2014年4月29日火曜日

ふるさと銀河線 軌道春秋

髙田郁著
双葉社

鉄道と食べ物と優しさに癒されよう!「みをつくし料理帖」の作者・髙田郁さんの初現代小説。



天涯孤独の料理人・澪が数々の試練を乗り越えていく「みをつくし料理帖」シリーズなど、髙田郁さんの時代小説は、涙と感動と美味しいものが付き物である。
試練が次々と登場人物を襲い、ここまで苦しめなくてもいいのにと思うことも多いが、真っ直ぐで心優しい人々に感動し、丁寧に描写される食べ物に食欲をそそられてしまう。 
きっと髙田さんは、真面目で優しい方なんだろうなと想像している。

そんな高田郁さん初めての現代小説が、この「ふるさと銀河線」である。
漫画の原作者として活躍されていた頃の作品「軌道春秋」を小説として書き改めたのだという。

JRの赤字廃止路線だったが、沿線住民の強い要望により第三セクターとして生き残ったふるさと銀河線。
その運転士として働く兄と妹は、不慮の事故で両親を亡くし、二人だけで暮らしていた。
妹は、高校受験を前に、兄や寂れていく町のことを考え、近くの高校を受験することにする。
しかし、彼女には演劇の道に進みたいという夢があった。
夢をとるか、地元をとるか、中学生の妹は進路に悩む。
といった内容の、表題作の「ふるさと銀河線」。

夫がリストラされ無職になりながらも、毎日家を出て出勤を装っている「お弁当ふたつ」。
夜になってもカーテンを閉めず、横を通る電車から丸見えの部屋で暮らす老夫婦と車内から二人を見つめる乗客たちの話「車窓家族」。
駅構内の立ち食いそば屋で働く老人と勉強のプレッシャーに疲れた孫の話「ムシヤシナイ」。
亡くなった息子が残した旅先からのハガキを頼りに何もない町を訪れ、息子を偲ぶ「返信」。
証券会社の営業に疲れた男が、かつて住んでいた古い集合住宅に昔の鍵で入る「雨を聴く午後」。
アルコール依存性を克服しようと小鳥と懸命に暮らす話「あなたへの伝言」。
痴呆症になる恐怖に怯える老女の話「晩夏光」。
酒蔵を継いだが経営難に苦戦する女が、大学時代の友人に会う「幸福が遠すぎたら」。

以上、計9編が収められた短編集である。
北海道・東京・関西・・・舞台を変えながら、移動の手段だけでなく人と人を結ぶ鉄道、大切な人を想う優しさが一貫して描かれている。
時代小説と同じく、読んでいて温かな気持ちになり、尚且つ食べ物の描写がとても丁寧で、髙田さんらしさが満載でもある。

原作の漫画「軌道春秋」は28回に亘り連載されたというから、まだまだこの他にもあるわけで、ぜひとも全部を読んでみたいと思う。

でも本音を言うと、こういった話もいいのだけれど、澪の幸せを願うファンとしては、一刻も早く次回が最終巻だという「みをつくし料理帖」を出版して欲しいと思ってしまうのだ。

2014年4月23日水曜日

辞書になった男 ケンボー先生と山田先生

佐々木健一著
文藝春秋

辞書に人生を捧げた二人の編纂者はなぜ決別したのか?辞書編纂の裏に隠された謎を追う。



シンプルな言葉の羅列、「読むもの」ではなく「引くもの」、どれも一緒だが使いやすいのがいいなぁ。そう思っていた辞書にも「人格」があると教えてくれたのは「新解さんの謎」(赤瀬川原平著)だった。
一冊の辞書を作るのにどれほど膨大な手間と時間がかかるのか、教えてくれたのは「舟を編む」(三浦しをん著)だった。
そして今回、また辞書に関するすごい本に出会うことができた。
それがこの「辞書になった男」である。

本書は、NHKのディレクターである著者が、ドキュメンタリー番組「ケンボー先生と山田先生」を制作した際の取材内容に、新たな証言や検証を加えてまとめたものである。

昭和14年、24歳の大学院生であった見坊豪紀(ケンボー先生)は、文語文で書かれた辞書「小辞林」を口語文に直してくれと頼まれた。
そこでケンボー先生は、東大の国語学専攻で同期だった山田忠雄(山田先生)に協力を依頼する。
それ以来17年間、二人は「三省堂国語辞典」を共に編纂してきたが、ある時点を境に決別する。
二人はなぜ袂を分かったのだろうか?

その後出版された、山田先生がほぼ一人で編纂したといわれる「新明解」の用例から、少しずつ二人の関係が浮かび上がってくる。

(「新明解」より)
【上】「形の上では共著になっているが」
【実に】「助手の職にあること実に十七年(驚くべきことには十七年の長きにわたった。がまんさせる方もさせる方だが、がまんする方もする方だ、という感慨が含まれている)」
【時点】「一月九日の時点では、その事実は判明していなかった」

果たして、一月九日に何があったのだろうか。
文献を紐解き、多数の関係者にインタビューしながら、昭和辞書史の謎に迫っていく。

辞書に人生を捧げた二人の足跡を追いながらだんだんと明かされていく謎、そして最後にどんでん返しまで用意されていて、極上のミステリーのようでもある。
複雑に絡み合った史実を、表面的な出来事だけでなく多方面から深く掘り下げているため、これほどまでに面白いのだろう。

なかなか表に出ない「影の存在」である辞書編纂者に光を当て、
言葉とはこんなにも深いものなのだと教えてくれ、
辞書は編纂者の個性・人格が自ずと文面に浮かび上がってくることを明らかにした功績は大きいのではないだろうか。
山田先生の私生活がなかなか見えてこないのが残念なのだが。

まだ4月だが、2014年に私が読んだ本・ノンフィクション部門No.1はこの本に決定だ。(暫定)

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辞書に関する様々なトピックも面白かった。

・堂々めぐり
【男】を引くと「女でない方」、【女】を引くと「男でない方」など、単なる言いかえで言葉の意味にたどり着けないことがある。
山田先生は、「新明解」を編纂する際にそんな堂々めぐりをやめようと考えたという。
小学生の頃、この堂々巡りで困ったことが何度もあったなぁと思い出した。

・大ベストセラー
日本で一番売れている辞書は、「新明解」なのだそうだ。
「広辞苑」は累計1200万部、それに対して「新明解」は累計2000万部だという。
考えてみたら、「広辞苑」は持ち運びに不便だもんなぁ。

・まさに「辞書になった男」
現在辞書の編纂に携わっている方が、1年で4000~5000語の言葉を採集しているというが、ケンボー先生は生涯で145万例集めたという。
一日15時間仕事し、どんな時でも言葉を集めているケンボー先生のエピソードはすごいと思いつつも、ちょっと笑えた。

・名義貸し
辞書界では、「監修」や「共著」と名前が出ていながら、単なる名義貸しであることがまかり通っていたという。
絶対的な「金田一京助ブランド」が世間に存在する限り、出版社としては金田一氏の名前を落とすことができなかったらしい。

・「暮らしの手帖」事件
「暮らしの手帖」(1971年2月号)の「商品テスト」に、「国語の辞書をテストする」という特集記事が掲載された。
これにより、どの出版社の辞書も多少ことばを入れ替えただけのそっくりな文章が掲載されていること、間違いも踏襲されていることなど、長年辞書界に蔓延してきた「盗用・剽窃」体質が白日の下にさらされた。
現在は改善されているのだろうか。
 
我が家の「新解さん」第四版。
金田一京助氏の名前が一番上に表示されている。
 
 
 
「時点」の用例

2014年4月19日土曜日

わたしの小さな古本屋~倉敷「蟲文庫」に流れるやさしい時間

田中美穂著
洋泉社

ゆったりとした時間が流れる古本屋さん「蟲文庫」の店主・田中美穂さんのエッセイ。こんな居心地良さそうなお店、いつか行ってみたい!!



倉敷の美観地区にある小さな古本屋さん・蟲文庫。
その店主である田中美穂さんのエッセイです。

田中さんは21歳の時、高校卒業後勤めていた会社で突然配属替えを言い渡され、納得いかずに退職を申し出ます。
そして「せっかくなので古本屋をやってみようと思う。」とすぐに店舗探しを始めたのです。
本屋さんや古本屋さんでの経験もないのに、本が好きというだけで!
しかも開業資金に通常500万~1000万円かかるところ、手持ちの資金は100万円だけだったのです!!

私だったら、いや誰でもそんな話を聞いたら「なんて無謀な!やめときな。もう少し経験を積んでから開業しても遅くないんじゃない?」と忠告すると思うのです。
でも、田中さんは店舗を見つけ、棚板を買って本棚を作り、手持ちの数百冊を並べて開店にこぎつけます。

だからといってこの田中さん、「バリバリのやり手」という感じではないんですよね。
文章からは、とても落ち着いた、物静かなおっとりした大人の女性といった雰囲気が漂ってくるのです。
10坪にも満たない狭い店舗で、ライブやトークイベント、手作り品の販売と様々な企画をされていますが、気負わず一つ一つ丁寧にこなしているように感じられます。

掲載されている店内の写真は、アンティークというより昭和な雰囲気が漂い、ここには田中さんらしい、ゆったりとした時間が流れているようです。
しかも店内に、看板猫がいて、亀までいるのです。
たくさんの本に囲まれた居心地良さそうな空間・・・ああ、ここで何時間でも長居したい!(迷惑だろうけど。)

新刊書店も古本屋さんも、個人経営のお店はどこも経営が苦しいと聞きます。
開業当初こそ、早朝や夜間にアルバイトをしていたという田中さんですが、現在は古本屋専業だそうです。
ここまで来るには大変なご苦労があったでしょうし、お客様から心無い言葉を投げかけられることもあるようです。
それでも蟲文庫は現在まで20年以上続いているのですから、すごいことではないでしょうか。
それはきっと、田中さんには人を惹きつける魅力があるからだと思うのです。
現に私も、田中さんの「苔とあるく」「亀のひみつ」 を読んで田中さんに興味を持ち、この本を手にとったのですから。

だけど、誰かに「経験もお金もないけど古本屋を始めようと思う。」と言われたら、「やめときな。」と言うだろうなぁ。

2014年4月15日火曜日

昨夜のカレー、明日のパン

木皿泉著
河出書房新社

嫁と義父の不思議な共同生活。穏やかに流れる静かな日常。この雰囲気、好きだなぁ。



やっぱり次の日のカレーって、味に深みが出て美味しいですよね。
カレー大好きです。

この本の題名は「昨夜のカレー、明日のパン」ですが、残念ながらあまりカレーとは関係ありません。
パンの話でもありません。
どこにでもいるような登場人物たちの、穏やかな日常が綴られた連作短編集です。

著者の木皿泉さん(夫婦二人の共同ペンネーム)は、「野ブタ。をプロディース」や、「Q10」などを手がけた脚本家で、これが初めての小説だそうです。
本書で、2014年の本屋大賞にノミネートされています。

物語は、嫁と義父の不思議な同居生活の話から始まります。
テツコは7年前に夫を亡くしているのですが、その後もなぜか亡くなった夫の父・通称「ギフ」と一緒に暮らしています。
長く二人で暮らしていくうちに、阿吽の呼吸で日常生活を営んでいくようになりました。
でも、お互いに踏み込みすぎない、微妙な距離感を保っているのです。
別に二人は、できてるわけじゃないですよ。
テツコには、お付き合いしている同僚がいるのです。
二人の共同生活、テツコの彼氏、隣人、いとこ、と視点を変えながら、日常生活が綴られていきます。

脚本家ということもあるのでしょうか、本書はとても読みやすく、ドラマを観ているような、コミックを読んでいるような、情景がすぐに浮かんでくるような物語なのです。
とてもゆったりとした、穏やかな空気が流れているように感じました。
近しい人の「死」が全編通してテーマになっていますし、笑うことができなくなった客室乗務員のように、楽しい話ばかりでもありません。
それでも、なぜかほんわかした雰囲気が漂っているのです。

大事件や衝撃とは無縁な、地味に普通に暮らしている人たちの日常。
だけど不思議な雰囲気を持つこの物語。
好きだなぁ、こういうの。

2014年4月10日木曜日

七帝柔道記

増田俊也著
角川書店

北大柔道部の汗と涙の青春。わーい!肉体派の男祭りだぁ!とワクワクして読み始めたら・・・くぅ( ´Д⊂ヽ 泣けてくるぜっ!過酷な練習の先に彼らが見たものは。




北海道大学柔道部出身の著者が、学生時代を振り返った自伝的小説である。
主人公の増田は二浪の末、憧れだった北大柔道部に入部した。
連続最下位の七帝戦で優勝することを目標に、厳しい練習に明け暮れる。

「七帝柔道」とは、北海道大学・東北大学・東京大学・名古屋大学・京都大学・大阪大学・九州大学の旧帝大で行われている寝技を中心とした独特の柔道である。
全日本選手権やオリンピックなどの柔道とは違い、寝技への引き込みOK、絞め技も頸動脈を圧迫して脳へ行く血流を止め「落とす」(意識を失う)まで、関節技も待ったなしの過酷な柔道なのである。

七帝柔道は「練習量がすべてを決定する」と言われていて、その練習は想像を絶する過酷さだ。
畳に溜まる汗の水たまり。
練習後には体重が5~7キロ減り、動くこともできずに道場の隅で転がる。
警察への出稽古で、重量級の猛者たちに肉体もプライドも人格さえも滅茶苦茶にされる。
そして満身創痍のまま、また次の日にはテーピングしながら練習、練習。
楽しい学生生活を謳歌している男女を横目に、女の子ともオシャレとも無縁の、柔道以外何もできない、柔道漬けの毎日を送る柔道部員たち。
将来柔道で食べていくわけでもないのに、ひたすら苦しい練習を続けるのである。

肉体派男子が大好きな私は、「わーい!男祭りだ♡」と喜びながら読み始めたのだが、すぐに申し訳なさでいっぱいになり、ひれ伏したくなってしまった。
こんな苦しい世界があるなんて知らなくてごめんなさい。
その逞しい肉体は過酷な練習の賜物だったんだね。肉体派が好きなんて軽く言っちゃってごめんなさい。
大学時代、勉強もせず毎日楽しく遊び歩いていました。ごめんなさい。
とにかく、何もかもごめんなさい!!
そう言いたくなるほどの圧倒的厳しさなのである。

臨場感溢れる試合場面では「行けー!」と応援に熱が入り、新入生歓迎会のバカ騒ぎに大笑いし、同期や先輩たちとの固い絆に胸が熱くなる。
同じ著者の『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を読んだ時もそうだったが、今回も女の身ながら何度も男泣きさせられた。

現在も七帝戦は行われているという。
知り合いの現役京大生・阪大生たちに、柔道部は今でもこんな過酷な練習をしているのか聞いてみたところ皆一様に「柔道部員を見かけたことすらないから知らない。」という素っ気ない返事だった。
ううっ(´Д⊂ 誰も知らなくても、孤独に練習に励む柔道部員たち。
素敵ではないか!

登場人物と一緒に、過酷な練習に苦しくなり、熱く応援し、肩を組み一緒に応援歌を歌いたくなる、そんな超弩級の物語だった。
まだ4月だが、2014年の私が読んだベスト小説はこれで決まりだっ!!(暫定)

2014年4月6日日曜日

翔ぶ少女

原田マハ著
ポプラ社

「羽があったらな。お父ちゃんとお母ちゃんに会いに天国まで飛んでいくんや!」阪神大震災で両親を失った兄妹の切ない祈りの物語。



私は原田マハさんの小説が好きで何冊か読んできました。

・キュレーターという経験を存分に発揮された「楽園のカンヴァス」などの美術を題材とした小説。
・「総理の夫」など、少しコミカルな内容の小説。
・「カフーを待ちわびて」「さいはての彼女」など、未来の希望に繋がるような勇気づけられる小説。
一人の作家が書いた小説とは思えないほど、傾向が違います。

どれも好きなのですが、なかでも個人的には「カフーを待ちわびて」のような静かな文章の物語が好きです。
読んでいて心が穏やかになり、活力がもらえるような気がするからです。

この「翔ぶ少女」も当初は「勇気づけられる小説」のつもりで読んでいたのですが、思っていたお話とはだいぶ違っていました。

原田マハさんは、西宮で5年間暮らしていたことがあるそうで、かつて住んでいたアパートが全壊し、大学時代の友人らが被災するという体験から、「どんなことでも乗り越えられる」「復興への想い」を込めて、本書「翔ぶ少女」を書かれたのだそうです。

主人公は、阪神大震災で両親を失った幼い少女・ニケ。
兄や妹と一緒に、震災で妻を失った心療内科の医師のもとに身を寄せることとなりました。
優しい大人たちに囲まれて家では明るく振舞っているニケですが、学校では友人たちから「震災孤児」「足に大怪我をしたかわいそうな子」という目で見られ、孤立していきます。
辛くて「お父ちゃん、お母ちゃんのとこに飛んでいきたいねん。」と思うこともしばしばでした。

大切な人を亡くしたりと誰もが辛い思いをしながらも、明るく軽妙な関西弁でやり取りするご近所さんたちとの会話が、かえって涙を誘います。
ホロリとさせられる場面がいくつもありました。
中盤までは。



以下ネタバレです。



中盤あたりで、突然主人公の少女の背中から羽が生えてくるのです。
夢の中の出来事ではありません。
背中から本物の(?)白い羽が飛び出してきたのです。

思いも寄らない展開に、えっ!と驚きました。
阪神大震災という現実に起こった出来事が題材であり、神戸市長田区という実在の場所が舞台なので、現実離れした羽の出現に強い違和感を抱いてしまいました。
決して嫌いな話ではないのですが、どうしても「羽」の部分が受け入れられなかったのです。

本書の読後感は、羽の出現に違和感を持つか持たないかによって変わってくると思います。
私は、図書館の新着本で見つけて何の情報もないまま読み始めました。
最初から、ファンタジー要素があるとわかっていたら違った読後感になっていたかもしれません。
個人的には、羽を出現させなくても素敵な「再生の物語」になったのではないかと思うのですが。

2014年4月2日水曜日

海洋堂創世記

樫原辰郎著
白水社

「模型バカ」のオタク集団が「世界の海洋堂」へ。その裏には創業者親子と仲間たちの泥臭い青春の日々があった!



海洋堂といえば、「チョコエッグ」の中に入っているオマケが食玩(食品に付属して販売される玩具)とは思えないクオリティで、世間の注目を浴びた模型会社である。
今では、世界中から制作依頼が来るというアート製造企業へと発展している。

その海洋堂はどのように成長を遂げたのだろうか。
子供たちが集う町の模型屋さんからアート集団へと変貌していく過渡期を、当時アルバイトとして在籍していた著者が述懐していく。

海洋堂は東京オリンピックが開催された昭和39年、大阪・門真市に小さな模型店として誕生した。
創設者の宮脇修は開業するにあたって、プラモデル屋にするか故郷・高知で学んだ手打ちうどん屋にするか悩んだという。
海洋堂がうどん屋になっていたら、今のフィギア界は違ったものになっていたのだろうか。

お互い本名を知らず、帽子にメガネをかけているから「ボーメ」、親戚のヒサトに似ているから「ヒサトモドキ」・・・そんなテキトーなあだ名で呼び合うユルい関係。
常連客とアルバイト、社員の垣根も曖昧ないい加減さ。
ホコリと薬品の匂いが充満している雑然とした作業場。
そして、仕事が終わっても毎晩残って模型を作り続ける「模型バカ」たち。

「僕らには神も仏もなくて、模型だけがあった。」

毎日が「模型祭り」というお祭り騒ぎ!
女の子ともオシャレとも無縁のむさくるしさ!
泥臭い青春の日々!
まるで、文化系男子学生の合宿所のようではないか。

しかしそこに集まる男たちは、日常生活に支障をきたすくらい変人だが、造形の腕だけは誰にも負けない・・・そんなオタク集団たちだった。
その男たちを、創業者である宮脇修が「模型をアートに!」を合言葉に引っ張っていく。

そういえば幼い頃、近所に人気の模型屋さんがあり、男子たちでいつも混み合っていたなぁという記憶がある程度で、プラモデルを作ったことすらない私にとって、新鮮な驚きに満ちた世界だ。
今まであまり興味がなかったのだが、本書をきっかけに海洋堂の作品を検索し、その完成度の高さに今更ながら驚いた。
博物館から制作依頼が来るというのも頷けるレベルの高さだ。

今では美少女フィギアの巨匠と呼ばれ、世界的なアーチストとなったBOMEさん(帽子とメガネでボーメさん)は、極端に人見知りで口下手だという。
オタクのど真ん中に位置する彼は、海洋堂というオタク集団に属していたからこそ花開いたのだろう。

文章が荒削りで、思い入れが強すぎる部分もあるのだが、かえってそれが当時の泥臭さやカオス状態を浮かび上がらせているように感じた。
「未来ある若者の人生を狂わせるくらい魅力的な魔窟」であった海洋堂は、これからも多くの男たちを巻き込みながら成長を続けていくのだろう。