かおり&ゆかり著
飛鳥新社
笑っていられるのも最初だけ!?過去を思い出しては赤くなったり青くなったり・・・ああ!日本語って難しい。
「にやける」って思わず顔が緩んでしまうことではなく、「男が女のように色っぽい様子をしたり変にめかしこんだりすること」だって知っていましたか?
えっ!知っていた!
常識ですか。そうですか・・・
私は恥ずかしながら、「えーっ!これ、言い間違い!?」を読んで初めて知ったのです。
本書は、間違えやすい日本語について漫画で解説してくれる楽しい本です。
でも、初めは笑いながら読んでいたのですが、今まで知らなかった・気付かなかった日本語の間違いを知り、過去を思い出して顔が赤くなったり青くなったり・・・
恥ずかしくてたまらなくなりました。
言い間違いなんてしょっちゅうしています。
恥の多い人生なのです。
「なおざり」と「おざなり」がごっちゃになって、どっちだっけ?とわからなくなってしまうこともあります。
なかなか漢字の変換ができず、初めて「自分の読み方が間違っていたんだ!」と気付くこともよくあります。
「自転車」のことを「じでんしゃ」だとずっと思い込んでいました。
でも、いざ漢字変換しようとすると「自電車」「次電車」としか出てこないので、おかしいなと思い初めて間違いに気づいたのです。
他にも「シミュレーション」だとわかっていても、口にするときはと「シュミレーション」と言ってしまいます。
ああ、日本語ってなんて難しいんでしょう。
ネイティブスピーカーのはずなのに。
でも、少しだけ言い訳じみたことを言わせていただくと、言葉って変化していくものだと思うのです。
自分は正しく使っていても、相手が正しい意味を知らずに誤解してしまうこともあると思います。
ペットに餌を与えるときは「やる」だということは知識として知っていますが、知り合いが可愛がっているペットに「餌やってもいい?」とはなかなか言えず、「餌あげていい?」と言ってしまいます。
日本語の知識が乏しい私がいうのも何ですが、正しい意味を知った上で時代の変化にも柔軟に対応するのが一番いいのだと思います。
今は本書を読んだ直後ですから内容を覚えていても、またすぐに忘れてしまうかもしれません。
だから、何度も読んで覚えた方がよさそうです。
赤っ恥をかくのは私自身なのだから。
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
【問題】次の文章が正しければ○、間違っていたら×をつけなさい。
①教室で生徒全員にプリントを配布した。
②いらない部分を割愛した。
③テレビを見ながら一人で爆笑した。
【解答】
すべて×です。
①配布は不特定多数に配ることなので、正解は配付。
②割愛は惜しいと思うものを手放すこと。
③爆笑は大勢が一度にどっと笑うことなので、一人でいくら笑っても爆笑にはならない。
2014年2月12日水曜日
2012年7月24日火曜日
ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観
ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観
ダニエル・L・エヴェレット著
屋代通子訳
みすず書房
アマゾンの奥地に暮らす少数民族「ピダハン」。30年にわたって共に暮らし共に笑った著者渾身のノンフィクション。
アマゾンの奥地に暮らす少数民族「ピダハン」。
この本は、現在400人を割っているという彼らと共に暮らした30年をまとめたノンフィクションである。
著者は、アメリカの福音派教会から派遣された言語学者兼伝道師として、ピダハン の村に赴く。
目的は、ピダハン語 を理解し、聖書を翻訳し、そして彼らを改宗させるためだ。
妻と子供3人と共に ピダハン の村で生活しながら、彼らと接していく。
ピダハン の文化はとてもシンプルで、道具類はほとんど作らない。
作るにしても、長くもたせるようにはしない。
芸術作品もほとんどなく、物も加工しない。
儀式もない。
食事も毎日食べるわけではない。
保存食もなく、備蓄もしない。
漁をして魚を獲ったら、夜中であっても家族を起こして全て食べる。
ピダハン達 は、そんなシンプルな生活の中で、忍耐強く、朗らかで親切であり、とても幸福そうに見える。
実際に見たものしか信じないという独特の価値観を持ち、他の文化を受け入れない。
自分たちの文化を誇りに思い、満足しているのだ。
著者は、長年彼らと接するうちに、今のままで十分幸せそうであり、「迷える子羊」でもない彼らを改宗することに疑問を抱き、自らも信仰を捨て、無神論者となっていくのだ。
未知の文化に飛び込んで、全人格をもってフィールド研究に打ち込んだ著者。
読みながら、ピダハン 独特の価値観に驚いていた私も、だんだん彼らに惹かれていく。
この本の中核を成すのは、ピダハンの言語に関する考察である。
ピダハン語 は現存するどの言語とも類縁関係がないという。
「ありがとう」「こんにちは」など社交上の言葉もなく、色の名前、数や左右の概念もない。
今まで考えられていた「普遍文法」「言語本能論」「リカージョン(入れ子構造)」等が、ピダハン の文化と言語に接するうちに、ガラガラと崩れていくのは見ものであった。
「今まで出会った中で一番幸せそうな人々」である ピダハン。
世界観・価値観がこれほどまでに違う ピダハン に魅力を感じるとともに、いつまでもその文化を維持してほしいと願う。
参考: ピダハンのインタビュー動画
ダニエル・L・エヴェレット著
屋代通子訳
みすず書房
アマゾンの奥地に暮らす少数民族「ピダハン」。30年にわたって共に暮らし共に笑った著者渾身のノンフィクション。
アマゾンの奥地に暮らす少数民族「ピダハン」。
この本は、現在400人を割っているという彼らと共に暮らした30年をまとめたノンフィクションである。
著者は、アメリカの福音派教会から派遣された言語学者兼伝道師として、ピダハン の村に赴く。
目的は、ピダハン語 を理解し、聖書を翻訳し、そして彼らを改宗させるためだ。
妻と子供3人と共に ピダハン の村で生活しながら、彼らと接していく。
ピダハン の文化はとてもシンプルで、道具類はほとんど作らない。
作るにしても、長くもたせるようにはしない。
芸術作品もほとんどなく、物も加工しない。
儀式もない。
食事も毎日食べるわけではない。
保存食もなく、備蓄もしない。
漁をして魚を獲ったら、夜中であっても家族を起こして全て食べる。
ピダハン達 は、そんなシンプルな生活の中で、忍耐強く、朗らかで親切であり、とても幸福そうに見える。
実際に見たものしか信じないという独特の価値観を持ち、他の文化を受け入れない。
自分たちの文化を誇りに思い、満足しているのだ。
著者は、長年彼らと接するうちに、今のままで十分幸せそうであり、「迷える子羊」でもない彼らを改宗することに疑問を抱き、自らも信仰を捨て、無神論者となっていくのだ。
未知の文化に飛び込んで、全人格をもってフィールド研究に打ち込んだ著者。
読みながら、ピダハン 独特の価値観に驚いていた私も、だんだん彼らに惹かれていく。
この本の中核を成すのは、ピダハンの言語に関する考察である。
ピダハン語 は現存するどの言語とも類縁関係がないという。
「ありがとう」「こんにちは」など社交上の言葉もなく、色の名前、数や左右の概念もない。
今まで考えられていた「普遍文法」「言語本能論」「リカージョン(入れ子構造)」等が、ピダハン の文化と言語に接するうちに、ガラガラと崩れていくのは見ものであった。
「今まで出会った中で一番幸せそうな人々」である ピダハン。
世界観・価値観がこれほどまでに違う ピダハン に魅力を感じるとともに、いつまでもその文化を維持してほしいと願う。
参考: ピダハンのインタビュー動画
2012年7月12日木曜日
日本語でどづぞ
日本語でどづぞ
柳沢有紀夫著
中継出版
人生に疲れた時、「どづぞ」お読みになってください。
1992年5月18日。 新婚旅行で訪れたケアンズのバス停で、その男は奇跡の出会いをはたした。
ベンチの看板に書かれていた謎の文字 「日本語でどづぞ」。
その世紀の大発見から、男は「日本語でどづそ」学会 を立ち上げたのだ。
海外に散らばっている不思議な日本語の数々。
それらの事例を集め、検証・分析する。
その途方もない努力たるや、感動に値するではないか。
中国で見つけた「エしペーターでー階へどラざ」。
カタカナの「レ」とひらがなの「し」は混同しやすい事を発見し、「どラざ」の意味を考える。
「ソ」と「ン」の違いは、ネイティブでも難しいので、間違えてしまうのは仕方のない事だろう。
漢数字の「二」とカタカナの「ニ」は取り違え事例の基本中の基本である。
しかし、「ナ」と「ネ」など、なぜ間違えるのかわからない事例も多数ある。
翻訳ソフトの結果をそのまま使ったのだと思われる事例もある。
しかし、ペットボトルに書かれた「サソリゐすがァ!」に至っては検証することすら難しい。
サソリの成分でも入っているのか、「!」とは何を強調したいのか。
そんな深くて浅い難問に、真っ向から立ち向かうのだ。
その勇気と熱意を讃えたい。
そして、ぜひ学会員の補欠メンバー末席にでも加わりたい。
「どづぞ」と言ってくれるだろうか。
日本人がわざと作ろうと思っても決して作ることのできない衝撃的な日本語。
今まさにこの瞬間も世界のどこかで生まれているのだ。
もしや、自分でも「どづぞ」外国語バージョン を身につけてやしないかと、ワードローブを見直さなくてはなるまい。
2012年7月8日日曜日
たかが英語!
三木谷浩史著
講談社
賛否両論巻き起こった楽天の英語化宣言から2年。 これは、英語が苦手な日本人に送る、三木谷氏の応援歌だ!!
私は、5年ほどアジアに住んでいた。
当時の、聞くも涙語るも涙の英語にまつわる恥ずかしい苦労話は山ほどあるが、原稿用紙2000枚位になってしまうので、ここでは割愛しよう。
だから、「たかが英語!」と一橋大卒業、その上ハーバードでMBAを取得している三木谷社長に言われても、素直に頷けないではないか。
しかし、個人的には、好む・好まざるに拘らず、英語の習得は必然であるとは考えている。
将来的に日本のGDPシェアが低下することを考えると、「世界一のインターネットサービス企業になる」という目標を掲げている楽天にとっては、真のグローバル企業になる以外生き残る道はないのだ---。
そう考えた三木谷氏が、英語公用語化 を思いつき、どう実行していったかの過程が書かれている本である。
英語化に向けて、様々な工夫を凝らし社内体制を整え、社員をバックアップしていく。
一方、「英語ができない社員はダメな社員」という雰囲気が生まれないようにするなど、配慮も忘れない。
そうは言っても、不満を持ち、混乱する社員もたくさん出るだろう。
しかし、その都度制度の微調整を繰り返し、効果を上げていくのだ。
このプロジェクトにより、「自然と論理的な話し方を意識するようになる」「直接外国人とコミュニケーションをとることで、多大な恩恵を得られる」など、様々な嬉しい効果があったという。
また、「社内英語化」と宣言することにより、「楽天はグローバル企業になる」というメッセージを世に知らしめることにもなるのだ。
読み進めるうちに、英語に対するハードルがどんどん低くなっていくことに気付く。
特に、「グロービッシュ」で十分だという言葉には安心した。
楽天はブランドコンセプトの一つとして、「一致団結」を掲げているという。
そのため、一人の落伍者なく全員で目標に向かっていくのである。
まるで、英語 という団体競技に、チーム楽天 が一丸となって立ち向かう「スポ根物語」のようではないか。
他人事だと思うことなかれ。
私とて、趣味のダンスでマドンナのバックダンサーにでもスカウトされたら、英語が必要になるではないか。
英語とは関係のない仕事だからというあなたも、隣に日本語の話せないイケメン(美人)外国人が引っ越してきたらどうするのだ?
国際化の波は、もうすでに押し寄せているのだ。
そう考えると、自ずと英語学習にも熱が入るではないか!
三木谷氏も、そんな英語が苦手な私たちにエールを送っている、「たかが英語じゃないか!」と。
2012年6月19日火曜日
てんてん 日本語究極の謎に迫る
てんてん 日本語究極の謎に迫る
山口謡司著
角川選書
ひらがな・カタカナを濁音にする時につける「てんてん」は、明治以降に一般化されたものだという。そんな文字の歴史を解説した一冊。
江戸時代は蕎麦をすする時、「するする」と書いて「ずるずる」と読んでいたという。
前後の文脈・状況によって、濁る・濁らないを読み手が判断していたのだ。
これは、そんな「てんてん」を始め、日本の文字の歴史について解説した本である。
平安時代前期頃まで使われていた 万葉仮名 は、日本語の音に漢字を当てる表記方法のため、濁音と清音を書き分けることができた。
また、古代の日本語には、濁音で始まる言葉はほとんどなかったのである。
万葉仮名は、草仮名(万葉仮名の草書)へと形を変えながら、ゆっくり姿を消していった。
文字は漢字から、ひらがな・カタカナへと自然な流れとして生まれてきたのだ。
万葉仮名は、清濁を書きわけていたにも関わらず、なぜひらがな・カタカナは「てんてん」という補助記号を使って書き表さなければならないのだろうか?
その疑問に日本の歴史はもとより、中国の歴史・サンスクリット語、和歌などを交えて「てんてん」の謎に迫っていく。
中国語のアクセントを表す「声点」が「てんてん」の源である。
字の下に点や棒線で表していた記号が、少しずつ変化していき、外来語の浸透により、濁点や半濁点がなくてはならないものとなっていくのある。
今では「あ゛・え゛・ん゛・・・」なども、どう読むのかは定かでないが、一般的になっている。
天皇家では「穢れ」を避けるためにニラ等を口にしないのと同様に、「濁音」を避けていたため現在でも和歌には「濁点」がない、など興味深い内容もたくさん掲載されていた。
一番気になったのは、奈良時代の日本語の発音は、現代の発音とかなり大きな違いがあったということである。(中国の書物によってほぼ完ぺきに発音を知ることができるらしい。)
例えば、
「母様、蝶々が飛んでいます」 という言葉が、
「パパつぁま、ディェップ・ディェップ んが ちょんでぃぇまつぅ」 と発音されていたという。
もし、タイムマシンが発明されて奈良時代以前に行ったら、意思の疎通が難しいのではないか。
ほんやくコンニャク を持って行った方がよさそうだ。
山口謡司著
角川選書
ひらがな・カタカナを濁音にする時につける「てんてん」は、明治以降に一般化されたものだという。そんな文字の歴史を解説した一冊。
江戸時代は蕎麦をすする時、「するする」と書いて「ずるずる」と読んでいたという。
前後の文脈・状況によって、濁る・濁らないを読み手が判断していたのだ。
これは、そんな「てんてん」を始め、日本の文字の歴史について解説した本である。
平安時代前期頃まで使われていた 万葉仮名 は、日本語の音に漢字を当てる表記方法のため、濁音と清音を書き分けることができた。
また、古代の日本語には、濁音で始まる言葉はほとんどなかったのである。
万葉仮名は、草仮名(万葉仮名の草書)へと形を変えながら、ゆっくり姿を消していった。
文字は漢字から、ひらがな・カタカナへと自然な流れとして生まれてきたのだ。
万葉仮名は、清濁を書きわけていたにも関わらず、なぜひらがな・カタカナは「てんてん」という補助記号を使って書き表さなければならないのだろうか?
その疑問に日本の歴史はもとより、中国の歴史・サンスクリット語、和歌などを交えて「てんてん」の謎に迫っていく。
中国語のアクセントを表す「声点」が「てんてん」の源である。
字の下に点や棒線で表していた記号が、少しずつ変化していき、外来語の浸透により、濁点や半濁点がなくてはならないものとなっていくのある。
今では「あ゛・え゛・ん゛・・・」なども、どう読むのかは定かでないが、一般的になっている。
天皇家では「穢れ」を避けるためにニラ等を口にしないのと同様に、「濁音」を避けていたため現在でも和歌には「濁点」がない、など興味深い内容もたくさん掲載されていた。
一番気になったのは、奈良時代の日本語の発音は、現代の発音とかなり大きな違いがあったということである。(中国の書物によってほぼ完ぺきに発音を知ることができるらしい。)
例えば、
「母様、蝶々が飛んでいます」 という言葉が、
「パパつぁま、ディェップ・ディェップ んが ちょんでぃぇまつぅ」 と発音されていたという。
もし、タイムマシンが発明されて奈良時代以前に行ったら、意思の疎通が難しいのではないか。
ほんやくコンニャク を持って行った方がよさそうだ。
読みやすいけど、論理的・順番的におかしいなと思うところがあった。
なるほど度:★★★★
興味深い度:★★★★
知らないこといっぱい度:★★★★
2012年2月28日火曜日
武士語でござる
武士語でござる
八幡和郎 監修
KKベストセラーズ
声に出して読みたい武士語の解説書でござる。 拙者もこれで、武士語通訳者になれるかもしれぬ・・・?
1951年生まれの著者は、東大・通産省を経て、現在評論家として活動中。
政治・経済・歴史・文化等に精通し、欧州の王室制度にも詳しく、皇室論を週刊誌等で展開している。
私はほとんど時代劇を見ないので、この本を理解できるか心配したが、杞憂でござった。
「お主も悪じゃのう」「よきにはからえ」など聞いたことがある言葉をわかりやすく解説してある楽しい本であった。
意味があやふやだった言葉、誤解していた言葉もあり、
江戸を舞台にした小説を読むのが好きな私にはぴったりの本なのでござる。
(以下『』内は全て掲載語)
とにかく愉快で堪らんのでござる。
『せちがらい』世の中この本を読むとホッとするでござろう。
『お頼み申す』と頼まれれば、武士の面目で断れず『心得た』と助立ちするのが武士の作法とは武士の世界も辛いよのうと同情する。
この本を読んだ今なら、『悪代官』に襲われても『ご無体な』と的確な言葉を返せそう。
あの事がばれて『お白州』に引きずり出されても、大丈夫。
『ぬれぎぬ』です、『滅相もございません』と『白を切る』ことにしよう。
『うぶなやつ』と見逃してくれるかもしれない。
『身に覚えがあろう』『これが目に入らぬか』と証拠を突きつけられたらどうしよう。
『白状』するしかないのだろうか。
もうこれで武士語なんか怖くない。
どこからでも『かかってまいれ』という気分になる。
武士語の翻訳家を志す人の役に立ちそうなのが第4章の「現代語を武士語に変換してみる」。
天気予報やニュース速報、一発ギャグ、歌謡曲、「雪国」「坊ちゃん」などの小説、
政治家の言葉など多方面の言葉を武士語に翻訳してくれている。
この本を読んでいると、『かたじけない』がつい武士語が口から出てしまうのでござる。
『しからばご免』でござる。
八幡和郎 監修
KKベストセラーズ
声に出して読みたい武士語の解説書でござる。 拙者もこれで、武士語通訳者になれるかもしれぬ・・・?
1951年生まれの著者は、東大・通産省を経て、現在評論家として活動中。
政治・経済・歴史・文化等に精通し、欧州の王室制度にも詳しく、皇室論を週刊誌等で展開している。
私はほとんど時代劇を見ないので、この本を理解できるか心配したが、杞憂でござった。
「お主も悪じゃのう」「よきにはからえ」など聞いたことがある言葉をわかりやすく解説してある楽しい本であった。
意味があやふやだった言葉、誤解していた言葉もあり、
江戸を舞台にした小説を読むのが好きな私にはぴったりの本なのでござる。
(以下『』内は全て掲載語)
とにかく愉快で堪らんのでござる。
『せちがらい』世の中この本を読むとホッとするでござろう。
『お頼み申す』と頼まれれば、武士の面目で断れず『心得た』と助立ちするのが武士の作法とは武士の世界も辛いよのうと同情する。
この本を読んだ今なら、『悪代官』に襲われても『ご無体な』と的確な言葉を返せそう。
あの事がばれて『お白州』に引きずり出されても、大丈夫。
『ぬれぎぬ』です、『滅相もございません』と『白を切る』ことにしよう。
『うぶなやつ』と見逃してくれるかもしれない。
『身に覚えがあろう』『これが目に入らぬか』と証拠を突きつけられたらどうしよう。
『白状』するしかないのだろうか。
もうこれで武士語なんか怖くない。
どこからでも『かかってまいれ』という気分になる。
武士語の翻訳家を志す人の役に立ちそうなのが第4章の「現代語を武士語に変換してみる」。
天気予報やニュース速報、一発ギャグ、歌謡曲、「雪国」「坊ちゃん」などの小説、
政治家の言葉など多方面の言葉を武士語に翻訳してくれている。
「そんなの関係ねぇ」→ 「左様なことは関わりござらぬ」
「親譲りの無鉄砲で」→「親より受け継ぎし無鉄砲ゆえ」
「4番線から大船駅行きが発車します」→「四番線より大船へまいるエレキ籠が発するところでござる」
「冷たくしてもなお 寄り添う気持ちがあればいいのさ」
→「冷たくすれども 寄りて添う心根があれば良いのでござる」
この本を読んでいると、『かたじけない』がつい武士語が口から出てしまうのでござる。
『しからばご免』でござる。
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