2012年1月31日火曜日

ばんば憑き

ばんば憑き
宮部みゆき著
角川書店

宮部みゆきさんの本領発揮!!江戸怪談小説。怪談といっても怖くない。私にとっては心に染みいる人情物語だった。




小間物屋「伊勢屋」の入り婿・佐一郎とお志津は、戸塚宿に泊まった。雨で足止めを食らっていたところ、宿のおかみさんに相部屋を頼まれた。わがままなお嬢様のお志津は嫌がったが、佐一郎は押し切り、品のいい老女を部屋に迎える。そして、その夜老女から、昔の哀しい記憶を聞くことになる。
それは、村に伝わる秘術「ばんば憑き」の話だった。 (表題作『ばんば憑き』)

計6編が収録されている宮部みゆきさんの江戸怪談短編集。
中には、他の作品の登場人物が出てくるお話もあるが、続き物ではないので、
他が未読でも十分楽しめる本。

確かに「もののけ」や死んだ人の話などが出てくるから「怪談」の部類になるのかもしれない。
でも、「夜、おしっこに行けない」ような怖さはない。
子供を虐待したり、人を騙したり、生身の人間の方がよっぽどゾッとする怖さがある。
それでも後味の悪さは感じなかった。
なぜなら、少数の悪い人の周りにたくさんの江戸人情が取り巻いているからである。
私にとっては「怪談」というより、むしろ心にすぅーと沁み込んでくる「人情話」だった。

最近、精神的に落ち着かない日々を送り、新聞や本を読んでいても頭に入ってこないことが度々あった。
不安やストレスがたまっているのだと自覚している。
でも、この本は違った。
読み始めると、分厚い本にも拘らず本の中にどっぷり浸ることができた。
その間不安なことを忘れていられる。
そして、ホロリとくるのであった。

初めて宮部作品を読んだのが「蒲生邸事件」。
それ以来たくさん読んできたが、正直全てが好きなわけではなかった。
私が好きなのは「江戸もの」と「大人が主人公の長編」である。

中でもこの本は宮部さんの真骨頂を発揮した傑作だと思う。
タイミングがよかったのかもしれないが、
いい本に出会えてよかった、本に助けられたと思える本だった。

そうだ。これからは、心が疲れたら、お薬として宮部さんの江戸物を読もう。


雑穀の社会史

雑穀の社会史
増田昭子著
吉川弘文館

日本各地の資料を紐解き、雑穀がどのように栽培され、食されてきたかを解説した良書。




アメリカの健康本に、はまっていたことがある。
そのどれもに「精製したものは食べてはいけない」と書いてあった。
影響されやすい私は、家には白砂糖を置かず、発芽玄米を主食としたが、やはり味がいまいちだった。
そんな時、雑穀ミックスを入れたらおいしかったので、それ以来アメリカ版健康生活熱はすぐに冷めたが、
雑穀だけは続けている。(効果のほどは不明だが)
毎日食べている雑穀について知りたいと思い、読み始めた。

この本は1942年生まれの大学講師をしていた著者が、日本各地の資料から、雑穀の歴史を記した本である。

差別されていた雑穀
昭和の中ごろまで庶民の間では米のみを炊いて食べる方が圧倒的に少なく、安い芋や雑穀でおなかを満たしたり、砕けて売れないくず米をカサ増しして食べたりしていた。
「オトコメシ」「オンナメシ」など名称は様々だが、日本全国で長男でないもの、女、子供、雇われの身など立場によって米と雑穀の割合を変えていた。
また、「コメカバイ」(米をかばう)といって他の食べ物を食べてコメの消費を減らしたり、お粥にしたり、雑穀・イモ類・野菜入れて炊き、カサ増ししたりしていた。

聖なる雑穀
差別された一方で、日常的に大切な食料として、豊年祭、正月、年中行事などで神に奉げるお供え物としての側面もあった。
種子を継承するのは米だけと言っていたのは柳田國男であったが、米以外の雑穀も各地で継承されてきた。

五穀の思想
「正月に色々な穀物を食っておけば一年中食物に不自由しない」など、色々なものを食べるという考えを「五穀の思想」という。年中行事に五穀を食する重要な儀礼がある。
また、神話にも様々な穀物起源神話や農耕神話があった。豊かな精神世界を形成した五穀の世界を持っていたのである。

日本は昔から農耕民族で、稲作を中心として暮らしてきたと漠然と思ってきた。生まれた時から白いご飯を食べて、雑穀など最近食べ始めるまで見たこともなかった。故に、食べてはいるけれどよく知らない雑穀の歴史がわかり興味深かった。

雑穀は、その高い栄養価から見直され、現在は学校給食・病院食にも取り入れられているという。
ただ、値段的に「庶民の食べ物」とは言えないくらい高い。
著者は「一般の人が食べやすい値段になり、消費が増え、生産者も安定した雑穀栽培で生業が成り立つ仕組みを望む」という。

この本は、正直なところ「読みやすい」とか「楽しい」とかの本ではなく、民俗学・社会学の参考書である。「ここではこういう習慣があった」「こちらではこう呼ばれていた」という記述が延々と続き、うんざりしたことも事実である。
しかし、知らなかった雑穀の世界を教えてくれた良書であった。

2012年1月25日水曜日

ペルフェクション

ペルフェクション
ヒキタクニオ著
文春文庫

バレエダンサーたちが頂点を目指すコンクール「ペルフェクション」 今、究極の闘いが幕を開ける。




2060年。
バレエコンクール「ペルフェクション」で5年間王座を守り続けている武任は、過酷な演技をこなすため、身体の管理をするドクター、体にインプラントする装具の制作を引き受けるメカニック担当、トレーナーなどとチームを組み、身体・食事・練習・休息と完璧に仕上げて、究極の闘いに挑む。追うものと追われるもの。そこにに忍び寄る「老い」と「罠」・・・
巻末にバレエ経験者の米倉涼子さんと作者の対談付き。
2008年発売の単行本「Myname is TAKETOO」を文庫化にあたり改題。

バレエ漫画に、はまったことがある。「アラベスク」「SWAN」「昴(スバル)」・・・
なぜだろうと考えると、「ガラスの仮面」などもそうだが、<等身大の主人公が懸命な努力をして栄冠を手に入れる>というパターンに、感情移入しまくり、まるで自分が優雅に踊れるような錯覚を楽しんでいたからかもしれない。そして、踊るシーンや本番で観客たちの「本物の白鳥だ」のようなセリフにより舞台に入り込んでしまうのである。まるで自分が主役であるかのように。

この本は、主人公が男性、設定が近未来ということもあり、感情移入ができなかった。
特に冒頭は、ハイテク機械に戸惑いを覚えた。
しかし、ストイックにバレエを追求する主人公に魅かれ、いつの間にか主人公を応援する側になっていたのである。
違和感のあったハイテク系もだんだん気にならなくなり、あって当たり前の存在になる。
そして圧巻の本番シーンでは、張り詰めた空気、静まり返った客席、飛び散る汗、観客になった私まで緊張の連続で見守っていた。
何度も「やめて!そこまでしなくてもいいから!」と悲痛な叫びを心の中で叫ぶ。
そして、その後深い感動が待っていた。

そう、この本は近未来という味付けがされてはいるが、「王道の感動物語」。
ヘンに恋愛を絡めたりしない真っ向勝負の物語。
いくら文明が発達しても、舞台の上では本人の日ごろの鍛錬と精神力が頼りである。
そこが、ぐっとくるポイントなのだろう。

それから、バレエとは一見関係なさそうだけれども、何度も出てくる「日本人」と「日本刀」。
日本に生まれてよかったと自分が頑張ったわけでもないのに、勝手に誇らしく感じてきた。

この本を読んだ人は、次にバレエを見るとききっと舞台の裏の過酷な努力を思い出すであろう。

2012年1月20日金曜日

死刑と無期懲役

死刑と無期懲役
坂本敏夫著
ちくま新書


元刑務官だった著者が、刑務所内や死刑問題について語った本。色々と考えるべき問題が多いとあらためて気づく。



1947年生まれの著者は、刑務官として全国各地の刑務所などに勤務し94年に定年退職となる。
現在はTVドラマの監修や講演活動を行っている。

本書は、拘置所や刑務所の内部の様子、受刑者の処遇、冤罪、矯正教育、死刑・無期懲役・終身刑等処罰に対する著者の考えなどについて「報道されない塀の中の真実と様々なメッセージを」語っている。

2002年の「名古屋刑務所保護房死傷事件」いわゆる消防ホース事件と革手錠死傷事件について、その後どうなったか知らなかったが、本書によると懲役刑が言い渡され、現在最高裁の判断待ちだという。その事件について、著者は、十分な証拠調べをせず、特捜部の仮説通りに裁判が行われたという。真偽は私には判断できないが、驚いた。

そして、この本ではたくさんの問題提起をしている。取り調べの可視化、アメリカのような司法取引やおとり捜査、終身刑についてなど、考えるべき問題はたくさんあるのだと再認識する。

著者は、死刑制度は凶悪犯罪への抑止力はないと言っている。長年死刑囚に接している人の言葉ゆえに重みを感じる。そして、「人間は変われる」という。

罪を本気で悔いて償う人もたくさんいるだろうが、高い再犯率や、更生プログラムがあまり機能していないことを考えると早急に改善を願いたい。
ただ、刑務官たちは大変な仕事で人数も十分ではないにもかかわらず懸命に働いているのだと感じた。

一つ、被害者の立場は出てこないのが残念だった。
何の落ち度もなく被害に遭われた方と家族はどう考えるのだろうか。
最愛の肉親を失って深い喪失感を一生負うことになる家族は、税金で衣食住を賄ってもらっている囚人をどう思うのだろうか。

膨れ上がる受刑者たちを減らすために、将来の被害者たちを減らすために、子供の教育に力を入れるべきだと痛切に思う。

余談だが、懲役囚の立場から書いた本「人を殺すとはどういうことか」  「死刑絶対肯定論―無期懲役囚の主張」(美達大和氏著)は大変興味深く、併せてお薦めしたい。

2012年1月19日木曜日

共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人

共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人
リチャード・E・シトーウィック著
山下篤子訳

物を食べると味を感じるのと同時に指先に形を感じる。音を聴くと色が見える。10万人に1人という共感覚者について神経科学者が迫る探求の書。



味にさわる、音を見る・・・。
音楽関係の本で、音楽を聴くと色が見える人がいると読んだことがあって気になっていた。
私自身も音楽を聴いて情景が浮かんでくることがあるが、そんな事とは全く違う共感覚者。
その不思議な彼らに迫った本。
著者は米国の神経科医師。
原著は少し古く、共感覚者は10万人に1人と書いてあるが、現在はもっと多いと考えられているらしい。

題名から「共感覚者の日常」の症例が並ぶ本と思っていたらそうではなかった。
著者がどうして共感覚について興味を持ち、彼らに出会い、どういう過程を経て研究していったか
といったことを生い立ちから語っている。
そして、クライマックスの脳血流検査へ・・・。

共感覚とは、一つの感覚が別の感覚を(本人の意思に関係なく)喚起することをいう。
例えば、ニオイを嗅ぐと色が見える・音を聴くとそれに従って決まった動作をする…などである。
もっと具体的には、物を食べた時に味と共に
10あまりの円柱が自分の前にあるのを感じる。目には見えないが、触覚では実在する。フォークを入れると円柱の冷たくて滑らかな表面に手をあてた上下させている感じがする。ミント味を口の中で転がすときは円柱の一つに手をのばして、裏側の局面をこすっている。略表面は冷たくてすがすがしく、一種セクシーである。
というような感じを持つことである。

ニオイを嗅いだ事のない人にニオイのことを口で説明するのが困難なように、共感覚のこともなかなか理解できない。それを専門用語で説明するので、読み進めるのに時間がかかった。

視覚、聴覚、味覚、触覚、臭覚に加え運動。
それらが2つ(まれに3つ以上)混じり合う感覚。

うーん。興味深く面白かったがやはり理解しがたい。
共感覚は、実際は私たちが誰でも持っている正常な脳機能なのだが、その働きが意識にのぼる人が一握りしかいないらしいので、私にも全く関係のない話ではないのだが。

後半に脳に関するエッセイ(意識・AIなど)がついていて、内容は違うが『単純な脳、複雑な「私」』(池谷裕二著)のようで興味深かった。

願わくば、私のような素人にももっと面白くすらすら読めるような「共感覚者」についての本があればと思った。

2012年1月17日火曜日

あんぽん 孫正義伝

あんぽん 孫正義伝
佐野眞一著
小学館


佐野眞一氏が孫正義氏の半生に迫った本。本人も知らなかった「血と骨」の物語。 本人・実父始め多数のインタビューを交えって綴った評伝。




題名のあんぽんとは、孫氏の子供時代の通称名「安本」の読みからきている。

昭和32年、佐賀県の地番もない無番地とつけられた朝鮮部落に生まれ、豚の糞尿と、豚の餌の残飯、
密造酒の強烈なにおいの中で育った孫正義氏。
世界長者番付で例年日本人ベストテンの中に入り、現在は「反原発」の旗頭役的存在となっている。
しかし、今まであまり興味がなく、孫氏のことを考えたことがなかった。
佐野眞一氏が書いた評伝だというので読み始めたのである。
そして、そのあまりに壮絶な生い立ちに驚愕した。

著者によると、
「これまで書かれた孫の評伝で、孫の血脈を3代前まで遡って調べ上げ、現存する父方・母方の親族全員に会って取材したものもなければ、そのルーツを追って韓国まで取材の足を延ばしたものもなかった。孫に決定的な影響を与えた父親の安本三憲氏に長時間インタビューしたものもなかった。これまで書かれた孫の評伝は、孫のサクセスストーリに目を奪われ、紋切り型の記述に終始してきた。」
ものであり、この本は今までの評伝と違い、孫正義氏にいつもまとわりついている「いかがわしさ」の根源を探ることがテーマだと言いきっている。

印象深いのは、小学校・中学校の先生が口を揃えてリーダーの資質を持っていると語っていたことだった。勉強ができない子には見下すことなく教える。怒った顔を見たことない。明るく頼もしい理想的なリーダーであったという。

その他
小中学生時代の詩が載っていたが、子供とは思えない早熟ぶり。

高校入学してすぐに塾経営を考え、中学の担任に「自分がオーナーをやるから、雇われ社長になってくれと」スカウトする。

ある人は、まだアメリカの大学生であった孫氏の頼みで、融資額1億円の保証人になる。

誰も知らなかったヤフーの創業者に会っただけで将来性を確信し、投資した。

などやはり、凡人とは違う数々のエピソードがあった。

そして、強烈すぎる父・・・・

昭和30年代の朝鮮部落の壮絶さは私にとって衝撃で、今更ながら差別に苦しんできた哀しい歴史を認識させられた。
孫氏のツイッターに対して、「生粋の日本人でこの国を思っている日本人に任せるべきです」等の多数の差別的発言が寄せられているらしい。
ここまで成功した現在でも、仕事上の批判ではなく出自に関しての差別があるというのは同じ日本人として悲しく情けなくなる。

著者は、批判するところは批判し、さすがと思うところは素直に称えながら、冷静に綴っている。
そして、これは孫氏の評伝であり、辛い「在日」の歴史でもあった。

ダイエーの中内氏との対比も興味深かった。

合間合間に「これは既刊の評伝には載ってない」とか「孫氏は人を辟易させる」など著者の自慢や個人的な考えを挟んでいて品位を疑う箇所もあったが、全体的には傑作と思う。

この本を読んで一番感動するのは、先祖の苦しみを初めて知った孫氏自身なのかもしれない。


2012年1月11日水曜日

ニッポン異国紀行 在日外国人のカネ・性愛・死

ニッポン異国紀行 在日外国人のカネ・性愛・死
石井光太著
NHK出版新書

石井光太氏が在日外国人の知られざる生活について、独特の切り口で迫った本。彼らはどのように暮らしているのだろうか?今まで考えたこともなかったことが、たくさん書かれていた。




何年か海外で生活していたことがある。
当時、日本人の中で多数を占めていた大手企業の駐在員とその家族たちは優雅な生活を満喫していた。
日本の食料品店があり、日本食レストランがあり、日本人の子弟向けに送り迎え付きの学習塾があり、
日本人向けのお手伝いさん斡旋所があり、日本のテレビ番組をレンタルするビデオショップがあり・・・
日本人とだけ交際し、日本語のみを話す生活もできたと思う。
現地採用の日本人はそれよりもう少し現地に溶け込んでいたが、それでも宗教や慣習の違いから、
なかなか地元に溶け込むまでは難しいようであった。

そんな日本人の生活をほとんどの現地の人は知らなかったと思う。
それと同じで、日本に住んでいる外国人の生活はよく知られていないのではないか。

この本は
  日本で亡くなった外国人
  韓国勢が席巻している風俗業界
  外国人たちの宗教活動
  病気になった外国人たち
の4章に加え、スクラップ屋、学習塾、インド人のいないインド料理屋・・・等についてのコラムから成っている。

外国人が不幸にも日本で命を落とした場合、たいていエンバーミングを施すという。
そのあと、お葬式は?棺桶は?パスポートは?本国への輸送は?
私は今まで、そんなこと考えたことなかった。
疑問にすら思わなかった知らないことがたくさん書いてある雑学書として、気軽に読める本である。


しかし、石井光太氏の著作はいつもそうだが、読者に重い問題を投げかけてくるのである。
本書は彼の著作の中ではずいぶん軽いほうの部類に入るが、それでもさらっと通り過ぎようとする私をひきとめる箇所がいくつもある。
ある側面を、また違う面からみるとこうなると提示してくる。

普段の生活とあまりかかわりのない事柄ばかりなので、考えるいいきっかけにもなった本であった。

2012年1月10日火曜日

さいごの色街 飛田

さいごの色街 飛田
井上 理津子著


1955年生まれの女性フリーライターが体当たりで取材した渾身のドキュメント。衝撃の連続。知られざる現代の廓を初めて明らかにした本。男女問わず真剣に考えるべき問題ではないかと思う。



大正7年に開業した飛田新地。(大阪市西成区山王3丁目)
その名前を知ったのはつい最近のことであった。
橋下徹氏が大阪市長選に立候補した際に、週刊誌で「橋下氏は飛田新地の顧問弁護士だった
という記事を読んで衝撃を受けた。
これはいわゆる「ちょんの間」(ちょっとの間で済ますの意)ではないか!
摘発されて今はないのでは?合法なのか?
気になって調べてみるとやはり摘発され、今は全国的に壊滅状態だが(細々と営業)、
飛田新地だけは別格で、今でも160軒ほどが昔の遊郭そのままの雰囲気で営業しているらしい。
かつては、あの阿部定も1年あまり働いていたという。

この本は、飛田新地の歴史、システム、経営者・曳き手・お姉さんなどの話から構成されている。
そして、是非や善悪を問うているのではない。問題提起をしているのである。

本書によると、
店は「料亭」で、料亭の中でホステスさんとお茶やビールを飲むことが「遊び」である。
お客が案内される部屋はホステスさんの個室。その中で偶然にもホステスさんとお客さんが「恋愛」に陥る。恋愛は個人の自由。支払う料金は、ビールやジュースやお菓子の料金である。
表向きにはそういうシステムであるという。(値段は20分で11000円ほど)
飛田の大門から300mほどの西成警察署も黙認している。

二間ほどの狭い間口が通りにずらりと並ぶ。ピンクや紫の怪しげな蛍光灯の下にお姉さんが座り、
曳き手おばさんが脇につく。中には、60過ぎや太ったお姉さんもいるらしい。

「飛田新地料理組合」の組長も「私らはイカンことしてるんやから。書かれては困るんや」と言っていて、広告もせず、秩序を守り静かに営業を続けているという。

著者は、旅行ペンクラブ所属のインタビューやルポを中心に活動しているフリーライターで、1955年生まれの女性である。12年にも亘って危険を感じながらも、体当たりで飛田周辺を取材した著者。その勇気と根性は生半可ではない。
内容的に全てを明らかにすることはできないので、表現に気を使いながら、書けないことを呑み込みながら書いたのであろう。
この本が出たことで危ない目に遭わないことを願う。

読み進めるうちに、何度も読んで涙した、からゆきさんについて書いた名作『サンダカン八番娼館- 底辺女性史序章』(山崎朋子著 大宅壮一ノンフィクション賞受賞作)を思い出した。
「サンダカン---」も本書も共通して、底辺で暮らす女性たちにスポットライトを当て、問題提起している傑作だと思う。
時代が違うだろうし、現在は遊びや自分の欲のために働く女性も多いだろうが、それでもまだまだ恵まれない環境で育ち「苦界に身を沈める」女性もたくさんいる。

いつも思うが、それを防ぐには、子供の教育それも、落ちこぼれをなくすことだと思う。
多くの人に読んでもらって、この問題を考えて欲しいと思う。

男たちの体験談
「今の日本に江戸時代が残っていた。」
「お姉さんは商売だと十分わかっていますが、何か事情があって、こういう仕事を選んだのだろうという境遇を含めて愛おしくなった。」
「こんな形と違って出会っていれば恋人になっていたかも」
「外でデートしたいなと思った。」
「不倫や他の風俗より健全」

しかし、なぜ愛しい男性たちは、こんなにも哀しくそしてアホなのだろうか。

2012年1月7日土曜日

おまえさん 上下

おまえさん 上下
宮部 みゆき著
講談社文庫

宮部みゆき氏の『ぼんくら』『日暮らし』に続く第三弾。上下巻合わせて1200ページ超の大作ながら、人情味たっぷりの安心して夢中になれる本。さすがとしか言いようのない傑作。



(上下巻合わせて)
舞台は花のお江戸。
南辻橋たもとで、辻斬りが出た。亡骸を番屋に移した後、掃除したにもかかわらず人像(ひとがた)が地面に染みとなって消えない。土を掻いて均して塩をまいてもまだ消えない。
そしてまた他の事件が…。
下町情緒たっぷりの人情味溢れる人々が登場する時代ミステリー。

「ぼんくら」同心・平四郎
世話好きで気のいいお菜屋のお徳
岡っ引き・政五郎
などおなじみの登場人物に加え、
今回活躍する、熱意にあふれた新任の定町廻り同心で、ちょっと残念なお顔の間島信之輔。
その大叔父上で、たびたび物忘れはするがまだまだ健在の源右衛門。
河合屋の三男坊で遊び人の淳三郎。

そして忘れてはならない14歳になったという弓乃助とおでこのコンビ。

弓乃助は、平四郎の細君によれば、「彼に近づく者の人生を変えてしまうほど」の罪作りな美形である。万事遺漏のないように見える弓乃助ではあるが、ここだけの話、おねしょという子供らしい弱みがある。
そして、驚異的な記憶力を持っているおでこ。
この子の頭の中には長い巻紙があって、体験したこと・見聞きしたことを、何から何までそこに書き付けるのだ。で、思い出すときにはぐるぐるとそれをほどいて探す。特技は見事のなものだが、覚えた話を諳んじているだけなので、途中で遮られると、最初からやり直さねばならなくなるという弱点があった。

そんな登場人物が、いきいきとお江戸の町を動き回る。
この「いきいきと」が、さすが宮部みゆき氏だなぁと思う。
威勢のいい江戸っ子の言葉。
魚の棒手振りの天秤棒が肩から外れかけ、よろよろ回ってしまう様子。
頭の中で、活気あふれるお江戸の映像が浮かんでくる。

前半はどんどん話が広がって、頭があちこちに飛んでしまうが、
最後はやっぱりきちんと収めてくれる。
だから、このシリーズは安心して夢中になれるのである。

そして、弓乃助とおでこのコンビも立派に成長して、少年から青年になりつつある。
この二人のファンである私としては、目を細めて二人を見守っている。
近い将来この二人が立派にお江戸の治安を守るであろうことを想像しながら・・・
ただ、成長を喜ぶべきなのだろうが、一方で二人が遠くへ行ってしまうようで、
さびしい気持ちも湧いてくる。
いつまでもかわいく幼い二人のままでいて欲しいと思うのはわがまますぎるだろうか。
冷静に考えると江戸で14歳と言えば、立派な青年で子供扱いされる対象ではないのでは?と思うが。

なんにせよ、読み終えてすぐ、次作が楽しみになる傑作であった。

※前半で出てきた汚い字の恋文、誰が書いたかわかった時には噴き出してしまいました。