2013年10月15日火曜日

明治のサーカス芸人は なぜロシアに消えたのか

大島幹雄著
祥伝社

「日本の奇跡」と呼ばれた「ヤマダサーカス」を追え!海を渡った名も無き曲芸師たちの足跡。



それは3枚の写真から始まった。
学生の頃ロシア・アバンギャルドをテーマに卒論を書き、その後ソ連のサーカスを招聘するプロモーターの仕事をしていた著者は、ソ連末期のモスクワで3枚の写真と出会った。
そこには、着物を着たサーカス芸人達が写っていた。
彼らの名前は「イシヤマ」「タカシマ」「シマダ」だという。
興味を持った著者は、彼らのことを調べてみようと決意する。
そして、外交資料館で外国旅券下付表の記録を確かめ、サンクトペテルブルクのサーカス博物館へ足を運び、内外の資料やインタビューから彼らの足跡を追っていく。

幕末に芸人たちは一斉に海外へ飛び出し、パリ万博始めヨーロッパ・ロシア各地で評判を呼ぶ。
未知の国・日本の芸人達が演じる初めて見る驚愕の技の数々は、どこへ行っても好評だったという。

その中でもヤマダサーカス一座は、ロシアで最も有名な日本のサーカス団だった。
芸のレベルの高さも然ることながら、衝撃的な「ハラキリショー」でセンセーションを巻き起こしたのだ。
自らの手足を刀で切りつけ血を流しながら、押さえつけた少年の喉から腹にかけて切りつけ血まみれにし、シーツにくるみ運び去る・・・もちろん種も仕掛けもあるのだが、ロシア人を恐怖に陥れたという。
子供が見たらトラウマになりそうな衝撃的なショーではないだろうか。
いや、大人の私が見てもショックを受けそうである。

また、とりわけ印象深かったのが「シマダ」グループが行ったという「究極のバランス」芸だ。
サーカス関係者たちが「奇跡の芸」と言う、綱渡り・ハシゴ芸・棒技を合体させた神業。
長い長い棒を額の上に乗せたまま2本の綱の上に腹這いで寝そべり、その足元をつかんで一人が倒立し、棒の上ではもう一人が倒立する。
著者が何度見ても鳥肌が立つというサーカス史上最高の技。
来る日も来る日も練習に明け暮れたからこそ成り立つ、一流の芸なのだろう。
映像が残っているというのでいつか機会があったら見てみたい。

著者は、丹念な取材から少しずつ、少しずつ彼らに繋がる糸を手繰り寄せていき、彼らの足跡と人間ドラマを浮き彫りにしていく。
次第に彼らを追う旅に引き込まれて行き、中盤で写真の人物が明らかになる場面では、思わずあっ!と声を上げそうになった。
そして、彼らに日露戦争・ロシア革命といった歴史が襲いかかり、明暗が分かれていく。

ロシアで活躍していた日本人芸人たち。
毎日毎日辛い鍛錬を重ねていただろう彼ら。
歴史に埋もれ、今では誰も知ることのない名も無き彼ら。
そんな彼らがいたことを、心にとどめておこうと思う。

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