2013年4月26日金曜日

大きな音が聞こえるか

大きな音が聞こえるか
坂木司著
角川書店

眩しく輝く男子高校生の青春物語。



ポロロッカ。
海嘯(かいしょう)。
海水が逆流し川を逆流する現象、またの名を潮津波。
アマゾン川では、トゥピー語で「大騒音」を意味するポロロッカが、月に2回ほど起こるという。
とりわけ雨季にあたる3月には、大量の川の水と海水とが衝突し、ときには河口から800㎞まで遡ることもあるらしい。
水面下で激しく渦巻く波がずっと河を遡っていく・・・危険ではあるが、サーファーにとっては夢の「終わらない波」である。

本書は、恵まれた環境ながら悶々と暮らしている男子高校生がポロロッカに魅せられ、アマゾンでサーフィンをすることを目標に成長していく物語である。

子供みたいな父はIT企業の社長。
専業主婦の母と3人暮らし。
通っているのはエスカレーター式で大学まで行ける高校。
部活もバイトもしていない。
自分でも「苦労知らずのお坊ちゃん」と自覚し、それに反発を覚える主人公の

は、誰かが決めたレールの上を歩んで行くだけの人生なんてと思っていたとき、ポロロッカのことを知る。
そして「アマゾン川でサーフィン」を目標とするが、その夢の実現は容易ではない。
費用、親の許可、語学、安全の確保・・・様々な困難が彼の前に立ちはだかるのだ。

は、ブラジルについて情報収集し、資金調達のためアルバイトを始めたりと夢に近づく努力をしていく。
そのうねりの中で、自分とは違う世界の人々に出会い、少しずつ変わっていく
すると、空気を読み平穏無事に過ごしていた学校生活や、周囲の人たちも少しずつ変化していく。
男子高校生の成長物語ではあるが、主人公だけでなく友人や親を始め、周りも一緒に成長していくのだ。

どこにでもいそうな等身大の高校生だが、読んでいるうちに応援したくなってくる。
これからもっとたくさんの荒波が に向かって押し寄せてくるだろう。
でも、心配することはない。
君ならきっと乗り越えられる。
もうすでにこれだけ困難な波を乗り越えてきたのだから。

2013年4月23日火曜日

私説 ミジンコ大全

私説 ミジンコ大全
坂田明著
晶文社

ミジンコをなめんなよ。



ミジンコをなめんなよ。
いや別にミジンコをなめていたわけではないが、この本を読む前の私にそう言ってやりたい。
人間のゲノム23,000個に対して、ミジンコはあんな小さな体で31,000個もあるんだぞ。
メスのみの無性生殖で増えるってことは、自分のクローンを増やし続ける処女生殖…マリア様のようではないか。
ミジンコは、節足動物門であり立派な甲殻網なのだ。

著者のサックス奏者である坂田明氏は、広島大学水畜産学部を卒業し、音楽活動のかたわらミジンコの観察を続けている。
日本プランクトン学会から特別表彰を受けたこともあり、現在は東京薬科大学の客員教授という肩書きを持つ。

本書の構成は
・1997年に出版され現在は絶版になっている「ミジンコ道楽」(講談社刊)を改稿し収録。
・坂田氏自身が撮影した美しいミジンコの写真が収められた「ミジンコ図鑑」
・陸水生態学・海洋ミジンコ・分子生物学の研究者たちとの対談。
となっている。
それに加えて坂田氏自身がミジンコをイメージして作曲した8曲が収められた「HARPACTICOIDA」というCDまで付いている豪華版だ。

坂田氏は深夜に一人、ミジンコを顕微鏡で観察するのを楽しみにしているという。
ミジンコの出産の様子を観察しながら、ミジンコが息を止めると坂田氏も一緒になって息を止めて見守る。
ときには腹筋が痛くなることもあるそうだ。
まさに立ち会い出産、それもラマーズ法ではないか。

ミジンコ愛に溢れている本書ではあるが、坂田氏は「ミジンコの姿に癒されているが、僕の愛が彼らに通じているとは思わない。ペットにはなりえないし、愛情や信頼のやり取りもできない」とあくまでも「ミジンコの味方」という立場で冷静に観察している。

すごいと感動したのが、「休眠卵」。
生育環境が悪くなるとオスとメスが交尾して受精卵を生む。
それが殻に守られた休眠卵だ。
干上がった土の上でも海や湖沼の土の中でも生き続け、環境の好転により孵化する。
水鳥の足にくっついたり、風に飛ばされたりしてどこまでも生き抜くのだそうだ。
どこにでも飛んでくるというから、きっと知らず知らずのうちに私の口の中に入ってきたこともあるのだろう。
また、休眠卵はとても強く、ゴカイの糞の中に混じったものや、35年前の地層から出たゾウミジンコの休眠卵、400年前のケンミジンコの休眠卵が孵化しているという。
なんと強靭な生命力だろうか。

DNAの専門的な話など私には難しい箇所もあったが、素人でも充分楽しめるミジンコ入門書だった。

だいぶ前にTVで、坂田氏が自宅の庭にたくさんの水槽を置きミジンコについて熱く語っている番組を観たことがある。
彼は今日も一人、顕微鏡を覗きながらミジンコに癒されているのだろうか。

※付属のCDは、幻想的で雄大なメロディの中にもほんのりと哀愁を感じさせる素敵な曲だったが、
残念ながら私にはミジンコを連想することはできなかった。

2013年4月19日金曜日

フレンチの侍

フレンチの侍
市川知志著
朝日新聞出版

「侍」という名にふさわしいフレンチシェフの生き方。



フレンチレストランといえば、舌を噛みそうなメニューが並び、値段が高くかしこまった場・気軽に行けないお店というイメージがある。
しかし、本書の著者・市川知志氏 のお店「銀座シェ・トモ」では、銀座という場所ながら夜のコースで5780円だという。
決して安くはないが、庶民でも手が届く範囲の値段設定ではないだろうか。

市川氏は1960年東京に生まれ、小さい頃から料理には並々ならぬ関心があったという。
高校時代にバイトしそのまま就職した洋食屋のシェフから、プロ向けの西洋料理の教科書をもらい、それがきっかけでフランス料理に傾倒していく。
本書は、フランス修行を経て自分の店を持ち、有名シェフとなった現在までを綴った市川氏の自伝である。

フランスではレストランの社会的地位が高く、三つ星シェフともなれば医者や弁護士より尊敬される立場だという。
市川氏は、言葉の壁を自力で乗り越え、人種差別のような屈辱に耐え、対人関係に悩みながら、田舎のレストランや星付きレストランを渡り歩き厳しい修行を続けた。
そして、個人主義の国・フランスで家族以上に親切にしてくれた人や、トロワグロなど有名店のシェフたちと出会い、交流を深めていく。
その後帰国し、惣菜店やレストランでの修行を経て、ついに念願の自分の店を持つことになる。

フランスでの孤独と不安、店の経営者となった際のプレッシャー、ときには苛立ち従業員を蹴っ飛ばすこともあったと、気負わず赤裸々に明かす姿勢に好感が持てる。

惣菜店での商品開発の際は、
・ショーケースに長時間並べるため「経時変化」の少ないもの
・菌が増殖しない工夫
・原価は廃棄コストを考え20%以下に
と、制約の厳しい中奮闘していく。
本書の魅力の一つでもあるそんな業界裏話も興味深い。

客がレストランに求めるものは様々だ。
接待で緊張し、料理を味わう状態ではないかもしれない。
反対に毎日接待され、本当はあっさりしたものが食べたいかもしれない。
もしかすると、一世一代のプロポーズを考えているかもしれない。

シェフが作りたいものと、それぞれの客が求めるものは違うのだ。
著者はその点を考慮しつつ、前衛的な料理から基本の古典料理まで試行錯誤しながら客のニーズを読み取っていく。
まさに「フレンチの侍」の名にふさわしい方だった。

2013年4月16日火曜日

空の拳

空の拳
角田光代著
日本経済新聞出版社

強く握り締めた拳の中に、彼らは何を掴んでいるのだろうか。



かつて、ごく身近にプロボクサーがいた。
彼は、ランキン上位にくい込んだもののそれだけで食べていけるわけではなく、バイトと練習に明け暮れる毎日を送っていた。
怖くて試合は見に行けなかったが、長くて白いバンデージを洗濯し、干し、そしてクルクルと綺麗な筒状に巻くのに慣れてきた頃、彼は一般企業に就職した。
プロといってもボクシングだけで食べていけるボクサーはほとんどいない。
しかも、殴られ痛いとわかっているのに、彼らがリングに上がるのはなぜなのだろうか。

この「空の拳」の語り手は、運動も人付き合いも苦手だが、本が好きで念願の出版社に就職した若手編集者だ。
彼は入社以来一貫して文芸部を希望していたが、「ザ・拳」というボクシング雑誌の編集部に配属されてしまった。
ボクシングの用語もルールも知らないやる気のなかった彼が、ボクサーたちと出会い交流しながら、自らもジムに入会しボクシングの練習を始める成長物語である。

読んでいると、アリスの「チャンピオン」のメロディと「立て~。立つんだ、ジョー」のセリフが頭の中で鳴り響く。

一瞬の試合のために苦しい練習と食事制限を続け、負ける恐怖と闘う彼ら。
そんな彼らの厳しい練習と試合、その合間の日常生活が交互に描かれ、一気に男たちの世界にひきずり込まれた。

スピード感溢れる試合のシーンでは、飛び散る汗や血がこちらにまで向かってくるような臨場感で、思わず顔をしかめてしまう。
ボクサーの筋肉の動き、肉を打つ生々しい音まで聞こえて来るようで、いつの間にか会場の観客と一緒に試合運びに興奮している自分がいた。

試合相手に個人的な恨みがあるわけでもないのに、彼らはなぜ殴り合うのだろうか。
いくら練習しても勝てるという保証はなく、負傷は当たり前、ときには再起不能になることもあるのに、なぜリングに上がるのだろうか。
しかもたった一人で。
彼らはなぜそこまで自分を追い込むのだろうか。
身体を鍛えたら心まで強くなるのだろうか。

また、殴られる姿を見る母、家族、妻たちは何を思うのだろうか。

この物語を読んでもそれらの問いに答えてはくれないが、男たちの熱い情熱を堪能させてもらった。

2013年4月12日金曜日

小さいおうち
中島京子著
文藝春秋

女中は見た!昭和初期の家庭の事情。



女中---今では日常使われなくなったその言葉に秘められた、抑圧された魅力に惹かれるのは私だけではないだろう。
女中は、決してメイドのようなフリフリエプロンではなく、割烹着それも白を着用していて欲しい。
そう思うのは彼女たちの苦労を知らない私のわがままだろうか。

この「小さいおうち」は、田舎で一人暮らしをしているタキという老女が、かつて女中として働いていた頃を回想していく物語である。
文庫本の巻末には著者の中島京子さんと「一〇〇年前の女の子」 の著者である船曳由美さんとの対談が収録されている。

昭和5年、タキは尋常小学校を卒業後上京し、縁あって8歳年上のおっとりした奥様に仕えることとなった。
新築した赤い三角屋根の可愛らしい洋館で、奥様と旦那様、そして小さな坊ちゃんと一緒に過ごした日々を、懐かしみながら驚異的な記憶力で詳細に綴っていく。

女中という仕事に誇りを持ち、「何があってもこの家をお守りしよう」と心に秘めながら家族に尽くしていくタキ。
自分が家族のお役に立てることに幸せを見出していくのだ。

もちろん楽しいことばかりの女中生活ではない。
時代的にもむしろ苦しいことの方が多かっただろう。
しかしタキは、掃除・洗濯はもちろんのこと、食糧難の時代ながら工夫を凝らした料理を食卓に並べ、素敵な服まで縫いあげる。
「ほ、欲しい・・・この女中が欲しい」とつい思ってしまう完璧な女中ではないか。

そして、長い間一緒に暮らしていれば、別に柱の影から覗かなくても家族の様々な面が見えてくる。
子供ができない夫婦の事情、旦那様には決して見せない奥様の表情・・・
仲良さそうに見える夫婦にも人には言えない苦悩があることに気づいてしまうのだ。

タキが語る女中の話だけでも、その時代の雰囲気たっぷりで十分面白いのだが、この物語はそれだけでは終わらない。
タキの甥が語る最終章は、ミステリーの種明かしのようでもあり、また新たな疑問を投げかけてもくる。
最終章によってこの物語が引き締まり、また一段と深みを増しているのではないだろうか。
直木賞受賞に納得の一冊だった。

※途中まで読んで、再読だったことに気づいた。
でも、詳細は覚えていなかったので最後まで新鮮な気持ちで再読することができた。

2013年4月9日火曜日

女子の古本屋

女子の古本屋
岡崎武志著
筑摩書房




個人経営の古本屋さんといったら、
古めかしい江戸川乱歩、初版本や稀覯本、それに全集などが並んでいて、少し黴臭いような匂いがする。
お店に入ると、気難しそうなおじさんが奥に座っていて、敷居が高い場所。
というイメージがあった。

ところが今は違うらしい。
たくさんの女性の店主が、斬新なアイディアで工夫を凝らした古本屋さんが増えているという。
この文庫本では、単行本に掲載された13人の女性店主たちのインタビューに加えて、彼女たちのその後、7人の新たなインタビュー、そして古書店の店主になるためのアドバイスが収録されている。 

重たい物を運んだりと重労働である、ピンク系の本を扱うこともある、意地悪な客に舐められる・・・
古本屋さんとは女性には向かない職業だという。
また、儲けが少ないため経営が難しいらしい。
「本が好きだから」というだけでは、やっていけない厳しい世界のようだ。

精神的痛手から古書店巡りに癒しを見出し、いつしか古本屋さんになっていた方。
編集という仕事柄、溜まっていった要らない本を処分するため、Amazonのマーケットプライスに出品したらよく売れて、それをきっかけにオンラインショップを立ち上げた方。
亡くなった夫の「2人で古本屋をやろう」という言葉から開業した方。
と、古本屋さんを開業するまでの過程は様々だ。
しかし、皆さん独立心が旺盛で、早くに親から自立された方が多いように思えた。

そして、それぞれ工夫を凝らし、雑貨を一緒に置いたりある分野に特化したりと、今までの古書店と違う女性ならではの特色あるお店を作り上げている。
また、表参道や東京駅、神保町など家賃が高そうな場所にお店を構えている方も多く、頑張っているんだなと感心する。

確かに客の立場からしたらむさ苦しいおじさんのお店より、女性が笑顔で迎えてくれるお店の方が入りやすい。
それに、本以外の物も扱っていたら雑貨屋さんで商品を眺めるような感覚でふらっと立ち寄り、気軽に買い物もできるのではないか。
男社会と言われながらも必死に奮闘している彼女たちの素敵な物語が詰まった一冊だった。

2013年4月7日日曜日

格闘する者に○

格闘する者に○
三浦しをん著
新潮社

三浦しをんさんに◎。日々奮闘する女子大生の青春物語。



名家に生まれた主人公の 可南子 は、大学4年生で現在就職活動中。
漫画が大好きなので、出版社に就職して漫画雑誌の編集者になりたいと思っているが、
なかなか上手くいかない。

この「格闘するものに○」は、家の跡取り問題、70歳近い書道家との恋愛、そして就職活動と
世間の荒波と日々格闘している 可南子 の青春を描いた三浦しをんさんのデビュー作である。

読んでいるとどうしても「三浦しをんさんはご自分のことを書いているのだな」と思わずにはいられない箇所がいくつも出てくる。

主人公がただでさえ無用の長物とされている文学部の中でも一番潰しのきかないことで有名な、民俗芸能やら演劇やら映画やらを好む人間の集うクラスだと嘆く箇所は、早稲田大学第一文学部演劇専修出身のしをんさんが在学当時本当に感じていたことではないだろうか。
「漫画喫茶にて5時間で18冊の漫画を読んだ」というのは、きっと漫画好きなしをんさんの実体験だろうと想像してニヤニヤしてしまう。

また、女だからという理由で何かを命じたり禁じたりすることは一切なかったという一節や、ゲイかもしれないという友人のカミングアウトの箇所では、その後の作品にも通ずるしをんさんのジェンダー感が伺える。

継母や父親の秘書、腹違いの弟、そして大学の友人たちなど、脇役たちも個性的でイキイキと描かれている、ユーモアあふれるこの物語。
ああ、これが三浦しをんさんの原点なんだなとファンとして納得の一冊だった。

※途中で出てくる題名「格闘する者に○」の由来となるエピソードは思わず笑ってしまった!

2013年4月4日木曜日

居場所を探して―累犯障害者たち

居場所を探して―累犯障害者たち
長崎新聞社「累犯障害者問題取材班」
長崎新聞社

累犯障害者を知っていますか。



累犯障害者とは、知的・精神的障害があるのに福祉の支援を受けられず、犯罪を繰り返す人たちのことだ。
新しく刑務所に入る受刑者の約1/4は知的障害の疑いがある人たちだと言われている。(本書より)
その中で療育手帳を保有している者はほとんどいない。
また、服役している知的障害者の7割が再犯者であり、3人に1人が3ヶ月以内に刑務所に逆戻りしているという。
(2010年法務省調べによるとIQ69以下の知的障害の疑いがある新規受刑者は6123人。全体の2割強)

本書は、累犯障害者について長崎新聞が2011.7~2012.6まで連載したものを再構成し、加筆したものである。
なお、新聞連載は平成24年度新聞協会賞を受賞している。

この累犯障害者の問題は、元衆院議員の山本譲司氏が秘書給与搾取事件で服役した経験を綴った「獄窓記」や、山本氏の講演をきっかけに世に知られるようになった。

10代の頃から盗んでは捕まる、出ては盗むを繰り返し、11回も服役した60歳の男性(IQ28)は、小学校の特殊学級・知的障害児施設を経て社会に出たあと、行政との繋がりが途切れ、福祉から置き去りにされてきた。

「刑務所はパンもくれるし病院にも連れて行ってくれる安心して暮らせる場所だ」という盗みを繰り返す64歳のろうあ者。
放火の罪で捕まり、「消防団の活動を頑張ってみんなに認められたかった」という知的障害を持つ消防団員33歳。

記者は、そんな累犯障害者たち本人や家族を丁寧に取材していく。
福祉の網からこぼれ落ちた障害者たちの多くは、社会で孤立し、生活に困窮した挙句罪を重ねている。

彼らの貧困・孤立、そして犯罪と「負の連鎖」を断ち切るため、

・障害に配慮した再犯防止の教育システムのない刑務所ではなく、福祉施設で更正させるため、実刑とせず執行猶予処分とする。

・身寄りも定職もない受刑者が社会復帰するために、刑務所と行政・福祉施設が障害のある元受刑者を受け入れ、就労・生活支援をした上で社会に復帰してもらう。(通称「長崎モデル」)

・厚労省の村木厚子さんが、文書偽造事件の損害賠償金で累犯障害者のために「共生社会を創る愛の基金」を設立。(参考:村木さんの設立の挨拶

そんな様々な取り組みが始まっている。

今まで重度の障害者支援ばかりに偏り、見過ごされてきた彼ら。
障害の特性を理解しない成育環境が重なり道を踏み外してしまったと考えれば、変わるべきは彼らではなく、司法・行政・福祉、そして私たちではないだろうか。
一方で、被害者となってしまた方々の行き場のない思いを受け止める必要もあると思う。

重いテーマではあるが、多くの人と一緒に考えたい問題である。

※本書並びに「新聞用字用語集」に倣い「障害者」という字を使用しました。

2013年4月2日火曜日

芸人の肖像

芸人の肖像
小沢昭一著
筑摩書房

昭和は遠くなりにけり。時代を彩った芸人たちの横顔。



突然、玄関先にピンポ~ンと人がやって来て「万歳してお祝いしてあげますよ」と言われたら、
ビックリしてドアを閉めてしまう人が大半ではないだろうか。
大正時代まではそんな「万歳芸人」だけでなく、舞、大神楽、願人坊主、琵琶法師、瞽女など
町から町へと流れていく芸人たちが溢れていたという。
彼らは家々を訪れ、報酬を目的に芸を演じる「門付」(かどつけ)を生業としていた。

この「芸人の肖像」では、著者がそんな門付芸人を始め昭和に残った芸能の残片を日本中に訪ね歩き、写真と随筆で記録していく。
表紙は、浅草寺境内でお金を入れると頭を下げる芸をしている犬のチビである。

粋で艶っぽい話が大好きな知識人…そんなイメージを抱いていた小沢昭一さん(1929-2012)は、蒲田の写真館の息子として育つ。
その後新劇の俳優として活躍するが、その傍らにはいつもカメラがあったという。

露天商が、舌先三寸でバナナやガマの油、薬草などを売る様子。
説教をしながら教えを説く者。
琵琶法師、浪花節、講釈師など語る者。
今ではなかなか見かけることのない芸人たちの写真が多数掲載されている。

そんな中一際目を引くのが、小沢さんが好きだったであろう「さらす」芸の数々。
著者は、ローズ秋山夫妻の荒縄・ローソクの芸(?)、カルーセル麻紀の臀部に咲くタトゥー、
また日々舞台でオープンするストリッパーたちが、楽屋でくつろぐ姿、洗濯物を干す場面を切り取っていく。

面白いと思ったのが、ストリップの音楽は客を煽るような刺激的なものが選曲されているが、
最後にオープンする時だけは明るく元気な曲、例えば「ピンポンパン体操」を流しながらニコニコ開くのだという。
客を安全に早く帰したいからだろうか。

一つ一つの職業について詳しい説明がないのが物足りなく感じたが、もう見ることができない昭和の記録であり、読むことができない粋なおじさんの随筆が読める貴重な一冊だった。