2012年7月31日火曜日

絶食系男子となでしこ姫 国際結婚の現在・過去・未来

絶食系男子となでしこ姫 国際結婚の現在・過去・未来
山田昌弘・開内文乃著
東洋経済新聞社

男は草食系を通り越して、「絶食系」になってしまったのか?
女は海外に活躍の場を求める「なでしこ姫」になったのか?
日本の男女の行く末が気になる一冊。




好きな女性がいても告白せずに様子を見ている、恋愛に消極的な「草食系男子」
それにとどまらず、そもそも異性との交際を諦めている、または女性との交際が面倒くさいと言って恋愛欲求すらもたない「絶食系男子」
海外に活躍の場を求め、国際結婚し活動する日本人女性「なでしこ姫」
これは、そんな日本の男女が陥っている問題点について、「婚活」「パラサイトシングル」 の名付け親である山田教授と、ジェンダー論が専門の開内氏が解説した本である。

「出会いがない」とつぶやく女性たち。
「自分が好きでも相手の方も自分が好きだとわかるまで告白しない」
「断られるとショックを受けるし、その後の関係も気まずくなる」
「付き合うのは面倒くさい」
「彼女がいなくても楽しい」
とリスクを避け、恋愛に消極的な男性たち。

本書から現代日本の、仕事にも結婚にも意欲的な女性に、男性たちが置いてきぼりを食らったような構図が見えてくる。

日本人男性は言葉で「愛」を表現することが苦手な人が多い。
それに対して、「愛」の告白をされたいと思っている日本人女性は多数いるのだ。
そのため、外国人男性のストレートで積極的なアプローチに、女性は魅力を感じる。

「好きになったら失敗を恐れずに告白する」これがグローバルスタンダードである。
海外では、積極的な姿勢で攻めなければ、恋人を得ることはできないのだ。
日本は、恋愛までガラパゴス化しているのか!

本書では、日本経済・ジェンダー論・統計、「モテキ」「ダーリンは外国人」などのコミック・・・と、様々な角度から日本の男女の恋愛・結婚について分析していくのだが、読んでいくうちに気分がふさいでしまう。
これではどんどん男女の意識の差が開いていき、少子化問題は解決しないし、日本の明るい未来が想像できないではないか!

しかし、積極性は乏しくても、真面目で優しい、愛すべき日本の男たち。
「もっとガツガツしようぜっ!」と応援したくなる本であった。 

2012年7月28日土曜日

みをつくし献立帖

みをつくし献立帖
髙田郁著
角川春樹事務所

第7弾まで発売されているみをつくしシリーズ。その中に掲載されているレシピと共に、シリーズのこぼれ話、書き下ろし短編まで収録されている。ファン必読の一冊。




みをつくし料理帖 は、料理屋で働いている を主人公にした江戸時代の小説である。

一話ごとに料理のレシピがついている。
そのレシピは美味しそうではあるが、なかなか手が込んだものなので、作ろうという気にはなれなかった。

唯一の例外が、胡瓜を使った「忍び瓜」
簡単そうに思えたのでレシピ通り作ってみたのだが、う~ん。
愛情が足りなかったのか、イマイチであった。

この本によると、その「忍び瓜」は著者が3週間、朝昼晩3食作ってレシピを考えたのだという。
それを聞いたら、イマイチなどと言ってしまい申し訳なく思う。
もう一度、愛情込めて丁寧に作ってみよう。

この本は、「献立帖」というだけあって、美味しそうな写真と共にレシピが掲載されているのだが、それに加えて、こぼれ話や、澪と野江の幼い頃の書き下ろし短編まで収録されていて、ファンなら必読の一冊となっている。

面白かったのが、料理帖シリーズ が受験問題として出題されたという話。
問題文を送ってもらった作者が、「この時の澪の心情を答えなさい」という問題に悩んで、最後には鉛筆を放り出してしまったという。
作者も解けない問題に挑む受験生たちは大変だなぁ。

料理があまり得意ではない私でも作ってみようと思ったレシピが「はてなの飯」
刺身用のカツオを生姜と一緒に甘辛く煮て、炊いたご飯に混ぜたものである。
生姜の味が効いていて、私にしては上手くできた・・・と思う。

2012年7月27日金曜日

先生、モモンガの風呂に入ってください!

先生、モモンガの風呂に入ってください!
小林朋道著
築地書館

先生は、モモンガがウジャウジャいるお風呂に入ったのだろうか?「先生」シリーズ第6弾!!





鳥取環境大学の教授である「先生」が書いたシリーズ第1弾 『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!』の次に読んだのがこの第6弾。
続き物ではないので飛ばして読んでも大丈夫だったが、できれば順番に読んだ方がいいのだろう。

今回も先生は動物が絡む様々な事件に遭遇する、いや、事件を引き起こすのである。

一人で行った「雪が降り積もった、人里離れた山中のコウモリ洞窟の奥、漆黒の闇の底に広がる地底湖」で、水の中を動く大きな影を発見する。
そんな何が起きてもおかしくないような状況で、裸足になり水の中へ入って影の正体を探る先生。

「海の生き物から1種類選んでその動物の専門家になろう」という授業で、学生たちより熱中する先生。

小学校の夏休みの自由研究のテーマに「白と茶色の縞々のハチの巣」を選び、刺されながらも果敢に解明した若き日の小林少年。

そんな個性的な先生のもとに集まる学生さん達も、また個性的だ。

こともなげにヘビを腕に巻いて「獲ってきました」と先生に突きだす女子学生。
ヒキガエルと間近で見つめ合い、満面の笑みを浮かべる女子学生。
学生たちも本当に生き物が好きそうで、目を輝かして先生のお話に聞き入っている姿が目に浮かぶ。

先生が学生たちと行う実験の数々は、本当に楽しそう。
「チビタコ太郎」と命名されたタコの水槽の背景に、白い紙・黒い紙を交互にかざし、素早い体色変化を見るなんて、楽しそうでやってみたいではないか。

そして先生は、大学近くにあるニホンモモンガが棲む森を守るため、「モモンガプロジェクト」を立ち上げたという。
こんな楽しい先生と一緒に学べる学生たちを羨ましく思いつつ、「モモンガプロジェクト」の成功を祈りたい。

「モモンガプロジェクト」ホームページ

2012年7月25日水曜日

先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!―鳥取環境大学の森の人間動物行動学

先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!―鳥取環境大学の森の人間動物行動学
小林朋道著
築地書館

巨大コウモリは廊下を飛んだあと、どうなったのだろうか? 
「先生」シリーズ第1弾!!




学生数が1200人ほどの鳥取環境大学。
その大学の教授である著者が、出会った動物たちとの触れ合いを楽しく書いた本である。
専門は「動物行動学」「人間比較行動学」。


森や河川・池に囲まれた自然豊かな環境にある大学では、生き物が関わる事件が日々勃発しているのだ。
表題にもなっている巨大コウモリが大学の廊下を飛んでいたり、気性が荒いという5頭のアナグマに囲まれたり、私にとっては非日常の出来事が先生にとっては日常らしい。


周りの人たちも、弱ったハトを見つければ先生に連絡し、タヌキが車にはねられたと先生に助けを求める。


GPSをつけてタヌキの行動を追跡したり、埋め立て予定の池の生き物を守るため、近くに別の池を作って移したりと、学生たちと楽しそうに行動する。


<b>「先生にはストレスというものがないように見えます」</b>と学生に言われる先生。
哺乳類・爬虫類・魚類であれ、日本に棲むたいていの動物なら種類を即座に答えられるという先生。
生き物好きの少年がそのまま大人になったような先生。
読んでいて、目を輝かせながら動物たちに接する先生の姿が浮かんできて、こちらまで楽しい気分になる。


生き物好きな人なら、そんな先生の授業を受けてみたいときっと思うだろう。
ただし、先生がアナグマに囲まれたのは大学のグラウンドや体育館の裏辺りだし、近くには虫やヘビやイモリをはじめ様々な生きものが待っている。
う~ん。面白そうではあるけれど、ちょっと怖い。

2012年7月24日火曜日

ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観
ダニエル・L・エヴェレット著
屋代通子訳
みすず書房

アマゾンの奥地に暮らす少数民族「ピダハン」。30年にわたって共に暮らし共に笑った著者渾身のノンフィクション。





アマゾンの奥地に暮らす少数民族「ピダハン」
この本は、現在400人を割っているという彼らと共に暮らした30年をまとめたノンフィクションである。

著者は、アメリカの福音派教会から派遣された言語学者兼伝道師として、ピダハン の村に赴く。
目的は、ピダハン語 を理解し、聖書を翻訳し、そして彼らを改宗させるためだ。
妻と子供3人と共に ピダハン の村で生活しながら、彼らと接していく。


ピダハン の文化はとてもシンプルで、道具類はほとんど作らない。
作るにしても、長くもたせるようにはしない。
芸術作品もほとんどなく、物も加工しない。
儀式もない。
食事も毎日食べるわけではない。
保存食もなく、備蓄もしない。
漁をして魚を獲ったら、夜中であっても家族を起こして全て食べる。

ピダハン達 は、そんなシンプルな生活の中で、忍耐強く、朗らかで親切であり、とても幸福そうに見える。
実際に見たものしか信じないという独特の価値観を持ち、他の文化を受け入れない。
自分たちの文化を誇りに思い、満足しているのだ。

著者は、長年彼らと接するうちに、今のままで十分幸せそうであり、「迷える子羊」でもない彼らを改宗することに疑問を抱き、自らも信仰を捨て、無神論者となっていくのだ。

未知の文化に飛び込んで、全人格をもってフィールド研究に打ち込んだ著者。
読みながら、ピダハン 独特の価値観に驚いていた私も、だんだん彼らに惹かれていく。

この本の中核を成すのは、ピダハンの言語に関する考察である。
ピダハン語 は現存するどの言語とも類縁関係がないという。
「ありがとう」「こんにちは」など社交上の言葉もなく、色の名前、数や左右の概念もない。
今まで考えられていた「普遍文法」「言語本能論」「リカージョン(入れ子構造)」等が、ピダハン の文化と言語に接するうちに、ガラガラと崩れていくのは見ものであった。

「今まで出会った中で一番幸せそうな人々」である ピダハン
世界観・価値観がこれほどまでに違う ピダハン に魅力を感じるとともに、いつまでもその文化を維持してほしいと願う。

参考: ピダハンのインタビュー動画

2012年7月22日日曜日

やんごとなき姫君たちの食卓

やんごとなき姫君たちの食卓
桐生 操著
TOTO Books

古今東西、食にまつわる雑学コラム集。やっぱり我が家の食卓が一番なのかも。




姫君たちの、どれだけ絢爛豪華な食事が書かれているのだろうと、よだれを堪えながら読み始めた。
上流社会のパーティーの様子、ワイン、銀器や陶磁器の話、料理やレシピなど、飲食にまつわる幅広いトリビアが70以上掲載されていた。
これは、中世ヨーロッパを中心とした食にまつわるエピソードを集めた雑学本だったのだ。

ルイ14世の好みのレシピと言われても、耳慣れない材料と大雑把すぎる分量でとても作る気になれない。
しかし読めばなんとなく想像がつく。
バター、生クリーム、ラード・・・あぁ、なんとこってり料理なんだろうと、こってり好きの私でも胸やけがしそうであった。

古代エジプトでは酒宴の最中に、模造ミイラを見せながら「みんないつかはこうなる。だから、今のうちに飲食を楽しもう」と言って回ったという。
気持ちはわかるが、わざわざ見せなくても・・・かえって食欲が落ちる気がするのだが。

ルイ14世の時代、バスティーユの監獄の様子。
囚人たちは、愛用品を持ちこみ、召使いや料理人を雇い、食べきれないほどの贅沢な食事を与えられていた。
あまりに居心地がいいので、刑期の延長を申し出る者や、自分から進んで入った者もいたという。

その他、チョコレートブランドの「ゴディバ」の名前の由来となった「ゴダヴィア伯爵夫人」にまつわる話、アフタヌーンティーやカフェの話と本当に盛りだくさんな内容であった。

一つのコラムが短いので、深い考察はないのだが、気軽に楽しめる本であった。

2012年7月21日土曜日

我が家の問題

我が家の問題
奥田英朗著
集英社

人から見たら小さい我が家の問題。でも、本人にとっては大きな問題なのだ。





新婚なのに、世話好きで思い出作りの好きな妻が待つ家に帰りたくない夫の話「甘い生活?」
夫が会社で蔑まれているのではと心配する妻の話「ハズバンド」
両親が離婚するのではと不安に苛まれる女子高生の話「絵里のエイプリル」
突然UFOと交信していると言い出した夫を心配する妻の話「夫とUFO」
新婚夫婦がお互いの実家に帰省するストレスの話「里帰り」
妻がマラソンにはまってしまった夫の話「妻とマラソン」

人から見たら羨ましいような、そんなの苦労じゃないよと言いたくなるような、しかし当人にしたら深刻な悩み、そんな話が6編収録されている短編集である。

家族なんだから、疑問があるならどうして本音でぶつかっていかないのか?ともどかしい気もするが、なかなか難しいのだろう。
特に、親の離婚問題を疑う女子高生なら、面と向かってはなかなか聞けないのもわかる。

一番良かったのは「妻とマラソン」
夫が売れっ子作家になった。
「どうせお宅はお金持ちだから」と言われてしまうので、主婦友達の節約の話にも入れず、
有名人の夫と知り合いになりたいがために近寄ってくる面々とも付き合いたくない妻は孤立していく。
働きに出ることもできず、目標を失い悶々とするのである。
夫婦一緒に歩んできたのにいつの間にか夫に先に行かれてしまった妻の気持ちが、夫の視点から細やかに描かれていた。

平凡な家庭のどこにでもあるような問題---そんなちょっとした日常を、退屈させずに読ませるのはさすがと思う。
これが林真理子さん・桐野夏生さんといった方が同じストーリーを書いたなら、まぁ修羅場の連続で、人間の汚さ・愚かさが全開のドロドロ話になるのだろう。(そういうのも好きなのだが)
しかし、この本は全話共通して明るい未来を予感させる終わり方なのだ。

隣の芝生は青く見えてしまうけれど、どこの家庭にも悩みはある。
家族の数だけドラマはあるのだ。
そんな事を再認識した本であった。

2012年7月18日水曜日

お待ちになって、元帥閣下 自伝 笹本恒子の97年

お待ちになって、元帥閣下  自伝 笹本恒子の97年
笹本恒子著
出版社:毎日新聞社

日本初の女性報道カメラマンの自伝。御年97歳!!


大正3年生まれの著者。
画家を目指し絵画の勉強をしていた時、知り合いの新聞記者から新聞に掲載するイラストのカットを頼まれる。
その縁で、「写真協会」の報道カメラマンとなる。ときは日中戦争の真っ最中。
フィルムの入れ方も知らず、「引っ込み思案のあなたには無理じゃないかしら」と友人に言われながらも奮闘する。
昭和25年には日本で初めての写真の個展を開く。
そして平成22年には、96歳で写真展を開催した。
この本は、そんな著者の人生を振り返った自伝である。

「日本初の女性報道カメラマン」と聞けば、勇ましいとか男勝りというイメージが浮かんでしまう。
しかし、この方は表紙の写真そのままの上品で可愛らしいおばあさまという感じの語り口調で、優しそうなお人柄がよくわかる。
「おばあちゃん」や「おばあさん」ではなく、やっぱり「おばあさま」という感じなのである。

関東大震災に始まって、2.26事件、日中戦争・太平洋戦争・・・日本史の教科書のような出来事が続く。
撮影した有名人も、川端康成、浅沼稲次郎、井伏鱒二、越路吹雪、三木武吉、マッカーサー・・・とやはり昭和史を彩る人物が多数挙げられている。

そんな時代に「職業婦人」として、しかも男社会に「日本人女性初の報道カメラマン」として仕事するということは、どんなにか大変だったろうと思う。
しかし著者は、「お買い物に行ってまいりました。」と同じような調子で、さらりと苦労を語っているのだ。

そして、題名にもなったエピソード。
マッカーサー元帥夫妻の写真を撮ろうとした時、フラッシュが発光しなかったのだ。
困った著者は、「エクスキューズミー、ここでお写真を撮らせていただけませんか」と頼み、立ち止まってもらう。
「天皇陛下とマッカーサーには声をかけるのは厳禁」の時代である。

優しそうな笑顔の中に、人に迷惑かけたくない、礼儀正しい、義理がたい、そんな強い芯が通っているような方だった。
いつまでもお話を聞いていたいような気分になる本である。
ただ、弱音を吐くような方ではないのだが、苦しい・悲しい等のマイナスの感情もお聞きしてみたいなと思った。

2012年7月17日火曜日

木嶋佳苗劇場~完全保存版! 練炭毒婦のSEX法廷大全 (宝島NonfictionBooks)

女は「こんな女がモテて私がモテないのはなぜ?」と悔しい気持ちから興味を持つのだろうか?
男は「騙されたのはモテない男。でも俺は違う」というプライドから関心がないのだろうか

 
「木嶋佳苗劇場」の「劇場」とは、裁判官のセリフ「ここは劇場ではありません」からきている。

この事件を少しでも理解したいと思い「毒婦」「別海から来た女」と読んだが、いくら考えても理解できないのだと、自分の中で結論付けた。
・・・つもりだったが、やっぱり気になり手を出してしまった。
この本は、題名も構成も扇情的な感じがして、犠牲者がいる事件だというのに茶化しているようなイメージがあり敬遠していたのだが。
この本の特徴は、90ページ(約3/5)をも割いて、裁判での被告人質問の一問一答が載っていることだ。
今まで目にしてきた、ピックアップされた細切れの被告人質問と違い延々と続くので、やり取りの様子がよくわかる。
ただ、読んでいてただでさえお腹いっぱいなのに、無理やり口の中に食べ物を突っ込まれたような感覚だった。

そして、「佳苗ギャル座談会」へと続く。
「佳苗ギャル」とは、佳苗の生き方に憧れるとんでもない女たちの事かと思っていたが、そういうわけでもなさそうだ。
少なくともこの座談会に出席している方たちは、佳苗の「イタい嘘」を嗤ったり、佳苗を様々な角度から詮索するのが好きな人たちだった。
そう考えると、佳苗に興味を持っている私も「佳苗ギャル」の一員とみなされるのかと、ショックを受けた。

そして、私が一番興味を持ったのが、佳苗の過去のブログを検証した個所だった。
毎日半端ない量を食べていた食欲・欲求不満を赤裸々に綴った性欲・ヤフオク等でやり取りしていた物欲。
どこまで欲深い女なのだと驚いた。
特に、オークションで買い漁っていた、ブランドショップの紙袋、航空会社ファーストクラス限定品、叶姉妹・君島十和子グッズ・・・
セレブに憧れて、嘘とプライドと見栄にまみれた佳苗が浮き彫りになる。

最後に、倉田真由美・岩井志麻子・中村うさぎのそれはそれは濃ゆいお姉さま方の談話が載っている。
もう、口の中に食べ物を突っ込まれるだけでなく、油と納豆のお風呂に無理やり入れられた気分になる。

もう、十分。
この事件の事はやっぱり理解出来ないと、これでよくわかった。
もう、これに関する情報を追うのはやめにしようと誓った。

参考:3冊の比較(私の独断と偏見によるものです。)

『毒婦』・・・女性目線。裁判の全体像を知るのに最適。多角的でない。
『別海から来た女』・・・男性目線。ルーツや、背景が一番詳しい。自慢・批判が鼻につく
『木嶋佳苗劇場』・・・佳苗個人を多方面から見る。佳苗の過去ブログが詳しい。野次馬的

真実 新聞が警察に膝まづいた日

フィクションであって欲しい。そう願わずにはいられない警察とジャーナリズムの崩壊。
元北海道新聞の記者が体験した信じがたい真実とは?



北海道警の裏金疑惑を追及した一連の報道で、北海道新聞(以下道新)の警察・司法担当デスクであった著者は、2004年、新聞協会賞・JCJ大賞・菊池寛賞をトリプル受賞した。この本は、その後の信じられない出来事を綴ったノンフィクションである。

裏金報道後から、道警の道新への嫌がらせが始まる。
取材拒否、記者への恫喝、警察署での道新不買運動・・・
そして、道警OBによる執拗な「枝葉末節揚げ足取り」の抗議と謝罪要求が繰り返される。
裏金とは関係のない小さい問題を無理やり大きく広げた難癖が続く。
最終的に、著者は名誉棄損で訴えられるのである。

そんな中、05年3月に道新は「道警と函館税関『泳がせ捜査』失敗で、覚せい剤130キロ、大麻2トンの薬物が国内に流入した」という記事を掲載する。
これに怒った道警は事実無根として徹底抗戦するのだ。

同時期に道新内部で起こった横領と重なり、名誉を回復したい道警と、嫌がらせをやめてもらい、横領事件の静かな収束を願う道新とで秘密裏に取引がされる。

「出来レース裁判」をしよう。
人身御供として著者らを差し出そう。

道警は新聞社に密告した「組織の裏切り者」を執拗に捜す。
社内では賞をとった妬みと裏切りが渦巻き、著者は同僚から「地獄に落ちろ」「裁判でぶっ飛ばしてほしい」と言われる。

警察と報道機関のねじれた関係。
社内の様子は警察に筒抜け。
報道機関が警察権力にひれ伏し、ひたすら許しを請うかのような交渉。
驚くばかりの事実が並ぶ。

そして最後に明かされる「泳がせ捜査」の真相とは?
まるで警察小説、いやそれ以上の驚愕の事実が待っていた。
呆れる、憤るという感情を超越して、哀しくなった。

誰しも、警察官・新聞記者を目指した頃は、世の中をより良くしようと大志を抱いていたのだと思う。
巨大組織に組み込まれて変わってしまったのだろうか。
いや、やっぱり一人一人は今でも胸に大志を抱いているのだと信じたい。

魑魅魍魎が跋扈する巨大な組織に呑み込まれ、歯車となり揉まれていくうちに、そして仕事第一・組織第一と懸命に働くうちに、流れに引っ張られていったのではないか。
それならどこの企業・団体でもあり得そうなことだ。

そして、組織の一員である事を誇りに思って組織のために働いたからこそ、結果的にこうなってしまったのだと思いたい。
そうでないと、救いようがないのだから。

2012年7月15日日曜日

仏果を得ず

仏果を得ず
三浦しをん著
双葉社
 文楽・・・それが男の生きる道!!



仏果を得ず・・・厳しい修行をしても、未だ悟りの境地に達していない
だから、もっともっと精進するのだ!

のんきな不良少年だった は、修学旅行で見た 文楽 に衝撃を受け、研修所に入り、現在は人間国宝・銀大夫 の弟子として、芸に精進している。
ある日、「実力はあるが変人」として知られる 「三味線の 兎一郎 と組め」と師匠に命じられる---。
憎めない奔放なじいさんだが、芸は一流の師匠・銀大夫
浄瑠璃教室の教え子、小学生の ミラちゃん
など、個性豊かな登場人物と共に、 が成長していく物語である。

古典芸能には疎いのだが、楽しく学べる本であった。
「文楽」 とは、「人形浄瑠璃」の事で、太夫、三味線、人形遣いの「三業(さんぎょう)」で成り立つ、三位一体の演芸である。

物語を語る「太夫」は、芸名になると字が変わり、「大夫」となる。
声を出すため、腹に上手く力が入るよう懐に入れる「おとし」など、初耳の用語もたくさん出てくる。
台本や譜面を見るために使用する台である「見台」も、人間国宝ともなれば、朱塗りに蒔絵が書かれ、金の房がついた豪華なものだという。(見台の参考画像)
知らない事を検索しながら読むのもまた楽しかった。

300年以上に亘って先人達が蓄積してきた芸を踏まえ、後進たちに伝承するという文楽。
「師匠から激しい気迫があふれ出るのを感じた」り、「全身から殺気に似た空気が静かに立ち上ってい」たり、男たちの文楽にかける真剣な思いが読み手を魅了する。
も、芸にかける思いの深さと激しさを知っているからこそ、いくら叱られても師匠・銀大夫 についていこうと決めているだ。

文楽に人生をかける熱い男たちの汗が飛び散っている物語・・・ぐっとくるではないか。
古典芸能の知識があったらもっと楽しめるかもと思いながらも、軽く楽しく読める本だった。

ただ、「肉体関係」系の描写がちょくちょく出てくる。
激しい描写ではないのだが、必然と言うわけでもないだろう。
これがなければ中学生にもお勧めできるのだがと残念に思う。

2012年7月12日木曜日

日本語でどづぞ

日本語でどづぞ
柳沢有紀夫著
中継出版
人生に疲れた時、「どづぞ」お読みになってください。


1992年5月18日。 新婚旅行で訪れたケアンズのバス停で、その男は奇跡の出会いをはたした。
ベンチの看板に書かれていた謎の文字 「日本語でどづぞ」
その世紀の大発見から、男は「日本語でどづそ」学会 を立ち上げたのだ。

海外に散らばっている不思議な日本語の数々。
それらの事例を集め、検証・分析する。
その途方もない努力たるや、感動に値するではないか。

中国で見つけた「エしペーターでー階へどラざ」
カタカナの「レ」とひらがなの「し」は混同しやすい事を発見し、「どラざ」の意味を考える。
「ソ」「ン」の違いは、ネイティブでも難しいので、間違えてしまうのは仕方のない事だろう。
漢数字の「二」とカタカナの「ニ」は取り違え事例の基本中の基本である。
しかし、「ナ」「ネ」など、なぜ間違えるのかわからない事例も多数ある。

翻訳ソフトの結果をそのまま使ったのだと思われる事例もある。
しかし、ペットボトルに書かれた「サソリゐすがァ!」に至っては検証することすら難しい。
サソリの成分でも入っているのか、「!」とは何を強調したいのか。

そんな深くて浅い難問に、真っ向から立ち向かうのだ。
その勇気と熱意を讃えたい。
そして、ぜひ学会員の補欠メンバー末席にでも加わりたい。
「どづぞ」と言ってくれるだろうか。

日本人がわざと作ろうと思っても決して作ることのできない衝撃的な日本語。
今まさにこの瞬間も世界のどこかで生まれているのだ。

もしや、自分でも「どづぞ」外国語バージョン を身につけてやしないかと、ワードローブを見直さなくてはなるまい。

2012年7月11日水曜日

「砂糖」をやめれば10歳若返る!

「砂糖」をやめれば10歳若返る!
白澤卓二著
ベスト新書

若さをとるか、砂糖をとるか、それは究極の選択だ!!


いつまでも若くありたい、甘くておいしいものもたくさん食べたい。
そんな乙女たちに「どちらか一方を選べ」と選択を迫るのは酷ではないか。
欲張りな女は両立させたいのだ。
最近、老化の原因である「体の酸化」「体の糖化」が話題になっている。
若さと食欲を両立させるヒントにならないかとこの本を読んでみた。

砂糖・塩・油・には中毒性がある。
食べると落ち着く、幸せを感じる、もっと食べたくなる。
それは中毒だ。
その中で最もリスクが高いのは砂糖であり、日本人の9割以上が砂糖中毒だ。

そんな刺激的な内容から始まる本書。
それなら、私は砂糖中毒ではないか。
主食は玄米に雑穀、白砂糖は使わず黒砂糖を使用、と食事には気を使っているつもりだが、日々のおやつはかかせない。
お菓子なら、スナック菓子から洋菓子和菓子、何でもござれのつわものなのだ。
そして食べると幸せを感じる。
完璧にイカレたジャンキーだ。

著者は、そういった物質にはなぜ中毒性があるのかについてわかりやすく解説している。
そして、そんなジャンキーたちを救う方法も提案している。

キーワードは「ケトン体」と「キッチンルネサンス」。
要するに、血糖値を上げない食事に変えなさいという事だ。
血糖値の変動は「ペットボトル症候群」でも話題になったようにやはり健康にはよくないのだ。

また、本書でも一時期話題になった糖質を極端に制限する「アトキンス式ダイエット」 について触れているが、賛否両論あるので実行するときは注意した方がよさそうである。
その点、著者が考えた「白澤式ケトン食」は、色々な色をとる「レインボーフーズ」、精製度の低いものを食べる、野菜から食べ始める、と基本に沿ったやり方で、極端なバランスの崩れがないので安心できる。

あとは、実行力あるのみだ。
それが一番難しいのだが、健康のために、若さと美容のために、お菓子を一日おきにしようと誓った。

低炭水化物ダイエットについての参考記事

2012年7月9日月曜日

プロフェッショナルな修理

プロフェッショナルな修理
足立紀尚著
中公文庫

修理して大切に使い続ける、それこそが究極の贅沢なのだ!!


「物を大切に」「リサイクル」
わかってはいても、今は買った方が安い場合が多い。
私もお気に入りのものを修理しながら大切に使って・・・と憧れるのだが、そもそもそんな高級品を所有していない。

この本は様々な「物の修理」にスポットを当てて取材したドキュメントである。
どのようなプロセスを経て再生されるのか、これに係わる職人の仕事ぶりを子細に見ていくことで浮き彫りにしていく。

一本500万~1000万円もするという京仏壇。
それを「お洗濯」する。
丁寧に分解し、一つ一つ点検する。
メッキをし直し、欠けたパーツを補充し、損傷している箇所を補う。
そんな気が遠くなるような作業を繰り返す「お洗濯」が、定価の半分程のコストが掛かるのは仕方のない事だろう。
一つのものをずっと何代にもわたって使い続けようとする伝統、素晴らしいではないか。

伝統工芸品だけではなく、ピアノ、鞄、自動車部品、スクーターのべスパ、絵画・・・様々なものが修理され、再生されていく。

たかだか物の修理だと、侮ってはいけない。
新品を買うより高くついても、修理して長く使う事を選択した持ち主の気持ちを汲んでニーズに合わせる。
新品同様、美しく仕上げるだけでなく、修理した箇所だけが浮いてしまわないように使い古した風合いを作る場合もある。
プロの仕事というのはこれほど奥が深く、厳しい水準が求められるのである。

いっそのこと新品に買いかえれば良いのではないか。
いやいや、修理しながら使い続けるうちに自分にとってはなくてはならない逸品になっていくのだ。
これこそが、最も贅沢な道具の使い方である。

真剣な表情で仕事に邁進する職人さん達の横顔は本当に美しい。
腕と知識と経験が重要な職人の世界、その熱意こそが日本の宝だと思う。

ほぉ、と感嘆したり、えっと驚き読み返したりしながら読んだ。
何か一つ、子孫に伝えられるような究極の逸品を所有したくなる、そんな本であった。
先立つものを貯めるのが先決なのだが。

2012年7月8日日曜日

たかが英語!

たかが英語!
三木谷浩史著
講談社

賛否両論巻き起こった楽天の英語化宣言から2年。 これは、英語が苦手な日本人に送る、三木谷氏の応援歌だ!!



私は、5年ほどアジアに住んでいた。
当時の、聞くも涙語るも涙の英語にまつわる恥ずかしい苦労話は山ほどあるが、原稿用紙2000枚位になってしまうので、ここでは割愛しよう。
だから、「たかが英語!」と一橋大卒業、その上ハーバードでMBAを取得している三木谷社長に言われても、素直に頷けないではないか。
しかし、個人的には、好む・好まざるに拘らず、英語の習得は必然であるとは考えている。

将来的に日本のGDPシェアが低下することを考えると、「世界一のインターネットサービス企業になる」という目標を掲げている楽天にとっては、真のグローバル企業になる以外生き残る道はないのだ---。
そう考えた三木谷氏が、英語公用語化 を思いつき、どう実行していったかの過程が書かれている本である。

英語化に向けて、様々な工夫を凝らし社内体制を整え、社員をバックアップしていく。
一方、「英語ができない社員はダメな社員」という雰囲気が生まれないようにするなど、配慮も忘れない。

そうは言っても、不満を持ち、混乱する社員もたくさん出るだろう。
しかし、その都度制度の微調整を繰り返し、効果を上げていくのだ。

このプロジェクトにより、「自然と論理的な話し方を意識するようになる」「直接外国人とコミュニケーションをとることで、多大な恩恵を得られる」など、様々な嬉しい効果があったという。
また、「社内英語化」と宣言することにより、「楽天はグローバル企業になる」というメッセージを世に知らしめることにもなるのだ。

読み進めるうちに、英語に対するハードルがどんどん低くなっていくことに気付く。
特に、「グロービッシュ」で十分だという言葉には安心した。

楽天はブランドコンセプトの一つとして、「一致団結」を掲げているという。
そのため、一人の落伍者なく全員で目標に向かっていくのである。
まるで、英語 という団体競技に、チーム楽天 が一丸となって立ち向かう「スポ根物語」のようではないか。

他人事だと思うことなかれ。
私とて、趣味のダンスでマドンナのバックダンサーにでもスカウトされたら、英語が必要になるではないか。
英語とは関係のない仕事だからというあなたも、隣に日本語の話せないイケメン(美人)外国人が引っ越してきたらどうするのだ?
国際化の波は、もうすでに押し寄せているのだ。
そう考えると、自ずと英語学習にも熱が入るではないか!
三木谷氏も、そんな英語が苦手な私たちにエールを送っている、「たかが英語じゃないか!」と。

2012年7月7日土曜日

星と輝き花と咲き

星と輝き花と咲き
松井今朝子著
講談社

明治8年生まれの女義太夫・竹本綾之助を描いた小説。物語は浄瑠璃の中だけではないのだ。人はそれぞれ物語を持ち、自分もまた他人の物語の中に住んでいるのだ。




大阪で生まれ育った 綾之助 は、小さい頃から浄瑠璃の才能を発揮する。
士族の家柄を誇りに思う継母・お勝「芸人なんぞになったら、あんた地獄を見んならんで」と、将来入り婿をとり家を継いでくれることを願う。
しかし東京に移り住み、才能に恵まれた美少女であるため寄席に引っ張り出され、あれよあれよと人気絶頂になっていく。
この本は、そんな 綾之助 の人生を描いた小説である。

浄瑠璃の事もよく知らないのに、活字を読んでいるだけで、綾之助 の才能と美声に惚れぼれしてしまい、すぐ物語にのめり込んでしまった。
天賦の才を持って生まれた 綾之助 を、「お願い!つぶさないで、大事に育てて」と祈るように願う。
これではまるで孫を想うおばあちゃんのようではないかと気付き、苦笑してしまう。

その後、書生さんの追っかけまで出るほど人気が沸騰する 綾之助
現代のアイドルと同じなのである。

芸のために「自分でも恋の一つや二つした方がよろしい」と言われても、新聞記者があることない事スキャンダルを書き立てる中で、なかなか恋愛もできない。
アイドルは辛いなぁ、わかるわかると、アイドルでもないのだが同情する。

そして最後まで読んで、びっくりした。
なんと、実在の人物「初代・竹本綾之助」 をモデルに書かれた小説だったのだ。
まぁ、知らなくても楽しめたのだが。

私の好きな時代背景・題材で、コミックを読むように、軽く楽しめる本であった。
だがこの題材なら、もっと重厚感のある物語も似合うのではないかなぁ、宮尾登美子さんが書いたら、どうなるのだろうかと、ふと思った。

2012年7月5日木曜日

別海から来た女 木嶋佳苗悪魔祓いの百日裁判

別海から来た女 木嶋佳苗悪魔払いの百日裁判
佐野眞一著
講談社

佐野眞一氏が書いた木嶋佳苗事件のノンフィクション。

この本は、ノンフィクション作家の佐野眞一氏が、木島佳苗の出身地・北海道別海町で関係者を取材するところから始まる。
曾祖父も祖父も、郷土の名士であり、別海町では木嶋佳苗がエリートであった事がよくわかる。

高校時代にボランティアサークルで一緒だった同級生は、「お年寄りには本当に優しかった」と証言する。
それも木村佳苗の一面なのだろうか。

そして著者は裁判を傍聴し、木村佳苗に斬り込んでいく。

裁判で明らかにされた、「全日本愛人不倫クラブ」「妊婦系サイト」「ぽっちゃり系サイト」等で、
高い代金と引き換えに売春を繰り返す木嶋佳苗は、哀れを通り越して、笑えるくらい悲しい。
そんな「ほれぼれするほどタフで手強い史上最強の女犯罪者である」木嶋佳苗に、著者は徒労感を感じるのである。

木嶋佳苗に翻弄された男たちの愚かさと滑稽さもまた、裁判によって浮き彫りにされている。
睡眠薬を飲まされ記憶を失った後も、木嶋佳苗と付き合い、何度も記憶を失ってしまう被害男性たちには本当に驚いてしまう。
事件当時80歳だったある男性は4度も意識を喪失して、やっと少し疑問を感じるのである。

著者も述べていることだが、この木嶋佳苗の一番の不可解さは、「子供が積み木でも崩すように、あるいはゲームに飽きた中学生がリセットボタンでも押すように、相手をいとも簡単に目の前から消していること」である。
幼く、短絡的でもなさそうな木嶋佳苗が、なぜお金だけむしり取って逃げるだけではなく、人を消すことまでしたのだろうか?そこが私の最大の疑問点だったのだが、やはり理解することは無理なようである。

先日読んだ「毒婦」 は、女性目線で木嶋佳苗を観察し、理解出来ず戸惑う著者に共感できる本だった。
この本も鋭い切り口の著者らしい、興味深い本である。
ただ、出版の関係で著者の持ち味である丹念な取材が時間的に限られていたのか、物足りなさを感じたのが少し残念だった。

この事件に関して、一番鋭く突いているのは中村うさぎさんだと思う。
是非、丸ごと一冊「中村うさぎから見た木嶋佳苗事件」の本を書いて欲しいと熱望する。

2012年7月4日水曜日

毒婦 木嶋佳苗100日裁判傍聴記


毒婦 木島佳苗100日裁判傍聴記
北原みのり著
朝日新聞出版


(本書に倣い、被告の事を佳苗と呼ばせて頂きます。)

この事件を最初に知った時は、「あんな顔で男を騙せるの?」という論調の報道に「人の好みは色々だから」とそれほど興味は持たなかった。
その後過熱気味の報道で、
「シミ一つない、絹のような滑らかな美肌」「落ち着いたかわいい美声と上品な口調」
「ゆったりした優雅な動作」「ナマ佳苗十分イケる」
「高校の卒業文集に書いた『嫌いなタイプ:不潔、貧乏、バカ』」・・・
そんな記事を読んで、だんだん興味がわいてきた。
佳苗の上から目線はどこからきているのか、そして何が彼女をそうさせたのか、それらを知りたくてこの本を手に取った。

「男から金を引き出す」と聞けば、同情や憐みをを誘うのかと思ってしまう。
ところが佳苗は援助を頼む立場でありながら、あくまでも上から目線で「働くと私と会えなくなりますがそれでもいいのですか?」と卑屈になることなく、攻撃的に強引に催促する。

裁判中の佳苗は、堂々として皆の視線を釘付けにした。
証人の他、検事や裁判官、弁護士までが感情を露わにする中で、被告人席にいる佳苗が一番冷静で、他人事のように座っていたという。
そしてクライマックスの「女性性」自慢。
売春や、ベッドの上での事を語ることで裁判が有利になるとは思えないのに、ドヤ顔で自慢する佳苗。
理解しようと傍聴していながら、佳苗の事が掴めない著者の戸惑いがよくわかり、私も同じように戸惑ってしまう。

佳苗被告の他にも、驚いたことがいくつかあった。
初めてメールでやり取りしてから10日程で470万円を渡す男性。
初めて会った次の日に245万円を振り込む男性。
佳苗の逮捕直前に、警察に忠告されても聞く耳を持たず、さらに200万円渡す男性。・・・
そんなにも簡単に大金を渡せることにびっくりする。
佳苗がそれだけ上手いのだろうか。

婚活サイトで、ガラスの靴を持たないのに、シンデレラに出会う事を夢見る男性たちにも戸惑いを覚えた。
白馬の王子様を夢見るのは女性だけではないのだ。

この事件の動機や、佳苗の事を知りたいと思って読んだのだが、余計にわからなくなってしまう。
貧困、虐待といった悲惨な成育歴があるわけではない。
ただ、田舎の町でセレブ感を味わっていた佳苗が、東京に出たら単なる庶民であった事にショックを受けて変貌したのだろうか。
それとも、小学生のうちから通帳を盗む等の行為をしていた佳苗は、生まれつきの毒婦なのであろうか。
佳苗の事をこんなにも考えてしまう私も、佳苗の毒にやられてしまったのかもしれない。

2012年7月2日月曜日

二重生活

二重生活
小池真理子著
角川書店

小池真理子さんの長編小説。見てはならないものを見てしまった女は、その男の尾行を繰り返す。 男と女の関係は「刺激」というスパイスで、もっと盛り上がるのだ!!




女優の運転手をしている恋人卓也と同棲している大学院生・
仏文学の講義で教授が言った「街でたまたま見かけた或る人物を、何の目的も持たずに、尾行する人間がいたとしたらどうか。そういう人間の行為には、文学的意義、ないしは哲学的に考察されるべき意義が潜んでいる。」という言葉に深く感動する。
ある日、近所の幸せそうに見える家族の夫石坂を見かけ、つい尾行してしまう。
そして石坂が他の女と愛を囁き合う現場を目撃する。
珠は「文学的・哲学的尾行」を繰り返してしまう-----。

小池真理子さんといえば、都会的な男女を描いた小説というイメージがある。
この小説も、恵比寿の高級ホテルのスイートルーム、イタリアンレストランで飲むワイン、華やかな女優、など「都会的」な匂いがむんむん漂う。
登場人物たちもおしゃれで都会感がある。
そういう意味では小池作品らしいともいえる。

しかしこの話の中心は、文学的・哲学的とはいっても「尾行」である。
舞台はおしゃれなホテルであろうと、のぞき見である。
そして読むのは都会的でない俗物である私。
「ふんふん、それから?」と好奇心でいっぱいになってしまう。
罪悪感を感じずに尾行しているような気になり、人の秘密を知るという蜜の味を楽しめる。

おしゃれで、相手に遠慮しながら争う事を極力回避する。
そんな人でも、刺激を知ってしまうとその魅力に取りつかれる。
そうでしょ、気取った世界より、下世話な世界の方が楽で楽しめるよ、こっちへおいでよと誘い込まれるような引力がある。

都会的な雰囲気の中に「土のニオイ」を感じた物語であった。

和菓子のアン

和菓子のアン
坂木司著
光文社

 和菓子屋さんで働くことになった女の子の成長物語。読んだら必ず和菓子が食べたくなって困る一冊。



高校を卒業して、デパ地下の和菓子屋でアルバイトを始めたアンちゃんこと杏子。
個性豊かな同僚と様々なお客様に出会いながら成長していく物語。

東京下町の商店街に住んでいるアンちゃんは、明るく愛嬌があり皆に好かれている。
そして、本人曰く「太っている」。
これだけで、とても好感が持てるではないか。
美人だけど自分ではその美しさに気付いていないとか、童顔で小柄で巨乳でとか、ちょっとそれは願望入りすぎでしょのヒロインばかりでは、私は白けて(ひがんで)しまうのだ。

イケメンの同僚が出てきて、どうせアンちゃんとくっつくのだろうと思ったら「オトメン」 だったりと、軽く楽しく読める本だった。

「腹切り」(皮が破れて中身が出ている豆)等の和菓子の業界用語、
ダジャレや言葉遊び・歴史的背景のあるお菓子の名前、
「兄」(昨日作ったもの)等の食品業界用語や、デパートの内部など、
楽しいトリビアがたくさん出てくるのも楽しい。
日本の風物詩と結びついている和菓子の奥深さを再認識した。

個人的には、「砂糖と油の奇蹟の出会いが魅惑の味になる」と思っているので、洋菓子の方が好きなのだが、大福や草餅などの和菓子も守備範囲である。
ただ、上生菓子の美しさには惹かれても、自分では買ったことがなかった。
この本を読んだら、デパ地下でちょっとお高めの上生菓子を買ってみたくなる。
でも、その前に近所のお店で大福を買ってこなくちゃ。

最後にあとがきを読んでびっくりした。これは「ミステリ」だというのだ。
言われてみたら、困ったお客さんが出てきたり、ちょっとした問題を解決したりしてたなぁ。
でも、ぽちゃぽちゃ小太り称賛、&和菓子業界活性化の話だと思って最後まで読んでいた。
こんな読者で申し訳ないっ。 

2012年7月1日日曜日

オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ

オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ
森達也著
角川書店

半信半疑であるオカルトの世界に飛び込み、超能力、霊視体験、オーラなどに斬り込んでいくドキュメント。



オカルトとは、ラテン語の過去分詞である「occulere」・隠されたものからきている。
誰が隠したのか、隠したものは何なのか?
この本は、あり得ないと否定しつつもなぜか惹かれてしまうオカルト分野のあれこれについて、著者が取材したドキュメントである。

子供の頃から心霊現象や未知の生物を扱ったTV番組が好きだったという著者。
世の中に出るオカルト現象のほとんどには否定的であるが、たまに「どうしても説明できない現象が時折ある」と感じている。
だからこそ、曖昧なままではなく、否定でも肯定でもどちらかに結論を出したいと、様々な人物に会い、検証していく。

恐山のイタコに当たり障りのない事を言われ、毎日決まった時間に自動ドアが開く現象を目撃する。
人の心を読み取るという 荒川静 に霊視してもらい、ダウジング(棒や振り子などの器具を用いて水脈や鉱脈を探り当てる方法)の第一人者と実験をする。
「ほとんどが嘘だという事はもうわかっています。でも全てが嘘とも言い切れない。だから研究するんです。」という科学者と何にでも効くという「太古の水」を恐る恐る飲んでみる。

そして、清田少年秋山眞人など、様々な有名無名の人に取材をし、結論が出ないまま堂々巡りの罠にはまっていくのだ。

先日読んだ「超常現象の科学」という本の中では、超常現象は、思い込みや錯覚であり、いまだかつて科学的に証明されたものはないと言いきっていた。
メンタリストDaiGoの「人の心を自由に操る技術」では、これは超能力ではなく、人の心理や錯覚を操る技術だと言いながら、付属のDVDで魔法使いのようにスプーンを曲げていた。

私は、そんな不思議な現象に遭遇したこともないし、肯定的な考えも持っていない。
でも、この世のどこかに科学では証明できない不思議な現象もあるのでは?あったら面白いな、とも思っている。
超常現象に興味はあるけれど、普段の生活に忙しいし、読みたい本もいっぱいある。
TVで不思議な事を見たら、その場ではへぇ~と思っても、すぐに忘れてしまう。
真剣に思い悩んだり、検証すべく立ち上がったりはしていない。
あるかもしれないし、ないかもしれない、そんな神秘的なベールに包まれているから面白いのかもしれない。