2012年5月31日木曜日

アホ大学のバカ学生 グローバル人材と就活迷子のあいだ

アホ大学のバカ学生  グローバル人材と就活迷子のあいだ
石渡嶺司・山内太地著
光文社新書

今の大学生、大学のカリキュラム、システムについて斬り込んだ一冊。



はじめ、過激なタイトルに少し不快感を覚えた。
それはきっと私が、「楽勝科目」を選んで履修し、試験前には必死でコピーをかき集めていた「バカ学生」だったからだろう。
「法学部です」と言うと、「一番前に『あ』が抜けてない?」と言われるような学生だった。
申し訳ない。
まえがきに、「大学や学生、就活を巡るドタバタぶりを知っていただき、くすりと笑っていただければ幸いである」と書かれているので、じゃあこちらもいちいち目くじらをたてずに、そういうスタンスで気軽にいこう、と読み始めた。
この本は、「バカ学生」のエピソードが延々と載っているわけではない。
確かに、ツイッターやFacebookにキセル乗車したことを書きこんだり、難関私立大学生が「5001-501」の引き算で悩んでいるなどいくつかの事例が載っている。
しかしそれだけではなく、少子化問題に悩む定員割れ大学の問題、就活事情、大学のカリキュラムなどなど、データと共に書かれていて読み応えがある。
少しずつ変わってきている大学教育のキーワードは、「初年次教育」、「定員割れ脱出」、「グローバル人材」、「特進クラス」、であると著者は言う。
なるほど、大学も改革されつつあるのだなと少し安心する。

著者はときに過激な表現を使うが、基本的には学生を応援し、教育改革に取り組んでいる大学の地道な努力を、評価している。
少人数制、ゼミ形式の講義、英語での講義など、これはいいなぁと思える制度は、他大学にもどんどん広まってほしい。
個人的には、大学とは教養を深め、専門分野を学ぶ場所だと思っている。
ただ、就職難ということもあり、「サラリーマン養成所」となってしまうのも仕方のないことだろう。
義務教育程度の学力が身についてない学生は、大学ではなく「基礎学力・常識養成所」のようなところで学んだ方が、本人や社会のためになるのではないか。
本当は、小・中学校や家庭において、必要最低限の学力・常識が身につけば一番いいのだが。

おっと、「バカ学生」だった私には、大学教育について意見を述べる資格がないんだった。
墓穴を掘る前に、これにて失礼。

2012年5月28日月曜日

地上の飯 皿めぐり航海記

地上の飯 皿めぐり航海記
中村和恵著
平凡社

比較文学論の研究者が世界中を回って体験したこと、考えたことを綴ったエッセイ。



1966年生まれの著者は、現在明治大学教授、比較文学論の研究者。

題名から、世界中で珍味を食べ歩く抱腹絶倒エッセイなんだろうなと勝手に思い込み、読み始めた。
しかし、そんなお気軽な内容ではなかった。
食と、文学・文化・冒険譚を絡ませたエッセイで、知的好奇心を刺激してくれるような、そんな本だった。
ただ、素材は大変面白いのだが、ご本人が真面目な方なのか、文章が少々読みづらい。
ときに哲学的になったり、修飾過多の長文になったり。
いや、それでも結構。なかなか興味深い内容なのだから。

幼い頃憧れていた外国の本の中に出てくる「パンの実」を食べたり、
お粥から幸田露伴やチェーホフに言及したり、
各国のタクシードライバーとの困ったやり取りなど、
興味深い体験談が載っている。
そうかと思えば、捕鯨問題、ふりかけの存在意義について考察したりと、あちこちに話題が飛んでいく。

私が興味を持ったのは、「虫の栄養価」。
よく、「貴重なタンパク源」で栄養価が高いとは言われているが、芋虫(ウィチティ・グラブ)は400㎉/100gで、タンパク質のみならず、脂肪・炭水化物・鉄分・カルシウムも豊富だという。
ちょっと食べてみたくなるではないか。
いや、成長期は過ぎ去り、横へと成長中の私には、高い栄養価は必要ないのかもしれないが。

そして、ドイツの人類学者の本に「日本人の味」について触れているのを、著者は発見する。
人食い人種へのインタビューで、「白人の肉は匂いがきつすぎるし、塩辛い。日本人の肉の方がおいしい。」と書かれていたのである。
そうでしょ、そうでしょ、日本人は勤勉で優秀だからと、読みながら鼻が高くなりかけたが、それって喜んでいいものなのか?検証はできないが。

色々な場所へ行かれる方なので、これからも是非、武勇伝をお聞かせ願いたいと思った。

2012年5月26日土曜日

暗夜 戦争の悲しみ

世界文学全集Ⅰ-06
暗夜  残雪著  近藤直子訳
戦争の悲しみ  バオ・ニン著  井川一久訳

中国人作家・残雪の短編とベトナム人作家バオ・ニンの長編が収められた一冊。 今まで手に取る機会のない種類の本だったが、貴重な体験ができた。



残雪

中国人作家の本を読むのは、パワフルな小説『兄弟』(余華著)以来の事であった。
この本には、7つの短編が収められているのだが、それのどれもに衝撃を受ける。
物凄いエネルギーが溢れ出している話だった。

例えば表題作の「暗夜」は、「猿山に行こうと家を出たが、たどり着けずに家に戻る」という話なのだが、
「猿山」って何?どこにあるの?等という疑問が浮かんでも、質問すらできないような勢いでどんどん進んでいく。
そのうち、そんな疑問もどこかに消え失せ、著者のペースに圧倒されながらぐんぐん引きずられて行く。
そして、私の中をかき回しまくって、唐突に去っていく。
残された私は茫然とするしかないではないか。

すべてそういう調子で、文章自体は平易な言葉で読みやすいのだが、荒々しく、パワフルな作品だった。
こういうのは言葉では表せない、体験した人しかわからない経験だと思う。
他の作品も読んでみたいと思わせるような作者であった。


戦争の悲しみ

ベトナム人作家バオ・ニンの長編小説。
主人公が入隊して戦争を生き残り、戦後再会した幼馴染の恋人との関係が書かれている。

正直、何度も読むのをやめようと思った。
なぜなら、本を閉じた後も「悲しみ」の余韻が私を襲うのである。
戦争中の残酷な場面も描かれているが、それは意外と平気であった。
しかし、戦後の主人公の心理状態があまりに辛く、読んでいる私まで大変辛くなってしまった。
そして、最後に明かされた辛い過去、恋人に言ってはいけないセリフを吐いてしまった時には、
堪えていたものが決壊してしまった。

戦争がなかったら、二人は幸せに歩んでいけたのだろうか。  
戦争は、心に大きな傷を残し、何年経っても疼き続けるのである。

2012年5月24日木曜日

地層捜査

地層捜査
佐々木譲著
文藝春秋


佐々木譲氏による警察小説の新シリーズ。派手なアクションもキャリア組も出てこないが、深い人間ドラマが描かれていた!



2010年、公訴時効が撤廃された。
捜査一課の水戸部は、上司に暴言を吐いたことで謹慎処分を受けていたが、過去の未解決事件を担当する部署に配置換えになった。
元都議会議員の有力者から圧力をを受けて、15年前の「老女殺人事件」の再捜査が開始される。
殺された老女は、元芸妓のアパート経営者であった。
地上げのトラブルから殺されたのか、それとも、被害者の過去に理由があるのか・・・。
事件当時捜査本部にいた退職刑事・加納が、相談員という立場で水戸部とコンビを組むことになった。
たった二人で過去の事件に向かっていく―--。

この作品は、「荒木町ラプソディー -地層捜査-」という名前で舞台化もされている。

四谷荒木町。
現在でも昭和の雰囲気を色濃く残した町。
その町が忠実に再現されているので、土地勘のある方は頭の中で地図を描きながら楽しめる作品だろう。
残念ながらあまり詳しくない私は、細かな街並みの描写に前半は退屈気味だった。

しかし、中盤からは引き込まれてしまう。
地層のように重なっている過去の出来事。
それを地道に聞き込み、歩き、まさに地層を掘り起こして捜査していく人間ドラマに仕上がっている。
この本に派手なアクションはなく、キャリア組も出てこない。
部署同士の軋轢もない。
過去の捜査記録と現在残っている証人の証言を基に、狭い町を歩き回りながら核心に迫っていくという、地味で静かな警察小説である。
それを、徐々に人間模様が浮き彫りにされる長編作品に仕上げているのは、さすが警察小説の第一人者である著者だからであろう。
また一つ楽しみなシリーズの誕生である。

2012年5月21日月曜日

すき焼き

すき焼き
松本栄文著
株式会社カザン

市場に出回ることの少ない「特産松坂牛」の飼育からすき焼きになるまでを追った本。一流の仕事人たちに敬意を払いたくなる一冊。



「特産松坂牛」をご存じだろうか?
「特選」ではなく「特産」である。
品質規格のA5ランク~C1ランクとは別に、「特産」というランクがある。
純潔の但馬素牛から肥育され、松坂牛生産量の一割に過ぎない貴重な牛、それが「特産松坂牛」だ。
この牛肉に対し、「ほとんど脂で食べさせている」というような物言いは勘違いだと著者は言う。

この本はその「特産松坂牛」である「てるよし」という名の牛の一生を追った本でもある。

霜降りに頼らない、肉質のキメの細かさを大切にと、サシではなく肉質で勝負する肥育家。
牛を人間と同じように扱い、敬意を表して「牛さん」と呼ぶ。
豊かな湧き水、安全で良質な藁、濃厚飼料を少なくする肥育法、手間暇かけて牛さんを大切に育て上げる。
屠畜場では、「てるよし」が緊張しないように最後の最後まで体をなでてやる。
「命と向き合う時間。てるよし有難う。」と。

肉屋では、機械でなく包丁で切る肉職人たち。
最近は、柔らかい生肉を扱える肉屋の職人が減っているという。

そして、「てるよし」はすき焼きになる。
「最後に残った白い牛脂は松坂牛の美味しさを凝縮した存在で、肉に自信がなければお客様にお勧めできませんよね。」と言う焼き子さん。

そんな一流の仕事人たちが、出てくる良質な本である。

なんといっても圧巻なのが、数々の写真たち。
表紙は白黒だが、中はフルカラーの写真が盛りだくさんで、これがなんとも美しいのである。
値段は¥3800と高めだが、この美しさ、内容の充実さ、そして一流の方々に出会える喜びを考えたら、それ以上の価値がある本だといえる。

今まで、「安い肉でも調理法によっておいしくなるから」と負け惜しみを言っていた私だが、松坂まで足を運び、極上の肉を一流の仕事人たちと牛さんに、敬意を払いながら食べてみたくなった。

2012年5月19日土曜日

日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」

日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」
水谷竹秀著
集英社

海外で経済的に困窮状態に陥っている在留邦人を「困窮邦人」という。 
フィリピンの「困窮邦人」を追ったドキュメント。    
第9回開高健ノンフィクション賞受賞作。



1975年生まれの著者は、現在フィリピンで「日刊マニラ新聞社」の記者をしている。

東京から直線距離にして約3000㌔、人口9400万人の島国フィリピン。
そこには「困窮邦人」がたくさんいるという。
フィリピンクラブで出会った女性を追いかけて渡航する。
所持金をすべて使い果たす。
お金が無くなった彼らは女性から見捨てられた挙句、ホームレスになり現地の人のお世話になる。
それが彼らの大雑把なパターンである。

この本は、そんな困ったちゃんたちにスポットを当てたドキュメントである。

親が倒れたため事業を引き継いだが、フィリピンクラブで遊びまくって資金4000万円をすったばかりか、ヤミ金に手を出して首が回らなくなり、フィリピンに逃げ込んだ30代の男性。

会社と家の往復で33年間真面目に暮らしていたのに、単身赴任先のフィリピンクラブで出会ったお姉ちゃんたちの魅力に目覚めて26年間連れ添った妻と離婚し、フィリピンに行ってしまう男性。

そんな男性たちの話を読んで、「自業自得」「自分でまいた種」という言葉が頭をかすめる。
ただ、読んでいくうちに、日本には適応できない人たちなのかもしれない、
彼らは日本にいるより、貧困でも「人とのつきあい」があるだけ、フィリピンに滞在する方が幸せなのではないか、と思うようになった。

人目を気にする、人の迷惑にならないように、と日本でストレスをためるより、「自分たちも迷惑かけっぱなしだから自分が迷惑かけられてもどうってことない」と笑うフィリピン人に囲まれていた方が楽なのだろう。
日本人には恥をさらしたくないが、フィリピン人には構わないというわがままさ・傲慢さも含んでいると思う。
ただ、世話をしてくれるフィリピン人たちも、決して裕福ではなくむしろ貧困層の方々である。

「取材を続けるうちに同情しなくなった」と著者は言うが、完璧には突き放せない、困惑した著者の優しさが文章からうかがえる。
そして、この本を読んだ私も著者と同じように出口の見えない迷路に迷い込んでしまうのであった。

この本を読んだ男性は、他人事だと笑えるだろうか。
たまたま、心が弱った時にフィリピンクラブを訪れ、彼らの陽気さに魅了される、という機会がないだけかもしれない。

2012年5月17日木曜日

真夏の方程式

真夏の方程式
東野圭吾著
文藝春秋

湯川博士と草薙刑事。おなじみのコンビが活躍するガリレオシリーズ第6弾。 「これは事故か、殺人か。湯川が気づいてしまった真相とは。」



やっと図書館の順番が回ってきた。
私が借りている今でも127人待ちである。
さすが東野圭吾氏、乗りに乗っている。
作家さんのために購入した方がいいのは理解しているのだが、雑誌も相当買っている私は、なかなか単行本にまで手が出ない。
東野さん、文庫本は何冊か購入しているので許してほしい。

夏休み中である小学5年生の恭平は、親戚が経営する玻璃ヶ浦の旅館で何日かを過ごすことになった。
この町では、海底鉱物資源開発か、美しい海の保存か、という問題がわき上がっていた。
帝都大学物理学准教授の湯川もまた、説明会に出席するためこの町に来て、恭平がいる旅館に泊まることになった。
そして、もう一人の宿泊者・塚原が、翌朝海辺で変死体となって発見された。
誤って転落した事故死なのか、それとも・・・


どうしても、このシリーズを読んでいると湯川が福山雅治に思えてくる。
というか、それ以外には考えられない。
初めは佐野史郎をイメージして作られたキャラクターだったと思うのだが。
「それと、論理的でない相手と付き合うのは疲れる」という理由から子供が苦手だったはずの湯川が、恭平ととてもいい関係を築いていく。
どうも、ドラマが放映されてから少しずつ軌道修正されているように感じた。

湯川博士が恭平に花火の仕組みを説明する場面や、数学の宿題を解説する場面があるのだが、
ふんふん、なるほどと思わず聞き入って(読み入って?)しまった。
こんな人が子供時代にそばにいてくれたら、もっと理科が好きになっていただろうと羨ましく感じる。
しかも、こんなイケメンに!!

さすが東野作品!王道のエンターテイメント作品!と思いながら読んでいたのだが、ラストで違和感というか腑に落ちないことがあった。
でも、福山博士がイケメンだから、何でも許されるのかもしれない。

2012年5月15日火曜日

瞳の中の大河

瞳の中の大河
沢村凛著
角川文庫
壮大な歴史ファンタジー。手を出さないジャンルだったが、食わず嫌いであった!!



この本は「歴史大河ファンタジー」だという。
普段だったら読みたい本が山もりの私は、手を出さないジャンルだ。
それが、他の方の書評を読ませていただいて、熱い気持ちが伝わってきたので興味を持って読み始めた。
普段から本を読まれている方が、いつになく熱くなるということは、間違いのない本だと私は考えるのである。
そして、やっぱりそれは正しかったのであった。

ファンタジー【fantasy】 1 空想。幻想。2 幻想曲。3 幻想的なテーマを扱った文学などの作品。
( 大辞泉より)

「ハリー・ポッター」は全巻買って何度か再読しているのだが、それ以外は大人になってからほとんど読んだことがない。
だからなのか、私はファンタジーというジャンルを勘違いしていたようだ。
魔法・子供向け、という間違った先入観を持っていた。
この本は魔法も出てこない、子供向けでは決してない、深く、壮大な物語だったのである。

複雑な生い立ちの男は、軍人になり国の平和を守る。
男は、信念を持って正義を貫いていく。
女は野賊として囚われ、ひどい目に遭わされる。
それでも女は、理想の社会を目指し叛乱軍の一味として戦う。
二人は同じ理想を追いながらも、敵同士であった。

親と子の話、正義の話、軍隊の話、階級の話、そんなたくさんの話が絡まり合ってうねりとなり、
やがて大河となって行く。
これは、架空の国の話かもしれない。
しかし、国の歴史が今まさに作られていくその場に立ち会っているような臨場感があり、
そして、男の評伝を読んでいるようであり、
これからも続くであろうこの国の発展を夢見るような物語であった。

この本は、私を土埃舞う山岳地帯に連れて行ってくれた。
読み終わった後も、余韻に浸っていられる。
まさしく「大河」と呼ぶにふさわしい、そんないい本であった。

2012年5月12日土曜日

KAGEROU

KAGEROU
斎藤智裕著
ポプラ社

独り言編。



大賞取って話題になったのが2010年の年末ですよね。
1400円出して買うのも勿体ないと思って、すぐ図書館に予約を入れたんです。

それから1年5ヶ月。やっと先日順番が回ってきました。
途中で、「この本古本屋さんでたたき売りしてて、105円だった」
っていう情報を教えてもらって、それなら買おう!この本の予約を取り消せば、他の本を予約できる!
と思ったこともあったんです。
図書館には予約の冊数制限がありますからね。

でもね、近所の古本屋さんに行ったら、半額にすらなってなかったんですよ。
この辺は他に古本屋さんないでしょ?
ちょっと足を伸ばせば他のお店もありますよ。ネットでも買えるでしょうし。
だけど、こうなったら待ち続けるぞと思ったんです。

それでやっと回ってきたので、感慨深いものがありました。

内容?
主人公ヤスオが屋上から飛び降りようとしたら、知らない男に止められた。
男は肉体を提供するドナーになる代わりに多額の現金を渡すと申し出た。
っていうあらすじです。

冒頭は、「頑張ってデコレーションしました」って感じの文章で読みにくかったんですけど、
意外にもストーリーに引き込まれ、短時間で読み終わりました。

受賞当時は、この本散々叩かれていたでしょ?
最近は話題にすらならないですけど。

でも、面白く読めました。
ハードルが元々凄く低かったんですよ、きっと。
どんな駄作だろう?っていうのがスタートだから、かえって得してますよね。
ただ、辞退したとはいえこれで賞金2000万円っていうのは、ちょっとどうかと思います。
読み終わった後、色々突っ込みたくなりましたし。

私が借りた時も、まだ62人待ちでした。
凄いですね。

2作目の話を聞かないのはどうしてでしょうね?
下調べを十分にして、奥行きのあるお話で、こなれた文章で、面白いお話で、っていう風に変えれば
面白くなるんじゃないでしょうか?
気長に期待してます。

2012年5月9日水曜日

昆虫標本商万国数奇譚

昆虫標本商万国数奇譚
川村俊一著
河出書房新社

蝶に魅せられ、追い求めて世界各地を訪ね歩く。著者の熱い想いが伝わってくる一冊。



1960年生まれの著者は、幼い頃から蝶の魅力に取りつかれて育つ。
その後、世界各国の「珍蝶」求めて駆け巡る昆虫商となった著者が、半生を振り返りながら蝶の魅力を熱く語った本。

フィリピンで、世界の蝶マニアなら誰でも名前を知っているというヌイダ一家の息子と親友になり、
笑いあり涙ありの関係を築く。
パプアニューギニアでは、「黒魔術」を仕掛けられ「呪い返し」でやり返す。
メキシコで結婚を考えたり、キューバで大型ハリケーンに遭遇したりと、ときに危険な目に遭い、
ときに自業自得の目に遭いながら、著者は蝶を求めて奥地まで果敢に攻め入る。
虫の採集には体力のみならず、昆虫の生態、気候、地理・地形、植物、海外なら政情、語学など様々な知識が必要だということがよくわかる。


男の子はなぜ虫が好きなのだろうか?
いや、たまに女の子でも虫好きがいるが、圧倒的に男の子が多い。
逃げる物体を追うという習性があるのだろうか?
そんな虫好きな男の子がそのまま大人になったような「虫マニア」がたくさん出てくる。

私は、蝶に興味が持てない。
たくさんの種類が出てきたので画像を検索しながら読み、「きれいだな」とは思ったのだが。
図鑑を眺めるのは楽しいのだが。
申し訳ないが、やっぱり蝶には興味が持てなかった。
でも、著者を始めとする、蝶に懸ける男たちの熱い思いには大変興味を持った。
何がそこまで彼らを魅了するのかは理解出来ないが、情熱を傾ける彼らには魅了された。

著者の知り合いの平岡さんは、「世界の昆虫展」で自分がコレクションしている3000匹の昆虫を披露する。
それが、仕事の合間のボランティアで、準備も全て自分でするというから驚く。
昆虫屋といっても、蝶屋、甲虫屋と細分化され、人それぞれ想いを寄せる虫は違うのだという。
そして、虫の趣味は「人生そのもの」というコレクターたちがたくさん出てきて、こういう世界もあるのだと感心する。

極めつけがこの本の著者、川村俊一氏。
ちょっとお姉さんにだらしがないが、憎めない、蝶に情熱をささげる男。
恥ずかしいことも、辛かったこともさらりと打ち明ける。
離婚、母の病気について語る最終章では、著者の純粋さが垣間見られウルッとくる。
なんて魅力的な方なんでしょう。
一つの事に一生懸命になっている姿は、やっぱり素敵に感じてしまうのである。


南米に生息している「ヘレナモルフォ」という種類だそうです。
価格は31,500円!!

2012年5月8日火曜日

尼さんはつらいよ

尼さんはつらいよ
勝本華蓮著
新潮新書

清く正しく美しいというイメージの尼さんの世界。なるほど、どこの世界も色々あるのだなぁ。



1955年生まれの尼僧である著者は、大阪の仏門とは関係ない家庭で生まれ育ち、専門学校を経てデザイン事務所へ就職する。
その後独立し十分な収入を得るが、あるきっかけから仏門に入る。
そんな著者が、修行・尼の世界について語った本。

尼さんといえば、瀬戸内寂聴さんのイメージが強い。というかそれくらいしか思いつかない。
漠然と、剃髪で年輩で「人生酸いも甘いも噛み分けた人生の達人」というイメージを持っていた。

この本によると統計上、仏教の「教師」という資格を持つ女性は約16万4千人もいるという。
(うち立正佼成会6万4千人、真如苑4万8千人)
ただ、そのほとんどは「なんちゃって尼さん」で、尼寺でお経を唱えながら静かに生きるというような方は数少ないらしい。

尼さんの定義も難しい。
寺に住んで僧籍を持つ人、修行した人、衣を着て剃髪している人、法要でお経を唱える人・・・門外漢の私は考えたこともなかった。
著者自身も「お寺に所属はしています。普段は、学校で教えたり、研究とか原稿とか書いたり。で、マンションに住んでます」という。
どこからどこまでが尼さんというのか、「自称尼さん」もたくさんいそうに思える。

著者が経験した修行も軍隊なみの厳しさで、体罰も当たり前の世界、そして、強烈な男尊女卑の世界であったという。
人の道を説くはずの僧らしくもない。

尼寺に入り、精進料理を作ろうと野菜のありかを尋ねたら、冷凍庫にあるミックスベジタブルだけだったというのも、ちょっと驚く。

また、尼僧の場合大きな法要に出られないことが多いという。
男僧とは声の高さが違うため、導師の声の高さに合わせて唱えるときに、男女で音程を合わせるのが難しいのだ。
混声合唱団だっていいと思うのだが。

辛いことがあって「いっそ尼にでもなるか」という現実逃避はしない方が無難である。
やる気があればあったで、日本仏教界では空回りしてしまう。

知られざる尼さんの世界の暴露本としては面白く読めた。
俗物の私は、一生俗世で暮らそうと思う。

2012年5月7日月曜日

くすりとほほえむ元気の素 レトロなお薬袋のデザイン

くすりとほほえむ元気の素 レトロなお薬袋のデザイン
高橋善丸著
光村推古書院

明治から昭和にかけて作られた配置薬の薬袋。そのレトロなデザインがなんとも魅力的。「くすり」と笑いながら楽しく読める一冊。



グラフィックデザイナーの著者は、家庭配置薬を中心とした薬のパッケージを5000点以上コレクションしているという。その膨大なコレクションをカテゴリー別に美しく並べ、解説した本。

病院や薬局が身近になかった時代、体の不調は配置薬が頼りだった。
字の読めない人もまだ多く、何の薬であるか絵を見てすぐわかることが必要であった。
突然の苦しみに見舞われた時、パッケージを見て服用する薬を選んでいたのである。
そのため各社パッケージに工夫を凝らし、自社製品をアピールしていった。

当初、いかに苦しさに共鳴する絵が書かれているかが重要だったデザインも、時代と共に変化していく。
症状と効能を表していた絵柄が、戦後は爽快な女性の笑顔に変わったのである。
例えば、咳止め薬では、紳士たちが苦しそうに咳き込んでいる姿から、なぜか笑顔で咳をする女性、
そして全快したのか爽快な笑顔を見せる女性へと変わってきている。

また、カテゴリーごとの絵柄のテーマがあまりにもよく似ている。
胃薬は大抵、位置が怪しげな内臓をあらわにした「はらわた紳士たち」が勢ぞろいしている。
ケロリンをはじめとする頭痛薬は、各社紳士・淑女がペアで苦悩の表情を見せていたのが、
戦後はどこも二人揃って爽快な笑顔を見せている。
なぜか各社、前例を踏襲し続けているのである。
そこには、「信頼」を重視する薬業界において、変わらないことへの安心感があるのだろう。
大衆に浸透している商品は、むやみにデザインを変えてはいけないのである。

薬はかつて非常に高価だったので、見た目にもその価値を感じさせるよう過剰な装飾を施していることもあった。
そのため、ロココ調装飾のデザイン、中国四千年の歴史や漢方薬をイメージしたもの等様々に工夫を凝らしている。
「高価だから効くだろう」という思いこみによる心理作用・プラシーボ効果も期待できよう。

ネーミングもストレートなもの、ひねったもの、「上手い!」と思うものなどバラエティにとんでいて笑える。
「アスナオール」と「スグナオール」だったら、私は「すぐ」の方を選びたい。
「三分糖」「解熱五分間」「二十分頓服」だったら、ちょっぴり謙虚さの感じられる「二十分」を選ぶかもしれない。

デザイナーだけあって、レイアウトも美しく、楽しく眺めることができる。
また、説明やコラムもおもしろく、本当に「くすり」と笑えるいい本だった。

2012年5月6日日曜日

江戸商売図絵

江戸商売図絵
三谷一馬著
中公文庫


江戸の商売を絵・川柳と共に、詳しく解説した本。時代考証を必要とする方にはバイブルであろう。 必要としない私にとってもバイブルである。




著者(1912-2005)は、東京美術学校日本画科卒の江戸風俗研究家・日本画家。

この本は、数え切れないほど多様な江戸の庶民の生業を、黄表紙等を参考にわかりやすい絵と川柳と共に解説した職業図鑑のような本である。
昭和38年の初版から、体裁・装丁・出版社が変わりながらも、画家、演劇関係者、人形制作者・・・様々な方が参考資料として愛用しているというのも肯ける。

江戸の職業の特徴は、細分化されていたことである。
例えば、枝豆なら枝豆のみを売るなど、商いなら単品売り、職人なら分業が基本だったようである。
そのため職は多岐に亘り、今でもある職業から「鏡研ぎ」(金属製の鏡は曇るので研ぎ師に磨かせた)のように必要なくなったものまで数多く掲載されている。

100円ショップならぬ「十九文見世」(19文均一の店)なんて、行ってみたくてたまらない。
雨が続くと「快晴祈祷」を声に出しながら歩くだけでお金をもらうとは、なかなかのアイディアマンか詐欺師なのか。

よくわからない職業もたくさんある。
例えば、竹箒を持って「庄助しょ、掃除しょ」などと言いながらお金をもらう物乞いの一種。
実際に掃除をするわけではなく、形だけだったという。
掃除をしてくれるわけでもなく、ふざけたようなセリフの人になぜお金をあげるのだろう?
それが人情なのか?

江戸の町に惹かれてしまう。本を読めば読むほど惹かれてしまう。
きっと私の前世は、江戸の団子屋で評判の看板娘だったのだろう。(含願望)
この本も、図書館で借りたのだが、手元に置いてずっと眺めていたい。
こういうのを運命の出会いというのかもしれない。 

2012年5月4日金曜日

アジアにこぼれた涙

アジアにこぼれた涙
石井光太著
旅行人

石井光太氏が海外で体験した10の物語。写真を見て考える。私に何かできることはあるのだろうか。



この本は、2000年から2008年までに著者石井光太氏が、アジアで体験したことをまとめたものである。

パキスタンで出会った、トラックに故郷アフガニスタンの風景を書いている絵師の父。
パキスタンで育ったため、故郷を知らない息子は父がダサく思えて仕方がない。

コタキナバルで出会ったスーダンから来た兄妹。
妹は、十代半ばで兵士に拉致され、尿道と膣がつながるほど乱暴を受け続け、精神的に破たんする。
傷ついた妹を慣れないドラッグ売りをしながら懸命に看る兄。

そんな10の話と多くの写真が掲載されている。

写真の中には、崩壊寸前に見えるバラック、たくさんのゴミ、衛生とは程遠い環境の中で、埃まみれのいい笑顔を見せる人々がいる。

スリランカの孤児院で、生まれたての孤児を欧米の子供のいない夫婦のもとへ送って育ててもらう支援事業をしている、里親探しのNGO職員は言う。
「不衛生だし、貧しいし、将来もない。それなら欧米に送られて養子として暮らした方がずっと幸せになれるでしょ。」
しかし、「幸せ」の正解は、いくら考えても出てこない。

インドネシアで、若い頃日本人と交際していたおねぇ系の方々。
彼氏のために性転換の手術を受けたのに、交際していた日本人駐在員が帰国してしまう。
待ち続けても彼は戻ってこない。そのまま歳をとり「女」としての価値が下がるが、
故郷にも帰れず、みんなで寄り添って暮らす。
日本で幸せに暮らしているであろうマツダさんたちやユウスケさんたちは彼女たちの現状をを御存じだろうか。

これは、彼らの「運命」だから、仕方がないのだろうか。
彼らに「可哀想」という言葉はとても使えない。

本を閉じたら、私には恵まれた日常が待っている。
家族とテレビを見て笑い、友人たちと美味しいものを食べながらおしゃべりをする幸せが待っている。

私には何ができるだろうか。
こういう世界があると頭に入れておくことだけだろうか。
それとも、彼らは彼らなりに幸せを見つけているのだろうか。
石井光太氏の本を読むといつも考え込んでしまう。
出口のない迷路をうろうろするように。

2012年5月3日木曜日

弱った体がよみがえる 人体力学

弱った体がよみがえる 人体力学
井本邦昭著
高橋書店

耳慣れない言葉「人体力学」。著者が提唱する自力で不調を治す方法が載っている一冊。



著者は、1944年生まれの医学博士で、整体指導者だった父から手ほどきを受け、その後ヨーロッパで鍼灸の指導をしながら、西洋医学を学ぶ。その後井本整体を設立した。

病気や不調は患部にだけ原因があるわけではない。
例えば肩が凝ったからマッサージをしてその場では一時的に楽になってもまたすぐぶり返してしまう。
それは、真の原因が肩以外にあるからである。
また、年齢を重ねた方は、猫背になり膝が曲がる姿勢になってしまう。
その姿勢が原因で他の不調を引き起こすという悪循環になる。

体は一つの部位が様々な部位と連動している。
その仕組みを理解し、病気や不調がどのようにして起こるかを知るのがこの「人体力学」である。
病気や不調が体のどこに端を発しているのか読み解き、錆びついた箇所にピンポイントで刺激を与えて本来の働きを取り戻して、根本原因を取り除く。

具体的方法として、普段は動かせない体の奥にある錆びつきを刺激する「10秒刺激」を紹介している。
刺激は単に回数をこなせばいいのもではなく、正しくできさえすれば1回でも驚きの効果がえられるという。

私はもともと体育会系で、現在もダンスを始め運動は続けている。
ただ、パソコンに向かい、本を読むという時間が長いため、肩こり・首こりに悩まされている。
マッサージにも通っているが、根本治療ではないことに気付いていた。
自己流でストレッチをしても、なかなか良くならない。
根本的に治すには、パソコンや読書をやめるしかないかもしれないが、それはできない。
でも、少しでもよくなるようにとこの本を読んでみた。

写真や図が豊富で解説が丁寧なので大変わかりやすい。
そして、首・背中・足の裏の3つの骨のアーチが重要という点には激しく同意する。
また、肋骨はなかなか意識してこなかったので、これを機会に意識的に肋間を広げてみようと思った。

2012年5月2日水曜日

フラワーギフトボックス


黒い紙製の箱にいっぱい詰め込んだお花です。
プレゼント用の花束を持ち歩くのが恥ずかしい。
そんな方にはこういうボックスが最適なのでは?

まほろ駅前多田便利軒

まほろ駅前多田便利軒
三浦しをん著
文春文庫
直木賞受賞作。映画化もされたこの作品。でもまだ読んでいなかった!!



まほろ駅のそばで便利屋を営む多田は、仕事先で偶然高校の同級生だった行天に会う。
行天は高校時代「痛い」と一言発しただけで、後は声すら出さない変わった生徒だった。
そんな行天が、多田の事務所兼自宅に転がり込むことになった。
チワワを預かり、小学生を塾へ迎えに行ったり、家の模様替えを手伝ったり、便利屋には様々な依頼が舞い込んでくる。
高校時代は友人ですらなかった二人が同居し、一緒に仕事をする。
そんな二人には、心に傷を負った過去があった。

そういえば三浦しをんさんの本は、「風が強く吹いている」と「ふむふむ-おしえて、お仕事」 しか読んだことがなかったなぁと本屋さんで見かけて購入した。
この本は、題名は知っていたが詳しいことは知らず読み始めた。
そしてすぐに気がつく。これは、わが心のふるさと「町田」を舞台にした小説だ!
俄然読むスピードが上がる。「町田」を思い浮かべながら。

多田と行天、男二人のでこぼこコンビが面白おかしく便利屋稼業・・・という単純なストーリーにはならないところが三浦しおんさんなのだろう。
掛け合い漫才のような会話の中に、遠慮と距離感がちらちら見えて、この二人はそれぞれ過去に何かあったのだなぁと予感させる。

そして結末にはほろりときた。いやぁ、そのほろりも温かい人情にほろりほろりとは違う。何か重たい、ずしんとくるほろりだったのである。

恵まれない境遇の人に、うわべだけで励ましたり、優しい言葉をかけるのは簡単だけれど、しおんさんはもう一歩踏み込んで、「その境遇は変わらない。だったら、自分で幸せをつかむんだよ」と応援してくれてるような気がする。

これからもっと著者の本を読みたくなった。

2012年5月1日火曜日

平成猿蟹合戦図

平成猿蟹合戦図
吉田修一著
朝日新聞出版
「悪人」の吉田修一氏が書いた明るくスピーディーな小説。現代のさるかに合戦らしいのだが・・・




高校中退後、地元長崎・五島列島のスナックでホステスをする美月は、朋生と結婚し男児をもうける。
しかし、夫は新宿歌舞伎町でホストになる。夫を追いかけて行った美月は、歌舞伎町で様々な人物、韓国バーを切り盛りするママ、そこで働くバーテンダーらと出会う。
一方、有名なチェロ奏者の湊は交通事故を起こし、人をひいてしまう。
弟家族、そのマネージャーでやり手の夕子、年老いた祖母を巻き込んでいく。
そして、ある人物が国政を目指す・・・
8人の視点から物語が進むエンターテイメントストーリー。

「悪人」や「さよなら渓谷」などの重厚感あふれる小説を思い出しながら読むと面食らう。
とても、軽いのである。
いや、テーマは奥深く考えさせられるのだが、文章や登場人物が明るく交通事故など重い話でもサクサク読めてしまう。
登場人物が多いため、前半というか、半分近くまでその紹介のようなエピソードが続く。
導入部分が長いので、正直少し飽きてくる。
ただ、そこを過ぎるとあとはぐんぐん引っ張られて最後まで一気に読み終わった。

著者は、今までリアリティを追求してきたが、この作品ではそれをいったん緩めたという。
それで納得する。次から次へと展開していき、あり得ないでしょっ!と思うようなことも話の早さと軽さで乗り切ってしまうような小説であった。

人は、色々な側面を持っていて、「適材適所」の場所にはまれば意外な能力を発揮するのだと気付かせてくれる話だった。

この本の中に、おばあちゃんをみんなで敬い大切にする、赤ちゃんをみんなで可愛がり見守るというよく話が出てくるのだが、それには心が温まる。そんなのは当たり前とわかっていても、最近の小説やニュースではなかなかお目にかかれないので。     
ただ、猿蟹合戦をイメージしたなら、善と悪をはっきり書きわけて欲しかった。