2012年10月30日火曜日

うちのご飯の60年―祖母・母・娘の食卓

 うちのご飯の60年―祖母・母・娘の食卓
阿古真理著
筑摩書房

祖母から母、娘へとつながる食の歴史。




本書は、祖母、母、娘(著者)が、作り食べてきたリアルな家庭の食卓を再現し、多数の資料を添えて食べることの歴史を考えていくノンフィクションである。

明治36年生まれ。
広島の林業で栄えた村で暮らした祖母の時代。
コメや野菜を田畑で育て、庭に実がなる木を植え、山で山菜やきのこを採る。
食べ物はほとんど自分たちの手でまかない、
かまどで保存食を作り、年中行事の際はごちそうを用意する。
家事を主婦一人でこなしきれないため、娘たちに手伝わせながら家事を教え込んだ。

昭和14年生まれ。
農村で育ち、都会に出た母の時代。
時間に余裕がある専業主婦で、子供の頃の記憶をもとに和食を作り、
雑誌や本・料理番組で洋食や中華を覚え、バラエティ豊かな食卓を整えてきた。
食材はスーパーで買ってきて、キッチンに家電製品を並べる。
子供たちが嫌がるので和食メニューからは遠ざかり、洋食を食卓に出す。
添加物や農薬が気になり、食の安全に敏感になった。

昭和43年生まれの娘の時代。
子供向け番組でスナック菓子のCMが流れ、お菓子の情報をすり込まれた。
母が夕食を作る間、テレビに夢中になり料理のつくり方をほとんど覚えなかった。
居酒屋で様々な料理を知る。
仕事を持ち、料理をする時間が少なくなり、外食や中食が増える。
レトルトや冷凍の技術が発達する。

こうして家庭の食事を時系列に見ていくと、法律改正や技術革新などの転機により人々の食生活が少しずつ変わっていくことがよくわかる。
かつては多くの人が自給自足に近い生活をしていたが、今は生産者の顔が見えない物を食べている。
口にする物の安全性を、知らない人に任せることで自分たちの食生活が成り立っているということだ。
便利な反面、危うさも孕んでいることに不安を感じる。

また、現代人はサバイバル能力が低いことも痛感した。
私自身は、釣り堀以外で釣りも、山菜採りもしたことがない。
無人島に漂着したり山で遭難したら、まず生きていけないだろう。

そして、私はまさに「娘の時代」にどんぴしゃり。
あまり母の手伝いもせず、本を見て料理を覚えた。
梅干し、まんじゅう、おはぎ、赤飯・・・いまだに母が作ったものをもらうだけだ。
せっかく教えてもらえる立場なのに勿体無い。

痩せたいと言いながらもお菓子を貪り食べている私は、まず反省からはじめよう。

2012年10月27日土曜日

ずっとお城で暮らしてる

ずっとお城で暮らしてる
シャーリー・ジャクスン著
市田泉訳
創元推理文庫

広大な屋敷で暮らす姉妹と伯父。人と関わらないようにしていた彼らのもとに、従兄がやってきて平穏が崩れていく・・・




ブラックウッド家 では、6年前にヒ素により4人が毒殺されるという事件が起こった。
生き残った主人公の メリキャット、姉、伯父の3人は立派な邸宅で身を隠すように暮らしている。
メリキャット は仕方なく週2回村へ買い物に出るが、人々の悪意ある視線が辛い。
事件の犯人扱いされその後釈放された姉は、料理や庭の手入れを担当しているが、他人が怖くて屋敷から一歩も出ない。
伯父は、姉の世話を受けながら過去の事件を回想する日々を送っている。
そんな ブラックウッド家 に従兄のチャールズがやってきた。
それをきっかけに、今までの危ういバランスが崩れ少しずつ何かが変わっていく・・・


メリキャット の一人称で描かれているこの作品。
掃除の様子、ペットとの散歩、料理の詳細・・・18歳の少女の口から日常が細かく語られる。
「接写」がずっと続いている感じで、なかなか全体像がつかめない。
そのため、村人がなぜ一家に悪意を持つのか、果たして本当に悪意を持っているのか、また姉始めほかの登場人物が何を考えているのか、メリキャット の語りだけでは判断がつかない。

あまりメリハリのない文章、さりげない会話の中に隠された衝撃、そして真相が明らかになると、周りが見えていなかった分、驚きも大きくなるのだ。
そこが、本書の最大の魅力に感じる。

読んでいると、村の人々からひどい扱いを受ける少女がだんだん可哀想になってくる。
過去に辛い体験をし、見守る保護者もなく嫌がらせを受けながら3人で孤独に生きてきたら、奇妙なおまじないをしたり庭に物を埋めたりと、頑なで変わった少女になっても仕方ないなとだんだん肩入れしていく。

巻末に桜庭一樹さんの解説で「ミステリー」「恐怖小説」と書かれているのだが、そうは思えなかった。
恐怖はあまり感じず、私には不思議な吸引力のある、可哀想な物語のように思えた。

2012年10月25日木曜日

秋期限定栗きんとん事件  上・下

秋期限定栗きんとん事件  上・下
米澤穂信著
東京創元社

「小市民」を目指す高校生、小鳩くんと小佐内さん。果たして平穏無事に暮らせるのか?「春期」「夏期」に次ぐ第3弾。








(上下巻合わせて)

高校生の 小鳩くん小佐内さん
二人はよくつるんでいるが、付き合っているわけではない。
互いに助け合っているだけだ。
小鳩くん は、生まれつき余計なことに口を挟んでしまう性格のため、トラブルを引き起こしてしまう。
小佐内さん は、小柄で大人しそうな見かけと裏腹に「復讐」を愛し「狼」のような性格である。
その内面を隠すべく、二人はお互いに助け合いながら「小市民」として目立たぬように平穏に暮らすことを目標にしているのだが・・・
『春期限定いちごタルト事件』『夏期限定トロピカルパフェ事件』に次ぐ「小市民シリーズ」第3弾。

二人の高校入学から始まったこのシリーズ。
本書は、高校2年の2学期から高校3年の秋までの一年間が描かれている。
年頃の男女だから、「どうせ付き合い始めるんでしょ」という予想を裏切って、助け合いをやめたばかりか、お互い違う相手と付き合い始める。
それぞれデートを重ね、なかなか充実しているではないか!

しかものんきに恋愛している彼らを横目に、新たに登場した新聞部の 瓜野くん が、「放火事件」を追い始めた。
おいおい、二人が主人公のはずなのに。
事件が起きて二人が解決しないとダメじゃないの?
と、読者に衝撃を与え、話は一気に進む。
そして緊迫の下巻、予想外のラストへ・・・

今回スイーツの出番は少なかったが、巻を追うごとに面白くなってきた。
特に下巻は一気読み必須の、ハラハラドキドキで夢中になった。

二人の卒業まであと半年。
「冬期」がこれほど待ち遠しいとは「春期」を読んだときには思わなかったなぁ。

  ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*

シリーズ物は、1、2巻くらいまでは普通に楽しんで読んでいるのが、3巻くらいになると急に面白さが増し、のめり込んでしまう。
このシリーズもそうだし、「みをつくし」や「ビブリア古書堂」もそうだ。

読んでいるうちに愛着がわくからだろうか。
作者が慣れて来て、筆がのるのだろうか。
売れてきて、いい編集者がつくからだろうか。

どちらにしろ、1巻で合わないとやめてしまうのは勿体無いような気がしてきた。

2012年10月23日火曜日

あのころのデパート

あのころのデパート
長野まゆみ著
新潮社

庶民が手の届く範囲でささやかな贅沢と非日常を味わうことができた場所、デパート。「あのころ」が懐かしい方も、「あのころ」を知らない方も。



「日曜日に家族揃ってデパートへ行き、大食堂でお子様ランチを食べる」
懐かしそうにそんな思い出を語る方を見聞きするが、残念ながら私にはそういう思い出がない。
大家族でもあり、土日も関係ない家庭だったので、一家揃って出掛ける事などなかった。
また、徒歩圏内にいくつかデパートがあったため、必要なものを買ったらすぐに帰宅していたのだ。
その頃にも大食堂はあったのだろうか?

それでもたった一度だけ、電車に乗って行った都心のデパートで鉛筆を買ってもらったことは、嬉しくて今でも覚えている。
なんの変哲もないありふれたものだったのだろうが。

行動範囲が広がって、初めて日本橋の三越や高島屋、銀座和光に行った時はその重厚さに圧倒され、緊張していることがバレないようにドキドキしていた。
あの頃は若かったな。

誰でも持っているデパートの思い出・・・
本書は、母娘共にデパート勤務の経験がある著者の、デパートにまつわる思い出や裏話がギュッとつまった一冊である。

簡単な歴史から始まって、手品のような見事なラッピング、店員さんが持つ透明バックの秘密、かつていた書家や筆耕さん、店内アナウンス、お辞儀、休憩時間、一日の仕事の流れなど、働いていた人でないとわからない裏情報が面白い。

・かつてはハンカチの類までほとんどガラスケースに展示されていた……それじゃあ気軽に手に取ることができないではないか!
・自社の包装紙は看板を貶すことになるので決して捨ててはいけない……そういえば、おばあちゃんが包装紙を大切にとっていたなぁ。
・「お手提げ袋にお入れしましょうか」など「お」や「ご」をむやみやたらにつけたデパート用語……今でもあまり変わりないかも。
・セロテープが高級品で、毎朝うどん粉を練ってホルマリンを入れて自家製糊を作っていた……怖っ!

そういった話が続々と出てきて、知らない世界をのぞき見する楽しさが味わえ、デパートの思い出に浸れる、そんな本だった。

著者の長野さんは1959年生まれというから、同年代で都心に住んでいた方なら尚更懐かしいのではないだろうか。
しかし、年代が違っても土地勘がなくても、へぇ〜ボタンを連打したくなるような話がいっぱいの一冊だった。


※著者は自分にも他人にも厳しい方なのか、厳しいことをたくさん書かれていてズボラな私は反省しまくりだった。
もう少し表現が柔らかいといいのになと思った。

2012年10月21日日曜日

パラダイス・ロスト

パラダイス・ロスト
柳広司著
角川書店

ジョーカー・ゲーム、ダブル・ジョーカーに次ぐ第3弾。鮮やかに人を欺く・・・そんなスパイたちが活躍する短編集。



昭和12年、「魔王」の名で恐れられる結城中佐 によって、日本帝国陸軍内部に秘密裏に設立されたスパイ養成組織、通称「D機関」
軍の組織でありながら、士官学校出の軍人ではなく一流大学を卒業した優秀な者たちに諜報員教育を行い、任務を遂行させる・・・

本書は、そんなスパイたちの暗躍を描いた短編集「D機関シリーズ」の第3弾である。

彼らの卓越した能力が魅力的なこのシリーズ。
「建物に入ってから試験会場までの歩数、階段の数を答えよ」
「鏡に映した文章を数秒間見て、完全に復唱せよ」
そんな試験を突破した優秀な者が、語学や知識、肉体、精神力を鍛え上げ、一流のスパイになっていく。

「そんな優秀な人いないだろっ!いや、もしかしたらいるかもしれない」と思いながら読み進める。
ハラハラドキドキしつつも、実は心の奥底で「優秀な彼らが失敗することはない」と確信もしている。
「殺さない・死なない」を信条としているので、殺人もほとんどない。
そんな安心感も魅力の一つだ。

そうは言いつつも、いったいこの話のどこに「D機関」が絡むのだろうと疑問に思っていると、そうきたか!と驚いたり、意外などんでん返しがあったりと、短編ミステリーとしてもとても楽しめる小説である。

とにかく彼らの活躍が、惚れ惚れするくらい見事でカッコいい。
本名始め私生活や私情を明かさず、自分を隠し「偽の人物」になりきるスパイたち。
昭和初期という設定だが、ちゃぶ台やお茶漬け、ステテコ・・・そんな昭和の匂いがする小道具は出てこない。
あくまでもクールに任務を遂行する。
お近づきになりたいとは全く思わないが、彼らはとても魅力的だ。

存在すら秘密であるはずの「D機関」の詳しい試験内容が、なぜか各国の人々の噂にのぼり大勢が知っている・・・それはおかしいのでは?と思うのだが、スパイたちにのぼせている私は気付かないフリをする。

このシリーズの大ファンとしては、謎に包まれた彼らは永遠にミステリアスなままでいて欲しい。
そして、いつまでもスパイ活動をしていて欲しい、そう願わずにいられない。

2012年10月18日木曜日

文庫 江戸っ子芸者一代記

文庫 江戸っ子芸者一代記
中村喜春著
草思社文庫

大正2年生まれの江戸っ子芸者。旺盛な好奇心で英語をマスターし、たくさんの要人に愛された著者の自叙伝。



著者の 中村喜春(きはる)さん(1913-2004)は、祖父が病院長という比較的裕福な家庭で育つ。
小さい頃から花柳界に憧れ、「どうしても芸者になりたい」と言い続けた末、自前(借金なし)で新橋の芸者になる。
外国人のお客様が増え、「伝統芸能を英語で説明したい」一心で専門学校に通い英語をマスターする。
朝は6時半起床で英語の学校、午後は長唄の稽古に通い、その後支度をして6時にはお座敷に出るという毎日を過ごし、英語が話せる芸者として有名になっていく。
本書は、そんな 喜春さん の生い立ちから外交官の夫と結婚しインド滞在までを綴った自叙伝である。

その当時新橋だけでも、12歳くらいから60歳くらいまで1200人の芸者がいたという。
芸者はいつも美しく、世間の苦労を知らない優雅な顔をしていることが理想。
そのため、お客様の前で物を食べない、自分から呑みたいような態度をとらない、芸者同士が私語を交わさないなど、ホステスさんとは違う独特の厳しいルールで教育される。

その上、床の間の掛け軸、花器、蒔絵のお椀始め食器類など、一流のものに囲まれ自然に目が肥えていく。
また、文士、皇族、財界人、政治家、海外の要人と毎日交流しているのだから、芸者達も洗練されていくのだろう。
「花嫁学校に通うより3ヶ月芸者に出るほうがプラス」という著者の言葉になるほどと思い、芸者出身の妻を持つ有名人が多いことも納得する。

喜春さん は、お客様と一流ホテルなどあちこちに出掛け、当時の一般女性とは到底比較にならない行動範囲・知識・人脈と、持ち前の好奇心で様々なことをどんどん吸収していく。

・警察に呼び出されあらぬ疑いをかけられた時、当時の米内首相と有田外相と知り合いだったため「首相官邸と外務省に電話を掛けさせて」と言ったら、警官の態度がころっと変わった話。

・英国の貴族についた尊大な通訳が、あまりに無知なため我慢ならず啖呵を切った話。

読んでいて、一本筋が通り惚れ惚れするような思い切りのよさ・行動力に、「きっぷがいい」「姉御」という言葉がピッタリの 喜春さん に惹かれてしまう。
「どこまでも喜春姐さんについて行きます」と言いたくなるような方だ。

興味深い当時の風習や、耳慣れない業界用語も満載で、いつまでもお話を伺っていたいと思える一冊だった。

戦後編、アメリカ編など続編が出ているようなのでぜひ読んでみたい。

※本書は1983年に刊行されたものの文庫化です。

2012年10月16日火曜日

心がぽかぽかするニュース HAPPY NEWS 2011

 心がぽかぽかするニュース HAPPY NEWS 2011
日本新聞協会編
文藝春秋

「ぽかぽか」しませんか?HAPPYになるニュースだけを読みたい!そんな願いを叶えた一冊。



日本新聞協会が2004年度から始めた、新聞を読んでHAPPYな気持ちになった記事とその理由を募集する「HAPPY NEWSキャンペーン」
本書は、その応募作となった新聞記事と応募者のコメントが収録されている。

政治、経済、事件・・・新聞を眺めても暗いニュースばかりで気が滅入る。
しかし、山中教授のノーベル賞受賞は本当に「HAPPY NEWS」だった。
そんな嬉しいニュースを読むと、ノーベル賞受賞にはなんの貢献もしていないが、嬉しくて心が「ぽかぽか」する。

もっと「ぽかぽか」したい!と思い、この本を読み始めた。

思わず笑ってしまったのが、「オサムさんの妻、おめでた」(夕刊三重 2011.11.12)
農作業中の男性が腰掛け、隣に座る妻がお茶を勧めているように見えるリアルな「夫婦かかし」のオサムさん夫妻。
24時間花畑を監視するという過酷な仕事にもかかわらず、妻が妊娠したという。
推定50~60歳の夫婦が、高齢出産に挑む!
昨年末に無事「2歳の女児」を出産したそうで、よかったよかった。
参考:日本新聞協会ホームページ掲載の記事

しかし、2011年度の新聞から選ばれたその他の記事は、「なでしこジャパンの活躍」「医療の発展」「海外のほのぼのニュース」などもあるのだが、やはり震災関連の記事が中心だった。

・津波で家を流されたが夢は流されずに、定時制高校を卒業し大学進学を決めた67歳の女性。
・被災地で復興の手伝いをする神戸市職員に、手作りのご飯を作り続けた「おせっかい婆さん」
など、人の温かみを感じる「いい話」なのだが、その奥にある震災の傷跡がどうしても目に浮かび、涙が止まらなくなってしまった。

「ぽかぽか」するつもりが、他の温かい記事を読んでも涙腺がゆるくなってしまったのか、涙が溢れてくる。
私にとっては、「じんじん」くるニュースだった。
それでも、読み終わると勇気をもらったようで「頑張ろう」という気になる。

新聞を読むときに「HAPPY NEWS」を探す楽しみも増えた。
毎年出版されている本書。
来年度版にも、たくさんの「HAPPY NEWS」が載っていますようにと願う。

2012年10月14日日曜日

珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を

珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を
岡崎琢磨著
宝島社

良いコーヒーとは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、そして恋のように甘い。━━━シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール




古都・京都。
街並みの背後にひっそり佇む「純喫茶タレーラン」
こじんまりした木造平屋の、隠れ家的喫茶店。
ある日、主人公のアオヤマさんは、そこで理想のコーヒーに出会った。
バリスタは美星という若い女性であった。
美星はおいしいコーヒーを淹れながら、身近に起こる謎めいた事件を見事に解き明かしていく・・・
そんな連作短編集。


私は毎日コーヒーを飲むが味にはこだわらない、というか味がわからない。
豆の違いも全くわからないし、家で一人で飲むときはインスタントで十分だ。
それでもやっぱり読書のお供にコーヒーが欲しくなるし、レストランでは食後にコーヒーを注文する。

コーヒーは好きだがなんの知識も持たない私に、コーヒーの魅力をたっぷり教えてくれるのがこの「珈琲店タレーランの事件簿」だ。

可愛らしい表紙から、気軽に楽しめるラノベのような本だと思って読み始めると驚く。

内容的には、日常の謎解きであり殺人事件も起こらない。
だが、主人公もバリスタ・美星も20代前半という設定のわりに、言葉遣いや言い回しに軽々しさがなく、推理場面も頭を使う。
えっ!と驚くどんでん返しの連続も含めて、なかなか本格的だ。
なぜか親父ギャグを連発するバリスタ・美星も、過去に色々あったせいか男に都合のいい可愛い女というわけでもない。
全編を通して、コーヒーの香りが立ち上る落ち着いた雰囲気のミステリーだ。

読んでいる時も読み終わったあとも、やっぱり美味しいコーヒーを飲みたくなる一冊であった。

2012年10月13日土曜日

テルマエ・ロマエV

テルマエ・ロマエV
ヤマザキマリ著
エンターブレイン


それでもやっぱりルシウスはかっこいい。



テルマエ・ロマエⅠ~Ⅳを一気読みして、ルシウスの魅力にはまってしまった。
映画も見に行き、古代ローマ人として違和感のない阿部ちゃんの演技を楽しんだ。

Ⅴ巻が出たと聞いたら、嫌が応でも期待が高まるではないか。
ワクワクしながら読んだのだが・・・

古代ローマと平たい顔族の国・現代日本を行ったり来たりする読み切りで始まったこのシリーズだが、いつの間にかルシウスは平たい顔族の営む温泉旅館に長期滞在している。
本書でルシウスは、恋をしたり乱暴者と対立したりと活躍するのだが、お風呂の話からだんだん離れてきた。

Ⅴ巻を読んでわかった。
このシリーズは、今までにない斬新な設定が最大の魅力なんだなと。
生真面目なルシウスが、驚いたり感動したりするシーンが面白かったのだ。
そういうシーンが減ると面白みも減ってしまう。
連載を続ける以上、新鮮味がなくなるのは仕方のないことなのかもしれない。

それでもやっぱり、どんな時も眉間に皺を忘れないルシウスは、相変わらずかっこいい。
合間に挿入されるエッセイも、楽しめる。
生真面目なルシウスの恋の行方も気になるので、続きも読みたい。

だけど、私には一気読みの方が性に合うようだ。
次は連載が終わり、完結したら大人買いしようと思う。  

2012年10月10日水曜日

神去なあなあ日常

神去なあなあ日常
三浦しをん著
徳間書店

林業見習いの青年が見た、山の四季折々。ゆったりした時間が流れている村の暮らしに癒される一冊。



高校を卒業したら「フリーターにでもなろう」と気楽に考えていた 平野勇気 18歳。
母親と先生の策略で、生まれ育った横浜を離れ三重県の山奥「神去(かむさり)村」へ行くことになってしまった。
本書は、そこで林業見習いとして働き始めた 勇気 の成長物語である。

「これは主人公が成長していく職業小説だ」
「三浦しをんさんの小説なら安心できる」
そう思いながらこの本を購入し、ストレスが溜まった時に読もう、ヘビーな本を読んだ後に読もう・・・気づいたら積ん読本の山に紛れ込んでいた。

引っ張り出して読んでみると、思っていた通りの成長物語で意外性はない。
それでもやっぱり面白い。
登場人物は魅力的だし、林業のトリビアも興味深い。
クスクス笑え、感動して泣ける小説。
さすがしをんさんだなぁ、と改めて思う。

自然豊かな村の様子、最初は「ウザイ」けれど仲良くなれば温かい村の人々、そして信仰の対象である神秘的な山。
読んでいくうちに、都会とは違うゆったりとした時間が流れている神去村の暮らしに癒されていく。
また、お祭りの部分は男たちの気迫が充満し、ハラハラドキドキしながらも神聖な気持ちになる。

主人公の少年は頼り無さ過ぎるが、山を自由に駆け回る村の男たちが逞しく魅力的に描かれている。
そしてそれを見守る女たちはもっと強い。

影響されやすい私が、もし男子中学生だったらこの本を読んで「オレは山の男になる!」と林業を目指したかもしれない。
もし女子中学生だったら、「こんなかっこいい男たちを守る強い妻になりたい!」と願うだろう。
人生甘くない、厳しい面も沢山あると知ってしまった私は、ちょっと歳をとりすぎてしまった。

本棚に戻し、安心したい時にまた再読しよう、神去村の人々はきっといつまでも変わらぬ温かい気持ちで待っていてくれるだろうから。


※様々な職業にスポットを当てた三浦しをんさんの小説は、読みやすい文章で中学生くらいの子供たちにぜひ勧めたいような内容だ。
しかし、いたいけな少年少女たちに読ませたくない表現がいつも出てくるのが残念に思う。
本書でも、何も主人公の下半身を疼かせなくても、「やりたい」と叫ばせなくても若者の恋心は十分表現できると思う。
世間には有害な描写や映像が溢れているので、中学生達はこれくらいなんとも思わないかもしれない。
(自分のことは棚に置き)それでも気になる私は、考え方が固すぎるのだろうか。

2012年10月6日土曜日

世にも奇妙な人体実験の歴史

世にも奇妙な人体実験の歴史
トレヴァー・ノートン著
赤根洋子訳
文藝春秋

人間は誰でも好奇心旺盛だが、中でも科学者の好奇心の強さといったら・・・偉大なる科学者たち、万歳!



本書は、科学者たちが過去に行なってきた数々の人体実験を集めた、科学者たちの血と汗と涙の物語である。
病気の治療だけでなく、麻酔や薬、食べ物、寄生虫、病原菌、電磁波とX線、ビタミン、爆弾、毒ガス、潜水艦、サメ、深海、成層圏と超音速・・・と様々な分野の実験が多数掲載されている。

人類や科学の発展のために実験は不可欠である。
それはわかる。
わかるのだが、なにもそこまで自分の体を痛めつけなくてもと、科学者たちの好奇心の強さに驚く。

孤児院の孤児や囚人、また「人類の苦しみを救うための実験なのだから自分たちも苦しむべき」というボランティアを実験台にした事例も多数紹介されているが、自分自身の体を実験台にする科学者たちもたくさんいたのだ。

放射線学者ジョージ・ストーヴァーは、自分の体を使い6年にわたってラジウムの人体への影響を調べ、数度の切断手術と100回以上の皮膚移植手術を余儀なくされたが、「有用な事実が明らかになるなら、それと引き換えに科学者が死んだり手足を失ったりすることなど大したことではない。」と語る。

他にも
・アルファベット順に薬を試してみようとして、トリカブト(aconitum)とヒ素(arsenic)でつまずきハズ油(croton oil)という下剤でギブアップした薬剤師。
・動物園の死骸を片っ端から試食する。
・マラリア原虫を持った蚊がいるかごに自分の腕をくくりつけ、3000回も刺されて予防接種の有効性を調べる。
・黄熱病の患者の唾液、血液、黒い吐瀉物を飲んだアメリカの医学生。
などなど、次から次へと強者科学者が登場する。

高所恐怖症の私は、飛行実験や潜水実験の部分を読んでいるだけで、絶叫マシーンに乗っているような恐怖を感じた。

よくやるなぁと思いながら読んでいると、自然に眉間に皺が寄ってくる。
しかし、勇気を出して動物やキノコを最初に食べた人がいてくれたからこそ、今私たちは美味しく食べ物を食べることができるのだし、誰かが過去に薬や医療行為を試してくれたからこそ、医学が発展してきたのだ。
そう思うと彼らに感謝すべきなのだろう。
(人道的な問題はあるのだが)

登場する科学者一人ひとりに深い人生があるのだろうが本書はそこにはあまり触れず、次から次へと実験が紹介される。
私の頭の中も、
すごい!
でも、怖い!
でも、偉い!
でも、なぜそこまでやるのか理解できない!
と、どう捉えていいのかよくわからなくなってきた。

最後に、大阪大学医学部教授の解説があり、それを読んで何とか少し落ち着いた。
はぁ、科学者の好奇心ってすごい!


※本書に、「食品加工のプロセスから昆虫を完全に締め出すことは不可能だから、我々はみんな年に
約1㌔もの昆虫を食べている」との記述があった。著者はイギリス在住なのだが、日本でもそうなのだろうか?

2012年10月2日火曜日

西の魔女が死んだ

西の魔女が死んだ
梨木香歩著
新潮社

おばあちゃんと過ごした日々を忘れない。
 
 


かつて同居していたおばあちゃんと、色々な話をした。
一緒にカレーを作ったこともあった。
母と違っておばあちゃんは怒らなかった。
図に乗って色々頼んで、おばあちゃんを困らせても怒らなかった。
そんなおばあちゃんを思い出す本だった。


おばあちゃんが死んだ。
「西の魔女」と呼んでいる英国人のおばあちゃんだ。
まい は、中学入学後登校拒否になった時期に、おばあちゃんと過ごしたひとときを思い出す。

あらすじを簡単に書くとたったこれだけで終わってしまう。
でも、この本の中には、まいとおばあちゃんとの思い出がぎゅっと詰まっている。

おばあちゃんと、パンを並べて材料をポンポン置いていきサンドイッチを作ったこと。
鍋をかき混ぜてジャムを作ったこと。
シーツを足で踏みながら洗濯したこと、洗濯物をキチンと畳んだこと。・・・

そんな自然の中の日常の風景・二人で過ごした様子を読んでいると、どんどん想像が膨らんでいく。
草の香りが漂ってきて、おばあちゃんちの外壁はペンキがところどころ剥げていて、窓は木枠で開けるときにガタッと音がする・・・
私の頭の中でおばあちゃんの家や庭がくっきり浮かんでくるのだ。
そして、まるで自分が まい であるかのように思えてきた。
まい は13歳の女の子なのに!

積ん読の山に埋もれていたこの本を引っ張り出して読んだのだが、なぜもっと早くに読まなかったのだろうか。
私にとっては、これから何度も読み返したい大切な一冊になった。

ヘンな本ばかり読んでスレた女になってしまったと感じていた自分が、こんなに感動できたことに驚いた。
自分にもまだこんな感情があったんだと嬉しくもなった。
私も西の魔女に魔法をかけてもらったのかもしれない。