとお高めだが、本書を読み手間暇かかっていることを知った今ではそれでも安く感じる。
頼りない私の腕前で極上昆布を使いこなせるのか?、繊細な舌を持ち合わせていない家族たちに違いがわかるのか?と不安を抱きながらも、お取り寄せしてみた。
素人の私でも濃く上品な味のだしを取ることができた。
残念ながら家族は誰も気づいてくれなかったのだが。

 
昆布を水に浸してから60度を目安に加熱する。
 

 
澄んだ昆布だしができました。
 

 
その後、鰹節を入れ取り出したところ。

2013年10月3日木曜日

出世花

高田郁著
角川春樹事務所

高田郁さんのデビュー作。優しさが溢れ出てくる時代小説です。



本書は、漫画原作者から時代小説作家へと転身された高田郁さんのデビュー作であり、4つの短編からなる連作時代小説である。

主人公は武家の娘「艶」(えん)。
下級武士の源九郎と娘の「艶」は、不倫の末駆け落ちした妻と相手を討つため旅に出た。
2人は行き倒れて、下落合にある青泉寺の住職に助けられた。
その後、父は住職に娘を託しこの世を去る。
その青泉寺は、死人を弔い、荼毘に付し、埋葬する、葬祭のみを一手に引き受ける「墓寺」だった。
そこで「艶」は、「縁」と名を変え寺で働くことになる。
死者を弔う気持ちに心を打たれた「縁」は、大店の養子にならないかというありがたい話を断ってまで、湯灌を手伝うと自ら名乗り出る。
死者を湯灌し、安らかに浄土へと旅立っていく手伝いをするために。
そして「縁」は「正縁」という名を授かる。
仏教で「出世」とは、世を捨て仏道に入ること。
縁は名前を変えるたびに御仏の御心に近づいていく。まことに見事な「出世花」だ。


実の母との悲しい物語があったり、手篭めにされかかったり、「屍洗い」と蔑まれたりと辛い出来事の中、仕事にやりがいを見出していく・・・まるで「おしん」のように、芯が強いけなげな少女だ。

白麻の着物に着替えて行う湯灌のシーンでは、魂を清めるという厳粛な雰囲気が漂う。
死者を悼む気持ちから、痩せこけた頬に綿を詰め紅を差し浄土に旅立つ手助けをする・・・「おくりびと」の世界だ。

考えてみて欲しい。
「おしん」のような少女の成長物語、「おくりびと」、それに高田郁さんである。
数式に直すと(おしん+おくりびと)× 高田郁である。
どう計算しても答えは、優しさが溢れ出てくるような無敵の時代小説になるに決まっているではないか。
その上、的確に涙腺のツボをキュッキュッと押してくるのだから、読者はたまったものではない。
こんな完成度の高い物語がデビュー作とは、驚くばかりだ。

少しだけ出てくる食べ物の描写では、高田郁さんはやっぱり食べ物好きなんだなぁとニンマリしてしまった。
「縁」のその後が気になるところだが、あとがきで「みをつくし料理帖」の次にこの「出世花」の続編を必ず書くと約束してくださった。
(えっ!「みをつくし料理帖」シリーズが終わる!?終わるのは悲しいが、多くの読者が納得する終わり方をしてくれると信じている。)

ならば、「縁」に再開できるその日を、いつまででも待とうと思う。

2013年10月1日火曜日

どうして人はキスをしたくなるんだろう?

みうらじゅん・宮藤官九郎著
集英社

どうして男は、こんな話ばかりしたくなるんだろう?



とうとう大好きな「あまちゃん」が終わってしまった。
悲しみの海に溺れている時、「宮藤官九郎」と表紙に書かれたこの本を発見し、思わずしがみついてしまった。
中身をよく確かめなかったため、こんなに18禁満載の対談だったとは知らずに・・・

本書は、「週刊プレーボーイ」で連載中のコラム「みうらじゅんと宮藤官九郎の大人になってもわからない」を加筆・修正したものである。

紅白に出ようとも「あまちゃん」で大ブレイクしようとも、有名人オーラゼロが魅力の宮藤官九郎さん、1970年生まれ。
「人生の2/3はいやらしいことを考えていた」(㊟)という、あと5年で還暦を迎えるみうらじゅんさん、1958生まれ。
そんな自称「文化系」の2人が、「男と女」「人生」「仕事と遊び」について語り合っている。

まず目に飛び込んでくるのが、大きな文字の見出しだ。
「童貞を喪失すると何が変わってしまうんだろう?」
「SとMの判断基準ってなんだろう?」・・・
などはまだいい方で、ここにはとても書けないような見出しが並ぶのである。
電車の中で読んでいるのに、困ってしまうではないか。
こんなどデカイ文字にしなくてもいいのに!
やっと「どうして歳を取ると涙もろくなるんだろう?」という見出しにホッとしていると、不意打ちのようにまた大きな文字で放送禁止用語が目に飛び込んでくるのだから、もうすっかり挙動不審者になってしまった。

クドカンが小2の娘といつまで一緒にお風呂に入れるか心配したり、みうらさんが親を困らせようと女装姿で実家に帰るとなぜか絶賛されたりといった心温まるいい話(?)もあるのだが、基本はプレーボーイ路線だ。

出生届にどんな体位で出来た子か○をつける欄があったら・・・
友人と親友の違いは、相手の×××をくわえられるかどうか・・・
ああ、もうこの2人ったら!
これじゃあ、少年の心を持った純な大人というより、モテない・冴えない大学生の会話みたいだ。
(実際はお二人共おモテになるだろうが)

色気のある人って、やっぱ過去にデカい借金をしてるイメージがある」
「たぶんお金に一度も困った経験がない男って、女からすると頼りないんだよ

ちょっと待って!借金ない男のほうがずっと頼りになると思うけど!
もう、男2人で勝手に決めないでよ!
なんだか自分が真面目な学級委員長になって、腰に手を当て「君たち、いい加減にしなさいよ。」と男子たちに注意している気分だ。
優等生キャラになってみたい人にはおすすめの本だろう。

みうらさんはともかく、クドカンもいまだにAVを買っているというのはビックリしたなぁ。
男って、結婚してもいくつになってもそうなのだろうか?

クドカンが「あまちゃん」を見ながら、展開を知っているのに無意識にボロボロ泣いていたというエピソードは良かった。
それだけでもこの本を読んだ甲斐があった!

それにしても、どうして愛しい男たちは、おっさんになってもこんなにアホなのだろうか?

㊟:「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた。」・・・みうらじゅんさんが週刊誌に連載しているエッセイ「人生エロエロ」で、毎週冒頭に書かれている一文。
ちなみに「人生エロエロ」の題字は武田双雲さんが担当している。

2013年9月29日日曜日

宰領: 隠蔽捜査5

今野敏著
新潮社

主人公は、四角四面の警察官僚。だけど、ちょっぴりお茶目でかわいいお方なの。



スピンオフ作品もある人気の隠匿捜査シリーズ。
このシリーズの魅力は、なんといってもキャリア警察官である主人公の竜崎にある。
私利私欲とは無縁、四角四面、原理原則を重んじ、人付き合いが苦手。
「変人」「唐変木」と言われている男。
職務に忠実で、保身や出世のために行動する警察官たちを横目に、上司になびくわけでもなく黙々と自分のやるべきことを合理的にこなしていく・・・
ああ、ダメだ。
かっこよくてお茶目でかわいくて素敵な人なのに、残念ながら私には彼の魅力を伝えられない。

今回の事件は・・・
降格人事により、キャリア官僚ながら現在は大森署の署長を務めている竜崎。
衆議院議員の牛丸が誘拐され、運転手が他殺体で発見された。
牛丸の車が発見されたのは大森署管内だが、誘拐犯が潜伏しているのは神奈川県内だとわかり、神奈川県警に協力を仰ぐことになった。

警視庁と神奈川県警が対立しようとも、上司の命令に逆らってでも、竜崎は事件解決に一番合理的だと思う方法を選択していく。
ノンキャリアの警官が突っかかってきても、カッとなるのではなく冷静にどうすればいいのか判断していく。

現在は降格人事のため署長をしている竜崎が、実はキャリア官僚で階級は警視長であり、刑事部長とは幼馴染みで同期の仲だとわかった時の、周りの驚く様子はとても痛快で何回読んでも面白い。
これは、水戸黄門が印籠を出したとき、浅見光彦の兄が警視監だとわかったときと同じだ。

今回はまさかの大どんでん返しもあり、シリーズ最高の作品ではないだろうか。
事件は独立しているため本作だけを読んでも楽しめると思うが、竜崎のキャラや生い立ちなどの説明がほとんど書かれていないため、未読の方はシリーズの最初から読むことをおすすめする。

「転迷―隠蔽捜査4」のレビュー

2013年9月26日木曜日

「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか

鈴木涼美著
青土社

女の子からAV女優への成長。



本書は、著者の鈴木涼美さんが「AV業界をウロウロしながら」書いた大学時代のレポートと大学院での修士学位論文を加筆修正したものである。

AV女優はなぜインタビューで饒舌に語るのだろうか?
なぜ彼女たちは性を商品化するのだろうか?
そんな疑問から、AV女優たちの日常と業務を紹介するとともに、女の子達がプロダクション・メーカー・監督とたくさんの面接をこなしながら、「女優」になっていく様子を観察していく。

仕方なく女優をしているといった姿はそこにはない。
頑張ったら頑張った分だけ売れると、向上心を持って仕事をしているのである。
AV女優たちは、強制されることなく撮影に臨み、自分でSMプレイなどしたくないNG項目を選び、機嫌よく撮影できるようにちやほやされ、と想像以上に大切にされている。
一方、世間には偏見を持たれているという二面性があることがわかる。

「なんとなく」流されるようにAV業界にデビューした女優がほとんどらしいのだが、どうも人々はそこに理由をつけたがるらしい。
こんな可愛い子がこんな仕事をしているなんて、よほど辛いことがあったのか、衝撃的な生い立ちなのか、それとも純粋に好きだからか・・・
そのためAV女優のインタビュー市場は活発らしく、彼女たちは「自らの性を商品化する理由を常に問いかけられてきた」存在であるという。

それに加えて、プロダクションに所属するため、メーカーの契約をもらうため、監督と打ち合わせするため、自分を売り込み継続的に仕事をしていくために、彼女たちは日々数多くの面接を受けなければならない。
それによって自分がどういったキャラクターを演出していくべきか学び、徐々に饒舌な「AV女優」になっていく様子は、心理学的な面から見ても面白い。

論文ということもあり、回りくどい言い回しに一読しただけでは意味がわからなくて読み返した箇所も多々あった。
それだけではなく、読みながら袋小路に入り込み悩んでしまう箇所もあり、なかなか読み進めなかった。
特に、売春・性の商品化についての過去の論文を考察している箇所を読んでいると、なぜ強制されない・自由意思による売春がいけないのか、私自身わからなくなってしまい考え込んでしまった。

多くの男が女を求め続ける限り、女であることを武器にした商売はなくならないだろう。
しかし、インターネットで様々なコンテンツを見ることができる今、AV業界はこの先どう変化していくのだろうか。

※面白いなと思ったのは、AVを見ているファンはブログやサイン会などでは、性的なものではなくカラオケで何を歌ったのかとか、何を食べたか?何を買ったか?など、日常的なものを求めているらしい。
演技しない素顔の女優たちを見たいらしいのだが・・・

※「性の商品化」とはどこからどこまでだろうか。そう考え始めたらわからなくなってしまった。
高校生の時友人が「結婚とは売春の一種である」と言っていた。
「あなたが今履いている靴下を6000円で売ってください」
そう言われたら売るだろうか?
もし、買う側がその靴下に性的な意味を見出しているとしたら?
アイドルのブロマイドも「性の商品化」だろうが、美しくなるために化粧したりおしゃれしたりすることは?・・・

2013年9月24日火曜日

ガソリン生活

伊坂幸太郎著
朝日新聞出版

気をつけよう 愛車は何でも お見通し




新車を買った。
国産の小型大衆車ではあるが、我が家にとっては大きな買い物で、納車まであと2週間ほどだと指折り数えながら心待ちにしている。
そんなウキウキ気分の私に「喝!」を入れてくれたのが、この「ガソリン生活」だ。
新車のことばかり考えて、下取りに出す今乗っている愛車のことを忘れていた。
長年お世話になっているのに、ごめんなさい。
なにせこの小説の語り手は車で、持ち主である運転手に親しみを感じ、廃車にされるのが一番怖いと言っているのだから。

その主人公は緑のマツダ・デミオ、通称「緑デミ」。
人間たちの会話を聞いたり、あちこちで出会う車たちと会話をしているため、なかなかの情報通だ。
車体が見える範囲、排出ガスが届くような範囲であれば、車同士やり取りができるのである。

持ち主家族の長男が、次男を乗せて運転している時に、名家出身で10年前に引退した元女優・荒木翠と出会い、ある場所まで送り届けることとなった。。
その後、他の車に同乗中だった荒木翠は、トンネル内での交通事故により死亡してしまう。
荒木翠を追っていた芸能レポーター、お金のために非道なことを繰り返す悪人など様々な人物が登場し、話は意外な方向へと進んでいく。

久しぶりに読んだ伊坂幸太郎さんの小説だった。
クスッと笑える会話が続き、「そうだった。こういう文章が伊坂幸太郎さんの魅力だった。」と思い出した。

登場人物それぞれの個性も際立っている。
なかでも小学生の次男がいい味を出していて、大好きになってしまった。
少し抜けている長男を補うように、頭脳明晰で小生意気な次男が大人顔負けに、臨機応変に行動する姿が頼もしくもあり、可愛くもある。
生意気すぎて学校でいじめられてるらしいのだが。

車同士でしかコミュニケーションを取れないため、いろいろな情報を得ても人間たちに伝えられないのがもどかしい。
ああ!もう教えてあげたいと、「志村後ろ!」 状態になってしまった。

楽しい会話あり、哀しい出来事あり、細かな伏線を丁寧に回収しながら、きちんとまとまった納得のいくラストまで存分に楽しませてもらった。
全く文句なし!
伊坂作品お気に入りランキングに、初登場ながら堂々1位にランクインだ!

私が今の愛車と過ごせる時間もあと少し。
今までありがとうと感謝しながら残された愛車との時間を大切にしたい。

ロスジェネの逆襲

池井戸潤著
ダイヤモンド社

「人事が怖くてサラリーマンが務まるか!」ますます劇画チックになった「半沢直樹」第3弾。



TBSドラマ「半沢直樹」が終わった。
役者たちの迫力ある演技で、驚異的な視聴率をとったのも頷ける。
(関東42.2%、関西45.5%)
 
大活躍のスーパー銀行員・半沢直樹。
「オレたちバブル入行組」 では、大阪西支店で5億円の債権回収をし、「オレたち花のバブル組」 では120億円の巨額損失に対峙し銀行の危機を救った。
その「半沢直樹」シリーズの第3弾がこの「ロスジェネの逆襲」である。

本作で半沢直樹は、東京中央銀行の証券子会社である東京セントラル証券に出向し、営業企画部長として働いている。
IT企業の電脳がスパイラルに敵対的買収を仕掛けるところから話は始まる。
当初電脳側のアドバイザーだった半沢だが、親会社の東京中央銀行にアドバイザーの立場を横取りされ、今度は買収される側のスパイラルのアドバイザーとなる。
・・・って、親会社に喧嘩を吹っかけているようなものではないか!

ここまでやっちゃっていいのだろうか?
敵をこんなに作って大丈夫なのか?
でも、半沢直樹は期待を裏切らず、やってくれるんだなぁ。

合併銀行であるため、東京第一銀行出身者と産業中央銀行出身者が対立する旧T・旧Sの戦い、上司と部下の戦いという今まで描かれていた戦いに加えて、出向社員VSプロパー、親会社VS子会社、バブル入行組VSロスジェネ世代と対立も激化し、入り乱れてもう魑魅魍魎の世界だ。
実際の銀行もこんな伏魔殿のようなのだろうか。

プライドだけ高くて仕事ができない奴。
自分の利益しか考えていない奴。
どうしてそんな奴らがのさばっているのだろうとイライラするような悪役がたくさん出てくるのだが、悪役が悪く描かれれば描かれるほど、半沢が引き立つのだから、我慢しよう。
その分倍返ししたときの爽快感が増すのだから。

印象深かったのが、本作で半沢がハッキリ言い切った仕事への姿勢だ。
やっぱり、半沢直樹はかっこいい。
サラリーマンの星だ。

同期たちが固い絆で結ばれ、裏切らないのも気持ちがいい。
これからもこのシリーズは続いていくだろうが、同期たちだけは悪役にしないで欲しいと願う。

2013年9月20日金曜日

週刊新潮 2013年 9/26号

世界一の海上ラボ。地球科学者の「虎の穴」。地球深部探査船「ちきゅう」はすごいぞ!



9/18(水)に発売された週刊新潮。
トップは、窃盗未遂で逮捕されたみのもんたの息子について。
その他、「最近イスラム教に改宗する日本人が増えている」「愛犬・愛猫のガン闘病」など、読み応えのある記事が載っていた。

その中で、一番興味を惹かれたのが、科学作家の竹内薫氏による地球深部探査船「ちきゅう」の乗船探検記だ。

海のスペシャリストたちの研究団体である独立行政法人・海洋研究開発機構(JAMSTEC)の旗艦「ちきゅう」。
2005年に就航した総工費600億円の「ちきゅう」は、全長210㍍、高さ130㍍、幅38㍍、5万6752㌧・・・サッカーコート2面分の巨大な船である。
「ちきゅう」は、海上に停泊して海中にドリルパイプを降ろし、海底を掘り進んで科学調査をするために建造された探査船だ。

パイプの長さはときに数㌔にも及び、海上の船が動いたらパイプは大事故につながる。
そのため、海上で動かないことが重要だが、コンピュータを駆使して静止状態を保っているのだという。

この「ちきゅう」の夢は、地球内部のマントルに到達する、大地震の発生を直に観測する、そして海底の極限生物の探査・・・
今はまだ夢かもしれないが、読みながらワクワクしてきた。

誰もまだ見たことがないナマのマントル、熱くて酸素の少ない海底に棲息する生物。
SFの世界のようで現実味がないけれど、自分の足元のずっとずっと下の方に何かあるんだと想像すると楽しいではないか。

私が生きているうちに、マントルを採取できるといいなぁ。

2013年9月17日火曜日

100年前の写真で見る 世界の民族衣装

日経ナショナルジオグラフィック社

100年前の人々はどんな服装で暮らしていたのだろうか?



かつてマレーシアに住んでいた。
マレーシアは、主にマレー系・中国系・インド系の人々が共に暮らしている多民族国家である。
私たちと変わらない装いをしている人々も多いが、日常的にそれぞれの民族衣装をまとっている人もよく見かけた。
特に、マレー系・インド系の女性たちは思い思いに工夫を凝らした民族衣装で、私の目を楽しませてくれた。

今では世界中どこへ行ってもスーツ姿のビジネスマンやGパンにTシャツ姿の人を見かける。
民族衣装を着ていたとしても、それは観光客用なのかもしれない。
残念なことではあるが、動きやすさを考えたら仕方のないことだろう。
そして、これからもっと服装のグローバル化は進んでいくのだろうか。

本書は、ナショナルジオグラフィック社が1900年代から1930年代までに世界各地で撮影した貴重な写真を収録した写真集である。
工業製品とは違う手作りの布や服装をまとい、「ハレとケ」がはっきりしていた時代がそこにある。

自家製のゆりかごで赤ちゃんをあやしているドイツの女性の笑顔は、母になった喜びからか、それとも慣れないカメラを向けられて照れているのだろうか。
この手を繋いでいる深窓の令嬢たちは、普段何をして遊んでいるのだろうか。
この豪華な婚礼衣装は、嫁ぐ喜びと不安を抱きながら複雑な思いでひと針ひと針刺繍したのだろうか。
と想像しながら眺めていると時が経つのも忘れてしまう。

服装だけでなく、帽子や靴、装飾品、化粧、そして背景もまた私を100年前の世界に連れて行ってくれる。

ロシア・南ダゲスタンの女性は宝飾品で飾り立てすまし顔でカメラを見つめているが、眉毛はこち亀の両津のように不自然なほど太くつながっている。
調べてみたら、「眉毛はつながっているほどいい」とこの地方では今でもわざとつなげる化粧をしているらしい。(参考:「眉毛はつながっているほどセクシー度がアップするというタジキスタンの女性たち」

100年前の人々はどんな服装で暮らしていたのだろうか。
そんな好奇心を満たしてくれ、いくら眺めていて飽きない写真集である。

2013年9月14日土曜日

オレたち花のバブル組

池井戸潤著
文春文庫

半沢直樹第2弾。渡る世間は敵ばかり。またまた「倍返し」の反撃が始まった。



ドラマ「半沢直樹」の視聴率は30%を超え、勢いを増しながら最終回へと向かっている。
本書はその原作本であり、「オレたちバブル入行組」に次ぐ「半沢直樹」シリーズの第2弾である。
第1弾と第2弾のタイトルが、これだけ似通っていて紛らわしいのは何故だろうか。

【あらすじ】
大手銀行のバブル入行組である半沢直樹は、現在営業第二部次長の職にある。
伊勢志摩ホテルが運用失敗により120億円の巨額損失を出した。
半沢は、頭取命令でその再建を押し付けられてしまう。
その上、金融庁検査が入ることになり、ホテルが「分類債権」に分けられてしまうと、巨額の引当金を計上しなければならなくなる。
それにより、銀行の経営問題にまで発展してしまうのだ。
この絶体絶命の危機を乗り越えるために、半沢が立ち上がる。
また一方で、半沢と同期の近藤が、出向先のタミヤ電機の帳簿改ざんに気づき、奮闘していく。

嫌な奴はとことん悪く描かれ、半沢が反撃して懲らしめ、めでたしめでたし。
第1作同様そんなパターンなのだが、わかっていても思わず引き込まれてしまう面白さがある。
回収金額も半沢の昇進と共に、第1弾の5億円から120億円と大幅アップし、スケールが大きくなっている。

上司に向かって「おこがましんだよ」と暴言を吐く。
そんな部下は銀行に限らずなかなかいないと思うが、半沢が言い放つと妙にハマっていて現実味を帯びてくるから不思議だ。
頭に来てもグッとこらえ耐え忍ばなければならないサラリーマンたちにとって、半沢はヒーローなのかもしれない。

ドラマで片岡愛之助さん演じるおネェキャラの金融庁検査官・黒崎が、ドラマのあのキャラそのままに大暴れするのも面白い。
特に、ボイラー室のダンボールを開けて、中身を見たシーンは笑ってしまった。
ただ、金融庁にお勤めの方はこれを読んでどう思うのだろうかと少し心配になってくる。

誰でも楽しめる、これぞエンターテインメントという小説だった。

※前作同様登場人物が多いので、理解を助ける相関図や説明があったら良かったと思う。
※片岡愛之助さんが語る「おネエ検査官役作り秘話」
※「半沢直樹」でスカッとする人は二流らしい??「心理診断『半沢直樹』でスカッとする人はなぜ二流か?」

2013年9月11日水曜日

あまちゃんファンブック おら、「あまちゃん」が大好きだ!

扶桑社

おらも、「あまちゃん」が大好きだ!じぇじぇ!熱くなりすぎて長くなっちまった!許してけろー!



「暦の上ではディセンバー」(㊟1)じゃなかった、セプテンバーである。
じぇじぇっ!
ということは今月で大好きな「あまちゃん」が終わってしまうではないか。
クドカンが脚本ということで、普段は見ない連続テレビ小説を見始めたら日に日にハマっていき、もう「あまちゃん」なしでは生きていけない体になってしまったのに。

夏の甲子園でも演奏されていた、軽妙なオープニングから始まって、
人の心理状態まで詳しく説明してくれる、笑えるナレーション。
琥珀のように磨かれた達者な演技を見せてくれる、劇団「大人計画」を始めとする役者たち。
元アイドル志望でスケバンだった役がぴったりの、アバズレ感漂う小泉今日子。
そして「こんな子がいたんだ!」と感動すら覚える、透明感溢れる能年玲奈。
全てが魅力的で、老若男女問わず夢中になるのも頷ける。

NHKという制約の中で、どれだけクドカンらしさが発揮できるのか。
当初、そんな不安を抱いていたが、実際に見たら杞憂だったとすぐにわかる。
80年代と現在、北三陸と東京、時間と空間を行ったり来たりしながら、お得意の小ネタを散りばめて笑って泣ける最高のドラマになっている。

なにせ、小池徹平扮するヒロシの登場シーンでは「ガラスの部屋」をBGMに「ヒロシです」と暗く登場したのだから、驚くではないか。
花巻さんが、「海女~ソニック」というふざけたネーミングのイベントで、フレディ・マーキュリーをヒゲ付きで演じたのも大笑いしたなぁ。
トシちゃんのそっくりさんも「ちゃんちゃらおかしいわ」(㊟2)と笑えたが、三又又三はマニアックすぎないかとちょっと心配になった。
海女カフェの改装シーンで、「ビフォーアフター」のBGMとともに「なんということでしょう」のナレーターまで入る細かさには、やるなぁと唸ってしまった。

一番びっくりしたのは、「ザ・ベストテン」を模した番組「夜のベストヒットテン」だ。
くるくる回るランキングボードの前で、久米宏風の糸井重里と共に登場した清水ミチコが黒柳徹子の物まねをしながら、玉ねぎ頭から「あめちゃん」(㊟3)を取り出した時には、大笑いしながらNHK(とTBS)の懐の深さに感動すらした。

海女だ、アイドルだ、「地元へ帰ろう」(㊟4)だとは節操無いなぁとか、若いのにどうして回らない鮨屋に入り浸れるの?とか、突っ込みどころ満載でもある。

で、やっと本書である。
「あまちゃんファンブック」とあるように、NHK非公認ながらファンには嬉しい情報が詰まっている一冊だ。

「あまちゃん」の人物相関図やあらすじから始まって、
ファンでもちっとも面白くなかった漫画「ファイナル勉さん」、
私は萌えないけれど興味深い「ミズタク萌えとは何か」
岩手県知事のインタビュー「アマノミクスでじぇじぇじぇ改革を」など、
てんこ盛りの内容となっている。

数々の著名人が「あまちゃん」愛を熱く語っているページでは、「んだんだんだ」(㊟5)と頷きながら、
「ずぶん」(㊟6)または「いっぱぁんだんせい」(㊟7)の凛々しい写真に見とれながら、
ロケ地巡礼ルポでは、「観光協会が入っているビルは旧駅前デパートで2階以上は現在無人」など、マニアックな情報にへぇ〜ボタンを連打しながら、
まるごと一冊堪能させてもらった。

そして、「小ネタ集解説」コーナーは必見だ。
ユイちゃんの元カレの小太りな愛犬家は、「ファブリーズ」のCMでピエール瀧の長男役だった・・・など、どうでもいい小ネタから、
ヒビキ一郎の連載コラム「俺はみとめねぇ」はチラッと映っただけの単なる小道具なのに、もったいないぐらい完成度が高い・・・など、凄い!と感嘆するものまで幅広く収録されている。

「あまちゃん」には、情報過多気味なほどわんさか小ネタが詰まっているが、それに気づかなくても十分楽しめる。
私自身もきっと気づかない小ネタがたくさんあっただろう。
「あまちゃん」ファンの友人たちと、「この間ミズタクがハンガー構えて、太巻が『武田鉄矢かっ』って突っ込んだのは『刑事物語』パロってたね」などと情報交換して知識不足を補っている。
ただ、幅広い教養を持ち、小ネタにたくさん気付いた方がより楽しめるのだと思う。
まさに、「わがるやつだけわがればいい」(㊟8)のだろう。

まだまだ、「ウーロンハイ焼酎抜きで」とか、「すまださん引っ越すますたよ」「女優が訛っていいのはあき竹城だけ」「アキちゃんのファーストキスを奪いそうになった前髪クネオ」とか話したいことは山ほどあるが、長くなってしまったので残念ながらおしまいにしよう。

最終回まであと「勉さんが一人、勉さんが二人・・・」(㊟9)と数える毎日である。
ああ、この甘くてしょっぱい「まめぶ」(㊟10)のような日々が、もうすぐ終わってしまうのが本当に悲しい。
今から「ペットロス」ならぬ「あまちゃんロス」になってしまうのではないかと心配している。

※独りよがりの長いレビューになってしまいました。
「まだまだあまちゃんですが・・・」(㊟11)、これからもよろしくお願いします。

㊟1「暦の上ではディセンバー」…あまりに適当な歌詞に思わず脱力してしまうアメ女の歌。
㊟2「ちゃんちゃらおかしいわ」…鈴鹿ひろみの口癖。「じょじょ!」は奇妙な冒険だった。
㊟3「あめちゃん」…大阪のおばちゃんの必需品。このシーンは清水ミチコのアドリブらしい。
㊟4「地元へ帰ろう」…GMTのデビュー曲。癒し系の喜屋武ちゃんが好き。
㊟5「んだんだんだ」…スーパーマリオブラザーズで地下に入った時の音楽。「弥生さん、もっとコインとれ!」
㊟6「ずぶん」…南部ダイバーから板前見習いに転職した元仮面ライダー。
㊟7「いっぱぁんだんせい」…ルパン三世とも言う。
㊟8「わがるやつだけわがればいい」…伊勢志摩扮する花巻さんの口癖。
㊟9「勉さんが一人、勉さんが二人・・・」…眠れぬ夜に数えるといいらしい。
㊟10「まめぶ」…あんべちゃんの得意料理。食べてみたいかは微妙。七味は少なめ希望。
㊟11「まだまだあまちゃんですが・・・」…エンディングの写真は9/7まで募集していた。

2013年9月9日月曜日

オーダーは探偵に 砂糖とミルクとスプーン一杯の謎解きを

近江泉美著
アスキー・メディアワークス

ドジな女子大生とドS高校生のコンビが活躍するありがちな・・・じゃなかった楽しいミステリー。



王子様という設定に合う制服は、ブレザーか詰襟か。
当初著者は、詰襟を想定していたそうだが、ネクタイを外す仕草にドキッとする女性が多いことを知り、ブレザーにネクタイという設定に決まったそうである。(あとがきより)
詰襟も男っぽくていいんだけど、ちょっと古臭いのかもしれない。

本書は、「オーダーは探偵に―謎解き薫る喫茶店」 に続く第2弾である。

就職活動中の大学生・美久は、 喫茶店「珈琲 エメラルド」でアルバイトをしている。
そこの壁には【貴方の不思議、解きます】と書かれた紙が貼ってある。
天才的な探偵が、ある対価と引き換えに謎を解いてくれるのだ。
その探偵とは、店長の弟の高校生。
王子様のような美しい少年だが、口を開けば毒舌を吐く意地悪なヤツ。
しかも、実はこの喫茶店のオーナーだった!

ドジで人がいい女子大生と、意地悪なドS王子の高校生探偵が、
「エメラルドに輝く川や、杖をついたカエル見た」
「レジに置かれた謎の封筒」
といったちょっとした謎を解いていく。
そして今回は、高校の七不思議に絡んだ事件を解決するため、2人で喫茶店を飛び出していく。

第1巻を読んだときにも思ったが、どこかで聞いたような設定、読んだことあるようなストーリーが続いていく。
タレーラン・・・謎解きは・・・春期限定・・・いいトコ取りのツギハギ・・・
いやいや、面白ければそれでいいじゃないか。
またまた初読なのにデジャヴを感じながら楽しんだ。

店長・王子様兄弟の両親はどうしているのか?
「対価」をどうするつもりなのか?
などなど、まだまだ彼らの背景に謎は多い。
まだ次作は発売されていないようだが、楽しみに待ちたい。

2013年9月5日木曜日

姉飼

遠藤徹著
角川書店

この本、凶暴につき・・・




夏という季節は、人をいつもと違う自分に変えてしまうのかもしれない。
昨夏は、暴力的な性を描いた「城の中のイギリス人」を読んでしまった。
そして今年は、普段なら手を出さない「エログロホラー」というジャンルのこの「姉飼」を借りてきてしまったのだから。

本書は、第10回日本ホラー小説大賞を受賞した表題作「姉飼」など、4編が収録されている短編集である。

【姉飼】
脂祭りの夜に、出店で串刺しにされ泣き喚いている「姉」を見た時から惹きつけられてしまったぼくは・・・
脂祭りって何?
「姉」って人間じゃないの?
っていうか、太い串で胴体の真ん中を貫かれているのになぜ生きていられるの?
などという私の疑問は置き去りにされながら、話はどんどん予想だにしない方向へ進んでいく。

【キューブ・ガールズ】
代金2万円の小さな四角い箱に好きな情報をインプットしてお湯で戻すと、あら不思議。
好みの女の子が出来上がる。
しかも、「○○子と××美と△△を足して3で割って小林ひとみの雰囲気で」といった客のわがままな要望に応えてくれるのだ。
小林ひとみとはちょっと古いなぁ。
それなら私は「インパルス堤下の顔と声で、体は・・・」と妄想しているうちに、意外な結末へと向かう。

【ジャングル・ジム】
公園のジャングル・ジムは、真っ直ぐで隠し事のない性格の気のいいやつ。
訪れる人々の悩みに耳を傾け、心の底から共感してあげる毎日を送っている。
そんなジャングル・ジムが恋をした。
デートして、あんなことやこんなことまでするのだ。
ど、どうやって?という私の疑問はまたまた無視されたまま、悲しい結末へ・・・

【妹の島】
温暖な島で果樹園を営んでいる吾郎。
体にオニモンスズメバチが卵を産みつけ体内で孵化したため、大量の幼虫が彼の体をさまよっている。
眉間に皺を寄せながら読んでいくと、人間の業とは?という深くて重たいテーマにぶち当たる・・・かもしれない。


なんという吸引力だろうか。
読み始めたら最後、私の存在など完全に無視されて、「イヤよイヤよ」と言っているにもかかわらず、ひたすら引っ張っていく。
確かにエロくてグロい。
しかしホラー度が高く、悲鳴をあげたくなるほどではないが後からじわじわした恐怖が襲って来る。
奥が深いのだ。

「城の中のイギリス人」と比較すると、エロ度は1/10、グロ度は同程度、そしてホラー度は10倍という感じだろうか。(当社比)

う〜ん。やっぱり夏は危険な本を読みたくなる季節なのかもしれない。

2013年9月3日火曜日

オレたちバブル入行組

池井戸潤著
文春文庫

堺雅人よりもっと泥臭い半沢直樹。



絶好調のドラマ「半沢直樹」を、毎週欠かさず見ている。
悪者はとことん悪くというわかりやすさ、顔のドアップの多用、劇画ちっくな大げさな演技・・・
見たら最後、思わず引き込まれてしまうので、視聴率が高いのも頷ける。
見たことがない方も、その評判は耳に入っているだろう。
そのドラマの前半部分の原作がこの「オレたちバブル入行組」である。

【あらすじ】
主人公の 半沢直樹 は、バブル期に大手都市銀に大量採用されたうちの一人。
現在は、大阪西支店の融資課長である。
支店長からの指示により、不本意ながら融資した会社が倒産した。
支店長は、全ての責任を半沢直樹一人に押し付けようとする。
このピンチを乗り切るには債権回収しかない。
さあ、どうする!?半沢直樹!!

実父は自殺(ドラマ)⇒ 死んではいない(原作)など違う箇所もあるが、ドラマは概ね原作通りである。
ただ、ドラマでの決め台詞「倍返し」は頻繁に出てくるわけではなかったが。

銀行を舞台にしているため業界用語がたくさん出てくるが、わかりやすく説明してくれているので読みやすい。
しかし、登場人物が多い!
ドラマを見ているから頭に入るものの、見ていなかったら頭が混乱しまくっただろう。

読みやすく、スピーディーな展開、そして何より面白い!
これだけ人気があるのも納得する。
その上、「悪い奴をやっつける」という復讐劇のパターンが、爽快感を与えてくれる。
「日頃自分では言えない上司への苦言を、半沢に代わりに言ってもらって溜飲を下げる」という感じだろうか。

何しろ出てくる上司たちが、とことん悪く描かれていて憎たらしいほどだ。
上にはペコペコ、下には威張り散らす、立場が弱くなると途端にオロオロする。
そんな悪者を、半沢直樹が倍返しする場面は拍手喝采したくなる。

ただ、単純に勧善懲悪の物語とは言えない。
悪い奴は悪いが、半沢直樹だって誰が見てもいい人っていうわけではない。
味方につけたら勇気百倍だが、敵に回したらこんな恐ろしい男はいない。

この物語の評価は、半沢を応援できるかできないかにかかっていると思う。
こんなヤツいない、大げさすぎると思わずに、頑張れ半沢!よし、よくやった!と思えるかどうかだろう。

何度も訪れる絶体絶命の危機。
ギリギリまで追い詰められてからの大逆転劇。
叩かれても叩かれても這い上がる・・・まるで「立て~、立つんだ!ジョー!」の世界のようだ。
やっぱり劇画の世界じゃないか。

ドラマは後半戦に突入し、きっと半沢が大反撃を見せてくれるだろうと期待している。
また、「半沢直樹」シリーズも第4作目が連載中だという。
こうなったら「島耕作」のように、半沢が頭取に上り詰めるまで頑張って欲しい。

桜ほうさら

宮部みゆき著
PHP研究所



「書は人なり」。
綴る文字には人となりが表れるというが、字が汚い私はいつも人前で字を書くのが恥ずかしくてならない。
本書は、その書いた文字が重要なテーマとなっている宮部みゆきさんの時代小説だ。

主人公の古橋笙之介は、深川の長屋で貸本屋の写本作りの仕事を請け負いながら暮らしている。
実は彼、浪人とはいえ痩せても枯れてもお侍さんなのだ。
書いた覚えのない文書を証拠に、賄賂を受け取った責任を問われ切腹した父の汚名をそそぐため、江戸近郊の小藩からやってきたのだ。
父を陥れた、他人の筆跡をまねて字を書くことの出来る人物を探すために。

家族のように世話をやく長屋の住人たちに囲まれながら笙之介も成長し、淡い恋をしながら事件の真相が明らかになっていく・・・
題名の「桜ほうさら」とは、甲州弁の「ささらほうさら」(いろんなことがあって大変だ、大騒ぎだ)から来ている。

貧乏ながらも肩寄せあってたくましく生きる長屋の住人たち。
それぞれが胸に悲しみを抱え、懸命に前へ進む姿が胸をうつ。

あの暗号文は結局どんな規則で読むのだろう、あの人の身に何があったのだろうなど、疑問も残るがそんなことはどうでもいい。
この切なく温かい小説で、とても癒されたのだから。

いいことばかりではなく、辛いこともたくさんあるけれど、
「ささらほうさら」と呟いたからって解決するわけではないけれど、
その綺麗な語感に慰められ、落ち着いてくるような気がする。
やっぱり宮部みゆきさんの時代小説はいいなぁ。

挿画について

淡い桜色の表紙も可愛らしく、全ページ上部に桜の花びらが散らしてあり、素敵な装丁だと思う。
ただ、人物の漫画チックな挿絵は、個人的にはない方がいいと思う。
いや、はっきり言うと後ろ姿はいいが、顔は描かないで欲しかった。
読みながら自分の好きなように人物を想像したいからだ。
この顔はかわいすぎて、私の中のイメージとはだいぶ違っている。

この物語に限らず、小説には人物の顔の挿絵は必要ないと思う。
映像とは違う、絵本とも違う、活字の世界だから、自分の好きなように想像しながら読みたいから。
見ないようにすればいいだけの話なのだが。

2013年8月29日木曜日

AV女優のお仕事場

溜池ゴロー著
ベスト新書



AV監督として1000本以上の作品を世に送り出してきた溜池ゴロー氏が、その豊富な経験からAV女優、カメラマン・メイクさんなど、AVに関わる人々や撮影の裏側を語っているのが、
この「AV女優のお仕事場」である。
「SEX会話力」 を読んで、すっかり溜池さんの優しさに魅了されてしまったが、本書でも女性に対する愛が溢れていた。

人前で肌をさらし、会ったばかりの男優とからむ。
そんな仕事をしているAV女優は、約2000名いるという。
女優たちは熾烈な生存競争に晒されて、8割が1年もたずに引退し、同じ数の女優が補充されていく。
そのうち、AV出演だけで生計の成り立つ女優は100人にも満たない・・・
それなのに、なぜ彼女たちは出演することを決意するのだろうか。
私には理解できないことだ。

最近は溜池ゴロー氏の撮影する熟女AVが売上を伸ばしているというが、まだまだ主流は童顔だが巨乳の美少女ものだという。
溜池さんは「供給する側のAV業界がきちんと軌道修正し、ロリコン作品を一切廃止すべきだと思っている。」というが、全くその通りだと思う。

女優は転落した不幸な女、精神を病んでいる・・・
私生活が乱れた高校中退の若い女・・・
というのは昔のイメージで、最近は不幸を背負った女優たちは少数派だという。
男優も昔は破天荒なタイプが多かったが、今は仕事と割り切っている若い人が増えているらしい。
どこの世界も世代交代は同じなのかもしれない。

ただ、「この業界は特殊に見られがちだが、そこで働く者はごく普通の社会人である」と強調しておられるが、それは溜池さんが売れっ子監督であり優しいからであって、周りに自然とそういう人が集まってくるのからだろうと思う。
小さな会社や筋の悪い人たちに、騙されたりひどい待遇を受ける人もいるだろう。
安いギャラで身も心も酷使される女優は、やはり弱者ではないだろうか。

また、著者は言う。
「妻が家庭外で他の男と関係を持つことが許せないというなら、妻を『自分のオンナ』としてもっと大切にすべきではないか」
いいこと言うなぁ。
やっぱり、溜池ゴローさん優しいなぁ。

2013年8月27日火曜日

英国一家、日本を食べる

マイケル・ブース著
亜紀書房
 
英国人一家の日本「食」珍道中。
 
 


毎日どんなものを食べているのだろうか?
改めて考えてみると、答えに窮する。
カロリー過多なことは確かなのだが。
自分ではなかなかわからない、日本人の食を外側から見つめ分析してくれる本が、
この「英国一家、日本を食べる」だ。

日本料理は脂肪もなけりゃ味わいもない。
何でもかんでも醤油に突っ込むだけ。
そう思っていたイギリス人ジャーナリストが、世界中の日本料理愛好家のバイブル「Japanese Cooking:A Simple Art」(辻静雄著)という本に出会い心を奪われ、
日本へ行って食べ物を調査し学ぼうと決意する。
こうして著者は、妻と6歳4歳の息子二人を伴って、東京・北海道・京都・大坂・福岡と移動しながら日本に3ヶ月滞在することになった。

一家は、ラーメン・天ぷら・寿司・流しそうめん…と異文化体験をしながら食べまくっていく。
著者は、ル・コルドン・ブルーで1年間勉強し、三つ星レストランでの修行経験もあるというだけあって、さすがに味の分析は鋭い。

日本人は食品の見た目を気にするとよく言われるが、著者もスーパーに並んだ果物や野菜の完璧な姿に慄く。
昆布漁を見学した際に、乾かした高級昆布を真っ直ぐにするため、蒸気を当てシワ伸ばし機を使って手作業できれいにするのを見て驚く。
それは驚くだろうな。
日本人の私でも、そこまでしていたとは知らなかったし、そこまで見た目にこだわるのかとびっくりしたのだから。

また、モチモチ・サクサクなど、日本人は食べ物の舌触りや食感を味と同じように重視するという指摘は、ああ、そうかもと新たな発見だった。

その他、裸にオムツみたいな物を着けて戦う、太った人たちの稽古場(相撲部屋)で把瑠都と勝負したり、ビストロSMAPの撮影現場を見学したりと、日本人でもなかなかできない体験をしていく。
そしてなんとあの究極の料理屋「壬生」に行き、その美味しさに喜びで体が震えてしまったというではないか!
なんと羨ましい!
私はきっと一生そんな体験できないだろうな。

様々な経験を積んだにもかかわらず、息子たちが一番気に入った場所は、ドッグカフェだったというのは、ちょっと複雑な気分だ。

パリと比べて、「犬のフンが落ちていない」「誰もチップを要求しない」・・・などと日本の素晴らしいところを発見してくれるたびに、褒めてくれてありがとう!うんうん、そうでしょう!と嬉しくなる。

イギリス人の著者に、日本の食の歴史や日本のいいところを教えてもらい、大変勉強になった。

日本人の食卓は欧米化され日々変化しているが、決して和食がなくなることはないだろう。
伝統的な日本食はやっぱりいいなぁと思う。
でも、洋食や洋菓子も捨てがたいんだなぁ。

2013年8月24日土曜日

いるの いないの

京極夏彦作
町田尚子絵
東雅夫編
岩崎書店

巷で話題のこの怪談絵本。
怖い、怖いと評判だが、怖いと言っても怪談、つまり作り話でしょ。
しかも絵本だから大丈夫だよ!と自分に言い聞かせながら読み始めた一人の夜。

とても古く、天井が高いおばあちゃんの家で暮らし始めた少年。
太い梁のずっと上の暗いところに何かいるのではないかと怯える少年に、
おばあちゃんは「見なければ怖くないよ」とやさしく笑いながら答える。
そう言われても気になってしまうのが人間だ。
「いるかもな、と思うと見ちゃう」のだ。

この本を侮っていた。
昼間の明るい時間に読むべきだった。
一人じゃない時に読めばよかった。
あの場面が目に焼き付いて離れないじゃないか!

しかし、読み終わりしばらくすると笑いがこみ上げてくるのだ。
怖がる自分がおかしくて。
作・絵・企画の上手さに。

これは大勢で楽しみながら読む本だ。
例えば教室でキャーキャー言いながら。
例えば家族で楽しみながら。
ただし、小さい子はトラウマになりそうなのでやめておいた方がいいだろう。

怖いポイントは「和」だと思う。
かつて女友達と夏限定のお化け屋敷に入ったことがある。
深く考えずに入場したのだが、古い日本家屋を模したその中は、
押入れから、キャー!
暗い廊下の先に、キャー!
そのまま途中で動けなくなり、「後がつかえてますので進んでください」との放送が入り、
強制退場させられた。
そこらの遊園地にあるお化け屋敷なら笑いながら進める私の、
ちょっとしたことなら動じない年齢になった私の、黒歴史である。

洋モノより和モノの方が絶対怖い。
日本人にとって想像しやすいからだろうか。
お風呂場でシャンプーしながら目をつむり、ふと後ろに気配を感じてしまう時、
そこにいるのはやっぱり「和」の何かだろう。

怖くて楽しめるこの怪談絵本。
でもあのページが頭にこびりついてしまった・・・

2013年8月23日金曜日

泣き童子 三島屋変調百物語参之続

宮部みゆき著
文藝春秋

不思議な話を語って語り捨て、聞いて聞き捨て。怖くて悲しくて温かい物語。



江戸は神田三島町の袋物屋・三島屋では、「変わり百物語」が行われている。
主人の姪である おちか が、客人たちが持ち込む不思議な怪談話を聞くという趣向だ。
客は話を語って語り捨て、おちか は話を聞いて聞き捨て、あとは二度と云々しないのが決まりの百物語。
ただ聞くだけなんて簡単だと思うなかれ、苦しくなったり悲しくなったり怖くなったり大変難しい役目なのだ。
そして人々の話を聞きながら傷ついた おちか の心が少しづつ癒されていく・・・
「おそろし」「あんじゅう」に続く「三島屋百物語」シリーズの第3巻である。

マリッジブルー気味の嫁入り前の娘が語る、必ず男の気持ちが離れてしまうという池にまつわる言い伝えの話「魂取の池」

おちか が、「心の煤払い」と称して札差が主催する年末恒例の怪談語りへと出向き、皆で不思議な話を聞く「小雪舞う日の怪談語り」

など6編が収録されている。

前2作同様「怖くない怪談」と思って読み始めたのだが、どうしてどうして、ぞっと背筋が寒くなるではないか。
人間の「マグル」ではなくて怪物の「まぐる」が出没する話や、黒子の親分が語る重篤な病人を看病する話など、巧みな話術で引き込まれてしまう分、怖さが倍増する。

しかし、怖いだけでは終わらないのがこのシリーズ。
怖さの中にも物悲しさが見え隠れし、最後に心が温かくなる。
この3巻目が今までで一番感情が揺すぶられてしまった。

ぞぉーっとして、しんみりして、最後にほっこり・ホロリするこの物語。
好きだー!このシリーズが大好きだー!
と世界の中心がどこかはわからぬが、大声で叫びたいくらい好きになってしまった。
ヘンな本ばかり読んで、汚れちまったこの私の心を癒してくれるのである。

これで17話まで進んだ百物語。
著者の宮部みゆきさんは、99話まで目指すというから先が楽しみだ。

各地で猛暑日が続く今夏、こんな「温かい怪談話」を読んでみてはいかがでしょう。

調律師

熊谷達也著
文藝春秋

ピアノの音にニオイを感じる---そんな共感覚を持つ調律師の悲しみ。



共感覚・・・五感に対して一つの刺激が与えられたとき、別の感覚も同時に引き起こされる知覚現象。
例えば、文字を読みながら色を感じたり、音を聞きながら色を感じたり、形を見て味を感じたりする。
そういうものだと頭で理解しても、実際に体験してみないとわからない感覚だ。

この「調律師」の主人公も、共感覚の持ち主である。
ピアノそれも生演奏に限って、ニオイを感じるというのだ。

国際コンクールで優勝するほどのピアニストだった主人公の鳴瀬は、ある事故がきっかけでピアニストの道を断念する。
天才ともてはやされた過去と決別して、ピアノの調律師として生きる道を選んだのだ。

調律師の事務所に所属しながら、生ゴミのニオイを感じる少女のピアノを調律したり、中学校の体育館に設置してある横転させてしまったピアノを点検したり、といった7つの短編が収録されている。

10年前に、妻を失い自らもピアニストとしての再起を諦めざるを得なかった事故。
過去に何があったのか徐々に明らかにされると共に、主人公の悲しみも浮き彫りにされていく。

調律師を題材としたお仕事小説としてもまた面白い。
弦を叩くハンマーの間隔の調整、鍵盤の間隔や角度・・・
調律師がすべき事は盛りだくさんだ。
しかも、打弦距離を0.2㍉短くするなど、細かくて丁寧な作業が要求される。
それを、鳴瀬は音とニオイを確認しながら調律していく。

調律師は、音感もあればあったに越したことはないが、最も必要なのは正確なリズム感---二つの音を同時に鳴らした時に発生する「うなり」が、毎秒何回発生しているか正確にカウントできる能力だという。

子供の頃、ピアノを8年も習っていたのに今では「猫ふんじゃった」しか弾けない私だが、演奏を聴いたりピアノに関する小説を読むのは好きだ。
それに加えて、理解できないからこそもっと知りたいと思う共感覚の持ち主が主人公とあって、大変興味深く読んだ。
私が弾く拙い「猫ふんじゃった」は、どんなニオイがするのだろうか。
いいニオイじゃないことは確かだが。

2013年8月18日日曜日

虚像の道化師 ガリレオ 7

東野圭吾著
文藝春秋



帝都大学の物理学科准教授・湯川が、学生時代の友人で捜査一課の刑事・草薙が持ち込んでくる事件を解き明かすガリレオシリーズの第7弾。

「幻惑す(まどわす)」
宗教法人で儀式の最中、信者が建物から飛び降り、脳挫傷で死亡した。
「念」を送ったため、指一本触れていないが突き落としたのと同じだと、教祖が自首してきた。

「偽装う(よそおう)」
湯川と草薙は、学生時代の友人の結婚式に出席し、近くの別荘地で有名作詞家夫妻の殺人事件に遭遇する。

その他、人工的に耳鳴りを起こすことができるのか(「心聴る」)、劇団内の殺人事件のアリバイを覆す(「演技る」)など、4編が収録されている。

読んでいるとどうしてもメガネをかけた福山雅治を想像してしまう。
いやぁ、湯川と草薙もよく事件に遭遇するもんだと思うが、東野圭吾氏もよくトリックのネタが尽きないなぁと感心する。

正直、このシリーズはもう卒業しようかなと思っていた。
映像のイメージが強すぎるのだ。
しかし、読み始めるとやっぱり面白くて一気に読み終えてしまった。

「心聴る」では、OLの耳鳴り、不倫の上での自殺、幻聴による暴力事件と、一見関係なさそうな3つの事件がどのように繋がるのか、先が気になって仕方なかった。
だから止められないんだなぁ。

個人的には、このシリーズに限っては長編より短編の方が好みである。
登場人物の心理を細かく追うよりも、純粋にトリックが面白いと思うからだ。

もうすでにガリレオシリーズの8が発売されている。
またきっと読むんだろうな。

2013年8月13日火曜日

長く働いてきた人の言葉

北尾トロ著
飛鳥新社

普通の人の普通の仕事。普通ってなんだろう?



「職業は、普通のサラリーマンです」
よく聞くセリフだが、普通のサラリーマンってどんな職業だろうか。
たとえ同じ会社の隣同士に座っている同僚であっても、仕事内容は全く同じではないだろうし、仕事に対する姿勢・仕事に対して抱いている思いもそれぞれ違う。
そう考えると自分では「普通」と思っていても、人から見たらへぇ〜と思うようなこともたくさんあるのではないか。

この「長く働いてきた人の言葉」は、北尾トロさんが10人の長く働いてきた人にインタビューし、まとめたものである。
特殊な仕事に就いているわけでもなく、有名人でもない。
大成功し大金持ちになった方でもない。
「本当にこんな話でいいのかなぁ、こんな普通のことばかりで」と言いながら、自分の言葉で仕事や人生について語る人々ばかりである。
そんな「普通」の話がとても面白いのである。

弁護士ひとすじ33年のマチ弁の方は、依頼人はお金が欲しいのか、それとも相手に謝らせたいのか、本当は何を求めているのかよく掘り下げて考えるのが重要だという。

脱サラして喫茶店のマスターとなった男性は、「成功してやるぞというほどの意気込みでもなくて、しばらくやってみようかなぁ」という軽い気持ちでお店を始めたのだという。

31年間船員しかやったことがないという男性は、海の上では本や雑誌は本当に貴重で、ある時沖ですれ違ったマグロ船に読み終わった少年ジャンプをビニール袋に入れてポーンと投げて渡したら、後日マグロを一本お礼にもらったという逸話を披露する。

偶然遊びに行った映画撮影所で頼まれてお手伝いしてから、半世紀も続けている女性映像編集者。

印刷会社で社長経験がありながら降格し平社員となり、70歳になる今でも現役営業マンとして働く男性。

タクシー運転手、コンビニオーナー、床屋さん・・・

彼らはその職業に就きたくて就きたくて、努力して就いたというわけではない。
肩肘張らず、ゆるゆるとのんびり語る彼らの話に、「がむしゃら」「ど根性」という言葉は似合わない。

しかし、それなりに苦労と努力を積み重ねなければその仕事を長く続けていくことはできないだろう。
劇的な人生や過酷な体験ではないけれど、彼らなりに真剣に仕事と向き合ってきたことが伺えるのである。

登場する方々は皆さん素敵な方で、幸せそうな充実した生活をしているように見受けられる。
彼らのその魅力を引き出せたのは、北尾トロさんの「聞く力」「喋らせる力」によるものだと思う。
どんな仕事を選ぶかということよりめぐりあった仕事とどのように向き合うかなんだろうと思います。
ああ、その通りだ。
楽しいと感じるか、不快に思うかは、自分の気持ち一つで変わるものだから。
普通や平凡なんてない。
一人一人違っているのだから。

えっ!私?
私はいたって普通で平凡な毎日を送っています。

テルマエ・ロマエVI

ヤマザキマリ著
エンターブレイン

なんと最終巻ですって!!



阿部寛主演で映画にもなったこのシリーズ。
浴場設計技師の古代ローマ人・ルシウスが、お風呂のお湯を通じてなぜか現代日本にタイムスリップしてくるコメディ漫画だ。

当初、ローマ帝国と平たい顔族の国・日本を行ったり来たりしていたルシウスだったが、
温泉場に長期滞在することになり、さつきといい雰囲気になった。
ところが、そのルシウスが突然消えてしまい、さつきは落ち込む。
というのが前巻までのあらすじである。

今回は、ルシウスを追ってさつきがローマ帝国にタイムスリップしていく。
そして、さつきのおじいちゃんが謎の人脈を駆使したり、鍼灸マッサージの神業を披露したりと大活躍する。
ああ、なんと痛快なおじいちゃんだろうか!
おじいちゃんに、この疲れてボロボロになった心と体を癒して欲しい!

「奢ることもなく常に謙虚で」
「あれだけの文明がありながら過剰な自信も自負心もありません」
「皆、とても優しくて」
ルシウスが、我々平たい顔族のことを褒めてくれると「いやぁ、それほどでも(〃▽〃)」と
照れながらも嬉しくなってしまう。

この「古代ローマのお風呂タイムトラベル物語」はこれにて終了らしい。
とても面白いのだが、少しマンネリや中だるみを感じていたので、飽きられる前に終わらせるのは賢い選択だと思う。
が、おじいちゃんや馬のハナコ始め、脇役たちのその後をまた連載するという。
きっとまた同じように楽しい物語になることだろう。
おじいちゃんに再会できる日を、楽しみに待っていようと思う。

過去のレビュー
テルマエ・ロマエⅠ~Ⅳ
テルマエ・ロマエV