2013年12月27日金曜日

ブルー・ゾーン

篠宮龍三著
オープンエンド

もっと深く、もっと美しく。日本でただ一人のプロフリーダイバー・篠宮龍三さんの挑戦。




私は、高所恐怖症でちょっとした吊り橋も怖くて渡れません。
高いところだけでなく、スキューバダイビングなど海に潜るのも怖いので経験したことはありません。
美しい海の中の映像を見ると、綺麗だなぁ、いいなぁと思うものの、潜っている時にハプニングがあったらと考えるだけで、ブルブル震えてしまうのです。

フリーダイビングという言葉を初めて聞いたのは、女優の高樹沙耶さん(現在は大麻合法化活動家で益戸育江さんですが)がフリーダイビングの日本新記録を樹立したという記事を読んだ時でした。
そんなに長く息を止めていられるのかと驚いたことを覚えています。

この「ブルーゾーン」は、日本で初めてプロになったフリーダイバー・篠宮龍三さんが、あまりメジャーではないスポーツ・フリーダイビングの魅力を語った一冊です。

フリーダイビングは、機材を一切使わず、一息でどれだけ潜れるかを競うスポーツで、フィンや重りを付けるものなど、8種目あるそうです。

そして、かつて素潜りの限界は50mと考えられ、その後100mまで可能かも知れないと予測されていたのが、今では種目によっては200m以上潜ることができるのだそうです。
そこにはブルーしかない。上も下も左も右も、全てが同じブルーに包まれる深海。自分の心臓の鼓動のみが聞こえる世界。
そう聞くとどれだけ美しい世界なのだろうかと興味がわいてきます。

でも、サッカーボールを海中に沈めると水圧の影響で、水深10mあたりで形が歪み始め、50mを超えると潰れてきて、80mにもなると原型をとどめないほどぺちゃんこに縮んでしまう・・・ということは、肺も潰れちゃう!と素人の私は考えてしまいます。
そうならないために呼吸法などのトレーニングをするそうですが。
顔を水につけると、「潜水反射」が起きて心臓の鼓動がスローダウンする。
さらに潜ると、体内の血液が手足の末端から生命維持にかかわる脳や肺、心臓に集まってくる「ブラッドシフト」という現象が起こる。
人間はそうやって体を守るようにできているらしいのですが、「じゃあ、潜ってみようかな♪」という気には残念ながらなれません。

前に、潜水をして「ブラックアウト」(酸欠によって意識を失うこと)状態になった人を
TVで見たことがあるのです。
一時的に意識を失うだけで大抵は助かるそうですが、恐ろしいことに変わりはありません。
ただ、篠宮さんは恐怖心を感じたことはないとおっしゃいます。
日々のトレーニングに裏付けされた肉体と、海の怖さを十分知っているからこその言葉だと思いました。

本書を読んで、著者の飽くなきチャレンジ精神と海への敬愛はとても素晴らしいと感じました。
実際やってみたいとは思いませんが、大会が放送される際には海の美しさとともに、選手たちの潜りの美しさも見てみたいと思ったのでした。

2013年12月24日火曜日

人生、行きがかりじょう――全部ゆるしてゴキゲンに

バッキー井上著
ミシマ社

君はバッキー井上を知っているか?自称スパイ・忍び・手練れであり、漬物屋・居酒屋の店主でもあり、時折コラムを書く男。その正体は・・・?





皆様、毎日ゴキゲンに過ごしていますか?
私はいつもゴキゲンな乙女でいたいと願っていますが、悲しいニュースを見聞きして胸を痛め、あまりの忙しさにイライラし、体重計を見てはため息をつく日々を送っています。
四六時中ゴキゲンでいることは、なかなか難しいことではないでしょうか。

毎日ゴキゲンに暮らし、周りの人もゴキゲンにさせてしまう・・・そんな人物がこの「人生、行きがかりじょう」の主役であるバッキー井上さんです。

取次を介さず書店と直接取引を行う新進気鋭のミシマ社が、7周年記念の一環として「人生の達人たち」の声を集めた「22世紀を生きる」というシリーズを創刊し、その第一弾として出版されたものが本書です。
バッキーさんが語りかけるようにご自分の人生について語っていて、肩肘張らずに生きていくヒントのようなものがギュッと詰まっています。

本名・井上英男。1959年京都生まれ。
水道屋さんで働いたあと、広告代理店に転職しその後独立。
37歳で漬物屋さんを開業し、さらに居酒屋「百練」も始める。
酒場に関するコラムを書く「酒場ライター」として雑誌に執筆もしている。
自称スパイ・忍び・手練れ・・・
こうやって経歴を並べたところで、正体不明な人物だと思われるだけでバッキーさんの魅力は伝えられません。

歯医者さんでも「バッキーさん」と呼ばれ、待合室で「外人かよ」という目で見られる。
ワンピースを着て踊る画家として「ぴあ」に載った。
ヤクザともめて刺される・・・爪楊枝で。
などなど、過去のエピソードからもバッキーさんの凄さを伝えることはできません。

バッキーさんの凄いところはその生き方にあるのです。
本書を読んで私が感じた彼の印象を一言で言うならば、「西川のりおに似ている!」・・・ではなくて「自分を持っていて尚且つ柔軟な方だなぁ」ということです。
あと、「得体の知れない人物」だけど「24時間バッキーさん」しかも「色気のあるおっさん」でもあります。
(あっ!一言じゃなくなっちゃった。)
気負わず力を抜いて流れに身を任せながらも、どんな時でもどんな場所でもバッキーさんらしく生きている方・・・それがバッキーさんなのです。

誰でも生きていたら、失敗も苦しいことも悲しいこともあります。
それを全部オッケーにしてゴキゲンに生きていく・・・なんて「人間力」の高い方なんでしょうか。
こういう方が人生の成功者なんじゃないかなと私は思うのです。
私も今さらお金持ちにはなれないでしょうが、ゴキゲンに暮らす「人生の成功者」には考え方を変えるだけでなれるような気がします。

年の瀬も押し迫りますます気忙しくなりましたが、バッキーさんのように肩の力を抜いてゴキゲンに毎日過ごしていきたいものです。

2013年12月19日木曜日

女子漂流 ーうさぎとしをんのないしょのはなしー

中村うさぎ・三浦しをん著
毎日新聞社

男子禁制、女の花園。うさぎさんとしをんさん、最強コンビが送るちょっぴり暴走気味の対談集。




私は女子校出身です。
「女子校は清らかで美しい」という幻想を抱く方は今さらいらっしゃらないでしょう。
通っていた学校は、それはもう個性豊かな男前の女子ばかりで、毎日がお祭り騒ぎの楽しい高校生活でした。
授業中、新婚の先生に寄ってたかって根掘り葉掘り新婚生活についての突っ込んだ質問をしたり、学食にアイスやお菓子が置いてないのはおかしいと一致団結して学校側に働きかけたりと、たくさんのいい想い出があります。
だから、女子高は嫌だと思ったこともなかったですし、娘ができたら共学に通って欲しいという希望もありませんでした。

でもこの「女子漂流」で、「女子校出身者は共学出身者と違って、ズケズケした言い方をする」・・・そんな文章を読んでドキッとしたのです。
そうかもしれないなと思い当たる節があったからです。

本書は、女を分析したらピカイチの中村うさぎさんと、オタクっぷりは誰にも負けない三浦しをんさんという、今をときめく最強のお二人がタッグを組んだ対談集です。

お二人共女子校出身ということで、「女子校の女子」について語ったり、汚部屋で暮らす「女子の日常」を暴露し合ったりと、楽しい会話が続きます。
さすがのお二人ですから、「なるほど」と頷くようなことや、モヤモヤを晴らしてくれる目からウロコの分析が満載で、観察力が鋭いなぁと感心しきりでした。

そしてなんといってもお二人の本領が発揮される分野が「女子の恋愛」や「女子のエロ」なのです。
女にユーモアを求めている男なんていないのだから、男の会話に面白く切り返すのではなく、「へー、そうなんですかぁ」「すご~い」と言っていればいい。
そうだったのか!私が大学時代全然モテず、男子たちと同志のような関係になってしまったのは、おだてる事ができなかったからだったのだ。(違うかも・・・)

・保健体育のテストで「精液の色は?1.白2.赤3.緑4.黄色」という選択問題が出された。
・外人男性のヌードカレンダー(ノーカット)をみんなでキャッキャ言いながら見た。

暴走するそんな会話に大笑いしながら、ふと我に返って気付いたのです。
みうらじゅんさんと宮藤官九郎さんの対談集『どうして人はキスをしたくなるんだろう?』を読んで彼らの暴走するやんちゃぶりに、「もういい加減にしなさい」と言いたくなってしまったのですが、殿方がこの本を読んだら同じように呆れて「女って怖い」と幻滅するのではないでしょうか。
ということは、「結局男と女、どっちもどっちなのだ」という結論に達したのです。

・男は視覚的な性的記号に発情するが、女は関係性やシチュエーションに発情する。
・あなたがモテないのは、顔やお金がないせいではありません。
こういった所は、殿方たちの参考になるのではないでしょうか。

大いに共感したのが、「女はただ愚痴りたいだけ」の時があるということです。
そうなのです。
友人たちにもたくさんいますが、相談を持ちかけられても結局は本人が既に結論を出していたり、愚痴りたいだけだったりすることが多いのです。
ですから、殿方の皆様。
女性から相談を持ちかけられても、論理的に結論を導き出そうとはせず、「そうだね」と共感しながら話を聞いてあげてください。お願いします。

2013年12月17日火曜日

首のたるみが気になるの

ノーラ・エフロン著
阿川佐和子訳
集英社



皆様、お元気ですか?
私は元気です。
だけど、年齢を重ねるにつれ、体のメンテナンスに時間が掛かるようになってきました。

冬になると、すねが乾燥して粉を吹きます。
気にせず放置していたら、どんどん痒くなって掻きまくってしまい、化膿して腫れ上がったことがあります。
今は仕方なくお風呂上がりにボディミルクを塗っています。
かかとも何もしないとガチガチになってしまうので、お手入れは欠かせません。
運動前にも入念なストレッチをしなくてはなりません。
急に動くと、膝・腰・肩に痛みが走ってしまいますから。

もう少ししたら、ヘアカラーも「おしゃれ染め」から「白髪染め」に変更したり、
「リーディンググラス」という名の老眼鏡を購入しなくてはならなくなるでしょう。
若い時は何もしなくても大丈夫だったんだけどなぁ。
ウン十年もこの体を酷使してきたのですから、仕方がないのかもしれません。
でも、大変なのは私だけではありません。
大女優さん達もあちこち上げたり引っ張ったりと、必死みたいですから。

まだまだ若いから「加齢問題」とは関係ないと笑っているそこのあなた。
他人事ではありませんよ。
「老いるショック」は誰にでも訪れるのです。

本書は、『ユー・ガット・メール』などの脚本・監督を務めたノーラ・エフロンさんの爆笑共感エッセイです。

首のたるみを隠すためにタートルネックを着る。
若い時はシンプルだった肌のお手入れも、現在は高価なものを時間をかけて擦り込む・・・
などなど、「老いることは素晴らしい」と老いを称賛する人を「信じられない」と愚痴りながらも、著者はとても明るくポジティなのです。
加齢を嘆きながらも「今が一番いい」とおっしゃっているのです。

なんて正直な告白でしょうか。
若い時の方がいいに決まっています。
ちょっとぐらい無茶をしたって、次の次の日に筋肉痛になることもなければ、一日寝込むこともないのですから。
お肌も体もほっといてもピカピカで、高価な化粧品やアラ隠しの化粧をしなくても十分に綺麗なんですから。

でも、歳を重ねて肉体的には大変でも、精神的には充実していると著者はおっしゃりたいのだと思います。
それも、若い時から色々体験してきたからこそ言えることではないでしょうか。
加齢についての愚痴を聞かされながらも、大笑いしつつ「歳をとるのも悪くないな」と思えてくるのは、著者の姿勢が前向きだからなのだと思います。

その他、ホワイトハウスでインターンをしていた時のJFKとの思い出を告白したり、
人生を振り返ったエッセイが収録されていますが、どれも毒舌的でありながら「かわいい大人の女性」の魅力に溢れています。
こういう風に歳を重ねていけたらいいなぁと憧れます。
老いが忍び寄ってる方、まだまだ若いと思っている方、もうとっくに老いてる方、全ての方にお勧めします。

※著者のノーラ・エフロンさんは、2012年に白血病で逝去されました。

2013年12月15日日曜日

おもいついたらそのときに!

西内ミナミ著
こぐま社

すぐに行動に移してしまうおばあさん。誰か~!このおばあさん止めて~!



小さな家で、おばあさんと猫が暮らしていました。
チューリップが見事に咲き、おばあさんは「私は花作りの天才だわ。」と自画自賛します。
その時!!!
おばあさんの頭の中で、何かがピカッと光ったのです。
「思いついたらその時に!私、花屋さんを始めよう!」
とすぐに花屋さんを始めてしまいます。
なんとアクティブなおばあさんなんでしょう。

おばあさんが台所で料理を始めると美味しいシチューが出来上がりました。
「私は料理の天才だわ。」
自画自賛したその時!!!!
またまたおばあさんの頭の中で、何かがピカッと光ったのです。
ヒラメキすぎのような気がしますが、「思いついたらその時に」がモットーのおばあさんですから、すぐにレストランを始めることにしました。

こうしておばあさんは、色々な方面に才能を発揮し、その度にピカッと閃いて行動に移すのです。
同居しているネコだって止めればいいのに、おばあさんのやることなすことにいつも賛成して応援してしまうのです。
そんなに才能豊かで行動的なら、もっと若いうちから色々始めていれば今頃は・・・というのは言わずにおきましょう。

どんどん行動に移すものですから、おばあさんはたちまち忙しくなり、やがてトンでもないことが起こります。

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展開が早く、あれよあれよという間におばあさんが凄いことになっていくので、えーっ!と言いながら面白く読みました。
幼稚園位の子供たちも、飽きずに楽しめそうないい本でした。

2013年12月13日金曜日

混浴と日本史

下川耿史著
筑摩書房




先日週刊誌で、1951年生まれの吉田照美さんが、「家にお風呂がない時代です。オヤジが勤めていた小さな製紙会社のお風呂にも行きました。男女混浴なんです。湯船の中で大人同士が挨拶してました。今思うとすごいですよねぇ、同僚の奥さんの裸を見てるんです。お互いにね(笑)」(週刊文春10/24号より抜粋)とおっしゃっている記事を読んだ。
昭和の中頃までそんな風習があったというのは驚きだったが、今でも日本のどこかに細々と混浴風呂が残っているらしい。
そんな混浴事情を知りたくてこの「混浴と日本史」を手にとった。

興味本位で読み始めてみると、「湯」の語源に関する考察や皇室の祭祀についてなど、内容は本当に歴史の授業の様に硬く、私が知りたかった近代の混浴事情にはあまり触れてなかったのだが、なかなか興味深い内容が満載だった。

温泉が豊富に湧き出る日本では古代より、温泉地を中心に混浴は当たり前だったらしい。
和歌の元となった歌垣(男女が歌を交わしながら気のあった相手と性的な関係を結ぶこと)が一般的だった昔は、川辺や温泉地で水浴びしながらおおらかに性を楽しんでいたようである。

記録としての混浴は「常陸風土記」(711年)から始まるとされている。
温泉は万病に効くと、老若男女が集まって市が立つほど大賑わいだったという。

そして、奈良時代には寺院で庶民に風呂を提供する「功徳湯」がスタートした。
「功徳湯」とは、庶民を入浴させることで清潔さと健康増進に寄与し、国家や仏教のありがたさを植え付ける目的の寺院の活動のことである。
その後「功徳湯」は、遷都に伴い溢れた坊さんと尼さんの混浴の場と化し、乱交に歯止めが効かなくなっていったため、「混浴禁止令」が出されてしまう。

そして、1191年に有馬温泉で入浴のお手伝いをする「湯女(ゆな)」というサービスガールが誕生した。
その後だんだん客の酒の相手もするようになり、遊女に変化していく。
それが遊郭の先がけのようになり、またまた風紀が乱れてしまうのである。

江戸時代、女性が極端に少なかった江戸では女湯は元々存在しなかったが、そこに女性客が押しかけて、自然発生的に混浴になっていった。
その後風紀が乱れ、徳川幕府により度々「混浴禁止令」が出されるが、女湯が出来ても混み合ってうるさいのでわざわざ男湯に入る女が続出して、あまり効果が無かったようである。
混んでいるサービスエリアで、男子トイレに入ってしまうおばさんと同じ感覚だろうか。

そして混浴史上最大の出来事が、黒船来航である。
混浴の風習を「淫ら」「不道徳」「下劣」と欧米人に罵倒され、明治政府が繰り返し「混浴禁止令」を出したのだ。
そんな政府の施策も、庶民にとっては馬耳東風でなかなか是正されなかったのだが。

こうして混浴の歴史を見ていくと、「純粋な混浴 ⇒ 風紀が乱れる ⇒ 取り締まり」の繰り返しであったことに気付く。
男女が裸で一緒にいたら、どうしても淫らなことを考えてしまうのだろうか。

私が今、混浴のお風呂に入れるかと考えたら・・・それはやっぱり入れないだろう。
特に、顔見知りの人とは絶対に入りたくない。
ならば、全く知らない人ばかりだったらどうだろうか?
う〜ん。やっぱり入りたくないなぁ。

2013年12月10日火曜日

永遠の0

百田尚樹著
講談社




先月、ある大学の「ジャーナリズムの最前線」という講義で、百田尚樹さんがゲストとして講演されると聞き、聴講させてもらった。
おしゃれなスーツに身を包んで現れた百田さんは、思った以上にとてもダンディな方だった。

多忙な現在でも、担当している「探偵ナイトスクープ」の企画会議に毎週出席され、送られてくる約500通の依頼全てに目を通されていること。
長時間かけて準備しても、1回放送されたらおしまいであること。
49歳の時に、これからは違う人生を生きようと決意し、小説を書き始めたこと。

そういった内容を、芸人さんのような早口の関西弁で話してくださり、巧みな話術にすぐに魅了されてしまった。

そして、「永遠のゼロ」を書かれたきっかけを次のように話された。
大正13年生まれの父もおじも戦争体験者であり、子供の頃から当たり前の様に戦争の話を聞かされていた。
しかし、彼らは孫の世代には戦争の話を全くしていない。
戦争体験者が歴史から消えようとしている今、次世代に彼らの思いを伝えたい。


講演を拝聴し、ずっと気になっていたものの未読だった本書をぜひ読まねばと思い手にとった。

司法試験浪人ながらやる気を失っていた健太郎は、フリーライターの姉から「祖父のことを調べたいからアシスタントをしてくれ」と頼まれる。
祖父とは、今まで血が繋がっていると思い込んでいたおじいちゃんではなく、おばあちゃんの最初の夫で太平洋戦争で戦死した祖父・宮部久蔵のことであった。
祖父は、パイロットとなり終戦の数日前に神風特攻隊として最期を迎えていた。
そして、祖父は帝国軍人なら決して言ってはならない「生きて帰りたい」と口にする臆病者だったという証言を聞く。
「家族のためにも死ねない」と言い続けた臆病な祖父が、なぜ自ら特攻に志願したのだろうか?
祖父のことを知る人物を訪ねて回るうちに、少しずつ驚きの真実が明らかになっていく。


なんて読むのが辛い小説なんだろうか。
貴重な青春時代を戦争に捧げた若者たち。
死ぬとわかっていながら戦闘機に乗り込む兵士たち。
一人一人の兵士に家族がいて愛する者がいるのに、使い捨てにされる彼ら。

彼らや息子を送り出す家族たちのことを思うと胸が張り裂けそうになってしまう。
しかし、冬だというのに暖かい服を着て、十分すぎる食べ物を食べている私に彼らのことを思い泣く資格があるのだろうか。
辛かっただろう、悔しかっただろうと彼らの気持ちを想像し苦しくなるけれど、彼らの本当の苦しみや哀しみを理解するのは、現代に生きる私には不可能ではないだろうか。
読み終わった今も、本書の余韻に浸りながらそう考える。

本書は既に300万部を突破し、平成に入って一番売れた本だという。
読みやすいミステリー仕立てのエンタメ小説で手に取りやすく、過去にあった出来事をわかりやすく知ることができるという意味で、本書の功績は大きいと思う。
イデオロギーを問わず、また本書をどう読み解くかに関わらず、読者は否応なしに戦争と向き合うことになるのだから。

そして12/21に、V6の岡田君主演で映画も公開される。
それをきっかけに、本書を手に取る方も多いだろう。
「日本人ならこの悲劇を忘れて欲しくはありません。」
そうおっしゃる百田さんの想いが多くの方に届きますようにと願う。

講演会場の大学のホール

2013年12月8日日曜日

クローズド・ノート

雫井脩介著
角川文庫



主人公は教育大学に通う 香恵
影響されやすく、あまり主体性のない天然系女子である。
一人暮らしの部屋で、前の住人が残していった手紙とノートを発見した。
どうやら前の住人は「伊吹先生」と呼ばれる小学校の先生だったようで、手紙には「先生大好き」といった生徒たちからのメッセージが書かれていた。
そして、ノートには受け持ちのクラスのことを真剣に考えている様子や、好きな男性「隆」のことが事細かに綴られていた。
それを少しずつ読み進めるうちに、香恵は「伊吹先生」の大ファンになり、先生の恋愛を応援するようになっていった。

香恵はある日、自分の部屋を見上げているイケメンに出会う。
その男が、バイト先の文房具店に万年筆を買いに来て交流が始まった。
その彼・イラストレーターの隆作は、亡くなった「伊吹先生」の元カレだった!
その事実に、読者はすぐにピンと来てしまうのだが、香恵はずっと気づかないまま・・・

偶然が重なりすぎの都合のいいストーリーなのだが、不思議と不自然さは感じない。
それは、香恵の心情を細かく丁寧に追っていくからだろう。

しかし、どうも今ひとつ物語に入り込めない。
主人公の女の子が、ドジで天然で素直でかわいい「男が理想とする女」のような気がするからだ。
こんな子いないよ、とひねくれ者の私は思ってしまうのだ。
女性作家が書いた私の好みの「理想の男性」にはすぐキュンキュンするくせに、なんてわがままな読者なんだろう。

ただ、ストーリーは正統派の純愛物語でなかなか面白いなと読み進めると・・・
これは反則だぁ!
「恋人の死」「死んでも想い続ける」っていうのだって悲恋の鉄板なのに、子供たちまで使うとは!
筋書きが見えていても、これは切なすぎるではないか!
登場人物には共感できないものの、哀しみだか感動だかなんだか自分でもよくわからないものがこみ上げてきてしまった。

雫井脩介さんは、ミステリーしか読んだことがなかったけれど、こんな物語もお書きになるんだなぁ。
やられてしまったではないか。

2013年12月5日木曜日

苦手図鑑

北大路公子著
角川書店

私も妄想するけれど、北大路公子さんには負けます!大笑いしながら読めるエッセイ集。



妄想しているとどんどんエスカレートしていき、気がつくとニヤニヤしていることはありませんか?
私はよくあります。
先日も、通りすがりのイケメンが「何かお困りですか?」と突然声を掛けてきて、特に困っていなかったのにも関わらず、なぜかいい感じになって「どーしよー♡ 困っちゃう」と一人で身をよじらせていました。
でも、私の妄想なんて北大路公子さんに比べたら全然たいしたことありません。
この「苦手図鑑」の中で、北大路さんの妄想ったらどんどん暴走して止まらなくなってしまうのですから。

本書は、「小説 野生時代」に連載された短いエッセイ34本が収録されているエッセイ集です。
北大路公子さんのことはこの本を読むまで全く知らなかったのですが、なんて楽しい方なんだろうと読みながら何度も大笑いさせてもらいました。

ふんふん。
北大路公子さんは、札幌の実家で両親と同居しながら、昼間から酒を呑み、長時間ドラクエをして、佐藤浩市さんをこよなく愛する独身女性・・・
ああ!!
佐藤浩市さんLOVE♪とは、もうそれだけで素敵な女性だとピン!と来るではありませんか。

五月みどりと小松みどりは姉妹なのになぜ名字ではなく名前部分を共有しているのか。一人では答えがでず、思い切って妹に質問したところ、「みどりが名字なんじゃない?」
が、外国人?
といった軽妙な文章が続きます。

客の容姿を見ただけでピタリと予言するタクシーの運転手さんに、「今年の夏は恋をする。しかものめり込んでドロドロになるよ。」とまで言われた著者。
あははうふふと砂浜を走るが、抜き差しならなくなって・・・と昔の2時間ドラマのような妄想を繰り広げていくのですが、それがすごい!
えー!そういう展開!?と凡人には想像つかないストーリーが披露され、大笑いしながらも「この方、大物だ!」ととても感心しました。
ただ、そこまで妄想しながら今か今かと恋を待ち構えていたのに、何事もなく夏は終わってしまうのですが。

大量に残ったおでんを前に苦悩する場面を読んで、かつて一人暮らしの男の子と付き合っていた友人が「冬は毎週末おでんを大量に作って、一週間毎日夕飯におでんを食べてもらう」って言っていたことを思い出しました。
いくらおでん好きとはいえ、彼氏は喜んでいたのかな?

題名は「苦手図鑑」ですが、別に苦手なものが列挙されているわけではありません。
読んで笑ってストレス解消にはもってこいのエッセイでした。

※北大路公子さんの苦手なものは、チーズとトマトとみのもんたと人生の変化だそうです。
私の苦手なものは、しいたけと高所と暑さです。

2013年12月3日火曜日

ダイエットはオーダーメイドしなさい!

森田豊著
幻冬舎



自慢じゃないが、私はデブ歴が長く、ダイエット歴も長い。
そんな私だが、2013年5月に「太らない生活」を読んで、デブ人生にピリオドを打とうと決意した。
「モデルさんのようなナイスバディに!」と目標を高く設定して意気込むから挫折するのだ。
ならば、毎日少しずつ努力を続け、無理せず1年かけて3.5kg痩せよう。
そう固く心に誓ったのだ。

今のところ順調なのだが、これからダイエッターにとって恐怖の季節がやってくる。
クリスマスにはどうしてもクリスマスケーキを食べなきゃならない。
なぜならば、クリスマスだから。
お正月には食っちゃ寝の生活になるだろう。
なぜならば、お正月だから。
仕方がないのだ。
そう思ってしまう自分に喝を入れたくて、この「ダイエットはオーダーメイドしなさい!」を読んでみた。

本書では、個々の体質・年齢・性格・生活習慣などを考慮して、一人ひとりがオーダーメイドで「太る原因」を解消していこうと提案している。

まず、チェックシートで「なぜ太っているのか?」を検証し、A~Eまでのタイプに分ける。
そして性格やライフスタイルを考慮し、イヌ型やカンガルー型など6つのタイプに分ける。
その二つを組み合わせ、最適なダイエット方法を見つけていくのだ。

えっと私は・・・体育会系と自称している私は・・・(;゚Д゚)! なんと「運動不足太り」と判定されてしまった。
そんなバカな!と思いつつもよく考えてみると、毎日運動はしているがそれ以外の時間は座っていることが多く、なるべく楽をしよう、手抜きをしようと考えていたことに気付かされた。

運動習慣があっても、その運動に体が慣れていれば維持には役立っても痩せることにはなんの効果も及ぼしません。
Σ(゚д゚lll)・・・なんともショックな文章が続く。
「影響されやすく、付き合いがいい」というのも、合っている。
用事がない限りお誘いを断ることがほとんどないのが自慢だったのだが、少し考えた方がいいかも知れない。

そんな私に必要なのは、「日中の消費カロリーを大幅アップするために、朝軽めの運動をして代謝を上げる」方法らしい。
何も朝からジョギングしろと言っているわけではなく、軽いストレッチや歯磨きしながらスクワットなど、手軽で続けられるようなことでいいのだという。
これならさっそく明日の朝からできそうだ。

減量とは一時的な調整。
ダイエットとは、一生続けるスリムで健康に生きるための生活習慣。

そう著者は言う。
ならば、私のダイエット生活に終わりはないのだ。
よし、気を引き締めてこれからも少しの努力を続けていこう!

神田橋條治 医学部講義

神田橋 條治, 黒木 俊秀, かしま えりこ著
創元社

大学医学部の講義をまとめたもの。体育会系の私に読めるのか?不安になりながら手にとってみた。



本書は、精神科医の神田橋條治(かんだばしじょうじ)先生が、母校の九州大学医学部で年に1回4年生を対象にお話されていることを、10数年間分まとめた医学部講義録である。

1937年生まれの神田橋先生は、九州大学医学部を卒業され、同大学医学部精神神経科に勤務されたあと、現在は故郷・鹿児島の病院に非常勤で勤めながら、後輩の育成と指導に努めている。

普通に考えれば、医学部の講義なんて門外漢の私に理解できるわけがないのだが、本書は注釈付きで専門用語が多少出てくるものの、一貫して優しい話し言葉で語りかけてきてくれるので、体育会系の私でもなんとか読み通すことができた。

本当かどうかはわからないが「大学時代、講義中はずっと寝ていた」ととても親近感が湧くようなことをおっしゃる先生の語り口は、方言混じりの「~なの」「~ほしいの」といった調子でとても柔らかく、お会いしたこともないけれども勝手に優しいおじいちゃんというイメージが浮かぶ。

そんな温かみのある口調で、医師を志す学生たちに専門の垣根を越えて患者と向き合う姿勢を伝えていく。
機械がなければ何もできないとしたら、そのお医者さんは機械の付属品だ。
知識中心の普段の講義では学習できない医師としての心構えをは、彼らに説いていく。
聞いている医学生の中から精神科に進む者は少ないだろうが、どの分野に進んだとしてもきっと将来患者と関わる際に先生の言葉が頭の片隅に残っているだろうと信じたい。

人には自然治癒力が備わっていること。
医師や薬はその手助けをするのが本来の仕事であること。
プラセボ効果があるように、精神的な部分が体に影響を及ぼしていること。
今ある症状だけでなく、病状の流れ・ストーリーをよく診ること。

具体例を挙げながら、わかりやすく解説してくれるそういった話を聞いていると(実際は読んでいるのだが、本当に聞いている気分になる)、だんだん自分の心が軽くなっていくのがわかる。

かつて自分の不注意からジャンプに失敗し首を痛めているのだが、首の調子が悪いと心まで凹んでしまう。
特に最近痛みがひどく、もしかしたら重大な病気なのかもと精神的に落ち込んでいたのだが、先生のお話を聞きながらなぜか少しずつ癒されていったのである。

ああ、直接講義を聞くことができる医学生たちはなんと幸せなんだろう。
患者のことを一番に考える医師たちが、もっと増えればいいなぁと願う。