抱いた女は4000人⁉貢いだお金は30億円⁉ 75歳、男の一代記。
野崎幸助著
講談社
「74歳の男性宅から、現金600万円と貴金属5400万円相当を盗んだ疑いで、27歳自称モデルを逮捕した。」(2016/2/22)
本書は、そんな事件で一躍有名になった男性の自叙伝である。
昭和16年に和歌山で生まれた著者は、苦労しながら貸金業や酒類販売業などで財を成した。
金持ちになって好みの女性と遊ぶことを目標に頑張ってきたのだ。
本人曰く、家も食事もいたって質素で、お金は女の子のために率先して使うと決めているんだそう。
今でも午前3時頃から昼頃まで仕事をして、昼寝のあとお姉ちゃんたちと楽しむ毎日を過ごしているらしい。
コンドームの訪問販売で、農家の奥様方から実演販売をよくせがまれたとか、
貸金業のお得意様は賭博好きの宮内庁職員などエリートたちだった、
といった仕事の話もとても興味深いのだが、個人的には女性関係が気になって仕方がない。
どうして75歳のおじいちゃんが若い女の子をとっかえひっかえできるのか?
なぜそこまで元気なのだろうか?
70代と言えば、夜トイレに何回起きるかとか、コンドロイチン・グルコサミンなどの話題で盛り上がるお年頃だというイメージを持っていた。
でもこの御仁はちょっと、いや、かなり違う。
今でも1日2回3回は当たり前なんだそう。
脳梗塞を経験されている過去があるのに!
仕事で成功、女の子とも性交、というと脂ぎった押しが強いタイプを想像するのではないだろうか?
しかし著者は、160㎝と背が低く、ひ弱な小心者で腰が低いタイプと自称している。
(動かすのはお好きなタイプだろうが。)
そして好みの女の子は、若くてグラマラスな美人。
ソープやデリヘルなどの玄人は好きじゃないとおっしゃる。
じゃあ、どうやって若い女の子と遊べるんだ、やっぱり金か、オレにも教えてくれ!と思った方は、どうぞ本書を読んでくださいね!
あまりの女好きに、当初は驚き呆れていたが、ここまで突き抜けていると可愛らしく感じてくるから不思議だ。
どれほど誇張しているのかわからないが、読み物として大変面白かった。
2017年4月15日土曜日
2016年11月8日火曜日
ピカソになりきった男
その絵画、本物ですか?贋作者が語る贋作の作り方。
ギィ・リブ著
キノブックス
「その朝、俺はピカソだった。」という一文で始まる本書は、贋作作家として、ピカソ、シャガール、マティスなど有名画家の贋作を製作していた男の告白である。
1948年フランスで生まれたギィ・リブは、娼館を営む両親のもとで、教養・芸術の類いとは無縁に育つ。
その後、家出して路上生活をしながら荒んだ生活をしていた。
そんなギィ・リブだが、幼い頃から絵を描くことが好きで、巡りあった人々から審美眼を学び、図案師の修行などで絵画の腕を鍛えていく。
その後、贋作製作の道に進んでいくのだが、贋作といっても本物の模写だけではない。
画家が「描いたかもしれない新作」までをも生み出すのだ。
本書のクライマックスはその製作過程にある。
「良い贋作を作るには、偽造するアーティストについて、そのテクニックから、彼個人と周りの人の話まで、完全に知らないと不可能だ」と語るギィ・リブは、ありとあらゆる文献を漁り、その当時の画家の心理状態まで調べ上げ、当人になりきる。
画材ももちろん当時のものを使い、古く見せる工夫をする。
読んでいると、その努力、その飽くなき探究心、その憑依ぶりに感動すら覚えてしまうのだ。
でも残念ながら、その努力の方向が間違ってるのだが。
画家のサイン、証明書、画商の暗躍……
アートの世界の伏魔殿ぶりにも驚くばかりだ。
自分が模倣されているのを知りつつ順応している画家や、画家同士で模倣しているケースもたくさんあるらしい。
画家本人が贋作を本物だということすらあるのだから、もう何がなんだかわからなくなってくる。
この世界に「絶対」はないのだろうか。
ギィ・リブの贋作の多くが、現在もなお「本物」として市場に流通しているのだという。
あなたが感動しているその絵画も、もしかしたら贋作かもしれない。
※読んでいると必然的に彼の「作品」を見てみたくなるのだが、検索しても出てこなかった。
当たり前か……
ギィ・リブ著
キノブックス
「その朝、俺はピカソだった。」という一文で始まる本書は、贋作作家として、ピカソ、シャガール、マティスなど有名画家の贋作を製作していた男の告白である。
1948年フランスで生まれたギィ・リブは、娼館を営む両親のもとで、教養・芸術の類いとは無縁に育つ。
その後、家出して路上生活をしながら荒んだ生活をしていた。
そんなギィ・リブだが、幼い頃から絵を描くことが好きで、巡りあった人々から審美眼を学び、図案師の修行などで絵画の腕を鍛えていく。
その後、贋作製作の道に進んでいくのだが、贋作といっても本物の模写だけではない。
画家が「描いたかもしれない新作」までをも生み出すのだ。
本書のクライマックスはその製作過程にある。
「良い贋作を作るには、偽造するアーティストについて、そのテクニックから、彼個人と周りの人の話まで、完全に知らないと不可能だ」と語るギィ・リブは、ありとあらゆる文献を漁り、その当時の画家の心理状態まで調べ上げ、当人になりきる。
画材ももちろん当時のものを使い、古く見せる工夫をする。
読んでいると、その努力、その飽くなき探究心、その憑依ぶりに感動すら覚えてしまうのだ。
でも残念ながら、その努力の方向が間違ってるのだが。
画家のサイン、証明書、画商の暗躍……
アートの世界の伏魔殿ぶりにも驚くばかりだ。
自分が模倣されているのを知りつつ順応している画家や、画家同士で模倣しているケースもたくさんあるらしい。
画家本人が贋作を本物だということすらあるのだから、もう何がなんだかわからなくなってくる。
この世界に「絶対」はないのだろうか。
ギィ・リブの贋作の多くが、現在もなお「本物」として市場に流通しているのだという。
あなたが感動しているその絵画も、もしかしたら贋作かもしれない。
※読んでいると必然的に彼の「作品」を見てみたくなるのだが、検索しても出てこなかった。
当たり前か……
2016年11月5日土曜日
聖の青春
純真無垢な青年の魂の叫びがここにある。
重い腎臓病を患いながらA級にまで登り詰めた棋士・村山聖の一生を追ったノンフィクションである。
ページをめくり始めるとともに、お別れのカウントダウンが始まるのだから、悲しみのバイアスがかかってしまったのかもしれない。読みながら涙が止まらない何日かを過ごした。
5歳で重いネフローゼを患っていることが発覚し、小中学校時代の大半をベッドで過ごした聖は、将棋と出会い、すぐにのめり込んでいく。
幼いながら、驚異的な集中力と勝負にこだわる負けず嫌いな性質からみるみる上達し、その後17歳でプロの棋士となり、名人の座を目指していく。
聖を含め、幼い頃の天才たちのまさしく天才ぶりには、ゾクゾクと鳥肌がたつ。
そして師匠である森信雄と出会い、歯も磨かず、顔も洗わず、お風呂にも入らないという無頓着さがお互い合っていたのか、固い絆で結ばれていく。
上下関係、しつけ、モラル、それらをお構いなしに無視した常識はずれの師匠と弟子は、親子以上の関係を築いていくのである。
家族の献身的な愛情と贖罪の気持ち。
ときにコミカルにもみえる師匠と弟子の関係。
将棋会館まで送ってくれる近所の人。
聖を取り巻く人々とのエピソードは、そのどれもがズシンズシンと心に響いてくる。
人々は言う。
「あんなかわいいやつはいなかった」
「あんなに面白い人はいなかった」
「あそこまで純粋な男がいるだろうか」
お金や地位には全く興味を持たず、勝負に文字通り命をかけて臨む聖。
幼い頃から死を身近に感じてきた聖の、魂を絞り出すような純粋な叫び。
聖に「東京の師匠」と親しまれ、部屋の合鍵や全財産が入った預金通帳まで預かった著者にしか書けない、村山聖の青春がここにある。
大崎善生著
講談社
重い腎臓病を患いながらA級にまで登り詰めた棋士・村山聖の一生を追ったノンフィクションである。
ページをめくり始めるとともに、お別れのカウントダウンが始まるのだから、悲しみのバイアスがかかってしまったのかもしれない。読みながら涙が止まらない何日かを過ごした。
5歳で重いネフローゼを患っていることが発覚し、小中学校時代の大半をベッドで過ごした聖は、将棋と出会い、すぐにのめり込んでいく。
幼いながら、驚異的な集中力と勝負にこだわる負けず嫌いな性質からみるみる上達し、その後17歳でプロの棋士となり、名人の座を目指していく。
聖を含め、幼い頃の天才たちのまさしく天才ぶりには、ゾクゾクと鳥肌がたつ。
そして師匠である森信雄と出会い、歯も磨かず、顔も洗わず、お風呂にも入らないという無頓着さがお互い合っていたのか、固い絆で結ばれていく。
上下関係、しつけ、モラル、それらをお構いなしに無視した常識はずれの師匠と弟子は、親子以上の関係を築いていくのである。
家族の献身的な愛情と贖罪の気持ち。
ときにコミカルにもみえる師匠と弟子の関係。
将棋会館まで送ってくれる近所の人。
聖を取り巻く人々とのエピソードは、そのどれもがズシンズシンと心に響いてくる。
人々は言う。
「あんなかわいいやつはいなかった」
「あんなに面白い人はいなかった」
「あそこまで純粋な男がいるだろうか」
お金や地位には全く興味を持たず、勝負に文字通り命をかけて臨む聖。
幼い頃から死を身近に感じてきた聖の、魂を絞り出すような純粋な叫び。
聖に「東京の師匠」と親しまれ、部屋の合鍵や全財産が入った預金通帳まで預かった著者にしか書けない、村山聖の青春がここにある。
2014年1月11日土曜日
パンダ飼育係
阿部展子著
角川文庫
本書は、パンダが好きで上野動物園のパンダ飼育員になった女性が書かれた本です。
幼い頃、祖母からもらったパンダのぬいぐるみに出会ってから、著者の阿部展子さん(1984年生まれ)はパンダが大好きになったそうです。
高校生の時、「パンダが好きなら、パンダを仕事にすればいいんじゃない?」と言われ、パンダに関わる仕事をしようと決意します。
そして、大学の中国語学科に入学して中国語をマスターしてから、中国でパンダの専門分野を学ぶという遠回りの道を選択するのですから、黒柳徹子さんもびっくり!のパンダ好きの女性です。
その後実際に、阿部さんは勉強に励み、四川農業大学に留学します。
その大学では、阿部さんが初めての外国人本科生だったそうです。
外国人が少ない訛りの強い地域で、苦手な理系の勉強をする・・・とても苦労をなさったと思います。
でも、勉強が大変だったという話はしても、嫌な目にあったなどあまりネガティブなことはおっしゃらない、努力家で前向きな方なのです。
見た目は、可愛らしいお嬢さんといった感じなのですが。
日本では動物園で一番人気のパンダですが、中国ではパンダに対する興味が極めて低いことに阿部さんは驚きます。
「どうしてそんなにパンダが好きなのかわからない。変態だ。」とまで言われてしまったそうです。
かわいい文化の違いなのでしょうか?
フワフワしているというイメージに反し、硬くゴワゴワした油っぽい毛。
自分の尾や後肢を噛めるほど身体が柔らかい。
など、あまり知られていないパンダの秘密(?)もたくさん書かれていました。
中でもビックリしたのは、飼育されているパンダは後ろ肢を鍛える筋力トレーニングが必要だということです。
交尾の際、オスは後ろ肢だけで立ち上がり、メスも背中に覆いかぶさるオスを支えるだけの後ろ肢の力がないと、すぐに潰れてしまい成功しない。
だから後ろ肢の筋力が必要不可欠で、小さな頃から筋トレをしなくてはならないのだそうです。
いつか来るその時のためにパンダが筋トレに励む・・・パンダには申し訳ないけれど、笑ってしまいました。
ぬいぐるみのような姿をしていてもやっぱりパンダは獰猛な面を持つ猛獣で、体重も重く噛まれることもあり、飼育員は体力と根気が必要な大変な仕事だと思います。
パンダが好き好きで、努力して飼育係になる夢を叶えた・・・応援したくなる素敵な女性のお話でした。
角川文庫
本書は、パンダが好きで上野動物園のパンダ飼育員になった女性が書かれた本です。
幼い頃、祖母からもらったパンダのぬいぐるみに出会ってから、著者の阿部展子さん(1984年生まれ)はパンダが大好きになったそうです。
高校生の時、「パンダが好きなら、パンダを仕事にすればいいんじゃない?」と言われ、パンダに関わる仕事をしようと決意します。
そして、大学の中国語学科に入学して中国語をマスターしてから、中国でパンダの専門分野を学ぶという遠回りの道を選択するのですから、黒柳徹子さんもびっくり!のパンダ好きの女性です。
その後実際に、阿部さんは勉強に励み、四川農業大学に留学します。
その大学では、阿部さんが初めての外国人本科生だったそうです。
外国人が少ない訛りの強い地域で、苦手な理系の勉強をする・・・とても苦労をなさったと思います。
でも、勉強が大変だったという話はしても、嫌な目にあったなどあまりネガティブなことはおっしゃらない、努力家で前向きな方なのです。
見た目は、可愛らしいお嬢さんといった感じなのですが。
日本では動物園で一番人気のパンダですが、中国ではパンダに対する興味が極めて低いことに阿部さんは驚きます。
「どうしてそんなにパンダが好きなのかわからない。変態だ。」とまで言われてしまったそうです。
かわいい文化の違いなのでしょうか?
フワフワしているというイメージに反し、硬くゴワゴワした油っぽい毛。
自分の尾や後肢を噛めるほど身体が柔らかい。
など、あまり知られていないパンダの秘密(?)もたくさん書かれていました。
中でもビックリしたのは、飼育されているパンダは後ろ肢を鍛える筋力トレーニングが必要だということです。
交尾の際、オスは後ろ肢だけで立ち上がり、メスも背中に覆いかぶさるオスを支えるだけの後ろ肢の力がないと、すぐに潰れてしまい成功しない。
だから後ろ肢の筋力が必要不可欠で、小さな頃から筋トレをしなくてはならないのだそうです。
いつか来るその時のためにパンダが筋トレに励む・・・パンダには申し訳ないけれど、笑ってしまいました。
ぬいぐるみのような姿をしていてもやっぱりパンダは獰猛な面を持つ猛獣で、体重も重く噛まれることもあり、飼育員は体力と根気が必要な大変な仕事だと思います。
パンダが好き好きで、努力して飼育係になる夢を叶えた・・・応援したくなる素敵な女性のお話でした。
2013年12月24日火曜日
人生、行きがかりじょう――全部ゆるしてゴキゲンに
バッキー井上著
ミシマ社
君はバッキー井上を知っているか?自称スパイ・忍び・手練れであり、漬物屋・居酒屋の店主でもあり、時折コラムを書く男。その正体は・・・?
皆様、毎日ゴキゲンに過ごしていますか?
私はいつもゴキゲンな乙女でいたいと願っていますが、悲しいニュースを見聞きして胸を痛め、あまりの忙しさにイライラし、体重計を見てはため息をつく日々を送っています。
四六時中ゴキゲンでいることは、なかなか難しいことではないでしょうか。
毎日ゴキゲンに暮らし、周りの人もゴキゲンにさせてしまう・・・そんな人物がこの「人生、行きがかりじょう」の主役であるバッキー井上さんです。
取次を介さず書店と直接取引を行う新進気鋭のミシマ社が、7周年記念の一環として「人生の達人たち」の声を集めた「22世紀を生きる」というシリーズを創刊し、その第一弾として出版されたものが本書です。
バッキーさんが語りかけるようにご自分の人生について語っていて、肩肘張らずに生きていくヒントのようなものがギュッと詰まっています。
本名・井上英男。1959年京都生まれ。
水道屋さんで働いたあと、広告代理店に転職しその後独立。
37歳で漬物屋さんを開業し、さらに居酒屋「百練」も始める。
酒場に関するコラムを書く「酒場ライター」として雑誌に執筆もしている。
自称スパイ・忍び・手練れ・・・
こうやって経歴を並べたところで、正体不明な人物だと思われるだけでバッキーさんの魅力は伝えられません。
歯医者さんでも「バッキーさん」と呼ばれ、待合室で「外人かよ」という目で見られる。
ワンピースを着て踊る画家として「ぴあ」に載った。
ヤクザともめて刺される・・・爪楊枝で。
などなど、過去のエピソードからもバッキーさんの凄さを伝えることはできません。
バッキーさんの凄いところはその生き方にあるのです。
本書を読んで私が感じた彼の印象を一言で言うならば、「西川のりおに似ている!」・・・ではなくて「自分を持っていて尚且つ柔軟な方だなぁ」ということです。
あと、「得体の知れない人物」だけど「24時間バッキーさん」しかも「色気のあるおっさん」でもあります。
(あっ!一言じゃなくなっちゃった。)
気負わず力を抜いて流れに身を任せながらも、どんな時でもどんな場所でもバッキーさんらしく生きている方・・・それがバッキーさんなのです。
誰でも生きていたら、失敗も苦しいことも悲しいこともあります。
それを全部オッケーにしてゴキゲンに生きていく・・・なんて「人間力」の高い方なんでしょうか。
こういう方が人生の成功者なんじゃないかなと私は思うのです。
私も今さらお金持ちにはなれないでしょうが、ゴキゲンに暮らす「人生の成功者」には考え方を変えるだけでなれるような気がします。
年の瀬も押し迫りますます気忙しくなりましたが、バッキーさんのように肩の力を抜いてゴキゲンに毎日過ごしていきたいものです。
ミシマ社
君はバッキー井上を知っているか?自称スパイ・忍び・手練れであり、漬物屋・居酒屋の店主でもあり、時折コラムを書く男。その正体は・・・?
皆様、毎日ゴキゲンに過ごしていますか?
私はいつもゴキゲンな乙女でいたいと願っていますが、悲しいニュースを見聞きして胸を痛め、あまりの忙しさにイライラし、体重計を見てはため息をつく日々を送っています。
四六時中ゴキゲンでいることは、なかなか難しいことではないでしょうか。
毎日ゴキゲンに暮らし、周りの人もゴキゲンにさせてしまう・・・そんな人物がこの「人生、行きがかりじょう」の主役であるバッキー井上さんです。
取次を介さず書店と直接取引を行う新進気鋭のミシマ社が、7周年記念の一環として「人生の達人たち」の声を集めた「22世紀を生きる」というシリーズを創刊し、その第一弾として出版されたものが本書です。
バッキーさんが語りかけるようにご自分の人生について語っていて、肩肘張らずに生きていくヒントのようなものがギュッと詰まっています。
本名・井上英男。1959年京都生まれ。
水道屋さんで働いたあと、広告代理店に転職しその後独立。
37歳で漬物屋さんを開業し、さらに居酒屋「百練」も始める。
酒場に関するコラムを書く「酒場ライター」として雑誌に執筆もしている。
自称スパイ・忍び・手練れ・・・
こうやって経歴を並べたところで、正体不明な人物だと思われるだけでバッキーさんの魅力は伝えられません。
歯医者さんでも「バッキーさん」と呼ばれ、待合室で「外人かよ」という目で見られる。
ワンピースを着て踊る画家として「ぴあ」に載った。
ヤクザともめて刺される・・・爪楊枝で。
などなど、過去のエピソードからもバッキーさんの凄さを伝えることはできません。
バッキーさんの凄いところはその生き方にあるのです。
本書を読んで私が感じた彼の印象を一言で言うならば、「西川のりおに似ている!」・・・ではなくて「自分を持っていて尚且つ柔軟な方だなぁ」ということです。
あと、「得体の知れない人物」だけど「24時間バッキーさん」しかも「色気のあるおっさん」でもあります。
(あっ!一言じゃなくなっちゃった。)
気負わず力を抜いて流れに身を任せながらも、どんな時でもどんな場所でもバッキーさんらしく生きている方・・・それがバッキーさんなのです。
誰でも生きていたら、失敗も苦しいことも悲しいこともあります。
それを全部オッケーにしてゴキゲンに生きていく・・・なんて「人間力」の高い方なんでしょうか。
こういう方が人生の成功者なんじゃないかなと私は思うのです。
私も今さらお金持ちにはなれないでしょうが、ゴキゲンに暮らす「人生の成功者」には考え方を変えるだけでなれるような気がします。
年の瀬も押し迫りますます気忙しくなりましたが、バッキーさんのように肩の力を抜いてゴキゲンに毎日過ごしていきたいものです。
2013年10月27日日曜日
のたうつ者
挟土秀平著
毎日新聞社
「土は人を裏切らない。そうオレは信じている。」なんてかっこいい方なのだろう。惚れてまうやろ!
この表紙の男性をみて欲しい。
鋭い目つき、精悍な横顔、この表紙の写真だけで女性なら誰しも惚れてしまうに違いない。(私だけ?)
本書は、この素敵な男性・左官の挟土秀平(はさどしゅうへい)さんの自伝である。
メディアにも登場する有名な方らしいのだが、この本を読むまで全く存じ上げなかった。
こんな素敵な方を知らなかったなんて、私は今までどこを見ていたんだろう。
挟土秀平さん、1962年生まれ。
矢沢永吉をこよなく愛する男。
岐阜県高山市で左官業を営む家に生まれ、「しゃかんになりたい」と幼稚園の頃から夢見てきた彼は、高校卒業後あえて遠く離れた熊本での厳しい修行の道を選び、技能五輪左官部門で優勝する。(高卒での優勝は初めて)
その後あちこちで修行したあと、飛騨随一の左官会社「挟土組」に、二代目跡取りとして入社する。
父親が社長のその会社で、実力がありながらなぜか不当な待遇を受け、艱難辛苦しながら孤立していく。
その中で「土」に出会い、苦悩の日々を過ごしながらも研究を重ねていき、「職人社秀平組」を立ち上げ独立するのである。
そして、「NEWS23」のセット、「泥の円空」など数々の挑戦的で独創的な作品を生み出していく。
研究ノートの写真が掲載されているのだが、これがまぁ丁寧な文字でびっしりと書かれていて、仕事に対して真剣に取り組んでいるのがよくわかる。
研究熱心な姿勢に加えて、努力を重ねた上で彼の作品が成り立っているのだなと感動する。
本書に掲載されている作品の写真だけでも迫力が伝わって来るのだから、実物はもっとすごいんだろうなぁ。
一度この目で見てみたい。
芸術的な作品や大きな仕事ばかりしている方なのかと思ったのだが、「個人宅の一部屋でも、風呂のタイル張りでも、どんな仕事でも引き受ける」のだそうだ。
狭いマンション暮らしの我が家では、いくら見渡してみても頼めそうな箇所はないのが悲しいのだが。
毎日新聞社
「土は人を裏切らない。そうオレは信じている。」なんてかっこいい方なのだろう。惚れてまうやろ!
この表紙の男性をみて欲しい。
鋭い目つき、精悍な横顔、この表紙の写真だけで女性なら誰しも惚れてしまうに違いない。(私だけ?)
本書は、この素敵な男性・左官の挟土秀平(はさどしゅうへい)さんの自伝である。
メディアにも登場する有名な方らしいのだが、この本を読むまで全く存じ上げなかった。
こんな素敵な方を知らなかったなんて、私は今までどこを見ていたんだろう。
挟土秀平さん、1962年生まれ。
矢沢永吉をこよなく愛する男。
岐阜県高山市で左官業を営む家に生まれ、「しゃかんになりたい」と幼稚園の頃から夢見てきた彼は、高校卒業後あえて遠く離れた熊本での厳しい修行の道を選び、技能五輪左官部門で優勝する。(高卒での優勝は初めて)
その後あちこちで修行したあと、飛騨随一の左官会社「挟土組」に、二代目跡取りとして入社する。
父親が社長のその会社で、実力がありながらなぜか不当な待遇を受け、艱難辛苦しながら孤立していく。
その中で「土」に出会い、苦悩の日々を過ごしながらも研究を重ねていき、「職人社秀平組」を立ち上げ独立するのである。
そして、「NEWS23」のセット、「泥の円空」など数々の挑戦的で独創的な作品を生み出していく。
研究ノートの写真が掲載されているのだが、これがまぁ丁寧な文字でびっしりと書かれていて、仕事に対して真剣に取り組んでいるのがよくわかる。
研究熱心な姿勢に加えて、努力を重ねた上で彼の作品が成り立っているのだなと感動する。
本書に掲載されている作品の写真だけでも迫力が伝わって来るのだから、実物はもっとすごいんだろうなぁ。
一度この目で見てみたい。
芸術的な作品や大きな仕事ばかりしている方なのかと思ったのだが、「個人宅の一部屋でも、風呂のタイル張りでも、どんな仕事でも引き受ける」のだそうだ。
狭いマンション暮らしの我が家では、いくら見渡してみても頼めそうな箇所はないのが悲しいのだが。
2013年10月24日木曜日
きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)
宮藤官九郎著
太田出版
男子高校生の脳内を覗いてみたら・・・思いっきりくだらなかった!!クドカンの自伝的小説。
この笑っていいのかどうか戸惑ってしまう長いタイトル「きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)」は、「あまちゃん」の脚本を担当した宮藤官九郎さんの初小説である。
自伝的小説でもあり、体験した恥ずかしい話を虚実織り交ぜ「虚8実2」ぐらいで書いた「恥小説」でもあるという。
「宝島」を愛読し、「たけし軍団」に入ることを夢見ながら、ビートたけしのオールナイトニッポンにせっせとネタを投稿している少年が、宮城県北部にあるバンカラな高校に入学した。
その高校は、「質実剛健」をモットーにしており、腰から手ぬぐいを下げ、冬でも下駄を履いて登校するという風習が残っていた。
挨拶はもちろん「押忍!」。
そんな高校で、バスケ部に入るが練習はサボりがち、エレキギターを買うが弾けないコードがある、友達は次々に彼女を作っていく・・・
モテたいのにモテない・冴えない少年が、「白鳥おじさん」と交流したり、下ネタを妄想したりしながら成長していく物語である。
男子高校生の脳内を覗いているような小説で、バカバカしい!くっだらない!と思いながらも笑ってしまう面白さがある。
「あまちゃん」と同じく、「夕やけニャンニャン」「ゲームウォッチ」など80年代の小ネタがたくさん散りばめられていて、その年代を知っている者としてはとても懐かしさを感じた。
クドカンの、そして「あまちゃん」の原点が少しだけわかったような気がして、クドカンファンとしてはくだらないながらも読んでよかったと思える一冊だった。
お忙しいでしょうが、続編として「くだらない大学生活」編も書いてくれないかな?
※たくさんある黒歴史の一つを告白しよう。
「ビートたけしのオールナイトニッポン」に、私も恥ずかしながら中学生の時に1度だけ投稿したことがある。聴こうと思っても起きていられず寝てしまうのが常だったので、採用されたかどうかはわからないが、たぶんボツだっただろう。お恥ずかしい出来だったから・・・
投稿したネタは「佐渡ヶ島のマゾ」です。皆様ご内密に。
太田出版
男子高校生の脳内を覗いてみたら・・・思いっきりくだらなかった!!クドカンの自伝的小説。
この笑っていいのかどうか戸惑ってしまう長いタイトル「きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)」は、「あまちゃん」の脚本を担当した宮藤官九郎さんの初小説である。
自伝的小説でもあり、体験した恥ずかしい話を虚実織り交ぜ「虚8実2」ぐらいで書いた「恥小説」でもあるという。
「宝島」を愛読し、「たけし軍団」に入ることを夢見ながら、ビートたけしのオールナイトニッポンにせっせとネタを投稿している少年が、宮城県北部にあるバンカラな高校に入学した。
その高校は、「質実剛健」をモットーにしており、腰から手ぬぐいを下げ、冬でも下駄を履いて登校するという風習が残っていた。
挨拶はもちろん「押忍!」。
そんな高校で、バスケ部に入るが練習はサボりがち、エレキギターを買うが弾けないコードがある、友達は次々に彼女を作っていく・・・
モテたいのにモテない・冴えない少年が、「白鳥おじさん」と交流したり、下ネタを妄想したりしながら成長していく物語である。
男子高校生の脳内を覗いているような小説で、バカバカしい!くっだらない!と思いながらも笑ってしまう面白さがある。
「あまちゃん」と同じく、「夕やけニャンニャン」「ゲームウォッチ」など80年代の小ネタがたくさん散りばめられていて、その年代を知っている者としてはとても懐かしさを感じた。
クドカンの、そして「あまちゃん」の原点が少しだけわかったような気がして、クドカンファンとしてはくだらないながらも読んでよかったと思える一冊だった。
お忙しいでしょうが、続編として「くだらない大学生活」編も書いてくれないかな?
※たくさんある黒歴史の一つを告白しよう。
「ビートたけしのオールナイトニッポン」に、私も恥ずかしながら中学生の時に1度だけ投稿したことがある。聴こうと思っても起きていられず寝てしまうのが常だったので、採用されたかどうかはわからないが、たぶんボツだっただろう。お恥ずかしい出来だったから・・・
投稿したネタは「佐渡ヶ島のマゾ」です。皆様ご内密に。
2013年10月13日日曜日
東京にオリンピックを呼んだ男
高杉良著
光文社
日本の心。おもてなしの心。東京オリンピック招致に尽力した日系2世の物語。
本書は、1964年の東京オリンピック招致に尽力した日系2世・和田勇さんの物語である。
和田勇さん(Fred Isamu Wada)は、1907年(明治40年)にワシントン州で食堂を営む日系1世の両親の元に生まれた。
生活苦のため12歳で農園で働き始め、17歳で青果商に就職した際はその働きぶりが評価されて1年で店長に抜擢される。
その後独立し、努力と才覚で店舗を増やし、日系人の中心的存在となっていった。
太平洋戦争の際は、強制収容所入りを逃れるため、日系人を束ねユタ州で辛い農場開拓に挑戦する。
戦後は再び店を構え、多数の店舗を経営するまでになった。
日系人は日系人同士で付き合っていた当時、ポーカーを覚えたりしながら白人社会に溶け込む努力を重ね、白人たちからも尊敬される存在になっていく。
強力なリーダーシップを有し、経済的に余裕が出来ても身を粉にして働く、困っている人を見ると助けずにはいられない、祖国日本を愛し続ける・・・そんな人物なのである。
だからこそ、東京オリンピック招致に向けて協力を求められたのだろう。
私財をなげうち全身全霊を打ち込み「アジアで最初のオリンピックを開催する」という夢に向かって邁進するのである。
またその後は、米国のためにロス・オリンピックの誘致にも尽力していく。
困窮している時に知り合いの結婚祝いとして2カラットのダイヤの指輪をポンとプレゼント。
若いメキシコ女を2回買ったことがあると告白。
借金がある身ながら6000ドルを二つ返事で貸す。
豪快エピソードには事欠かないが、奥様はどんなに大変だっただろうと思う。
南米での招致活動にも同行し、内助の功を発揮する。
この奥様がいなかったら東京オリンピックはなかったのかもしれない。
これは、一人の尊敬すべきリーダーの話でもあるが、強くしなやかな奥様の物語でもある。
ある方が、喜寿を迎えた和田さんに会った印象を「古武士のような人」だと表現していた。
「日本の心」「おもてなしの心」を持ち、献身的に奉仕する日系人がいたことを日本人として誇りに思う。
2020年のオリンピックの開催地が東京に決まり、きっと和田さんも天国でお喜びになっていることだろう。
※本書は、1992年に講談社から刊行された「祖国へ、熱き心を」を、2020年のオリンピック招致に絡み、光文社よりソフトカバーで再出版されたものです。
光文社
日本の心。おもてなしの心。東京オリンピック招致に尽力した日系2世の物語。
本書は、1964年の東京オリンピック招致に尽力した日系2世・和田勇さんの物語である。
和田勇さん(Fred Isamu Wada)は、1907年(明治40年)にワシントン州で食堂を営む日系1世の両親の元に生まれた。
生活苦のため12歳で農園で働き始め、17歳で青果商に就職した際はその働きぶりが評価されて1年で店長に抜擢される。
その後独立し、努力と才覚で店舗を増やし、日系人の中心的存在となっていった。
太平洋戦争の際は、強制収容所入りを逃れるため、日系人を束ねユタ州で辛い農場開拓に挑戦する。
戦後は再び店を構え、多数の店舗を経営するまでになった。
日系人は日系人同士で付き合っていた当時、ポーカーを覚えたりしながら白人社会に溶け込む努力を重ね、白人たちからも尊敬される存在になっていく。
強力なリーダーシップを有し、経済的に余裕が出来ても身を粉にして働く、困っている人を見ると助けずにはいられない、祖国日本を愛し続ける・・・そんな人物なのである。
だからこそ、東京オリンピック招致に向けて協力を求められたのだろう。
私財をなげうち全身全霊を打ち込み「アジアで最初のオリンピックを開催する」という夢に向かって邁進するのである。
またその後は、米国のためにロス・オリンピックの誘致にも尽力していく。
困窮している時に知り合いの結婚祝いとして2カラットのダイヤの指輪をポンとプレゼント。
若いメキシコ女を2回買ったことがあると告白。
借金がある身ながら6000ドルを二つ返事で貸す。
豪快エピソードには事欠かないが、奥様はどんなに大変だっただろうと思う。
南米での招致活動にも同行し、内助の功を発揮する。
この奥様がいなかったら東京オリンピックはなかったのかもしれない。
これは、一人の尊敬すべきリーダーの話でもあるが、強くしなやかな奥様の物語でもある。
ある方が、喜寿を迎えた和田さんに会った印象を「古武士のような人」だと表現していた。
「日本の心」「おもてなしの心」を持ち、献身的に奉仕する日系人がいたことを日本人として誇りに思う。
2020年のオリンピックの開催地が東京に決まり、きっと和田さんも天国でお喜びになっていることだろう。
※本書は、1992年に講談社から刊行された「祖国へ、熱き心を」を、2020年のオリンピック招致に絡み、光文社よりソフトカバーで再出版されたものです。
2013年4月19日金曜日
フレンチの侍
フレンチの侍
市川知志著
朝日新聞出版
「侍」という名にふさわしいフレンチシェフの生き方。
フレンチレストランといえば、舌を噛みそうなメニューが並び、値段が高くかしこまった場・気軽に行けないお店というイメージがある。
しかし、本書の著者・市川知志氏 のお店「銀座シェ・トモ」では、銀座という場所ながら夜のコースで5780円だという。
決して安くはないが、庶民でも手が届く範囲の値段設定ではないだろうか。
市川氏は1960年東京に生まれ、小さい頃から料理には並々ならぬ関心があったという。
高校時代にバイトしそのまま就職した洋食屋のシェフから、プロ向けの西洋料理の教科書をもらい、それがきっかけでフランス料理に傾倒していく。
本書は、フランス修行を経て自分の店を持ち、有名シェフとなった現在までを綴った市川氏の自伝である。
フランスではレストランの社会的地位が高く、三つ星シェフともなれば医者や弁護士より尊敬される立場だという。
市川氏は、言葉の壁を自力で乗り越え、人種差別のような屈辱に耐え、対人関係に悩みながら、田舎のレストランや星付きレストランを渡り歩き厳しい修行を続けた。
そして、個人主義の国・フランスで家族以上に親切にしてくれた人や、トロワグロなど有名店のシェフたちと出会い、交流を深めていく。
その後帰国し、惣菜店やレストランでの修行を経て、ついに念願の自分の店を持つことになる。
フランスでの孤独と不安、店の経営者となった際のプレッシャー、ときには苛立ち従業員を蹴っ飛ばすこともあったと、気負わず赤裸々に明かす姿勢に好感が持てる。
惣菜店での商品開発の際は、
・ショーケースに長時間並べるため「経時変化」の少ないもの
・菌が増殖しない工夫
・原価は廃棄コストを考え20%以下に
と、制約の厳しい中奮闘していく。
本書の魅力の一つでもあるそんな業界裏話も興味深い。
客がレストランに求めるものは様々だ。
接待で緊張し、料理を味わう状態ではないかもしれない。
反対に毎日接待され、本当はあっさりしたものが食べたいかもしれない。
もしかすると、一世一代のプロポーズを考えているかもしれない。
シェフが作りたいものと、それぞれの客が求めるものは違うのだ。
著者はその点を考慮しつつ、前衛的な料理から基本の古典料理まで試行錯誤しながら客のニーズを読み取っていく。
まさに「フレンチの侍」の名にふさわしい方だった。
市川知志著
朝日新聞出版
「侍」という名にふさわしいフレンチシェフの生き方。
フレンチレストランといえば、舌を噛みそうなメニューが並び、値段が高くかしこまった場・気軽に行けないお店というイメージがある。
しかし、本書の著者・市川知志氏 のお店「銀座シェ・トモ」では、銀座という場所ながら夜のコースで5780円だという。
決して安くはないが、庶民でも手が届く範囲の値段設定ではないだろうか。
市川氏は1960年東京に生まれ、小さい頃から料理には並々ならぬ関心があったという。
高校時代にバイトしそのまま就職した洋食屋のシェフから、プロ向けの西洋料理の教科書をもらい、それがきっかけでフランス料理に傾倒していく。
本書は、フランス修行を経て自分の店を持ち、有名シェフとなった現在までを綴った市川氏の自伝である。
フランスではレストランの社会的地位が高く、三つ星シェフともなれば医者や弁護士より尊敬される立場だという。
市川氏は、言葉の壁を自力で乗り越え、人種差別のような屈辱に耐え、対人関係に悩みながら、田舎のレストランや星付きレストランを渡り歩き厳しい修行を続けた。
そして、個人主義の国・フランスで家族以上に親切にしてくれた人や、トロワグロなど有名店のシェフたちと出会い、交流を深めていく。
その後帰国し、惣菜店やレストランでの修行を経て、ついに念願の自分の店を持つことになる。
フランスでの孤独と不安、店の経営者となった際のプレッシャー、ときには苛立ち従業員を蹴っ飛ばすこともあったと、気負わず赤裸々に明かす姿勢に好感が持てる。
惣菜店での商品開発の際は、
・ショーケースに長時間並べるため「経時変化」の少ないもの
・菌が増殖しない工夫
・原価は廃棄コストを考え20%以下に
と、制約の厳しい中奮闘していく。
本書の魅力の一つでもあるそんな業界裏話も興味深い。
客がレストランに求めるものは様々だ。
接待で緊張し、料理を味わう状態ではないかもしれない。
反対に毎日接待され、本当はあっさりしたものが食べたいかもしれない。
もしかすると、一世一代のプロポーズを考えているかもしれない。
シェフが作りたいものと、それぞれの客が求めるものは違うのだ。
著者はその点を考慮しつつ、前衛的な料理から基本の古典料理まで試行錯誤しながら客のニーズを読み取っていく。
まさに「フレンチの侍」の名にふさわしい方だった。
2013年3月19日火曜日
赦す人
赦す人
大崎善生著
新潮社
団鬼六の凄まじくもやさしい人生。
SM界の重鎮、団鬼六(1931-2011)。
あまりおおっぴらには読まない小説、それもその中の一つのジャンルであるSM小説で名を成し、
世の中にこれだけ受け入れられたのはなぜだろうか。
本書は、団鬼六本人が同行するという贅沢な取材旅行に赴き、彼の人生を探っていく評伝である。
団鬼六は、昭和6年滋賀県彦根市に生まれた。
映画館のオーナーの孫としてまた元女優の息子として上流階級のような少年時代を過ごし、
定職にも就かず相場に明け暮れ家出を繰り返す父に「人生は甘いものだ」と様々な勝負事を教え込まれて育つ。
大学卒業後は、まさにジェットコースター人生を歩んでいく。
シナリオライター、英語教師、小説執筆、雑誌創刊、映画製作、鬼プロの設立と倒産・・・
と目まぐるしく職を替え、
お金があればあっただけ散財し、なくても借金してまで散財する。
それも周りを喜ばせるために。
最盛期には月に500枚もの原稿をこなしていたにもかかわらず、4億円で建築した鬼六御殿を追われたりと、お金と女性には生涯にわたって翻弄され続けるのだ。
著者は愛と尊敬の念を抱きながら、光と影、天国と地獄を交互に経験していくこの希代の作家の虚実入り混じった言動を少しづつ読み解いていく。
25歳で書いてみようと原稿用紙に向かい、下書きなしにいきなり書き出して最後までスラスラ書いた作品が新人賞の最終候補にまで残ったというエピソードには驚いた。。
著者は、そんな鬼六の話を聞いて絶対音感ならぬ「絶対小説感」という言葉が頭に浮かんだという。
読み終わり、この激しい人生を歩んだ男にすっかり魅了されてしまった。
自伝エッセイで面白おかしく人生を振り返っていたが、その裏には筆舌に尽くしがたい苦悩が隠されていたのだ。
なんとサービス精神が旺盛な人なんだろうか。
なんと情け深い人なんだろうか。
騙され裏切られそして傷つけられてもなお人間を愛し続け、赦す・・・
彼の度量の大きさ、懐の深さには驚くばかりだ。
破天荒な人。
人生を遊び尽くした人。
この優しくて憎めない人は、今でも天国で周りの人を喜ばせ続けているのだろうか。
※参考:抱腹絶倒の自伝エッセイ「悦楽王」
大崎善生著
新潮社
団鬼六の凄まじくもやさしい人生。
SM界の重鎮、団鬼六(1931-2011)。
あまりおおっぴらには読まない小説、それもその中の一つのジャンルであるSM小説で名を成し、
世の中にこれだけ受け入れられたのはなぜだろうか。
本書は、団鬼六本人が同行するという贅沢な取材旅行に赴き、彼の人生を探っていく評伝である。
団鬼六は、昭和6年滋賀県彦根市に生まれた。
映画館のオーナーの孫としてまた元女優の息子として上流階級のような少年時代を過ごし、
定職にも就かず相場に明け暮れ家出を繰り返す父に「人生は甘いものだ」と様々な勝負事を教え込まれて育つ。
大学卒業後は、まさにジェットコースター人生を歩んでいく。
シナリオライター、英語教師、小説執筆、雑誌創刊、映画製作、鬼プロの設立と倒産・・・
と目まぐるしく職を替え、
お金があればあっただけ散財し、なくても借金してまで散財する。
それも周りを喜ばせるために。
最盛期には月に500枚もの原稿をこなしていたにもかかわらず、4億円で建築した鬼六御殿を追われたりと、お金と女性には生涯にわたって翻弄され続けるのだ。
著者は愛と尊敬の念を抱きながら、光と影、天国と地獄を交互に経験していくこの希代の作家の虚実入り混じった言動を少しづつ読み解いていく。
25歳で書いてみようと原稿用紙に向かい、下書きなしにいきなり書き出して最後までスラスラ書いた作品が新人賞の最終候補にまで残ったというエピソードには驚いた。。
著者は、そんな鬼六の話を聞いて絶対音感ならぬ「絶対小説感」という言葉が頭に浮かんだという。
読み終わり、この激しい人生を歩んだ男にすっかり魅了されてしまった。
自伝エッセイで面白おかしく人生を振り返っていたが、その裏には筆舌に尽くしがたい苦悩が隠されていたのだ。
なんとサービス精神が旺盛な人なんだろうか。
なんと情け深い人なんだろうか。
騙され裏切られそして傷つけられてもなお人間を愛し続け、赦す・・・
彼の度量の大きさ、懐の深さには驚くばかりだ。
破天荒な人。
人生を遊び尽くした人。
この優しくて憎めない人は、今でも天国で周りの人を喜ばせ続けているのだろうか。
※参考:抱腹絶倒の自伝エッセイ「悦楽王」
2012年10月18日木曜日
文庫 江戸っ子芸者一代記
文庫 江戸っ子芸者一代記
中村喜春著
草思社文庫
大正2年生まれの江戸っ子芸者。旺盛な好奇心で英語をマスターし、たくさんの要人に愛された著者の自叙伝。
著者の 中村喜春(きはる)さん(1913-2004)は、祖父が病院長という比較的裕福な家庭で育つ。
小さい頃から花柳界に憧れ、「どうしても芸者になりたい」と言い続けた末、自前(借金なし)で新橋の芸者になる。
外国人のお客様が増え、「伝統芸能を英語で説明したい」一心で専門学校に通い英語をマスターする。
朝は6時半起床で英語の学校、午後は長唄の稽古に通い、その後支度をして6時にはお座敷に出るという毎日を過ごし、英語が話せる芸者として有名になっていく。
本書は、そんな 喜春さん の生い立ちから外交官の夫と結婚しインド滞在までを綴った自叙伝である。
その当時新橋だけでも、12歳くらいから60歳くらいまで1200人の芸者がいたという。
芸者はいつも美しく、世間の苦労を知らない優雅な顔をしていることが理想。
そのため、お客様の前で物を食べない、自分から呑みたいような態度をとらない、芸者同士が私語を交わさないなど、ホステスさんとは違う独特の厳しいルールで教育される。
その上、床の間の掛け軸、花器、蒔絵のお椀始め食器類など、一流のものに囲まれ自然に目が肥えていく。
また、文士、皇族、財界人、政治家、海外の要人と毎日交流しているのだから、芸者達も洗練されていくのだろう。
「花嫁学校に通うより3ヶ月芸者に出るほうがプラス」という著者の言葉になるほどと思い、芸者出身の妻を持つ有名人が多いことも納得する。
喜春さん は、お客様と一流ホテルなどあちこちに出掛け、当時の一般女性とは到底比較にならない行動範囲・知識・人脈と、持ち前の好奇心で様々なことをどんどん吸収していく。
・警察に呼び出されあらぬ疑いをかけられた時、当時の米内首相と有田外相と知り合いだったため「首相官邸と外務省に電話を掛けさせて」と言ったら、警官の態度がころっと変わった話。
・英国の貴族についた尊大な通訳が、あまりに無知なため我慢ならず啖呵を切った話。
読んでいて、一本筋が通り惚れ惚れするような思い切りのよさ・行動力に、「きっぷがいい」「姉御」という言葉がピッタリの 喜春さん に惹かれてしまう。
「どこまでも喜春姐さんについて行きます」と言いたくなるような方だ。
興味深い当時の風習や、耳慣れない業界用語も満載で、いつまでもお話を伺っていたいと思える一冊だった。
戦後編、アメリカ編など続編が出ているようなのでぜひ読んでみたい。
※本書は1983年に刊行されたものの文庫化です。
中村喜春著
草思社文庫
大正2年生まれの江戸っ子芸者。旺盛な好奇心で英語をマスターし、たくさんの要人に愛された著者の自叙伝。
著者の 中村喜春(きはる)さん(1913-2004)は、祖父が病院長という比較的裕福な家庭で育つ。
小さい頃から花柳界に憧れ、「どうしても芸者になりたい」と言い続けた末、自前(借金なし)で新橋の芸者になる。
外国人のお客様が増え、「伝統芸能を英語で説明したい」一心で専門学校に通い英語をマスターする。
朝は6時半起床で英語の学校、午後は長唄の稽古に通い、その後支度をして6時にはお座敷に出るという毎日を過ごし、英語が話せる芸者として有名になっていく。
本書は、そんな 喜春さん の生い立ちから外交官の夫と結婚しインド滞在までを綴った自叙伝である。
その当時新橋だけでも、12歳くらいから60歳くらいまで1200人の芸者がいたという。
芸者はいつも美しく、世間の苦労を知らない優雅な顔をしていることが理想。
そのため、お客様の前で物を食べない、自分から呑みたいような態度をとらない、芸者同士が私語を交わさないなど、ホステスさんとは違う独特の厳しいルールで教育される。
その上、床の間の掛け軸、花器、蒔絵のお椀始め食器類など、一流のものに囲まれ自然に目が肥えていく。
また、文士、皇族、財界人、政治家、海外の要人と毎日交流しているのだから、芸者達も洗練されていくのだろう。
「花嫁学校に通うより3ヶ月芸者に出るほうがプラス」という著者の言葉になるほどと思い、芸者出身の妻を持つ有名人が多いことも納得する。
喜春さん は、お客様と一流ホテルなどあちこちに出掛け、当時の一般女性とは到底比較にならない行動範囲・知識・人脈と、持ち前の好奇心で様々なことをどんどん吸収していく。
・警察に呼び出されあらぬ疑いをかけられた時、当時の米内首相と有田外相と知り合いだったため「首相官邸と外務省に電話を掛けさせて」と言ったら、警官の態度がころっと変わった話。
・英国の貴族についた尊大な通訳が、あまりに無知なため我慢ならず啖呵を切った話。
読んでいて、一本筋が通り惚れ惚れするような思い切りのよさ・行動力に、「きっぷがいい」「姉御」という言葉がピッタリの 喜春さん に惹かれてしまう。
「どこまでも喜春姐さんについて行きます」と言いたくなるような方だ。
興味深い当時の風習や、耳慣れない業界用語も満載で、いつまでもお話を伺っていたいと思える一冊だった。
戦後編、アメリカ編など続編が出ているようなのでぜひ読んでみたい。
※本書は1983年に刊行されたものの文庫化です。
2012年8月28日火曜日
僕はいかにして指揮者になったのか
僕はいかにして指揮者になったのか
佐渡裕著
新潮社
「大人になったらベルリン・フィルの指揮者になる」小学校の卒業文集に書いた夢を実現させた指揮者・佐渡裕さんの自叙伝。豪快な性格の著者のコンサートに行ってみたくなる一冊。
本書は、京都・太秦で生まれ育ち、「題名のない音楽会」の司会をされている世界的指揮者・佐渡裕さんが関西弁で語った楽しい自叙伝である。
声楽を勉強していた母親の膝の上で音感教育を受け、2歳頃からピアノを習い、クラシックレコードを聴きながら育った著者は「耳の良さ」を自然と身につけることができたという。
小学6年生で始めたフルートでも才能を発揮し、京都市立芸術大学音楽学部フルート科に入学する。
大学時代に指揮者になりたいと思うが、そのままフルート科を卒業する。
そして、大学を卒業し関西二期会の裏方やアマチュアの指揮等を掛け持ちしていた著者に転機が訪れる。
ボストン郊外で行われている「タングルウッド音楽祭」に志願し、バーンスタインと小澤征爾に「面白いヤツがいる」と見出されたのだ。
そこから著者の指揮者としての快進撃が続く。
それにしても、バーンスタインと小澤征爾の懐の深さ・優しさには驚き感動する。
著者は指揮科を卒業せず、独学で指揮を勉強したことから自らを「音楽の雑草」と謙遜するのだが、一般人の私から見たら音楽エリートである。
才能があったからこそ、見出され今の地位を築いたのだと思う。
音楽家にとって、音楽の知識よりも人の心に訴える者を持っているかどうかが大事なのだと著者は言う。
そして、聴く側も知識よりもまずは音楽を好きになる事が重要であるという。
「佐渡流演奏会の楽しみ方」で、退屈になったら出番のないシンバル奏者に注目したり、ソロの前で緊張している奏者を見れば楽しめると肩ひじ張らない調子で教えてくれる。
クラシック音楽は敷居が高い、退屈だと思う人でも楽しめる本である。
そして、読み終わると身長187cmという大柄な著者がどういう風に指揮をし、どんな音楽を聞かせてくれるのか興味を持ち、コンサートに足を運んでみたくなる一冊であった。
佐渡裕著
新潮社
「大人になったらベルリン・フィルの指揮者になる」小学校の卒業文集に書いた夢を実現させた指揮者・佐渡裕さんの自叙伝。豪快な性格の著者のコンサートに行ってみたくなる一冊。
本書は、京都・太秦で生まれ育ち、「題名のない音楽会」の司会をされている世界的指揮者・佐渡裕さんが関西弁で語った楽しい自叙伝である。
声楽を勉強していた母親の膝の上で音感教育を受け、2歳頃からピアノを習い、クラシックレコードを聴きながら育った著者は「耳の良さ」を自然と身につけることができたという。
小学6年生で始めたフルートでも才能を発揮し、京都市立芸術大学音楽学部フルート科に入学する。
大学時代に指揮者になりたいと思うが、そのままフルート科を卒業する。
そして、大学を卒業し関西二期会の裏方やアマチュアの指揮等を掛け持ちしていた著者に転機が訪れる。
ボストン郊外で行われている「タングルウッド音楽祭」に志願し、バーンスタインと小澤征爾に「面白いヤツがいる」と見出されたのだ。
そこから著者の指揮者としての快進撃が続く。
それにしても、バーンスタインと小澤征爾の懐の深さ・優しさには驚き感動する。
著者は指揮科を卒業せず、独学で指揮を勉強したことから自らを「音楽の雑草」と謙遜するのだが、一般人の私から見たら音楽エリートである。
才能があったからこそ、見出され今の地位を築いたのだと思う。
音楽家にとって、音楽の知識よりも人の心に訴える者を持っているかどうかが大事なのだと著者は言う。
そして、聴く側も知識よりもまずは音楽を好きになる事が重要であるという。
「佐渡流演奏会の楽しみ方」で、退屈になったら出番のないシンバル奏者に注目したり、ソロの前で緊張している奏者を見れば楽しめると肩ひじ張らない調子で教えてくれる。
クラシック音楽は敷居が高い、退屈だと思う人でも楽しめる本である。
そして、読み終わると身長187cmという大柄な著者がどういう風に指揮をし、どんな音楽を聞かせてくれるのか興味を持ち、コンサートに足を運んでみたくなる一冊であった。
2012年8月1日水曜日
英国大使の御庭番
駐日英国大使館専属庭師の孤軍奮闘25年日記
英国大使の御庭番 傷ついた日本を桜で癒したい!
濱野義弘著
光文社
日本で最後の英国大使館の専属庭師として働いた著者の25年。
町の植木屋さんとして働いていた25歳の青年が、「英国大使館住込庭師募集」という新聞広告を見つけた。
Tシャツにジーンズ姿で気軽に面接を受けに行き、その後25年にわたって大使館の御庭番として働いた著者の自伝である。
大使館の敷地1万坪のうち、大使公邸の1千坪を任された著者の目に飛び込んできたのは、荒れ果てた庭だった。
それを見た著者は、元の美しさを取り戻したいと俄然やる気になるのだった。
英国大使館は武家屋敷跡に建てられたためか、人骨・古銭など様々なものが出土したり、大使夫人に「周りから丸見えになるからあまり木を切るな」と言われながら、著者は孤軍奮闘していく。
日本の企業と違い、ゆるい雰囲気の中一人で働いているため、サボろうと思えばいくらでもサボれるような状況で、著者は懸命に働く。
夜は夜で、花の管理の本を読み漁る。
もともと生真面目な方なのだろう。
かつて弟子として働いていた頃の回想で、「師匠が行く現場なら、賃金がもらえなくても一緒に仕事をしたい。この人とやれば腕が上げられると心から思える人でした」と著者は言う。
その文章を読んだ時、私は心を鷲掴みにされてしまった。
職人の鑑ではないか!!
10年かけて満足いく庭になったと思ったら新しい大使夫人に、「今あるもの全て引っこ抜いて、新しいバラの花壇をすぐに作ってください」と言われてしまう。
自分の思い通りの庭造りができないジレンマの中、著者は精神的にも成長していく。
私生活でも苦労されたが、「庭師は年中無休の仕事だ」と言いながら、都会のど真ん中にある「自然の王国」を維持してきた著者に感動する。
この本を読んで、著者の魅力にとても惹かれてしまったのだが、やはり私は「男の髪の毛は短ければ短い方がいい。ベストは禿頭」と考える。
表紙でにっこりほほ笑む著者の長髪が、坊主頭であったら、もっとかっこいいのにと思う。
英国大使の御庭番 傷ついた日本を桜で癒したい!
濱野義弘著
光文社
日本で最後の英国大使館の専属庭師として働いた著者の25年。
町の植木屋さんとして働いていた25歳の青年が、「英国大使館住込庭師募集」という新聞広告を見つけた。
Tシャツにジーンズ姿で気軽に面接を受けに行き、その後25年にわたって大使館の御庭番として働いた著者の自伝である。
大使館の敷地1万坪のうち、大使公邸の1千坪を任された著者の目に飛び込んできたのは、荒れ果てた庭だった。
それを見た著者は、元の美しさを取り戻したいと俄然やる気になるのだった。
英国大使館は武家屋敷跡に建てられたためか、人骨・古銭など様々なものが出土したり、大使夫人に「周りから丸見えになるからあまり木を切るな」と言われながら、著者は孤軍奮闘していく。
日本の企業と違い、ゆるい雰囲気の中一人で働いているため、サボろうと思えばいくらでもサボれるような状況で、著者は懸命に働く。
夜は夜で、花の管理の本を読み漁る。
もともと生真面目な方なのだろう。
かつて弟子として働いていた頃の回想で、「師匠が行く現場なら、賃金がもらえなくても一緒に仕事をしたい。この人とやれば腕が上げられると心から思える人でした」と著者は言う。
その文章を読んだ時、私は心を鷲掴みにされてしまった。
職人の鑑ではないか!!
10年かけて満足いく庭になったと思ったら新しい大使夫人に、「今あるもの全て引っこ抜いて、新しいバラの花壇をすぐに作ってください」と言われてしまう。
自分の思い通りの庭造りができないジレンマの中、著者は精神的にも成長していく。
私生活でも苦労されたが、「庭師は年中無休の仕事だ」と言いながら、都会のど真ん中にある「自然の王国」を維持してきた著者に感動する。
この本を読んで、著者の魅力にとても惹かれてしまったのだが、やはり私は「男の髪の毛は短ければ短い方がいい。ベストは禿頭」と考える。
表紙でにっこりほほ笑む著者の長髪が、坊主頭であったら、もっとかっこいいのにと思う。
2012年7月18日水曜日
お待ちになって、元帥閣下 自伝 笹本恒子の97年
お待ちになって、元帥閣下 自伝 笹本恒子の97年
笹本恒子著
出版社:毎日新聞社
日本初の女性報道カメラマンの自伝。御年97歳!!
大正3年生まれの著者。
画家を目指し絵画の勉強をしていた時、知り合いの新聞記者から新聞に掲載するイラストのカットを頼まれる。
その縁で、「写真協会」の報道カメラマンとなる。ときは日中戦争の真っ最中。
フィルムの入れ方も知らず、「引っ込み思案のあなたには無理じゃないかしら」と友人に言われながらも奮闘する。
昭和25年には日本で初めての写真の個展を開く。
そして平成22年には、96歳で写真展を開催した。
この本は、そんな著者の人生を振り返った自伝である。
「日本初の女性報道カメラマン」と聞けば、勇ましいとか男勝りというイメージが浮かんでしまう。
しかし、この方は表紙の写真そのままの上品で可愛らしいおばあさまという感じの語り口調で、優しそうなお人柄がよくわかる。
「おばあちゃん」や「おばあさん」ではなく、やっぱり「おばあさま」という感じなのである。
関東大震災に始まって、2.26事件、日中戦争・太平洋戦争・・・日本史の教科書のような出来事が続く。
撮影した有名人も、川端康成、浅沼稲次郎、井伏鱒二、越路吹雪、三木武吉、マッカーサー・・・とやはり昭和史を彩る人物が多数挙げられている。
そんな時代に「職業婦人」として、しかも男社会に「日本人女性初の報道カメラマン」として仕事するということは、どんなにか大変だったろうと思う。
しかし著者は、「お買い物に行ってまいりました。」と同じような調子で、さらりと苦労を語っているのだ。
そして、題名にもなったエピソード。
マッカーサー元帥夫妻の写真を撮ろうとした時、フラッシュが発光しなかったのだ。
困った著者は、「エクスキューズミー、ここでお写真を撮らせていただけませんか」と頼み、立ち止まってもらう。
「天皇陛下とマッカーサーには声をかけるのは厳禁」の時代である。
優しそうな笑顔の中に、人に迷惑かけたくない、礼儀正しい、義理がたい、そんな強い芯が通っているような方だった。
いつまでもお話を聞いていたいような気分になる本である。
ただ、弱音を吐くような方ではないのだが、苦しい・悲しい等のマイナスの感情もお聞きしてみたいなと思った。
笹本恒子著
出版社:毎日新聞社
日本初の女性報道カメラマンの自伝。御年97歳!!
大正3年生まれの著者。
画家を目指し絵画の勉強をしていた時、知り合いの新聞記者から新聞に掲載するイラストのカットを頼まれる。
その縁で、「写真協会」の報道カメラマンとなる。ときは日中戦争の真っ最中。
フィルムの入れ方も知らず、「引っ込み思案のあなたには無理じゃないかしら」と友人に言われながらも奮闘する。
昭和25年には日本で初めての写真の個展を開く。
そして平成22年には、96歳で写真展を開催した。
この本は、そんな著者の人生を振り返った自伝である。
「日本初の女性報道カメラマン」と聞けば、勇ましいとか男勝りというイメージが浮かんでしまう。
しかし、この方は表紙の写真そのままの上品で可愛らしいおばあさまという感じの語り口調で、優しそうなお人柄がよくわかる。
「おばあちゃん」や「おばあさん」ではなく、やっぱり「おばあさま」という感じなのである。
関東大震災に始まって、2.26事件、日中戦争・太平洋戦争・・・日本史の教科書のような出来事が続く。
撮影した有名人も、川端康成、浅沼稲次郎、井伏鱒二、越路吹雪、三木武吉、マッカーサー・・・とやはり昭和史を彩る人物が多数挙げられている。
そんな時代に「職業婦人」として、しかも男社会に「日本人女性初の報道カメラマン」として仕事するということは、どんなにか大変だったろうと思う。
しかし著者は、「お買い物に行ってまいりました。」と同じような調子で、さらりと苦労を語っているのだ。
そして、題名にもなったエピソード。
マッカーサー元帥夫妻の写真を撮ろうとした時、フラッシュが発光しなかったのだ。
困った著者は、「エクスキューズミー、ここでお写真を撮らせていただけませんか」と頼み、立ち止まってもらう。
「天皇陛下とマッカーサーには声をかけるのは厳禁」の時代である。
優しそうな笑顔の中に、人に迷惑かけたくない、礼儀正しい、義理がたい、そんな強い芯が通っているような方だった。
いつまでもお話を聞いていたいような気分になる本である。
ただ、弱音を吐くような方ではないのだが、苦しい・悲しい等のマイナスの感情もお聞きしてみたいなと思った。
2012年6月24日日曜日
100年前の女の子
100年前の女の子
船曳由美著
講談社
100年前に女の子だった著者のお母さんの生活をいきいきと語り下ろした一冊。民俗学的にも興味深い本であった。
明治42年、館林に近い栃木県高松村に「テイ」という女の子が生まれた。
実の母とは生後1カ月で生き別れとなり、あちこちの家に里子に出される。
小学校入学時に生家に戻り、祖母や、後妻に入った継母に育てられる。
そんなテイの幼少期を中心とした半生が綴られている本である。
四季折々の自然と共に生きていく村人たちの様子が、いきいきと描かれている。
初めは、おばあちゃんの昔話を聞いている感じで読んでいた私も、そのうち村の暮らしに引き込まれて行く。
初夏の茶摘みから始まり、お盆となり、お正月を迎え、満開のお花見・・・そしてまた次の一年が繰り返される村の暮らし。
そこには、昔から語り継がれたしきたりがあり、様々な行事があり、そして、多数の神様が見守っているという暮らしであった。
村を訪れる富山の薬売り、紅売り、物乞い・・・。
棺桶が「座棺」であった、修学旅行で日本橋の三越に行きお土産まで貰って帰った、
など、民俗学的な観点からも非常に興味深い。
初めて聞く話ではあるが、どこか懐かしさを感じる。
これが、日本の原風景なのかもしれない。
1909年生まれの テイ が、幼い頃の事を語り始めたのは、米寿を過ぎた頃からだという。
「それまでは、重い石で心の奥に封印しいるかのように幼い頃の思い出を決して話さなかった。」
冷たくて固い、出入りの男衆の背中ににおんぶされて出かけるときには、必ずどこかの家に連れて行かれるときなのであった。
そのため、大人になってからも、寝床でうつぶせに寝ると、夢の中で下の布団があの固い背中に変わっていくので、決してうつぶせに寝ることができなかったという。
90近くになるまで、幼い頃の事を口に出すことができなかった程の辛さ。
100歳になって「わたしにはおっ母がいなかった」と泣いて娘に抱きつく テイ の思い。
それらを思うと胸がつまる。
100年前の少女の健気さ・我慢強さ・聡明さに感心し、自分を省みて、恥ずかしくなる。
そして何より、著者の母親への愛の深さに感動する物語であった。
講談社
100年前に女の子だった著者のお母さんの生活をいきいきと語り下ろした一冊。民俗学的にも興味深い本であった。
明治42年、館林に近い栃木県高松村に「テイ」という女の子が生まれた。
実の母とは生後1カ月で生き別れとなり、あちこちの家に里子に出される。
小学校入学時に生家に戻り、祖母や、後妻に入った継母に育てられる。
そんなテイの幼少期を中心とした半生が綴られている本である。
四季折々の自然と共に生きていく村人たちの様子が、いきいきと描かれている。
初めは、おばあちゃんの昔話を聞いている感じで読んでいた私も、そのうち村の暮らしに引き込まれて行く。
初夏の茶摘みから始まり、お盆となり、お正月を迎え、満開のお花見・・・そしてまた次の一年が繰り返される村の暮らし。
そこには、昔から語り継がれたしきたりがあり、様々な行事があり、そして、多数の神様が見守っているという暮らしであった。
村を訪れる富山の薬売り、紅売り、物乞い・・・。
棺桶が「座棺」であった、修学旅行で日本橋の三越に行きお土産まで貰って帰った、
など、民俗学的な観点からも非常に興味深い。
初めて聞く話ではあるが、どこか懐かしさを感じる。
これが、日本の原風景なのかもしれない。
1909年生まれの テイ が、幼い頃の事を語り始めたのは、米寿を過ぎた頃からだという。
「それまでは、重い石で心の奥に封印しいるかのように幼い頃の思い出を決して話さなかった。」
冷たくて固い、出入りの男衆の背中ににおんぶされて出かけるときには、必ずどこかの家に連れて行かれるときなのであった。
そのため、大人になってからも、寝床でうつぶせに寝ると、夢の中で下の布団があの固い背中に変わっていくので、決してうつぶせに寝ることができなかったという。
90近くになるまで、幼い頃の事を口に出すことができなかった程の辛さ。
100歳になって「わたしにはおっ母がいなかった」と泣いて娘に抱きつく テイ の思い。
それらを思うと胸がつまる。
100年前の少女の健気さ・我慢強さ・聡明さに感心し、自分を省みて、恥ずかしくなる。
そして何より、著者の母親への愛の深さに感動する物語であった。
2012年5月9日水曜日
昆虫標本商万国数奇譚
昆虫標本商万国数奇譚
川村俊一著
河出書房新社
蝶に魅せられ、追い求めて世界各地を訪ね歩く。著者の熱い想いが伝わってくる一冊。
1960年生まれの著者は、幼い頃から蝶の魅力に取りつかれて育つ。
その後、世界各国の「珍蝶」求めて駆け巡る昆虫商となった著者が、半生を振り返りながら蝶の魅力を熱く語った本。
フィリピンで、世界の蝶マニアなら誰でも名前を知っているというヌイダ一家の息子と親友になり、
笑いあり涙ありの関係を築く。
パプアニューギニアでは、「黒魔術」を仕掛けられ「呪い返し」でやり返す。
メキシコで結婚を考えたり、キューバで大型ハリケーンに遭遇したりと、ときに危険な目に遭い、
ときに自業自得の目に遭いながら、著者は蝶を求めて奥地まで果敢に攻め入る。
虫の採集には体力のみならず、昆虫の生態、気候、地理・地形、植物、海外なら政情、語学など様々な知識が必要だということがよくわかる。
男の子はなぜ虫が好きなのだろうか?
いや、たまに女の子でも虫好きがいるが、圧倒的に男の子が多い。
逃げる物体を追うという習性があるのだろうか?
そんな虫好きな男の子がそのまま大人になったような「虫マニア」がたくさん出てくる。
私は、蝶に興味が持てない。
たくさんの種類が出てきたので画像を検索しながら読み、「きれいだな」とは思ったのだが。
図鑑を眺めるのは楽しいのだが。
申し訳ないが、やっぱり蝶には興味が持てなかった。
でも、著者を始めとする、蝶に懸ける男たちの熱い思いには大変興味を持った。
何がそこまで彼らを魅了するのかは理解出来ないが、情熱を傾ける彼らには魅了された。
著者の知り合いの平岡さんは、「世界の昆虫展」で自分がコレクションしている3000匹の昆虫を披露する。
それが、仕事の合間のボランティアで、準備も全て自分でするというから驚く。
昆虫屋といっても、蝶屋、甲虫屋と細分化され、人それぞれ想いを寄せる虫は違うのだという。
そして、虫の趣味は「人生そのもの」というコレクターたちがたくさん出てきて、こういう世界もあるのだと感心する。
極めつけがこの本の著者、川村俊一氏。
ちょっとお姉さんにだらしがないが、憎めない、蝶に情熱をささげる男。
恥ずかしいことも、辛かったこともさらりと打ち明ける。
離婚、母の病気について語る最終章では、著者の純粋さが垣間見られウルッとくる。
なんて魅力的な方なんでしょう。
一つの事に一生懸命になっている姿は、やっぱり素敵に感じてしまうのである。

川村俊一著
河出書房新社
蝶に魅せられ、追い求めて世界各地を訪ね歩く。著者の熱い想いが伝わってくる一冊。
1960年生まれの著者は、幼い頃から蝶の魅力に取りつかれて育つ。
その後、世界各国の「珍蝶」求めて駆け巡る昆虫商となった著者が、半生を振り返りながら蝶の魅力を熱く語った本。
フィリピンで、世界の蝶マニアなら誰でも名前を知っているというヌイダ一家の息子と親友になり、
笑いあり涙ありの関係を築く。
パプアニューギニアでは、「黒魔術」を仕掛けられ「呪い返し」でやり返す。
メキシコで結婚を考えたり、キューバで大型ハリケーンに遭遇したりと、ときに危険な目に遭い、
ときに自業自得の目に遭いながら、著者は蝶を求めて奥地まで果敢に攻め入る。
虫の採集には体力のみならず、昆虫の生態、気候、地理・地形、植物、海外なら政情、語学など様々な知識が必要だということがよくわかる。
男の子はなぜ虫が好きなのだろうか?
いや、たまに女の子でも虫好きがいるが、圧倒的に男の子が多い。
逃げる物体を追うという習性があるのだろうか?
そんな虫好きな男の子がそのまま大人になったような「虫マニア」がたくさん出てくる。
私は、蝶に興味が持てない。
たくさんの種類が出てきたので画像を検索しながら読み、「きれいだな」とは思ったのだが。
図鑑を眺めるのは楽しいのだが。
申し訳ないが、やっぱり蝶には興味が持てなかった。
でも、著者を始めとする、蝶に懸ける男たちの熱い思いには大変興味を持った。
何がそこまで彼らを魅了するのかは理解出来ないが、情熱を傾ける彼らには魅了された。
著者の知り合いの平岡さんは、「世界の昆虫展」で自分がコレクションしている3000匹の昆虫を披露する。
それが、仕事の合間のボランティアで、準備も全て自分でするというから驚く。
昆虫屋といっても、蝶屋、甲虫屋と細分化され、人それぞれ想いを寄せる虫は違うのだという。
そして、虫の趣味は「人生そのもの」というコレクターたちがたくさん出てきて、こういう世界もあるのだと感心する。
極めつけがこの本の著者、川村俊一氏。
ちょっとお姉さんにだらしがないが、憎めない、蝶に情熱をささげる男。
恥ずかしいことも、辛かったこともさらりと打ち明ける。
離婚、母の病気について語る最終章では、著者の純粋さが垣間見られウルッとくる。
なんて魅力的な方なんでしょう。
一つの事に一生懸命になっている姿は、やっぱり素敵に感じてしまうのである。

南米に生息している「ヘレナモルフォ」という種類だそうです。
価格は31,500円!!
価格は31,500円!!
2012年3月20日火曜日
解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯
解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯
ウェンディ・ムーア著
矢野真千子訳
18世紀の外科医ジョン・ハンターの伝記。こんな偉大な愛すべき奇人がいたとは今まで全く知らなかった。とにかく夢中で読める面白さ抜群の一冊。
18世紀のイギリスで外科医として活躍したジョン・ハンター(1728~1793)の伝記。
原題は「The Knife Man」
麻酔や消毒剤が登場する100年も前、まだまだ昔からの根拠のない治療法を医者たちも信じていた時代。
ジョン・ハンターはそんな時代に生まれた異端児であった。
兄の解剖学教室を手伝いながら、たくさんの人間や動物の解剖をし、生まれ持った手先の器用さと、飽くなき探求心から、すぐに頭角を現し、有名な解剖医・外科医へと成長していく。
せっかちで無教養で無作法な田舎者のハンターは、古来の治療法を踏襲している保守派の医師からは、好戦的ないかさま師と見られてしまう。
そして、死ぬまで周囲といざこざを起こし続けるのである。
彼が作った標本の一部は今でも博物館に現存しているという。
読み始めからすぐに、惹きつけられて夢中で読んだ。
読みやすい文章というのもあるのだろうが、何といっても最大の魅力はジョン・ハンターの人物像そのものである。
魅力といっても、「伝記の題材」としての魅力ではあるが。
実際、こんな人物とは一緒に暮らせない。
短気で怒りっぽい、家じゅうに見たことのない動物を飼い、鳴き声や臭いに悩まされる。
人間のみならず象やクジラ、カンガルー、爬虫類、昆虫・・・とあらゆる生物の死体を解剖し、
標本にしていく。
家の中所狭しと、得体のしれない骨格やら、内臓の標本やら置いてあるところに、私は住めない。
鶏のとさかに人間の歯を移植したり、睾丸を腹に埋め込んだり、人から見たら奇妙な実験を繰り返す。
無知な患者を騙して実験台にしたり、患者の了解を得ないまま新しい治療を試したり・・・
でも、憎めないキャラクターなのである。
純粋に人体に興味を持ち、好奇心・知識欲から解剖しまくり、書物よりも自分の目で見たことを信用する。
貧乏な人からはお金をとらない。
後進の指導に熱心で、弟子たちからしたら、「大先生と呼ばれるような人にありがちな高慢さがどこにもない」偉大なる師。
知的で金持ちの奥様とはなぜか仲良く寄り添うジョン・ハンター。
現代外科医学の実質的な父であり、医学だけでなく後の多くの人々に影響を与えた奇人。
いくら書いても、この愛すべきジョン・ハンターの魅力を伝えられないのがもどかしい。
これだけの魅力的な人物なので、長編傑作「開かせていただき光栄です」、「ドリトル先生シリーズ」、「ジキル博士とハイド氏」などの小説のモデルになるのもうなずける。
読み終わった後に、「まだまだジョン・ハンターの世界に浸っていたかったのに」という気にさせられた。
ウェンディ・ムーア著
矢野真千子訳
18世紀の外科医ジョン・ハンターの伝記。こんな偉大な愛すべき奇人がいたとは今まで全く知らなかった。とにかく夢中で読める面白さ抜群の一冊。
18世紀のイギリスで外科医として活躍したジョン・ハンター(1728~1793)の伝記。
原題は「The Knife Man」
麻酔や消毒剤が登場する100年も前、まだまだ昔からの根拠のない治療法を医者たちも信じていた時代。
ジョン・ハンターはそんな時代に生まれた異端児であった。
兄の解剖学教室を手伝いながら、たくさんの人間や動物の解剖をし、生まれ持った手先の器用さと、飽くなき探求心から、すぐに頭角を現し、有名な解剖医・外科医へと成長していく。
せっかちで無教養で無作法な田舎者のハンターは、古来の治療法を踏襲している保守派の医師からは、好戦的ないかさま師と見られてしまう。
そして、死ぬまで周囲といざこざを起こし続けるのである。
彼が作った標本の一部は今でも博物館に現存しているという。
読み始めからすぐに、惹きつけられて夢中で読んだ。
読みやすい文章というのもあるのだろうが、何といっても最大の魅力はジョン・ハンターの人物像そのものである。
魅力といっても、「伝記の題材」としての魅力ではあるが。
実際、こんな人物とは一緒に暮らせない。
短気で怒りっぽい、家じゅうに見たことのない動物を飼い、鳴き声や臭いに悩まされる。
人間のみならず象やクジラ、カンガルー、爬虫類、昆虫・・・とあらゆる生物の死体を解剖し、
標本にしていく。
家の中所狭しと、得体のしれない骨格やら、内臓の標本やら置いてあるところに、私は住めない。
鶏のとさかに人間の歯を移植したり、睾丸を腹に埋め込んだり、人から見たら奇妙な実験を繰り返す。
無知な患者を騙して実験台にしたり、患者の了解を得ないまま新しい治療を試したり・・・
でも、憎めないキャラクターなのである。
純粋に人体に興味を持ち、好奇心・知識欲から解剖しまくり、書物よりも自分の目で見たことを信用する。
貧乏な人からはお金をとらない。
後進の指導に熱心で、弟子たちからしたら、「大先生と呼ばれるような人にありがちな高慢さがどこにもない」偉大なる師。
知的で金持ちの奥様とはなぜか仲良く寄り添うジョン・ハンター。
現代外科医学の実質的な父であり、医学だけでなく後の多くの人々に影響を与えた奇人。
いくら書いても、この愛すべきジョン・ハンターの魅力を伝えられないのがもどかしい。
これだけの魅力的な人物なので、長編傑作「開かせていただき光栄です」、「ドリトル先生シリーズ」、「ジキル博士とハイド氏」などの小説のモデルになるのもうなずける。
読み終わった後に、「まだまだジョン・ハンターの世界に浸っていたかったのに」という気にさせられた。
2012年3月8日木曜日
偉人の残念な息子たち
偉人の残念な息子たち
森下賢一著
朝日文庫
歴史に名を残した人たち。その息子も立派に育つわけではない。そんな残念な息子たちについて語った一冊。
著者は、1931年生まれの作家、翻訳家。
偉人というには首を傾げたくなるような方々もいるが、後世に名を残した有名人ではある。
題名から、有名人の息子にスポットを当てた本と思っていたがそうではなかった。
父である有名人の経歴、家族について語った雑学の書であった。
最近も、ティッシュ何箱分だか計算できないくらいの金額をカジノ業界に貢いでしまった方が話題になったが、お金持ちだからといって、また偉大な功績を残したからといって、子育ての才能があるとは限らない。
「インドの父」といわれるガンジーでさえそうなのだから、やっぱり子育ては難しい。
子供の側から見たら、偉大すぎる親の子として生まれプレッシャーもあるだろう。
名前や功績は知っていても、私生活までは知らなかったので、興味深く読めた。
息子たちの話も「残念だね」と笑って読めた。
親が平凡な家庭でよかったとホッとする。
だが、題材はとても面白いのだが、読みにくくて仕方がなかった。
文献をつぎはぎしたような文章で、膨らみがなく、まるであらすじや著者略歴を延々と読んでいるようであった。
苦手だった社会の教科書を思い出してしまう。
内容的にはとても興味深くいい題材なのだから、勿体ない。
あとがきはすんなり読める文章なのに、どうしてだろう。
それが、一番「残念」であった。
森下賢一著
朝日文庫
歴史に名を残した人たち。その息子も立派に育つわけではない。そんな残念な息子たちについて語った一冊。
著者は、1931年生まれの作家、翻訳家。
替え玉試験でハーヴァードを退学になったジョー・ケネディの息子など11人の残念な息子たちが掲載されている。
父の名を使った詐欺で何度も訴えられたエジソンの息子
たった3.5ドルの万引きで逮捕されたアル・カポネの息子
殴り書きの絵を1ドルで観光客に売り付けたゴーギャンの息子
酒と女に溺れ、反抗心でイスラーム教徒になったガンディーの息子
麻薬で医師免許停止、性転換して女性になったヘミングウェイの息子
偉人というには首を傾げたくなるような方々もいるが、後世に名を残した有名人ではある。
題名から、有名人の息子にスポットを当てた本と思っていたがそうではなかった。
父である有名人の経歴、家族について語った雑学の書であった。
最近も、ティッシュ何箱分だか計算できないくらいの金額をカジノ業界に貢いでしまった方が話題になったが、お金持ちだからといって、また偉大な功績を残したからといって、子育ての才能があるとは限らない。
「インドの父」といわれるガンジーでさえそうなのだから、やっぱり子育ては難しい。
子供の側から見たら、偉大すぎる親の子として生まれプレッシャーもあるだろう。
名前や功績は知っていても、私生活までは知らなかったので、興味深く読めた。
息子たちの話も「残念だね」と笑って読めた。
親が平凡な家庭でよかったとホッとする。
だが、題材はとても面白いのだが、読みにくくて仕方がなかった。
文献をつぎはぎしたような文章で、膨らみがなく、まるであらすじや著者略歴を延々と読んでいるようであった。
苦手だった社会の教科書を思い出してしまう。
内容的にはとても興味深くいい題材なのだから、勿体ない。
あとがきはすんなり読める文章なのに、どうしてだろう。
それが、一番「残念」であった。
2011年12月7日水曜日
バブル獄中記
バブル獄中記
長田庄一著
幻冬社
一代で東京相和銀行を築き上げた長田庄一氏の110日間東京拘置所滞在記。
長田庄一氏は、尋常高等小学校を卒業後15歳で単身上京し、
戦後貸金業から一代で東京相和銀行を築き上げた。
2000年に見せかけ増資の疑いで逮捕、東京拘置所に拘留され、
110日間にわたって拘置所生活を送った。
この本は、その拘置所内部・生活・取り調べなどを綴った獄中記である。
東京拘置所。
右斜め前に立つマンションに住む友達を訪ねたことがあった。
上階にある友達の部屋から拘置所の全貌を見ることができた。
拘置所の裏に職員宿舎があって、当時小娘だった私は、
凶悪犯と同じ敷地内にいるなんて職員の家族たちは夜ぐっすり眠れるのかな?と疑問に思っていた。
娑婆暮らしの長い、というか塀の外しか知らない私は、
そんな近くて遠い存在の拘置所に興味を持ちこの本を読んでみた。
女性検事とのやりとりが興味をひく。立場上対立している二人なので、どちらも譲れない。
違う場所で出会っていたら、二人はいいコンビになれたのかもと想像する。
“小娘”検事に対して「イライラして生理かな?」
などとつぶやくのもこの年代の立志伝中の人物らしく面白い。
でも、やはり戦争を体験してきた人は精神的にも肉体的にも強いと改めて思う。
食事、気候、睡眠など、戦時中より拘置所の方がましだというのは、重たい言葉だった。
麦飯は苦手だったようだが。
心を強く持たないとおかしくなってしまうような環境の中、77,8歳という年齢で
たくましく過ごすというのは心底凄いと思う。
「自由が制限されているこんなところでは日常生活のあらゆる面に、昔物資不足の時代に考え出した生活の知恵、その過ごし方が役に立つ。」
便利さに慣れてしまった現代人にはなかなか難しいことに思える。
蚊やゴキブリとの闘いもまた面白く書いてあって、
数多の波を乗り越えてきた御仁も虫にはてこずるかと、くすっとさせられた。
また、長田氏は、バブル崩壊直前に大口不良融資先からの緊急回収を命じたという。
そのおかげでその時は経営危機を回避できた。
札束が狂喜乱舞していた時に、自ら引くというのはなかなかできるものではない。
やはり一時代を築いた人は臭覚が鋭いのか、培ってきた経験の賜物か。
どうしても気になってしかたのないものが、拘置所に置いてあるという
「灰色をした安物の粉歯磨き」。
そんなものが今でもあるのか、とても気になる。
直接歯ブラシにつけるのか、それとも振りかけるタイプなのか。
枝葉末節にこだわってしまう私であった。
長田庄一著
幻冬社
一代で東京相和銀行を築き上げた長田庄一氏の110日間東京拘置所滞在記。
長田庄一氏は、尋常高等小学校を卒業後15歳で単身上京し、
戦後貸金業から一代で東京相和銀行を築き上げた。
2000年に見せかけ増資の疑いで逮捕、東京拘置所に拘留され、
110日間にわたって拘置所生活を送った。
この本は、その拘置所内部・生活・取り調べなどを綴った獄中記である。
東京拘置所。
右斜め前に立つマンションに住む友達を訪ねたことがあった。
上階にある友達の部屋から拘置所の全貌を見ることができた。
拘置所の裏に職員宿舎があって、当時小娘だった私は、
凶悪犯と同じ敷地内にいるなんて職員の家族たちは夜ぐっすり眠れるのかな?と疑問に思っていた。
娑婆暮らしの長い、というか塀の外しか知らない私は、
そんな近くて遠い存在の拘置所に興味を持ちこの本を読んでみた。
女性検事とのやりとりが興味をひく。立場上対立している二人なので、どちらも譲れない。
違う場所で出会っていたら、二人はいいコンビになれたのかもと想像する。
“小娘”検事に対して「イライラして生理かな?」
などとつぶやくのもこの年代の立志伝中の人物らしく面白い。
でも、やはり戦争を体験してきた人は精神的にも肉体的にも強いと改めて思う。
食事、気候、睡眠など、戦時中より拘置所の方がましだというのは、重たい言葉だった。
麦飯は苦手だったようだが。
心を強く持たないとおかしくなってしまうような環境の中、77,8歳という年齢で
たくましく過ごすというのは心底凄いと思う。
「自由が制限されているこんなところでは日常生活のあらゆる面に、昔物資不足の時代に考え出した生活の知恵、その過ごし方が役に立つ。」
便利さに慣れてしまった現代人にはなかなか難しいことに思える。
蚊やゴキブリとの闘いもまた面白く書いてあって、
数多の波を乗り越えてきた御仁も虫にはてこずるかと、くすっとさせられた。
また、長田氏は、バブル崩壊直前に大口不良融資先からの緊急回収を命じたという。
そのおかげでその時は経営危機を回避できた。
札束が狂喜乱舞していた時に、自ら引くというのはなかなかできるものではない。
やはり一時代を築いた人は臭覚が鋭いのか、培ってきた経験の賜物か。
どうしても気になってしかたのないものが、拘置所に置いてあるという
「灰色をした安物の粉歯磨き」。
そんなものが今でもあるのか、とても気になる。
直接歯ブラシにつけるのか、それとも振りかけるタイプなのか。
枝葉末節にこだわってしまう私であった。
2011年11月22日火曜日
建築家 安藤忠雄
建築家 安藤忠雄
安藤忠雄著
新潮社
建築家・安藤忠雄氏の自伝。プロボクサーから独学で建築家になるという異色の経歴がずっと気になっていました。
建築関係に疎い人でも彼の名前を知っているほど有名な安藤忠雄氏。
生まれてすぐ、1人娘であった母の実家の後継ぎになるため祖父母の家に養子に出された。
勉強は嫌いな少年であった。工業高校に通っているときボクシングに出会い、始めて1か月足らずでプロテストに合格する。
6回戦まで進んだ頃、、ファイティング原田のスパークリングを見て「次元が違う。」と才能の違いに気付き、ボクシングをやめる。
高校卒業後、インテリアの設計などをしながら、丹下健三の建築を巡る日本一周旅行・欧州旅行をしながら独学で建築を学ぶ。
そのエネルギッシュな半生を作品と共に自ら語った一冊。
コンクリートの打ち放しにこだわっている著者だが、後半部分はその作品の紹介・解説となっている。
芸術的センスゼロの私が見ても美しいと思う。
コンクリートにこだわる理由も書いてあった。
ただ、実際に住んでいる人・働いている人にとってはどうなのだろうか。
住み心地は?美にこだわる人でなければ辛いのではないかと考えてしまう。
冬の暖房効率はどうなのだろう?底冷えしそうな気がするけど。
六甲の集合住宅群は写真で見ると本当に美しい。
ただ、真ん中に何段あるの?というような大階段があるが、そこを子育て中の主婦は買い物袋と小さい子の手をひいて上り下りするのだろうか?
建物の真ん中を中庭のようにした住宅やショッピングセンター。
雨の日には、部屋から部屋へ移動するときには傘が必要って、私はそんな家住めない。
真冬に買い物に行ってお店からお店へ移る時、コート着たり、また脱いだりって面倒臭い。
こういう芸術を理解しない私のような人は、普通の住宅メーカーの家が一番なんだろう。
仕事場では、著者の机の周りにのみ電話を置き、海外との取引以外、fax・メール・個人の電話禁止だそう。それだと、電話の内容から部下の仕事の進捗状況やトラブルもすぐにわかり、作品に対する責任をもてるからという。
ときに怒鳴り・殴り・部下を叱りつけて真剣に仕事に取り組む姿勢と覚悟が、あの美しい建物を作るのだろう。
「何を人生の幸福と考えるか、考えはひとそれぞれでいいだろう。」と著者は言う。
私は遠くから美しい建物を眺めるだけでいい。
安藤忠雄著
新潮社
建築家・安藤忠雄氏の自伝。プロボクサーから独学で建築家になるという異色の経歴がずっと気になっていました。
建築関係に疎い人でも彼の名前を知っているほど有名な安藤忠雄氏。
生まれてすぐ、1人娘であった母の実家の後継ぎになるため祖父母の家に養子に出された。
勉強は嫌いな少年であった。工業高校に通っているときボクシングに出会い、始めて1か月足らずでプロテストに合格する。
6回戦まで進んだ頃、、ファイティング原田のスパークリングを見て「次元が違う。」と才能の違いに気付き、ボクシングをやめる。
高校卒業後、インテリアの設計などをしながら、丹下健三の建築を巡る日本一周旅行・欧州旅行をしながら独学で建築を学ぶ。
そのエネルギッシュな半生を作品と共に自ら語った一冊。
コンクリートの打ち放しにこだわっている著者だが、後半部分はその作品の紹介・解説となっている。
芸術的センスゼロの私が見ても美しいと思う。
コンクリートにこだわる理由も書いてあった。
ただ、実際に住んでいる人・働いている人にとってはどうなのだろうか。
住み心地は?美にこだわる人でなければ辛いのではないかと考えてしまう。
冬の暖房効率はどうなのだろう?底冷えしそうな気がするけど。
六甲の集合住宅群は写真で見ると本当に美しい。
ただ、真ん中に何段あるの?というような大階段があるが、そこを子育て中の主婦は買い物袋と小さい子の手をひいて上り下りするのだろうか?
建物の真ん中を中庭のようにした住宅やショッピングセンター。
雨の日には、部屋から部屋へ移動するときには傘が必要って、私はそんな家住めない。
真冬に買い物に行ってお店からお店へ移る時、コート着たり、また脱いだりって面倒臭い。
こういう芸術を理解しない私のような人は、普通の住宅メーカーの家が一番なんだろう。
仕事場では、著者の机の周りにのみ電話を置き、海外との取引以外、fax・メール・個人の電話禁止だそう。それだと、電話の内容から部下の仕事の進捗状況やトラブルもすぐにわかり、作品に対する責任をもてるからという。
ときに怒鳴り・殴り・部下を叱りつけて真剣に仕事に取り組む姿勢と覚悟が、あの美しい建物を作るのだろう。
「何を人生の幸福と考えるか、考えはひとそれぞれでいいだろう。」と著者は言う。
私は遠くから美しい建物を眺めるだけでいい。
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