2012年6月28日木曜日

饗宴外交 ワインと料理で世界はまわる

饗宴外交 ワインと料理で世界はまわる
西川恵著
世界文化社

各国の要人が集う「饗宴外交」。どう準備して、何を食べるのか?そこにはどんな思惑が隠されているのか?普段目にすることのない「饗宴」の裏側を解説した一冊。



ニュース等で目にするサミット・宮中晩餐会などの「饗宴外交」
その裏には、涙ぐましい努力や様々な思惑が絡んだ駆け引きが潜んでいた。
そんな「饗宴」を巡る裏話を、毎日新聞の編集委員である著者が政治的解説と共に、あれこれ綴った本である。

国賓訪問、公式実務訪問、実務訪問、その訪問形式によって、場所も座り方もメニューも違うなど、興味深い内容がたくさん書かれていた。

日本の皇室は、国賓に対して、国の大小を問わず差をつけずに最高のもてなしで迎える。
当たり前のような事に思えるが、これは凄いことなのだそうだ。
なぜなら、相手の軽重によって 「もてなしに差をつけること」こそ政治外交だからだ。

安倍元首相が中国訪問に先立ち、事前に通知されるメニューに「ナマコのスープ」と書いてあった。
格が高い順に「燕の巣」「フカひれ」「ナマコ」なので、「もてなしのレベルが低い」と「燕の巣のスープ」に変えさせたという。
食べ物の恨みは怖いのだ。

在外公館では、大使や総領事が客人を食事会に招く「招宴外交」も重要である。
しかし、生活環境の厳しい国に行ってくれる、腕のいい料理人は少ない。
そこで、タイ人を相手に「公邸料理人の指導育成教室」を開催している。
現在は公邸料理人150人のうち、25人がタイ人だという。

圧巻は、沖縄サミットのドキュメントである。
メニューはもとより、食器類からテーブルランナー、給仕する人の衣装まで特注するため、かなり前から綿密な打ち合わせをして周到に準備していく。
贅沢の是非はともかく、読みながら手に汗握り、成功を願う。
最後にスタンディングオベーションが起きた時には、さすが細やかな気遣いのできる日本人と嬉しくなった。

それに対して、洞爺湖サミットの「飢餓問題を語りながら、美食を食べる」との批判は対照的だ。
外交は、的確に空気も読まなくてはならないのだ。

首相やファーストレディになる前に、この本を読んでおいてよかったと思う。
主賓として海外に招かれても、直前に「大好きなフォアグラは必ず入れてくれ」と要求するようなわがままは控えよう。
現地の外務省スタッフが慌ててしまうから。

招かれた側の衣装も重要である。
ダイアナフィーバーや、ブータンフィーバーもあったではないか。
日本の発展のために、現地で「はにぃ旋風」が巻き起こるよう努力しよう。
まずはダイエットから始めるべきだろう。

そして、供されるワインの格を見れば、私が相手国からどのような扱いを受けているのか直ちにわかってしまうのだ。「なめたらあかんぜよ」と釘を刺しておこう。
その前に、ワインの勉強も始めなければならない。

著者は、ワインに造詣が深く、真面目なお人柄がにじみ出るような大変興味深い良書だった。
是非次は、政界こぼれ話や面白エピソードも聞かせていただきたいと願う。

2012年6月27日水曜日

ミーナの行進

ミーナの行進
小川洋子著
中央公論新社
 キラキラした想い出は帰ってこない。だけど、心のマッチ箱の中にそっとしまいこんで時々取り出してみるのだ。



1972年、母子家庭の 朋子 は、母の都合で中学一年の間、芦屋にあるいとこの家で過ごすことになった。
そこは広い庭、スペイン風の洋館、見たこともない調度品、そして温かな家族がいた。
朋子の視点から、その一年間を綴った小説である。

ベンツで迎えに来たカッコいいハーフの伯父さん。
17部屋もある洋風の大邸宅。
ドイツ人のおばあさんに、タバコとお酒が手放せない伯母さん、炊事から子供のしつけまで家の全てを取り仕切っているお手伝いの米田さん。
そして一つ年下だけれども、憧れてしまう儚げな ミーナ
大人の私でさえ、その金持ちぶりに圧倒されてしまうのだから、中学入学の朋子にしたらどれだけの衝撃だったろうか。

そこで過ごした甘くキラキラした一年間。
コビトカバの ポチ子 と遊んだ日々、大切なマッチ箱、ミーナの作ったお話、図書館で出会った男の人・・・
たくさんの愛に囲まれて過ごしたこの一年は、大事に朋子の胸にしまわれているのである。

終わり方もよく、温かい話なんだろうと思う。
ただ、私は読みながら物悲しさを感じた。
「この幸せを破壊する出来事が起こるんじゃないかと、びくびくしながら読んだからだろう。」
そう思い、再読してみた。
しかし、やっぱり哀愁を感じるのであった。

なぜだろう?
幸せの中にも、何かのきっかけで崩壊しそうな危うさを朋子が感じ取っていたからなのか?
マッチで擦った炎のように、終わりが来るとわかっている一年間だからなのか?
誰もが持っている少女の頃の、無鉄砲で恥ずかしく、そして甘い大切な思い出が、私にもあるからなのか?

ノスタルジア---もう二度と戻れない少女の頃---を感じた本だった。
子供から大人まで幅広い方にお勧めできる良書である。

2012年6月26日火曜日

楽園のカンヴァス

楽園のカンヴァス
原田マハ著
新潮社
アンリ・ルソーに魅せられた人々を描いたミステリー。絵画に対する深い愛情が感じられる一冊。第25回山本周五郎賞受賞作


NY近代美術館--MoMA所蔵のルソー作「夢」
それにそっくりである「夢を見た」という作品の真贋を鑑定してほしい。
期間は7日間。方法は、一冊の「物語」を読むこと。
そんな不可解な依頼を受けたのは、ルソーに魅せられた二人。
一人は、英語・フランス語を操り、ソルボンヌ大学で美術史を学んだ新進気鋭の美術研究者・織絵
もう一人は、NY近代美術館で花形キュレーターのアシスタントをしている ティム・ブラウン
勝者となった者には「夢を見た」の取り扱い権利を与えるという途方もないものだった。
はたして結果は---?

顔をを描くといっても、へのへのもへじ程度しか描けない私は、美術史なんぞ全くわからない。
そんな美術関係初心者が読んでも、全く問題がない作品だ。
しかし、本作は前評判がとても高いので、じっくりゆっくり楽しもうと思い、出てくる絵画を検索しながら読み進めた。

美術館の監視員とはこういう仕事で、ふんふん、じっくり絵を見たいならうってつけなんだ。
キュレーターという仕事は、絵画に関する知識のみならず、社交能力や対人的戦略も大切なのね。
へぇ、ルソーやピカソって・・・
と、知的好奇心を刺激してくれるトリビアがいっぱいであった。

それもそのはず、著者はMoMAにも短期間勤務経験のある正真正銘のキュレーターなのである。
音楽や絵画などの芸術を文章で表現するのはとても難しいだろうと思う。
しかし著者の絵画描写に、熱帯の匂いを感じたり、こちらに向かってくる迫力を感じたりできるのはさすがと思う。
好きな絵の前で何時間も至福の時を過ごすことができるという美術愛好家が羨ましく感じる。

専門家が読んだら、首をかしげたくなることも書いてあるのかもしれない。
ミステリーマニアが読んだら、物足りないかもしれない。
幸いにしてそのどちらでもない私にとっては、絵画に対する情熱と愛情を感じる極上の物語であった。

2012年6月24日日曜日

100年前の女の子

100年前の女の子 船曳由美著
講談社

100年前に女の子だった著者のお母さんの生活をいきいきと語り下ろした一冊。民俗学的にも興味深い本であった。


明治42年、館林に近い栃木県高松村に「テイ」という女の子が生まれた。
実の母とは生後1カ月で生き別れとなり、あちこちの家に里子に出される。
小学校入学時に生家に戻り、祖母や、後妻に入った継母に育てられる。
そんなテイの幼少期を中心とした半生が綴られている本である。

四季折々の自然と共に生きていく村人たちの様子が、いきいきと描かれている。
初めは、おばあちゃんの昔話を聞いている感じで読んでいた私も、そのうち村の暮らしに引き込まれて行く。

初夏の茶摘みから始まり、お盆となり、お正月を迎え、満開のお花見・・・そしてまた次の一年が繰り返される村の暮らし。
そこには、昔から語り継がれたしきたりがあり、様々な行事があり、そして、多数の神様が見守っているという暮らしであった。

村を訪れる富山の薬売り、紅売り、物乞い・・・。
棺桶が「座棺」であった、修学旅行で日本橋の三越に行きお土産まで貰って帰った、
など、民俗学的な観点からも非常に興味深い。
初めて聞く話ではあるが、どこか懐かしさを感じる。
これが、日本の原風景なのかもしれない。

1909年生まれの テイ が、幼い頃の事を語り始めたのは、米寿を過ぎた頃からだという。
「それまでは、重い石で心の奥に封印しいるかのように幼い頃の思い出を決して話さなかった。」
冷たくて固い、出入りの男衆の背中ににおんぶされて出かけるときには、必ずどこかの家に連れて行かれるときなのであった。
そのため、大人になってからも、寝床でうつぶせに寝ると、夢の中で下の布団があの固い背中に変わっていくので、決してうつぶせに寝ることができなかったという。
90近くになるまで、幼い頃の事を口に出すことができなかった程の辛さ。
100歳になって「わたしにはおっ母がいなかった」と泣いて娘に抱きつく テイ の思い。
それらを思うと胸がつまる。

100年前の少女の健気さ・我慢強さ・聡明さに感心し、自分を省みて、恥ずかしくなる。
そして何より、著者の母親への愛の深さに感動する物語であった。

2012年6月23日土曜日

第2図書係補佐

第2図書係補佐
又吉直樹著
幻冬舎よしもと文庫
吉本所属のお笑い芸人ピース又吉の書評エッセイ。又吉かっこいいではないか!!


先日TVで、「20代女子が選ぶイケメン芸人ランキング」の2位に ピース又吉 が入っていて驚いた。
綾部ではなく、又吉が!
女子大生たちに聞いてみると、「又吉っていい顔してる」「おしゃれ」という感想だったのでもっと驚いた。
「キモかわいい」とかの部類ではなく、本気でかっこいいのかと隔世の感があった。
いや、別にブサイクと言っているわけではない。
あの広がったソバージュヘアーが苦手なのだ。
個人的に、「男の髪の毛は短ければ短いほどいい。ベストは禿頭。」と思っているからだ。

バラエティ番組のひな壇の片隅で、出たがりの芸人たちに埋もれている青白い陰気そうな男。
それが又吉の印象だった。

ごめん、又吉!
あなたが、サッカーでインターハイに出ていたことも、「吉本のオシャレ番長」と言われていることも知らなかった。
本好きとの噂は耳にしていたが、本について語る姿も見たことがなかった。
知らない私の方が、異端児だったのだ。

いやぁ、こんなに文章が上手いなんて。
笑えるネタをちりばめながら、一気に読ませてくれる。
47冊の本を紹介するエッセイを読み終わると、もれなくその本が読みたくなる。
読了した本の紹介を読んでも、再読したくなる。

解説に囚われず「小説は、自分の感覚で正直に読んでいいのだなと思った。」
その通り!読みたい本を読みたい時に、自分の解釈で読むのが読書の楽しみなのである。
ジャンルも多岐にわたり、古典を中心に、宮沢賢治・太宰治・吉本ばなな・大槻ケンヂ・・・と幅広い。

「僕の役割は、本の解説や批評ではありません。僕にそんな能力はありません」
そして、第1図書係でなく 第2、それでも足らずに 補佐 とは!
こんなに才能が溢れだしているのに、なんて謙虚な男なのだ。

本好きには悪い人はいない。(たぶん)
一気にファンになってしまう。

表紙は、着物を着た又吉が本棚の前で佇んでいる写真である。
(ここではなぜか表紙の画像が出ていないが)
読み終わって改めて表紙を見てみると、又吉、カッコイイではないか。
髪の毛を剃ってみたら、もっとカッコ良くなるのでは?と思う。

見直しだぞ、又吉!!

又吉ごめん度:★★★★★
才能ある度:★★★★★
見なおした度:★★★★★

2012年6月21日木曜日

夏のアレンジ2012

相性

相性
三浦友和著
小学館
俳優の三浦友和さんが半生を語った本。正直で真面目そうな性格が好感的であった。


1952年山梨で生まれ、駐在さんの子供としてのびのび育っていたが、小3の時に新宿の公立に転校する。
そこは、私立受験の補習や、模試まで受けさせられる受験一色の学校だった。
急な環境の変化にストレスを感じる。
その後、立川に引っ越し、都立日野高校で忌野清志郎と出会う。
卒業後、フリーターを経て俳優に。
28歳の時山口百恵と結婚。
2男に恵まれる。
そんな三浦友和さんが半生を語った本。

まえがきで、「この本は、映画RAILWAYSの宣伝の一環である」「インタビューをまとめてもらった語り下ろしである」と、正直に語っている。
ゴーストライターにお任せで、さも自分で書いたようなタレントがいる中で大変正直な方ではないか。

小学校時代の辛さ、両親の冷めた関係、酒に飲まれ仕事に穴をあけるなど荒れていた結婚前。
そして、結婚生活や子育てについて赤裸々かどうかは定かでないが、語っている。

驚くのは、この夫婦本当に一度も喧嘩したことがないという。
妻が「落ち込まないんです。マスコミに執拗に追いかけられようが、旦那が暇で家にいようが、動じない。変化しないんです。」だからだろうか。

キャビンのCMに起用させた時に、国会で問題になったというのも驚いた。
「三浦友和のようなアイドルをタバコのCMに起用しているが、青少年に悪影響を及ぼすとは考えないのか」
「三浦友和は現在30歳で、結婚もしておりまして、アイドルではございません」

そこまで影響力のあるアイドル的存在だったとは知らなかった。
旅行や家族のイベントを「家族サービス」と言ってしまうお父さんっていますよね?
妻や家族と一緒に自分も何かをするんです。
これは「サービス」ではありません。
自分も楽しいからやるんです。
サービスというのは旅行会社が客に対して行う行為です。

これは女としてはグッとくるセリフだが、世のお父様方を敵に回してないか。
百恵ちゃん世代ではないので、あまり思い入れはないのだが、1時間ほどで気軽に読める本だった。
この二人は、仮面夫婦ではなさそうだなぁ。

2012年6月20日水曜日

ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム

ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム
古屋晋一著
春秋社


著者は、「どう身体を使えば手を傷めずに幸せにピアノを弾けるのか」を科学的に研究している。

3歳から小6になるまでピアノを習っていた。
しかし、決して謙遜ではなく今は「ネコふんじゃった」しか弾けない。
そんな私は、大学でピアノを教えている友人によく疑問をぶつけている。
「コンクールに出場する人はみんな上手で素人には差がないように思えるけど、どう順位をつけるの?」
「どこをどう見たら初見(初めて目にする楽譜を見ながら演奏すること)であんなに上手に弾けるの?」
「どうして聞いたことあるだけの曲を楽譜なしで弾けるの?」
聞かれた友人は答えに窮していたが、別の友人に「脳が違うんだから、理解できるわけないよ」と一刀両断にされてしまった。

そんな私の疑問に答えてくれそうな題名に惹かれて読んでみた。

やはり、ピアニストとそうでない人の決定的な違いは「脳」にあるという。

私たちが話すために声を出す時、口の動きや舌の動きを詳細にイメージしなくても、「どんな言葉を話したいか」イメージするだけで口が自然と動き、声になる。
そして、環境によりボリュームを自然に調節する。
それと同じように、ピアニストはイメージした音を手指や腕の動きに自動的に変換する特殊な働きが、脳と身体に備わっているのだという。
つまり、「話すように弾いている」のだ。

ピアニストは
記憶力がいい。
外国語をマスターするのが早い。
声で感情の変化を聴きとる能力に優れている・・・。

痩せていて美しい、というのは私の個人的な見解だが、無芸大食なだけの私は、落ち込んでしまう。
いや、別にピアニストを必要以上に美化している本ではなく、私が勝手に卑屈になっているだけであるが。

プロの演奏家は1秒間に10回以上打鍵できるって、まさしく超人技ではないか。
高橋名人と連打対決をしていただきたい。

やはりそれには、幼少期からのたゆまぬ努力が必要なのである。
ピアニストといえども、演奏技術を維持するためには一日当たり平均3時間45分以上の練習が必要なのだという。
練習により彼らは手指だけでなく、脳をも鍛えているのだ。

この本は、目を引きがちな「超絶技巧」だけでなく、「感動」についても分析している。
人を感動させる演奏とはなんだろうか?
音楽のルールにのっとった範囲での表現の微細な彩「ゆらぎ」のみが、聴き手の心を揺さぶるのだ。
そして、音楽を深く知れば知るほど、音楽から得られる感動が増えるという。

演奏はできないけど、深く理解することもできないけど、私なりに聴くことはできる。
じっくり音楽を聴いてみたくなる本であった。

参考:「熊蜂の飛行」演奏動画
凄いなぁ度:★★★★★
読みやすい度:★★★
真似できない度:★★★★★

2012年6月19日火曜日

てんてん 日本語究極の謎に迫る

てんてん 日本語究極の謎に迫る
山口謡司著
角川選書

ひらがな・カタカナを濁音にする時につける「てんてん」は、明治以降に一般化されたものだという。そんな文字の歴史を解説した一冊。


江戸時代は蕎麦をすする時、「するする」と書いて「ずるずる」と読んでいたという。
前後の文脈・状況によって、濁る・濁らないを読み手が判断していたのだ。
これは、そんな「てんてん」を始め、日本の文字の歴史について解説した本である。

平安時代前期頃まで使われていた 万葉仮名 は、日本語の音に漢字を当てる表記方法のため、濁音と清音を書き分けることができた。
また、古代の日本語には、濁音で始まる言葉はほとんどなかったのである。

万葉仮名は、草仮名(万葉仮名の草書)へと形を変えながら、ゆっくり姿を消していった。
文字は漢字から、ひらがな・カタカナへと自然な流れとして生まれてきたのだ。
万葉仮名は、清濁を書きわけていたにも関わらず、なぜひらがな・カタカナは「てんてん」という補助記号を使って書き表さなければならないのだろうか?

その疑問に日本の歴史はもとより、中国の歴史・サンスクリット語、和歌などを交えて「てんてん」の謎に迫っていく。

中国語のアクセントを表す「声点」「てんてん」の源である。
字の下に点や棒線で表していた記号が、少しずつ変化していき、外来語の浸透により、濁点や半濁点がなくてはならないものとなっていくのある。
今では「あ゛・え゛・ん゛・・・」なども、どう読むのかは定かでないが、一般的になっている。

天皇家では「穢れ」を避けるためにニラ等を口にしないのと同様に、「濁音」を避けていたため現在でも和歌には「濁点」がない、など興味深い内容もたくさん掲載されていた。

一番気になったのは、奈良時代の日本語の発音は、現代の発音とかなり大きな違いがあったということである。(中国の書物によってほぼ完ぺきに発音を知ることができるらしい。)
例えば、
「母様、蝶々が飛んでいます」 という言葉が、
「パパつぁま、ディェップ・ディェップ んが ちょんでぃぇまつぅ」 と発音されていたという。
もし、タイムマシンが発明されて奈良時代以前に行ったら、意思の疎通が難しいのではないか。
ほんやくコンニャク
を持って行った方がよさそうだ。

読みやすいけど、論理的・順番的におかしいなと思うところがあった。

なるほど度:★★★★
興味深い度:★★★★
知らないこといっぱい度:★★★★

2012年6月18日月曜日

舟を編む

舟を編む
三浦しをん著
光文社

「辞書は、言葉の海を渡る舟だ。」「海を渡るにふさわしい舟を編む」 本屋大賞にふさわしい三浦しをんさんの傑作。


出版社に勤務している馬締(まじめ)は、辞書編集部に異動になった。
今まで「変わったやつ」と言われていたが、辞書の世界に没頭しながら邁進していく。
「大渡海」という辞書の完成を目指して---。
この話題作をやっと読了することができた。
読みやすい文章で、笑いあり(恋文は笑った!)涙ありの、本屋大賞受賞にふさわしい本だなぁと思う。

個性的な登場人物たちが魅力的である。
変わった人と見られるのかもしれないが、一つの事に情熱を捧げている姿にとても惹かれる。
辞書に携わる人々は、「言葉」という絆を得て、全力で大海に挑むのである。

そして、辞書に関するウンチク話も楽しい。

    一見しただけでは無機質な言葉の羅列だが、
    すべて誰かが考えに考え抜いて書いたものなのだ。
    何という根気。
    なんという言葉の執念。

辞書の編集とはなんと大変な作業だと改めて感心する。たくさんの人々の協力、地道な作業があってこそ出版までこぎつける辞書。しかし、私も最近はPCやケータイで意味調べを済ましてしまい、なかなか辞書を手に取ることがない。 この本の中に、「めれん」という聞きなれない言葉が出てきたので、せっかくだから辞書を引っ張り出して調べてみた。
紙の辞書は、調べた言葉以外の言葉もたくさん目に入り、思考が広がっていく。
そして、たくさんの辞書にまつわる思い出もあることに気がつく。

小学生の時、初めて大人の辞書「岩波」を手に取った時に、あまりの紙の薄さにびっくりしたこと。
高校生の頃、「これおじいちゃんが使ってた辞書なんだ。ボロボロで言葉が古くて恥ずかしい。」と言う友人が、羨ましかったこと。
海外で、マイナーな言語の辞書(英語で解説)を買い、「これじゃあ、辞書の役目果たせてないじゃん」と思うような個所が多々あり、日本人の細やかな気遣いを誇りに感じたこと。
忘れていた想い出を引っ張り出してくれた本だった。

「新解さん」以外ほとんど主役に躍り出ることのない「辞書」にスポットライトを当て、編纂の大変さを世間に知らしめた功績は大きいのではないかと思う。

2012年6月16日土曜日

太陽は動かない

太陽は動かない
吉田修一著
幻冬舎

読みながら、「スパイ大作戦」「007」の音楽が鳴り響く。ハリウッド映画を見ているようなスピーディーなアクションスパイ小説。


表向きはアジアの情報を発信しているAN通信。
しかしその正体は、機密情報を入手し、競争相手を競わせ高く売り飛ばす、産業スパイ集団だった!!
「情報ってものを売るときには、相手が買わざるを得ない状況までとことん追い詰めてから売りつけるもんだ。」
24時間連絡が取れなければ組織への裏切りとみなされ、胸に破裂する爆弾が埋め込まれている情報員たち。
各国がしのぎを削る新エネルギーの開発を巡って繰り広げる情報戦。
果たして勝利するのは誰なのか---?

「悪人」は、犯人の逃亡という単純なストーリーだが、心理描写が丁寧に書かれていた傑作だった。
この本は、それと同じ作者が書いたとは思えないような小説である。
登場人物たちが本当は何を考えているのか、心情はどう変化するのか、わからないまま、そして考える暇もないまま一気にラストまで引っ張られて行く。

狐と狸のばかし合い---というと、昔話のようなのんびりしたイメージがある。
ところが、これは読者ものんびりなんかしていられない。
ベトナムの暑さで汗だくになったかと思えば、上海に飛び雑踏にまぎれる。
香港でセレブのパーティーに出没し、東京、天津、香港、種子島・・・とめまぐるしく舞台が変わるのだ。

そして、状況も刻一刻と変わる。
スケールの大きさとスピード感に圧倒されながら、こちらも必死でくらいついていく。
頭を使い、ハッキングをし、女も男も体を張った情報戦。
勝つか負けるか、生きるか死ぬかの瀬戸際と、最後まで目が離せない。

だからと言って、どこか知らない世界の話・荒唐無稽の話、とは思えないのである。
実在の地名や固有名詞、事件が混在しているので、今実際にこういうことが起きているかもと考えてしまう。
入念な下調べをしたであろう、深みのある小説になっていた。
実力のある方が、エンターテイメント小説を書くとこうなるのかと、感嘆する。

蓄電池のことで腑に落ちない点があったのだが、それを差し引いても私好みの傑作であった。
シリーズ化されることを熱望する。

2012年6月14日木曜日

驚きの介護民俗学

驚きの介護民俗学
六車由実著
医学書院


民俗学を研究していた著者が、介護職員として働いて気付いた「驚き」が書かれている本。


著者は1970年生まれ。
大学で民俗学を教えていたが、現在介護職員として老人ホームに勤務している。

民俗学では、ムラを回ってお年寄りたちに聞き書きをするというフィールドワークが主体であり、介護の現場は関心外であった。
著者は、老人ホームで介護職員としてお年寄りに接するうちに、民俗学にとってそこがとても魅力的な場所だと気付く。
お年寄りは、認知症であっても、子供から青年期にかけての記憶はかなり鮮明で 「民俗学の宝庫」 だったのだ。

そこで
「介護現場は民俗学にとってどのような意味をもつのか?」
「民俗学は介護の現場で何ができるのか?」
という方向性からの問題提起として 「介護民俗学」(著者の造語)を掲げたのである。

認知症で会話も成立しないと思われていた人たちから、貴重なお話を伺う。
徘徊・幻覚など、認知症の問題行動も、彼らの「昔」を知ると、理由があることがわかる。

こうして、畑違いの介護の現場で感じた新鮮な「驚き」
話を伺って、色々な昔の話を聞く「驚き」
そんな「驚き」を民俗学と結び付けてやりがいを感じていた著者だったが、特養の遅番の担当になり、あまりの仕事量に驚けなくなってしまった。

そんな経験を基に、著者の意見と問題提起が書かれている。
もちろん、いいことばかりではなく、ときに失敗したり、理由もわからずお年寄りに嫌われてしまったりと辛い事も体験している。

そして、介護の仕事はやりがいはあるが、賃金と社会的地位が低い、あまりに過酷な職場環境であり、それを改善するためにも、介護現場が社会へと開かれて行くことを著者は希望している。

読んでいて、認知症を患い、あっけなく逝ってしまった祖母の事を思い出した。
もっと昔の話を聞きたかったと、今改めて思う。

読んだ私にも、色々な「驚き」があり、老いについて、介護について、社会について色々考えるきっかけにもなる良書だった。

ただ、なぜ著者が民俗学から介護職へと転職したのか、経緯が書かれていないのが残念だった。

2012年6月11日月曜日

超常現象の科学 なぜ人は幽霊が見えるのか

超常現象の科学 なぜ人は幽霊が見えるのか
リチャード・ワイズマン著
木村博江訳

怪しげな預言者、占い師、超能力者の方々、ご注意ください。  
見破られてますよ!!



著者は1966年生まれ、心理学の教授。
幼い頃から手品に夢中になり、マジシャンでもある著者。
超常現象に懐疑的で興味も抱かなかったが、「なぜ人は幽霊を見たと思いこむのか」という人の心理面に惹かれていく。

そして、超常現象の真偽を問うのではなく、
「人々の思い込みと体験の裏にある、奥が深くて魅力的な心理の働きに焦点を絞ればいいのだ。」
と考え、研究していく。

超常現象---霊視・念力・幽霊・予知夢・テレパシーなど、これらの不思議な現象は実在するのだろうか?
この難問に、著者は科学と心理学を武器に挑む。
そして、
占い師のあいまいな表現や相手を観察する方法を暴露し、化けの皮を剥ぐ。
幽体離脱の方法を伝授してくれ、
超能力者の「人の脳を欺く」トリックを見破り、
霊媒師のからくりを明らかにする。

私たちは、夢で見たことが翌日に現実になった時、すぐに予知能力だと思いたがる。
夢に見たことが 現実に起きなかった体験 は全て忘れて。
それが「思い込み」である。
「思い込み」や「錯覚」を超常現象と信じてしまうのである。

こんなに暴露されてしまったら、怪しげな方々の商売あがったりでは・・・?
とはならないのが、人間の面白さなのかもしれない。
科学技術が発達した21世紀になっても、超常現象は人々を惹きつけてやまないのだから。

ただ、著者は、超常現象を頭ごなしに否定したり、ばかにしているわけではない。
脳は間違った判断をするし、人は都合のいいように解釈するのだと言っているのである。

個人的には超常現象を見たことなければ、占いもうれしい事以外は信じない。
でも、どこかこの世の中には不思議な現象があってもおかしくないな、
マジシャンの中に一人ぐらい魔法使いがいても楽しいんじゃないか、とも思う。

この本の中に、「本や映画にのめり込みやすい人は暗示にかかりやすい。」 と書かれている。
本にすぐのめり込む私は、暗示にかかりやすいのかもしれない。
それならそこを逆手にとって、「あなたは痩せる」「美しくなる」と自分に暗示をかけてみたらどうだろう。
うれしい超常現象が起きたらいいなぁ。

2012年6月10日日曜日

関東のしきたり 関西のしきたり

外から見えない暗黙のオキテ 関東のしきたり関西のしきたり
話題の達人倶楽部編
青春文庫


関東と関西の違いをまとめた雑学本。気軽に読めて、話のネタにできる一冊。




「秘密のケンミンSHOW」が好きでよく見ている。
これだけ人口の移動が激しくネットが発達している社会でも、まだまだネタがたくさんあるのだなぁといつも感心している。
地元ネタが出て、そんなの知らないとか、一部の人だけだよとか色々突っ込みながら見るのも楽しい。

この本は、関東と関西の習慣の違いについて書かれているのだが、関東・関西の定義は難しい。
関東は一都六県なんだろうが、栃木・茨城・群馬と横浜がひとくくりというのも違和感がある。
関西はもっと難しい。
三重県出身の友人は「近畿地方や関西に三重県が入るのか、自分でもわからない」と言っていた。
この本の中に「関西人と聞くと一般に、京都、大阪、広島といった辺りを無意識に頭に思い浮かべる人が多いはずだ。」という文章があり、一般的には広島は関西に入るのか?とびっくりした。

まぁ、細かい事は置いといて気軽に読める本なのである。

床屋さんでは、
関東:シャンプー後、蒸しタオルで顔を拭いてくれる。
関西:客が自分で顔を洗う。
美容院に行っている私には、床屋さん事情は初耳で面白かった。

関東、関西だけでなく他の地方との比較も載っている。
例えば、
「ところてん」と言えば関東では酢醤油、関西では黒蜜が定番だが、名古屋では砂糖入りの酢醤油、秋田では生姜醤油だという。

関東はダブル派、関西はシングル派が多いトイレットペーパーは、1か月の平均使用量の全国平均が3.3ロールなのに対し、沖縄県は6.19ロールだという。
沖縄県民はトイレに行く回数が多いのか、それとも違うことに使っているのか?
その辺の考察がなく、どこからの引用かもわからないのが残念である。
気になったので沖縄出身の方に聞いたら、ティッシュ代わりに使う人が多く、ラーメン屋さんでもトイレットペーパーがテーブルの上にど~んと置いてあるそう。

こんな調子で80近くの項目について書かれている。
こういうのは全員に当てはまるわけではなく、統計上多いということなので、気軽に考えましょうと自分で自分納得させながら読んだ。

どこかから引っ張ってきて裏付け調査はしてないようなネタや、「ケンミンショー」の熱心な視聴者としては「これ見た見た」というネタや、それは違うでしょ!ということもたくさん書いてある。
突っ込みながら読むのもいいだろうし、話のネタにはいいのではないか。

2012年6月6日水曜日

双頭のバビロン

双頭のバビロン
皆川博子著
東京創元社

ウィーン・ハリウッド・上海を舞台にした双子の壮大な物語。やめられない、止まらない。睡眠不足にご用心!!!



1892年、ウィーン。
オーストリア貴族の血を引く双子は、体が癒着したままのいわゆるシャム双生児として誕生した。
4歳の時に分離手術を受ける。
ゲオルクは、名家の跡取りとなって陸軍学校へ進み、その後アメリカへ渡り、映画俳優兼監督となる。
存在を抹消されたもう一人の半身ユリアンは、少年ツヴェンゲルと共に、高度な教育を受けながらひっそりと暮らす。
ヨーロッパ・ハリウッド・上海を舞台に繰り広げられる壮大な物語。
二人の運命は・・・?
この分厚さ(538ページ)にも関わらず、もう読み始めたら止まらない。
睡眠不足になろうとも止まらない。
重たくてかさばり持ち運びには不便な大きさだが、ところ構わず持ち歩き読みふける。
予定をキャンセルしてまで読みふける。
一気に読み終えずにはいられない物語であった。

「開かせていただき光栄です」を読んだ時、その完成度の高さに驚いた。
設定が解剖という身近でない題材だからか、どこか離れたところから素晴らしい映画を鑑賞させていただいたような感動があった。
そして、読み終えた後、思わずブラボーと叫びたくなるような作品であった。
こんな作品にはなかなかお目にかかれないと思っていたら、こんなにも早く巡り合えるとは!!

この「双頭のバビロン」は、完成度が高いのはもちろんだが、「開かせて--」より感情・考えの描写が多い分、話の中に引き込まれ、その上ドキドキ感がプラスされた物語だった。

近づいたり離れたりする双子、それを取り巻く人々のドラマ、それぞれの人生が細やかに描かれている。
それに歴史的事実、雑多な人種が絡み、アヘンの煙を燻らせたこの物語が、作者の頭の中で考え出されたとは信じられない。
著者はどこまで進み続けるのだろう。

この本に出会えたことを感謝したくなる一冊であった。

2012年6月4日月曜日

望遠ニッポン見聞録

望遠ニッポン見聞録
ヤマザキマリ著
幻冬舎

「テルマエ・ロマエ」の作者・ヤマザキマリさんのエッセイ。外から見たニッポンが描かれていて、楽しみながら読める一冊。



1967年生まれの著者は、「日本だけが世界ではない」と親から言われて育つ。
17歳の時、絵の勉強のためにフィレンツェに渡る。
ブラジル・キューバ・エジプトなど、世界中を回り、現在シカゴ在住。

映画化もされた漫画「テルマエ・ロマエ」に掲載されていたエッセイを読んで、文章も上手い方だなぁと思っていた。
このエッセイを読んで上手さだけでなく、考察力も鋭い事に気がつき、溢れる才能に改めて感心する。

「息子命」のパワフルなお姑さんが、シカゴの家に遊びに来た。
締め切り迫る漫画の原稿と格闘する著者の横で、鼾をかいて寝ていたり、牛乳たっぷりのコーンフレークをぶちまけたりと大騒ぎをする。
シリアに住んでいた時、下着屋さんで驚愕の下着たちを発見する。
スケスケやら、やたらと穴の開いているものやら、Tバックの三角部分にウサギのぬいぐるみやひまわりの造花がついていたり・・・
おもちゃの携帯電話が貼り付けられていたものまであったという。
イスラム教徒で普段は顔しか出さない格好の下には、そんなものが隠されているのだろうか。
邪魔なような気がするのだが。

など、笑えるエピソードもたくさんあったのだが、海外を転々とし外から日本を見た著者ならではの鋭い観点も面白かった。

日本で進化し続けているトイレ。
西洋では昔から、バスルーム--お風呂の横に便器--が一般的である。
それに対して、かつて日本の「便所」と言えば長い渡り廊下の突き当たりや離れにあり、世の中から見捨てられたような排他的で悲しい空気が醸し出されていた。
「人間の暮らしにとって最も大切な場所なのに、それが同時に一番恐ろしい場所だったからこそ、これだけ力と熱意のこもった画期的進化が可能になったのかもしれない。」と考察している。

その他、日本と海外のCMの違い、イタリアには日本人が考えているような「伊達男」はいない、など
興味深く面白い話がたくさんあり、楽しく読めた。
肩の力を抜いて読める文化論でもある。
是非これからも、海外から見た日本についての話をお聞きしたいと願う。

2012年6月2日土曜日

猫を抱いて象と泳ぐ

猫を抱いて象と泳ぐ
小川洋子著
文藝春秋


チェスと少年の物語。純粋に、無垢な気持ちでチェスに向き合った少年の物語。この本と出会えたことに感謝したい一冊。



ロシアのチェス選手で「盤上の詩人」と称えられたアレクサンドル・アリョーヒン(1892 ~1946)。
主人公の少年はその再来、「リトル・アリョーヒン」と呼ばれた。
少年は上唇と下唇がくっついたまま誕生した。 
まるで、口の中に隠した暗闇を、他の誰かに見せたりなどするものかと決心しているように。
手術で唇は切り開かれ、脛の皮膚が移植されたため、その部分には産毛が生えていた。
思春期になると、産毛が濃い毛に変わった。
そんな唇に毛が生えた少年は、あるきっかけからチェスの「マスター」と出会い、チェスの才能を開花させる。

小説の導入部分は大抵、設定や登場人物の説明に費やされる。
それが一通り終わったところで、私の頭の中で人物たちが動き出し、物語の中に入り込んでいく。
しかしこの小説は、最初から私の心を鷲掴みにして離さない。
読み終わるまで決して離さなかった。

チェスのチェの字も知らないが、チェスが人の心を映し出す鏡だということがわかった。
どこの国の話か、少年や他の人物の本名も明かされないが、少年の心が澄みきっていることがわかる。
祖父・祖母、「マスター」など、少年を取り巻く人々が優しく、慈しむように見守っていたからだろう。
そのため少年の描く棋譜は、美しい無垢な音楽を奏でているように人々を魅了するのである。

チェスをするのに、言葉はいらない。
愛を語る時すら、棋譜で表現できる。

そして作者の小川洋子さんも、文字で澄み切った美しい音楽を私に聞かせてくれた。
最高の芸術を鑑賞したような読後感であった。

この本に出会えた事を素直に感謝したい。

2012年6月1日金曜日

ここはボツコニアン

ここはボツコニアン
宮部みゆき著
集英社


RPGを本にした一冊。ゲーム好きの宮部みゆき氏が楽しみながら書いたのだろうと想像できる。



ここはボツコニアン。
本物の世界から日々吐き出される「ボツネタ」が集まり、積み重なって成り立っている。
双子のピノとピピは、12歳の誕生日の朝、長靴の戦士に選ばれた。
そして、この世界を本物の世界にするために冒険の旅に出たのである-----。
宮部みゆきさんの新刊が出たと知り、とりあえず図書館に予約入れた。
いつもなら宮部さんの本はだいぶ待つのに、今回はすぐに順番が回ってきた。
なんと、ゲーム好きの宮部さん、自分でRPGをそのまま物語にしてしまったのだ。
(そういう本だと全く知らずに手に取った私も私だが)

【RPG】各自に割り当てられたキャラクターを操作し、お互いに協力しあい、架空の状況下にて与えられる試練(冒険、難題、探索、戦闘など)を乗り越えて目的の達成を目指すゲームの一種。(Wikipediaより抜粋)
恥ずかしいのでここだけの話にして欲しいのだが、私はRPGが好きであった。
ただ、オンライン・通信となると途端に冷めてきて、「ドラクエIX 」以降は一切していない。

そんな元RPG好きの私にぴったりの本ではないか。
とニヤニヤしながら読み始めたのだが、
これが辛いのであった。
なにがって、読み続けるのが辛いのである。
RPGならそのままゲームの筋書きに徹していれば、それなりに面白いと思うのだが、
随所に「作家のひとりごと」が挿入され、物語に入り込めない。
宮部さんのゲームに対する愛情は、ひしひしと感じるのだが。
と思っていたら、説明を兼ねた前置きが終わり、冒険らしきものが始まる中盤あたりから面白くなってきた。
キーマンである双子の名前が「ハンゾウ」と「モンゾウ」合わせて「モンハン」など、随所にゲーム系のネタが出てくる。
きっと、宮部さん個人のファンの方は面白く読めるのだろう。

「二人の旅はまだ始まったばかり。第二巻もお楽しみに」
ってどこまで続くんだろう。

第二巻を読むかどうかは微妙だなぁ。