2013年12月13日金曜日

混浴と日本史

下川耿史著
筑摩書房




先日週刊誌で、1951年生まれの吉田照美さんが、「家にお風呂がない時代です。オヤジが勤めていた小さな製紙会社のお風呂にも行きました。男女混浴なんです。湯船の中で大人同士が挨拶してました。今思うとすごいですよねぇ、同僚の奥さんの裸を見てるんです。お互いにね(笑)」(週刊文春10/24号より抜粋)とおっしゃっている記事を読んだ。
昭和の中頃までそんな風習があったというのは驚きだったが、今でも日本のどこかに細々と混浴風呂が残っているらしい。
そんな混浴事情を知りたくてこの「混浴と日本史」を手にとった。

興味本位で読み始めてみると、「湯」の語源に関する考察や皇室の祭祀についてなど、内容は本当に歴史の授業の様に硬く、私が知りたかった近代の混浴事情にはあまり触れてなかったのだが、なかなか興味深い内容が満載だった。

温泉が豊富に湧き出る日本では古代より、温泉地を中心に混浴は当たり前だったらしい。
和歌の元となった歌垣(男女が歌を交わしながら気のあった相手と性的な関係を結ぶこと)が一般的だった昔は、川辺や温泉地で水浴びしながらおおらかに性を楽しんでいたようである。

記録としての混浴は「常陸風土記」(711年)から始まるとされている。
温泉は万病に効くと、老若男女が集まって市が立つほど大賑わいだったという。

そして、奈良時代には寺院で庶民に風呂を提供する「功徳湯」がスタートした。
「功徳湯」とは、庶民を入浴させることで清潔さと健康増進に寄与し、国家や仏教のありがたさを植え付ける目的の寺院の活動のことである。
その後「功徳湯」は、遷都に伴い溢れた坊さんと尼さんの混浴の場と化し、乱交に歯止めが効かなくなっていったため、「混浴禁止令」が出されてしまう。

そして、1191年に有馬温泉で入浴のお手伝いをする「湯女(ゆな)」というサービスガールが誕生した。
その後だんだん客の酒の相手もするようになり、遊女に変化していく。
それが遊郭の先がけのようになり、またまた風紀が乱れてしまうのである。

江戸時代、女性が極端に少なかった江戸では女湯は元々存在しなかったが、そこに女性客が押しかけて、自然発生的に混浴になっていった。
その後風紀が乱れ、徳川幕府により度々「混浴禁止令」が出されるが、女湯が出来ても混み合ってうるさいのでわざわざ男湯に入る女が続出して、あまり効果が無かったようである。
混んでいるサービスエリアで、男子トイレに入ってしまうおばさんと同じ感覚だろうか。

そして混浴史上最大の出来事が、黒船来航である。
混浴の風習を「淫ら」「不道徳」「下劣」と欧米人に罵倒され、明治政府が繰り返し「混浴禁止令」を出したのだ。
そんな政府の施策も、庶民にとっては馬耳東風でなかなか是正されなかったのだが。

こうして混浴の歴史を見ていくと、「純粋な混浴 ⇒ 風紀が乱れる ⇒ 取り締まり」の繰り返しであったことに気付く。
男女が裸で一緒にいたら、どうしても淫らなことを考えてしまうのだろうか。

私が今、混浴のお風呂に入れるかと考えたら・・・それはやっぱり入れないだろう。
特に、顔見知りの人とは絶対に入りたくない。
ならば、全く知らない人ばかりだったらどうだろうか?
う〜ん。やっぱり入りたくないなぁ。

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