2013年11月26日火曜日

飛田の子: 遊郭の街に働く女たちの人生

杉坂圭介著
徳間書店 

大阪の遊郭・飛田新地で働く女たちの1年。


通りにずらりと並ぶ狭い間口の玄関先で、ピンクや紫の怪しげな蛍光灯に照らされながら、お姉さんがにっこり微笑んでいる。
曳き手のおばさんたちが、通りを歩く客たちに「お兄さん!」とひっきりなしに声を掛けている。
そんな光景が毎日のように繰り広げられている飛田新地のシステムは、どう考えてもこじつけだと思う。
店は「料亭」であり、個室でお茶やビールを飲んでいるうちに偶然にもホステスさんとお客さんが「恋愛」に陥る。
そして個室の中で「遊ぶ」のである。
料金は建前上、ビールやお菓子の代金で、11,000円/15分~41,000円/60分。
おばさんの取り分の1000円を引いた残りを、店とお姉さんが折半する。

流れは、お菓子と飲み物とおしぼりを渡し、少し言葉を交わし、トイレで洗浄する。
その後、部屋に戻りサービスする。
時間はおばさんにお金を渡すところからスタートするので、帰り支度を考慮すると15分コースの場合、実質7分程度なのだという。
慌ただしいことこの上ないが、客は女の子の顔を確かめてから気軽に遊べ、お姉さんにとってはソープのように長時間みっちりとサービスする必要がないので、気楽なシステムらしい。

なぜ取り締まりの対象にならないのか疑問に思うのだが、15年前のピーク時に比べて売上が1/10に落ち込んでいるものの、今でも160軒近くの料亭が営業しているのだという。

本書は、飛田新地での料亭経営の経験を綴った『~遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白~ 飛田で生きる』 の著者が、飛田新地で働く女たちの1年を追ったものである。

子供ができないことが原因で離婚し、助産師になることを夢見るカナ。
独身時代に飛田で働き、その後結婚・出産した後に、空いている時間に働きたいと飛田に戻ってきたナオ。
某大手商社に勤めながら、お金が欲しいから土日だけ働きたいと応募してきたアユ。
歯科技工士の専門学校に通いながら、学費や生活費を稼ぎたいと彼氏がいながら働き始めたメグ。
夏休みの間だけ働きたいと東京からやってきた大学生のリナ。

そんな彼女たちが、日に何本もこなしながら、客を奪い奪われ、喧嘩し、成長し、少しずつ壊れていく様子が綴られていく。
本数が減り稼げなくなってくる、お客さんのちょっとした一言に傷つく、曳き手おばさんの嫌味、一緒に働いている同僚との軋轢・・・
この仕事を長く続けていくと、体だけでなく精神の均衡を崩していく人が多いのだと著者は言う。
入るのは簡単だが出るのは難しいこの世界。
短時間で効率よく稼げるからといって安易に踏み入れない方がよいと思うのだが。

一応本書は「ドキュメント」となっているが、デリケートな問題を含むため都合の悪いことは書かない書けないということに加えて、読みやすい文体、出来すぎた話などから、「飛田新地に詳しくなる小説」と思って読んだ方がいいのかもしれない。

※新たに知った言葉
「一見倒し(いちげんたおし)」・・・新規客からお金をもらえばもう関係ないと、それまでの笑顔を引っ込め、あまりサービスをしないこと。

2013年11月25日月曜日

花々

原田マハ著
宝島社

あの号泣恋愛小説「カフーを待ちわびて」のサイドストーリー。



本書は、第1回日本ラブストーリー大賞を受賞した『カフーを待ちわびて』 の与那喜島を舞台とした連作短編集である。
1編ごとに「鳳仙花」「デイゴの花」など、花の題名がついている。
「カフー」の主人公である明青と幸の名前も出てくるが、ストーリー的には続きではなく独立した物語になっている。

母の介護や色々なことに疲れてしまい、故郷の岡山から逃げ出すように与那喜島にやって来てアルバイトをしている純子。
一方、与那喜島で生まれ育ち、現在は故郷を離れ大企業で働いている成子。
対照的ではあるが、人生に疲れ傷ついた二人が出会い、それぞれの道を歩んでいく。

「カフーを待ちわびて」と同じように静かに流れる時、美しい風景をバックに話が進んでいき、哀しくも温まる素敵な物語になっている。

「カフーを待ちわびて」「さいはての彼女」 、 そしてこの「花々」と原田マハさんの「美術系」でも「楽しい系」でもない、静かな物語を続けて読んできたが、やっぱりこういった話が私は大好きなのだと改めて思った。
「カフー」のような号泣恋愛物語ではないが、読後に温かな気持ちになれ、沖縄の余韻に浸っていたくなる1冊である。

2013年11月23日土曜日

さいはての彼女

原田マハ著
角川書店


 「人生をもっと足掻こう!」頑張りすぎて疲れてしまった彼女たちの再生。原田マハさんの元気を与えてくれる短編集。




「さいはての彼女」
25歳で下着の通信販売の会社を起業した主人公の鈴木涼香。
社長としてバリバリ頑張ったお陰で業績はいいのだが、恋に破れ部下に当り散らすという荒んだ生活を送っていた。
久しぶりに休暇を取り、沖縄で優雅な日々を過ごそうと思い立つ。
しかし手違いか嫌がらせなのか、秘書から受け取ったチケットはなぜか北海道、それも女満別行きだった。
そこで、「サイハテ」という名のハーレーに乗っている凪と偶然出会う。
凪は、耳が聞こえないのだが、前向きでいつも明るく、彼女の周りには笑顔が絶えない。
彼女と旅をするうちに、だんだん涼香の心も癒されていく・・・

「旅をあきらめた友と、その母への手紙」
失恋・失業した女が一人旅へ出かけ元気を取り戻す。

「冬空のクレーン」
大手都市開発企業で大規模な案件を抱えている女性が、北海道へ逃避し、鶴やタンチョウレンジャーに出会う。

「風を止めないで」
夫をハーレーの事故で失った凪の母が、一人の男性と出会いときめきを思い出す。

本書は、以上4編が収められた原田マハさんの短編集である。

「都会での仕事や生活に疲れた女が旅をして自分を見つめ直す」そんなありがちなパターンである。
都合よくいい人ばかり出てくる話である。
しかし、「私」の視点から終始落ち着いたトーンで語られるこれらの短編は、一味違う。
旅先での風景、出会う優しい人々、少しずつリフレッシュしていく彼女たち・・・
ああいいなぁ、と素直に思える話ばかりなのだ。

「人生を足掻こう」
「いい風が吹いています。この風、止めないでね。」
など、心に染み入る文章が散りばめられ、ひねくれたこの私でもほっこり温かくなってくる。

パワフルに頑張っていて強そうに見える女性でも、ふとしたことで心が折れる。
体型は太めだが、別にパワフルでも強くもない私なんかしょっちゅう心が折れている。
折れまくりの人生である。
細かいことにこだわらず、もう少しおおらかに生きたら楽になるのにと思いながら、グヂクヂ悩むことも多い。
本書を読んだからといってすぐに心が強くなれるわけではない。
けれども、「大丈夫だよ」と優しく背中を押され励まされてる気持ちになれる一冊だった。

※「さいはての彼女」と「風を止めないで」に登場する耳が不自由な凪が、明るくとても魅力的に描かれている。
この子いいなぁ、彼女を主人公とした長編小説が出版されないかなぁと思う。

2013年11月21日木曜日

しろくまのパンツ

tuperatupera著
ブロンズ新社

しろくま、パンツ失くしたってよ。
 
 
 
 



「パンダ銭湯」があまりにも面白かったので、同じ著者のこの本、「しろくまのパンツ」を読んでみました。

「どこにいったんだろう」
しろくまさんが、パンツを失くして困っています。

小学生の時の修学旅行で、先生が「これ、誰のパンツだ~?」とパンツをつまみながら大声で叫んでいたのを思い出しました。
誰も名乗り出ることはなかったので、先生はしつこくしつこく叫んでいました。
「持ち主は後でこっそり先生のところへ取りに来なさい。」とでも言ってくれれば取りに行くかも知れないのに、と大人になった今はそう思います。
いえ、落とし主は私ではありませんでしたが。

「小学生」「パンツ」でもう一つ思い出しました。
水泳の授業が1時間目の日は、みんな家から水着を着て登校していました。
その中に、着替え用のパンツを忘れてくる子が何人かいました。
その子達は一日ノーパンで過ごしていたのでしょうか?
告白すると、私自身も忘れた経験があるのですが、その後どうしたのか、遠い昔のことなので全く記憶にありません。
ブルマでもはいて帰ったのでしょうか。

そうそう、しろくまさんのパンツの話でしたね。
しろくまさんは、どこでパンツを失くしたのでしょうか。
ねずみさんが心配して一緒に探してくれることになりました。

ねずみさんがしろくまさんに聞きます。
「今日はどんなパンツをはいていたの?」
「忘れちゃった・・・」
どうやらしろくまさんたら、今日はいたパンツを覚えていないようです。
でも、私はしろくまさんのことを笑えません。
今だって、どんなのをはいているか見てみないとわからないのですから。

縦じまのカラフルなパンツがありました。
「これしろくまさんのパンツ?」
「ううん、違う。」
「じゃあ、誰のパンツ?」
シマウマさんのパンツでした。
シマウマさんは体のしまだけでは飽き足らず、パンツまでしま模様にこだわるようです。

こうして二人はしろくまさんのパンツを探していきます。
すると、驚きの場所にしろくまさんのパンツがあったのです!!!

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「パンダ銭湯」のような衝撃的な内容ではないですが、笑いながら読みました。
ページに穴があいているので触ることもでき、1歳位の小さいお子さんから楽しめるいい本だと思います。
表紙の赤いパンツは脱ぐこともでき、破れたりなくした場合は80円切手で購入することもできるそうです。

2013年11月19日火曜日

カフーを待ちわびて

原田マハ著
宝島社

「嫁に来ないか」と絵馬に書いたら「お嫁さんにしてください」と女がやってきた!恋愛小説で泣きたい貴方へ。㊟泣けなくても責任は取れません。



この「カフーを待ちわびて」は、原田マハさんのデビュー作であり、第1回ラブストーリー大賞受賞作でもある。
題名のカフーとは、主人公が飼っている黒いラブラドールの名前でもあるが、与那喜島の方言で「いい報せ・幸せ・果報」という意味だそうだ。

主人公の明青(あきお)は、沖縄の離島・与那喜島で小さな「よろずや」を営んでいる。
北陸を訪れた際、神社の絵馬に勢いで「嫁に来ないか、幸せにします。与那喜島・友寄明青」と書いて奉納した。
するとその後、自宅に「私をあなたのお嫁さんにしてくださいますか」という手紙が届き、本当に女がやってきた!
しかも「でーじ美らさん」(とても美人)が!

美人の女が都合よく向こうからやってくる・・・
まるでイケメンが「拾ってください」と突然やってきた「植物図鑑」のような都合のいい設定である。
それはわかっている。
わかっていても、島で唯一のユタであるおばあとの温かい関係、沖縄の方言、目に浮かぶ美しい風景が、ドラマチックな恋愛物語を雰囲気たっぷりに盛り上げるのだから、ハマってしまうのは当たり前ではないか。

青い海、晴れ渡った空。
静かに、そして穏やかに流れる時。
過去の出来事から自信が持てなくて、お互い想い合っているのに踏み出せない臆病さ。
そして過去がだんだん明らかになり・・・
ああ、そうだったのか!
だからそうなのか!
これが泣かずにいられるだろうか!

「植物物語」では、「いいなぁ。こんな男欲しいなぁ。」と羨ましくてハマってしまったのだが、本書では純粋にこのおとぎ話のようなストーリーに感動した。

自覚していなかったが、実はベタな恋愛物語が好きなのかもしれない。
平凡な人生を歩んできたので、今更ながらドラマチックな恋愛に憧れているのだろうか。
それともヘンな本ばかり読んでいるので、純粋な愛に飢えていたのだろうか。
自分でもよくわからないのだが。

何にせよ、沖縄に思いを馳せながらこの素敵な物語の余韻に浸っていたい。

2013年11月14日木曜日

蚊がいる

穂村弘著
メディアファクトリー

歌人の穂村さんが、脳内で考えているずるいことや恥ずかしいを赤裸々に告白したエッセイ。それでもやっぱり穂村さんはいい人だなぁ。



人の家の洗濯物を眺めるのが好きだ。
変態だと思わないで欲しい。
別に、下着を詳細に眺めたいわけではない。
どういう干し方をしているのか見るのが好きなのだ。
ああ、この人は大きさ順に干している。
こちらは何でも竿にかけるタイプの方だ。
この家は無秩序だ、きっとこだわらない方なのだろう。
うわっ、色がグラデーションになっている、すごい!
ベランダが満艦飾だ!大家族なんだろうな。
などと妄想している。
自分はいつも乾きやすさだけを考えた、見た目軽視派なのだが。

誰にも言ったことのない、こんな告白をしてしまったのも、この「蚊がいる」という穂村弘さんのエッセイを読んだからかもしれない。
歌人の穂村さんが脳内で考えている、ずるいことや恥ずかしいことまで正直に赤裸々に告白してくれているのだから、私も恥ずかしながらカミングアウトしてみたくなったのだ。

会社員時代の飲み会とカラオケは「楽しまなければいけない」ものだったので、とても辛かったと告白する穂村さん。

街頭でティッシュを配る人が立っていると、かなり手前から緊張してしまう穂村さん。

テレビ番組に出演した際、最後に出演者たちがテレビカメラに向かってバイバイをする場面で、「普通のバイバイをするような俺じゃねぇ。誰も見たことないような格好良いバイバイをしよう。」と思ったけど、「特別なバイバイ」なんて咄嗟に思いつくはずも無く、手を挙げたまま固まってしまった穂村さん。

脱力系の文章の中に、人の良さがにじみ出ていてとても好感が持てる。
すれ違いざまにぶつかった相手に舌打ちされて、「『こいつの心臓が止まるボタン』が手の中にあったら即押す」などと物騒な告白をしているけれど、穂村さんはそんなボタンがあったとしても絶対に押せないタイプなのだと、私は確信している。

自信のなさから迷いに迷ったり、人目を気にしてしまう穂村さんに、「もう穂村さんたら!しっかりして!」と思わず言いたくなってしまう。
エッセイを読んでいると、スゴイ方だということを忘れてしまうのだ。

「手を汚さない納豆」から「フロントホックブラ」に繋がってしまうように、妄想が激しく思考の飛躍がすごい。
こんなエッセイは、穂村さんにしか書けないだろうなぁ。

えっ!そうなの!と驚いたり、じれったいなぁと思う場面もたくさんあった。
でも、今まで私の頭の中でモヤモヤしていたことを、穂村さんが言葉にしてくれてスッキリしたり、時には共感する場面もあったのだ。

誰でも心の中で思っているけどあえて口に出さないようにしていることを、正直に書いちゃう穂村さん。
ああ、穂村さんてやっぱりいい人だなぁ。

※本書は、「L25」「週刊文春」「読売新聞夕刊」などに掲載されたエッセイをまとめたものである。
巻末には、又吉直樹さんとの対談が収録されている。

2013年11月12日火曜日

あい 永遠に在り

高田郁著
角川春樹事務所

幕末から明治を生き抜いたある夫婦の物語。





北海道足寄郡陸別町。
そこに関寛斎資料館がある。
関寛斎は、幕末から明治にかけて活躍した医師である。
その後、古希を過ぎてから北海道に渡り「開拓の祖」と呼ばれた。
本書は、その関寛斎の妻 あい を主人公にした高田郁さんの小説である。

上総(千葉県)の農村に生まれたあいは、18歳で従兄弟である関寛斎の元へ嫁ぐ。
関寛斎は、「乞食寛斎」と呼ばれながら苦学して医師になったばかりの23歳であった。
私塾を開き厳しい指導で知られる舅、他人に厳しく自分にはもっと厳しい「般若のお面の下に、菩薩の顔が隠れている」と言われる姑の下で暮らしていたが、その後夫と共に銚子・徳島へと移り住んだ。
夫・寛斎は、徳島藩医、戊辰戦争の軍医として偉大な功績を残したが、立身出世や金儲けには目もくれず、患者のために尽くし、あいは内助の功を発揮して夫を心身ともに助けていく。
そして、寛斎73歳あい68歳の時に築いた財産を整理し、北海道開拓の道へと旅立つ。
人たる者の本分は、眼前にあらずして、永遠に在り。
(目先のことに囚われるのではなく、永遠を見据えること。)
偉大な功績を残した夫と、陰ながら支え続けたあい。
そんな素敵な夫婦の愛の物語である。

あいは過酷な運命に翻弄されながらも沢山の子を産み育て、大きな試練を乗り越えていく芯の強い女性である。
しかし、寛斎に「どのような状況にあっても物事の良い面だけを見る」と言われるような、明るく楽観的な一面がある人物として描かれている。
困難を乗り越えていく強い女の迫力ある物語になりそうな設定だが、心温まる「愛」の物語になっているのは、高田郁さんによってまろやかさが味付けされているからだろうか。

これで高田郁さんが書かれた既刊の小説は全て読破したが、どれも本当に心温まるいい物語ばかりで、全くハズレがない。
11/14に初めての現代小説が出版されるようなので、そちらも楽しみに待ちたい。
(本音は、早く「みをつくし料理帖シリーズ」や「出世花」の続編を書いていただきたいのだが。)

2013年11月10日日曜日

国史大辞典を予約した人々: 百年の星霜を経た本をめぐる物語

佐滝剛弘著
勁草書房

明治41年に刊行された「国史大辞典」を誰が予約したのか?彼らを探る長い長い旅。

2008年、著者は群馬県の老舗旅館で一冊の芳名録に出会った。
A5版170ページほどの「国史大辞典予約者芳名録」。
そこから、100年ほど前に生きた人々を探る長い長い旅に出ることになる。

明治41年に、吉川弘文館(1857年創業)から出版された日本史の辞書「国史大辞典」。
当時の教員の初任給が12~15円という時代に、定価20円という高価な辞典である。
(現在は1979年から20年かけて出版された全17巻、定価29万7千円+税が最も新しい。)

経費がかかる辞書の出版に際し、刊行前に予約金が入り発行部数の目処も立てやすいというメリットがあることから予約出版という形態になり、「国史大辞典」刊行の約1年前に出版されたのが、本書の主役である「国史大辞典予約者芳名録」である。
選ばれし者だと予約者たちのプライドをくすぐったり、多くの人が予約していることに安心してもらうために刊行されたようだ。
個人情報の扱いにおおらかだった時代だからこその出版なのだろう。

そこに記された約1万件の記載名を、地道にそして丹念に著者は辿っていく。
与謝野晶子、柳田国男、金田一京助、開成・麻布などの有名校、法隆寺・厳島神社などの社寺・・・
ひと目でわかる名前ばかりでなく、苗字しかないもの、誤植、雅号や筆名または本名で書かれたものと一筋縄ではいかない名前に頭を悩ませながら、少しずつ特定していく。

「芳名録」は無機的な名前の列記であり、また本書は、言うなれば調査結果を羅列したものだが、それがなぜこんなにも面白いのだろうか。

芥川龍之介の実父、太宰治の実家も購入していた・・・そんな事実から、彼らもこれを見ながら作品に生かしていたのだろうかなどと、想像力を掻き立てられるのである。
また、名古屋大学に農学部が設置された際、東京大学農学部から重複文献を提供する申し出があり、国史大辞典が寄贈された・・・など、この辞典に関わる小さなストーリーや歴史的繋がりを発掘していくのである。
ロマンを感じさせてくれる驚きと発見が詰まっているから、こんなにもワクワクするのだろう。

裕福な人が本棚の飾りとして購入するというより、飽くなき探究心・向学心から購入していたようである。生活を切り詰めてまで購入した、私財を投げうってまで学校の運営や地域の社会教育に勢力を注ぎ込んだ・・・当時の人々の気概を感じるそんなエピソードがあぶり出されてくる。
多くの人に利用されてボロボロになり、表紙を補綴しながら廃棄せずに現在まで保存されている「国史大辞典」の写真を見たときは、著者のみならず私まで感銘を受けた。

検索すれば何でも気軽に調べられる時代、こういったドラマも無くなっていくのかと思うと寂しく感じられる。

2013年11月7日木曜日

おとうさんがいっぱい

三田村信行作
佐々木マキ絵
株式会社理論社

お父さんが増えた!誰が本物のお父さんなのか?・・・これは童話なのか?SFなのか?それともホラーなのだろうか?



表紙の男3人が夫に似ている。
禿頭でヒゲを生やしているところが同じ、というだけなのだが。
図書館から借りてきたら、子供たちが表紙を見て「うわぁ、まさにお父さんがいっぱいだ!」と大盛り上がりだった。

この「おとうさんがいっぱい」は5編が収録された児童書である。
児童書といっても、侮れない、なかなかシュールな物語ばかりだ。

「ゆめであいましょう」
ミキオは、昔の自分が出てくる夢を見た。
最初は生まれたばかりの赤ん坊、次は5歳くらいの男の子・・・と夢を見るたびに大きくなっている自分。
どの子も夢の中で現在の自分を見ると怖がってしまう。
良い子は夢を見るのが怖くて、夜な夜な怯えてしまいそうな話である。

「どこへもゆけない道」
駅から自宅へ戻ると、そこはいつもの自宅ではない。
もう一度駅前へ戻り、自宅へ帰ってみるが、今度は自宅が消えている。
自宅が変わってしまったらどうしようと、外出するのが怖くなってしまいそうな話である。

そして表題作の「おとうさんがいっぱい」
いつの間にかお父さんが増えているのである。
どのお父さんも自分が本物だと言い張り、喧嘩になってしまう。
我が家だけではなく、全国いたるところで父親が増えるという騒ぎが持ち上がっていた。
中にはお父さんが12人も増えてしまった家庭も!
政府も対策に乗り出すのだが・・・

その他
マンション5階の自宅からどうしても出られなくなってしまう「ぼくは5階で」
お父さんが壁の中へ入ってしまう「かべは知っていた」
など、子供に全く媚びていない物語ばかりである。

どの話も、なぜそうなってしまったのかという説明もなしに、強引に話が進んでいく。
読者は、えー!と驚愕しながらどんどん引きずられていってしまう。
これが子供向けなのか?
SF、いやホラーではないのか?
童話ならばせめて話を丸く収めてくれたらいいのに、そんなこともなく突き放されたまま話が終わってしまう。

良い子のみんなは、この本を読んで夜ぐっすり眠れるのだろうか。
是非とも小学生の感想を聞いてみたい。

2013年11月5日火曜日

マラソン中毒者 北極、南極、砂漠マラソン世界一のビジネスマン

小野裕史著
文藝春秋

南極・北極を走り、灼熱の砂漠を7日間で250Km走り続ける!これぞまさにジャンキーだ!



マラソンとは、中毒になるものらしい。
父は元気だった頃、毎月各地のマラソン大会に出場していた。
叔父は、もっと重症だ。
大怪我をして医者に止められているにもかかわらず、相変わらずマラソン大会にエントリーして、熊野古道を走り回ったり、富士山を走って登る大会にまで出場している。
私自身も楽しいから毎日運動を続けているのだが、長距離を走るのは苦しそうでとても挑戦したいという気になれない。

しかし、世の中には上には上がいるらしい。
この「マラソン中毒者」の著者は、数え切れない程のフルマラソンや100Kmマラソンを完走しているのである。

ベンチャー企業経営者からベンチャー投資家になった著者は、元々は運動経験ゼロのインドア派だったという。
それが、ちょっとしたきっかけから走り始め、3ヶ月後にはフルマラソン、11ヶ月目には100Kmマラソンを完走してしまうのだ。
私にとっては、42.195Kmだって走ったり歩いたりする距離じゃない。
車か電車移動の距離だ。
それを100Kmとは!

まばたきをすると、上のまつ毛と下のまつ毛の氷がくっついて目が開かなくなってしまうという想像を絶する寒さの中、北極マラソンを走る。
南極では、フルマラソンでは飽き足らず100Kmマラソンを走る。
もはや何かに取り憑かれているとしか思えない・・・
しかも、頼まれてもいないのに忍者のコスプレをしながら走るのだから、もう頭の中に「crazy」の文字が浮かんでくるではないか!

そして、高山病の危険もある高地の灼熱の砂漠を、荷物10kgを背負いながら、7日間で250Km走り抜けるというレースに、チームでエントリーするのだ。
誘われた友人たちも、経験が浅いながら二つ返事で参加するのだから、マラソン中毒は伝染するのかもしれない。
しかも彼らは、なるべく荷物を軽くする工夫はしても、コスプレ衣装を置いていくことは考えていないのだ!

ある意味こんな怖い本もない。
軽妙な語り口調で笑わせてくれ、走るのって楽しそうと一瞬思ってしまうが、違う違う。
冷静に考えると、いや冷静に考えなくても、なんて無謀な!なんて危険な!と怖くなってくるのである。
もう止めてぇ~!と何度思ったことだろう。
読みながら、「著者はこの先大丈夫なのだろうか?この本が出版されているということは無事に違いない。」と自分に言い聞かせ続けなければならなかった。

彼らはなぜ走るのだろうか。
ゴールの先には何が見えるのだろうか。
自らエントリーし、時間とお金をかけて大会に出場し、苦しい思いをするのだから、よっぽど素敵な何かが、走る者にしか見えない何かが、そこにはあるに違いない。
彼らこそ、まさしく素敵なジャンキーだ!

2013年11月3日日曜日

祈りの幕が下りる時

東野圭吾著
講談社

一気読みでした!「加賀恭一郎シリーズ」の10作目



養護施設で育ち、苦労しながら、夢見ていた大きな舞台を成功させた女性演出家。
彼女を訪ねてきた幼馴染みが、数日後遺体で発見された。
同時期にホームレスが河川敷で殺害され、テントが燃やされる事件があった。
二つの事件を追ううちに、過去の悲しい出来事、複雑に絡み合った人間模様が徐々に明らかにされていく。
本書は、東野圭吾氏による「加賀恭一郎シリーズ」の10作目である。

「新参者」「麒麟の翼」で出てきた場所や出来事があちこちに登場したり、加賀が子供の頃に突然失踪した母親のことも次第に明らかになっていく。
普段あまり感情をあらわにしないクールな加賀だが、彼の中にある温かみや情熱をも感じさせてくれる、加賀シリーズのファンには見逃せない一冊である。

ストーリー的にも、冒頭から惹きつけられ、一気読みせずにはいられない。
前作「麒麟の翼」をご本人が「自己最高傑作」とおっしゃっていたが、正直とてもそんな風には思えなかった。
本書の方がよっぽど面白く、加賀シリーズの中では一番読み応えがあるように感じた。
「麒麟の翼」より活字量が多く、人物の心情が細やかに描かれていたからだろうか。

親が子を想う気持ち、追い詰められていく犯人・・・確かに今までどこかで読んだことのあるような題材なのだが、読者を夢中にさせるのだから人気がある作家だというのは頷ける。

これぞエンターテインメントだなぁ。

2013年11月1日金曜日

望郷

湊かなえ著
文藝春秋

涙腺のネジを締め忘れたのか、泣けて仕方がなかった!今までとはひと味もふた味も違う、湊かなえさんの連作短編集。



物語の舞台は、瀬戸内海に浮かぶ小さな島、白綱島。
橋を渡ればすぐ本土に行けるというその島は、作者の湊かなえさんの故郷・因島をイメージしているのだろうか。
本書は、そんな小さな島で生まれ育った人物の複雑な心情を描いた連作短編集である。

「みかんの花」
駆け落ちしたまま25年間も音沙汰がなかったのに、有名作家として突然帰ってきた姉を迎える妹の複雑な心境。
「海の星」
父が失踪し、母子二人暮らしの苦しい頃になぜか助けてくれたおっさんがいた。20年経って明かされるその真相。
など、6編が収められている。

湊かなえさんといえば「告白」に代表されるような、何とも後味の悪い「イヤミス」の女王と言われている。
が、この本は後味も悪くなく、今までの湊さんの小説とはひと味もふた味も違っていた。
激しい起伏があるわけでもなく、静かにそして細やかにそれぞれの心情を綴っていく。
私の今の心理状態とピッタリ合っていたのか、途中からは涙腺のネジが緩みっぱなしになってしまった。

特に、「雲の糸」という話では、なぜか涙が溢れて仕方がなかった。
主人公はその島出身の男性有名歌手。
母が殺人犯であったため、子供の頃から辛い思いをしていた。
島を出たい一心で大阪に就職し、その後努力を重ねて現在の地位を得た彼は、島で行われるあるパーティーにゲストとして出席することになった。
殺人犯の息子として虐げられた過去がある彼は、帰りたくなかった故郷でたくさんのサインを書かされ、彼に辛く当たっていた人々に、さも自分のおかげで有名になったんだという態度を取られるのだ。

わかる、わかる!
うん、うん。有名になると突然親戚や友人が増えるんだよね。
みんななんて酷いんだ!
血のにじむような努力をして掴んだ今の地位なのに!
あれほど酷いことをしてきたくせに、スターになったとたん態度を変えるなんて!

私は有名人でもなくサインを頼まれたこともない無名の女だけど、
特に深刻な過去があるわけではない平凡な人生を歩んできたけれど、
なぜか大いに共感してしまい、悔しくて悲しく泣けてきたのだ。
なんの共通項もない読者の心を、ここまで揺さぶるとは!

島と決別する者。
家や墓を守るため島を出られない者。
都会に出たけれど、島に帰ってきた者。

それぞれの「望郷」が心にしみる一冊だった。