2013年10月29日火曜日

政と源

三浦しをん著
集英社

国政73歳。源二郎73歳。政と源、合わせて146歳。只今参上!





荒川と隅田川に挟まれた墨田区Y町。
そこで生まれ育った幼馴染の国政と源二郎は、正反対の性格ながら、なぜか昔から仲がいい。

源二郎は、「世界一の」つまみ簪(かんざし)職人である。
大恋愛の末結婚した妻は40代で亡くなったため、今は一人暮らしをしている。
しかし、73歳の今でも仕事に精を出し、若い弟子の徹平とその彼女で美容師のマミが家に出入りしてるため、楽しく充実した毎日を送っているように見える。
耳のあたりにちょぼちょぼと残っている髪の毛を、マミが赤やピンクや青など奇抜な色に染めているので見た目は怪しいのだが。

一方、国政は銀行員として定年まで働き、今は悠々自適の暮らしをしている。
妻は数年前に家を出ていき、長女一家と暮らしていて国政と連絡を取りたがらない。

お互い一人暮らしの真面目な元銀行員と、破天荒だが情に厚い職人という二人が、徹平を昔の不良仲間から助けたり、マミと徹平の結婚に一役買ったりと活躍していく楽しい物語である。

堅物とやんちゃ。
そんな二人のじいさんが、愛らしくて可笑しくていい味出していて、何とも言えない関係を築いているところが魅力的である。
老いて一人になってしまった寂しさも漂うのだが、それ以上にお互い口は悪いが認め合い固い友情で結ばれている。
いいなぁ、こんな関係。
自分もこの下町のY町で暮らす住人だったら楽しいだろうなと想像しながら読んでいた。

破天荒な源と生真面目な国政のやりとりや日常が面白くて面白くて、思わず笑ってしまう場面が何度もあった。
特に、生真面目な政が離れて暮らす妻に毎日手紙を出すところは可笑しくて可笑しくて笑いが止まらなかった。
そうかと思うと一転してホロリとさせられる。
しをんさん絶好調といった感じの物語である。
このコンビで続編出して欲しいなぁ。
またこのじいさんコンビと再会して癒されたいから。

※政と源の挿絵が載っていたのだが、二人共顔が西洋風で王子様のようなイケメンだった。
下町のおじいさんという設定なのだから、いい男に描くのはともかく、西洋風はないだろうと思う。
もっとも、この物語の面白さには全く影響がなかったが。

2013年10月27日日曜日

のたうつ者

挟土秀平著
毎日新聞社

「土は人を裏切らない。そうオレは信じている。」なんてかっこいい方なのだろう。惚れてまうやろ!



この表紙の男性をみて欲しい。
鋭い目つき、精悍な横顔、この表紙の写真だけで女性なら誰しも惚れてしまうに違いない。(私だけ?)
本書は、この素敵な男性・左官の挟土秀平(はさどしゅうへい)さんの自伝である。

メディアにも登場する有名な方らしいのだが、この本を読むまで全く存じ上げなかった。
こんな素敵な方を知らなかったなんて、私は今までどこを見ていたんだろう。

挟土秀平さん、1962年生まれ。
矢沢永吉をこよなく愛する男。
岐阜県高山市で左官業を営む家に生まれ、「しゃかんになりたい」と幼稚園の頃から夢見てきた彼は、高校卒業後あえて遠く離れた熊本での厳しい修行の道を選び、技能五輪左官部門で優勝する。(高卒での優勝は初めて)

その後あちこちで修行したあと、飛騨随一の左官会社「挟土組」に、二代目跡取りとして入社する。
父親が社長のその会社で、実力がありながらなぜか不当な待遇を受け、艱難辛苦しながら孤立していく。
その中で「土」に出会い、苦悩の日々を過ごしながらも研究を重ねていき、「職人社秀平組」を立ち上げ独立するのである。
そして、「NEWS23」のセット、「泥の円空」など数々の挑戦的で独創的な作品を生み出していく。

研究ノートの写真が掲載されているのだが、これがまぁ丁寧な文字でびっしりと書かれていて、仕事に対して真剣に取り組んでいるのがよくわかる。
研究熱心な姿勢に加えて、努力を重ねた上で彼の作品が成り立っているのだなと感動する。

本書に掲載されている作品の写真だけでも迫力が伝わって来るのだから、実物はもっとすごいんだろうなぁ。
一度この目で見てみたい。

芸術的な作品や大きな仕事ばかりしている方なのかと思ったのだが、「個人宅の一部屋でも、風呂のタイル張りでも、どんな仕事でも引き受ける」のだそうだ。
狭いマンション暮らしの我が家では、いくら見渡してみても頼めそうな箇所はないのが悲しいのだが。

2013年10月24日木曜日

きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)

宮藤官九郎著
太田出版

男子高校生の脳内を覗いてみたら・・・思いっきりくだらなかった!!クドカンの自伝的小説。



この笑っていいのかどうか戸惑ってしまう長いタイトル「きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)」は、「あまちゃん」の脚本を担当した宮藤官九郎さんの初小説である。
自伝的小説でもあり、体験した恥ずかしい話を虚実織り交ぜ「虚8実2」ぐらいで書いた「恥小説」でもあるという。

「宝島」を愛読し、「たけし軍団」に入ることを夢見ながら、ビートたけしのオールナイトニッポンにせっせとネタを投稿している少年が、宮城県北部にあるバンカラな高校に入学した。
その高校は、「質実剛健」をモットーにしており、腰から手ぬぐいを下げ、冬でも下駄を履いて登校するという風習が残っていた。
挨拶はもちろん「押忍!」。
そんな高校で、バスケ部に入るが練習はサボりがち、エレキギターを買うが弾けないコードがある、友達は次々に彼女を作っていく・・・
モテたいのにモテない・冴えない少年が、「白鳥おじさん」と交流したり、下ネタを妄想したりしながら成長していく物語である。

男子高校生の脳内を覗いているような小説で、バカバカしい!くっだらない!と思いながらも笑ってしまう面白さがある。
「あまちゃん」と同じく、「夕やけニャンニャン」「ゲームウォッチ」など80年代の小ネタがたくさん散りばめられていて、その年代を知っている者としてはとても懐かしさを感じた。
クドカンの、そして「あまちゃん」の原点が少しだけわかったような気がして、クドカンファンとしてはくだらないながらも読んでよかったと思える一冊だった。
お忙しいでしょうが、続編として「くだらない大学生活」編も書いてくれないかな?

※たくさんある黒歴史の一つを告白しよう。
「ビートたけしのオールナイトニッポン」に、私も恥ずかしながら中学生の時に1度だけ投稿したことがある。聴こうと思っても起きていられず寝てしまうのが常だったので、採用されたかどうかはわからないが、たぶんボツだっただろう。お恥ずかしい出来だったから・・・
投稿したネタは「佐渡ヶ島のマゾ」です。皆様ご内密に。

2013年10月22日火曜日

ハピネス

桐野夏生著
光文社

幸せそうに見える母親たちの葛藤。桐野夏生さんの、こういう小説を待っていた!



「公園デビュー」という言葉を初めて知った叔父が、「なにそれ?人のことを気にせず、行きたい時に行きたい所に行けばいいのに。」と言っていた。
それはもちろん正論なのだが、女のそれも子育て中の母親たちの関係は複雑なのだ。
そんな複雑な女の世界を描いているのがこの「ハピネス」だ。

主人公は、憧れだった都心のタワーマンションに住んでいる有沙。
夫は「お願いだから離婚してください」というメールを一方的に送りつけてアメリカに単身赴任しているため、3歳の娘と二人暮らしをしている。
セレブ感漂うおしゃれなママ友たちのグループに入り、一緒に子供を遊ばせている。
彼女たちは一見幸せそうに見えるが、それぞれ家庭や子育ての悩みを抱えている。
それは、児童虐待、貧困、DVといった深刻な悩みではないけれど、誰にでも起こりうる身近な悩みである。
そんな母親たちの葛藤を、この物語はリアルに映し出していく。

女同士が集まれば、軋轢が生まれるのは当然のこと。
有沙も、夫の職業、タワーマンションの高層棟か低層棟か分譲か賃貸かなど、見えない階級意識に息苦しさを感じている。

人と比べてしまう、浮かないように周りに合わせる、家庭内の弱みを見せないようにする・・・都会で生きるためには必要なことかもしれない。
しかも子育て中、特に子供が小さいうちは親も側についていなければならず、そこに子供同士の関係も絡んでくるのだからもっと複雑になる。
バカバカしい、人は人自分は自分、と割り切ってゴーイングマイウェイを貫けば、母親ばかりか子供も浮いてしまうのだから難しい。

都会的なママ友グループで、精一杯皆に合わせている有沙はとても危うく、大丈夫?周りに流されないで!と励ましたくなってしまう。
このままママ友たちとのドロドロの関係がずっと続く話なのかと思いきや、中盤あたりから有紗に変化が訪れ、物語は違う方向へ走り出す。

女の汚い部分を描くのが上手い桐野夏生さんの、こういう小説を待っていた!
特に子育て中の女性にお勧めしたい本でもある。
読んで「どうしてハッキリ自分の意見を言わないんだろう、私とは無縁の話だ」と思う人は幸せなのかもしれない。
多くの女性たちが、ママ友たちとの関係に悩んでいるのだから。

2013年10月20日日曜日

幕が上がる

平田オリザ著
講談社

高校の演劇部が舞台の物語。高校生ってやっぱり眩しい。キラキラ輝いていて眩しい。




小学校の発表会で宮澤賢治作「よだかの星」の劇をした際、大きな声が出るという、ただそれだけの理由で主役のよだかを演じた。
今から思うと単なる棒読みで、心を込めて演じる・役になりきるということの意味すらも分かっていなかった。照れや迷いを捨てきることができなかったのだ。
映像が残っていなくて本当によかった。

舞台を見に行くと、時々最前列の席がとれることがある。
間近で見る俳優さんたちは役になりきっていていとも簡単に涙を流し、喜びを体いっぱいに表現している。
心技体に加えて、理解力も必要な難しい仕事だろうと思う。

で、この 「幕が上がる」 である。
舞台は、北関東にある高校の演劇部。
目標は地区大会を突破して県大会に出場するという弱小のクラブではあるが、それぞれ懸命に努力していた。
そんな中、新学期に新任の美術教師が学校にやって来た。
美人な上に、大学時代演劇をやっていたという噂だ。
さっそく副顧問をお願いし、指導してもらうことになった。
その美術教師は、なんと「学生演劇の女王」という異名まで持つ人だった。
強豪校から転校してきたクールな天才少女。
ちょっぴりメンドくさい性格のお姫様キャラの看板女優。
演劇はど素人で「すげー」が口癖の顧問の先生。
そんな登場人物たちが県大会を目指して奮闘する青春物語である。

演劇部の部長である さおり の一人語りで綴られていくこの物語は、読みやすく、演劇に打ち込む高校生たちにすぐに惹かれていった。
今までも別にやる気がなかったわけじゃない。
ただ、どうすればいいのかわからなかったのだ。
上手く指導したり助言するだけで、彼らは格段に上達していく。

女子高生の心の中をちょっと覗き見させてもらうくらいの気持ちでいたのに、いつの間にか、頑張れ!頑張れ!と保護者の気分になって応援している自分がいた。

悩みながらも力を合わせ少しずつ形にしていく。
本番の舞台で緊張し、手が震える。
きっと大丈夫と確信したり、不安に思ったりと揺れ動く少女の心情が手に取るようにわかり、「ああ、懐かしいな」と遠い昔を思い出していた。

スマホやギャルメイクとは無縁の田舎の高校生たちだが、演劇に勉強に真摯に打ち込んでいる等身大の高校生たちに好感が持てる。
高校生たちってキラキラ輝いていて、眩しいな。
自分たちはそのことに気がついていないだろうけど。
遠い昔を思い出して、感傷的な気分にさせてくれた1冊だった。

2013年10月17日木曜日

江戸の色道: 古川柳から覗く男色の世界

渡辺信一郎著
新潮社

ようこそ!ディープな男色の世界へ!



長年江戸の古川柳を研究してきた著者が、その中でも男色に関する部分を取り上げてまとめたものがこの「江戸の色道」である。

女色も深く嗜み、男色をも究めることが、色道としての正道なのだ。
弘法大師が帰朝して広めたとされる男色は(実際は古代から受け継がれてきたようだが)、江戸時代には女色/男色、二本立ての色道だったらしい。
平賀源内先生も著書「男色細見三の朝」で、未経験者に対して「此道の味ひを知らざる愚痴の衆生」とまで書いているそうだ。
それほど一般的だったため、様々な文献・川柳が残されている。
本書は、それを背景とともに丁寧に解説してくれる、いわば「男色の解説書(江戸編)」といった内容である。

潤滑油・通和散のこと、陰間の修行のこと、陰間茶屋のこと・・・
様々な男色のあれこれについて、それはそれはご丁寧に解説してくれるのである。

読み通すのに大変苦労する本でもある。
春画が満載で人前で読めない。
古文や古川柳がたくさん引用されている。
例えば「唐辛子」「提灯」などの隠語が多用されている(解説はついているが)。
具体的すぎる。
そういった理由もあるが、それだけではない。
ずっと、違和感というか根本的な疑問が頭から離れなくなってしまったのだ。

・男色は、する側は悦楽が伴うがされる側は苦痛に耐えなければならない。そのため、「一人だけが悦楽に耽る」の意味で「一人」の字を合体させて別名「大」悦と言う。
・陰間は商売道具である菊をいかに傷つけないようにするかの訓練を小さい時から行う。
菊の訓練、手早く終わらせる方法、傷の手当て・・・
・受ける方はどんなに経験を積んでも快楽を伴うことはない・・・
本書では、いかに受ける側が大変な苦痛を伴うかということが繰り返し書かれているのだ。

そうなのだろうか?
私はずっと、両方に悦楽が伴う対等の立場だとばかり思ってきたのだが。
もし、いつまでも片方は苦痛に耐えなけらばならないとしたら、金銭を伴わない関係は成立しないのではないか?
交代するのか?
誰にも聞けず、いや聞いても答えてくれそうな人が周りにいないため、一人でずっと考え込んでしまったから、なかなか読み進めなかったのだ。

まえがきで著者は「読者の肝を冷やすことになる筈である」と述べている。
肝を冷やすというより、・・・以下自粛。
私には全く必要がない、ディープな男色の世界の知識を与えてくれたと同時に、大きな疑問も残してくれた1冊だった。

※ちなみに、傷にはネギの白い部分を蒸してその部分に押し当てるといいらしい。

2013年10月15日火曜日

明治のサーカス芸人は なぜロシアに消えたのか

大島幹雄著
祥伝社

「日本の奇跡」と呼ばれた「ヤマダサーカス」を追え!海を渡った名も無き曲芸師たちの足跡。



それは3枚の写真から始まった。
学生の頃ロシア・アバンギャルドをテーマに卒論を書き、その後ソ連のサーカスを招聘するプロモーターの仕事をしていた著者は、ソ連末期のモスクワで3枚の写真と出会った。
そこには、着物を着たサーカス芸人達が写っていた。
彼らの名前は「イシヤマ」「タカシマ」「シマダ」だという。
興味を持った著者は、彼らのことを調べてみようと決意する。
そして、外交資料館で外国旅券下付表の記録を確かめ、サンクトペテルブルクのサーカス博物館へ足を運び、内外の資料やインタビューから彼らの足跡を追っていく。

幕末に芸人たちは一斉に海外へ飛び出し、パリ万博始めヨーロッパ・ロシア各地で評判を呼ぶ。
未知の国・日本の芸人達が演じる初めて見る驚愕の技の数々は、どこへ行っても好評だったという。

その中でもヤマダサーカス一座は、ロシアで最も有名な日本のサーカス団だった。
芸のレベルの高さも然ることながら、衝撃的な「ハラキリショー」でセンセーションを巻き起こしたのだ。
自らの手足を刀で切りつけ血を流しながら、押さえつけた少年の喉から腹にかけて切りつけ血まみれにし、シーツにくるみ運び去る・・・もちろん種も仕掛けもあるのだが、ロシア人を恐怖に陥れたという。
子供が見たらトラウマになりそうな衝撃的なショーではないだろうか。
いや、大人の私が見てもショックを受けそうである。

また、とりわけ印象深かったのが「シマダ」グループが行ったという「究極のバランス」芸だ。
サーカス関係者たちが「奇跡の芸」と言う、綱渡り・ハシゴ芸・棒技を合体させた神業。
長い長い棒を額の上に乗せたまま2本の綱の上に腹這いで寝そべり、その足元をつかんで一人が倒立し、棒の上ではもう一人が倒立する。
著者が何度見ても鳥肌が立つというサーカス史上最高の技。
来る日も来る日も練習に明け暮れたからこそ成り立つ、一流の芸なのだろう。
映像が残っているというのでいつか機会があったら見てみたい。

著者は、丹念な取材から少しずつ、少しずつ彼らに繋がる糸を手繰り寄せていき、彼らの足跡と人間ドラマを浮き彫りにしていく。
次第に彼らを追う旅に引き込まれて行き、中盤で写真の人物が明らかになる場面では、思わずあっ!と声を上げそうになった。
そして、彼らに日露戦争・ロシア革命といった歴史が襲いかかり、明暗が分かれていく。

ロシアで活躍していた日本人芸人たち。
毎日毎日辛い鍛錬を重ねていただろう彼ら。
歴史に埋もれ、今では誰も知ることのない名も無き彼ら。
そんな彼らがいたことを、心にとどめておこうと思う。

2013年10月13日日曜日

東京にオリンピックを呼んだ男

高杉良著
光文社

日本の心。おもてなしの心。東京オリンピック招致に尽力した日系2世の物語。





本書は、1964年の東京オリンピック招致に尽力した日系2世・和田勇さんの物語である。

和田勇さん(Fred Isamu Wada)は、1907年(明治40年)にワシントン州で食堂を営む日系1世の両親の元に生まれた。
生活苦のため12歳で農園で働き始め、17歳で青果商に就職した際はその働きぶりが評価されて1年で店長に抜擢される。
その後独立し、努力と才覚で店舗を増やし、日系人の中心的存在となっていった。
太平洋戦争の際は、強制収容所入りを逃れるため、日系人を束ねユタ州で辛い農場開拓に挑戦する。
戦後は再び店を構え、多数の店舗を経営するまでになった。
日系人は日系人同士で付き合っていた当時、ポーカーを覚えたりしながら白人社会に溶け込む努力を重ね、白人たちからも尊敬される存在になっていく。

強力なリーダーシップを有し、経済的に余裕が出来ても身を粉にして働く、困っている人を見ると助けずにはいられない、祖国日本を愛し続ける・・・そんな人物なのである。
だからこそ、東京オリンピック招致に向けて協力を求められたのだろう。
私財をなげうち全身全霊を打ち込み「アジアで最初のオリンピックを開催する」という夢に向かって邁進するのである。
またその後は、米国のためにロス・オリンピックの誘致にも尽力していく。

困窮している時に知り合いの結婚祝いとして2カラットのダイヤの指輪をポンとプレゼント。
若いメキシコ女を2回買ったことがあると告白。
借金がある身ながら6000ドルを二つ返事で貸す。
豪快エピソードには事欠かないが、奥様はどんなに大変だっただろうと思う。
南米での招致活動にも同行し、内助の功を発揮する。
この奥様がいなかったら東京オリンピックはなかったのかもしれない。
これは、一人の尊敬すべきリーダーの話でもあるが、強くしなやかな奥様の物語でもある。

ある方が、喜寿を迎えた和田さんに会った印象を「古武士のような人」だと表現していた。
「日本の心」「おもてなしの心」を持ち、献身的に奉仕する日系人がいたことを日本人として誇りに思う。
2020年のオリンピックの開催地が東京に決まり、きっと和田さんも天国でお喜びになっていることだろう。

※本書は、1992年に講談社から刊行された「祖国へ、熱き心を」を、2020年のオリンピック招致に絡み、光文社よりソフトカバーで再出版されたものです。

2013年10月11日金曜日

パンダ銭湯

tuperatupera著
絵本館

君はパンダの秘密を守れるか?人には口外しないと誓えるか?



あなたは口が固いですか?
秘密を守れますか?

すぐに「はい」と返事できない方は、この本を読んではいけません。
なぜならば、ここにはパンダの決して知られてはいけない秘密が書かれているのだから。


ある日パンダの親子は、「よし、今日は銭湯に行くか」「やったぁ!」と仲良く銭湯に向かいます。
そこは、「パンダ以外の入店は固くお断りしています」と貼り紙があるパンダ専用の銭湯「パンダ湯」です。
客をパンダに限定して経営が成り立つのか疑問に思いますが、意外と繁盛しています。

脱衣所には、ビールメーカーのキャンギャルでしょうか、若くて美しい(たぶん)パンダの水着姿のカレンダーがかかっています。
パンダの親父たちも、やはり若いお姉ちゃんが好きなようです。

湯上りには飲むのはこれで決まり!とばかりに、竹林牛乳さんの「サササイダー」もキンキンに冷えてスタンバっています。
彼らも飲む時は腰に手を当てるのでしょうか。

そして、裸になって・・・

・・・えっ!《゚Д゚》
え━━━(゚ロ゚;)━━っ!!
そ、そうだったのか。
||||||||||凹[◎凸◎;]凹||||||||||
と、とてもショッキングな絵が続きます。

・・・・気を取り直して洗い場です。
パンダ同士の社交場にもなっているようで、飼育員さんの噂話も聞こえてきます。
備え付けのシャンプーは「スーパーワイルドシャンプー」です。
彼らも「野生」の魅力に憧れているようです。


これでもかと秘密を見せつけられショックを受けている読者たちに、湯上りの脱衣所で最後の仕上げとばかり、衝撃の事実が突きつけられます。 
)゚0゚(   
誰でも自然とムンクの叫びになってしまうことでしょう。

愛くるしく、見ているだけで癒されるパンダたち。
その可愛さを保つために、笑顔の裏で血のにじむような努力をしているのです。(たぶん)
次にパンダに会った時、「君たちも大変だね」と声をかけながら、耳の後ろを確かめてみたいと思います。

2013年10月9日水曜日

昆布と日本人

奥井隆著
日本経済新聞出版社

昆布のソムリエ、「コブリエ」が案内する昆布の世界。 


昆布と鰹節で出汁をとっている。
その前は鰹節や煮干の粉が入った「だしパック」を使っていたのだが、出汁とり鍋を使い始めたら簡単においしい出汁がとれる点が気に入り、今では毎日のように使っている。
出汁とり鍋は、鍋とざるがセットになっていて、ざるは細かいメッシュ状なので布で漉さなくても簡単においしい出汁がとれるのでおすすめだ。

本書は、1871年創業の昆布商「奥井海生堂」(福井県敦賀市)の4代目である著者が、昆布の歴史や使い方などについて語っているいわば「昆布の解説書」である。

昆布が歴史上の文献に初めて登場するのは奈良時代、また「出汁」として活躍するのは鎌倉時代、それ以降、昆布と日本人は切っても切れない関係にある。
そんな昆布について、近江商人の北前船によりポピュラーになり、日本全国へ普及していった歴史が綴られている。

また、曹洞宗大本山永平寺御用達の「御昆布司」(おこぶし)となり出入りを許されたり、北大路魯山人から特注を受けたりと栄華を極めながらも、第二次世界大戦の空襲により全てを失い、再び立ち上がった昆布商としての140年の歩みを振り返る。
とりわけ「関西のような昆布文化は関東では浸透しない」「昆布の使い方がわかりません」と言われながらも、東京進出を果たしていく様子は、一代記ものの小説を読んでいるようだ。

その他、
限られた収穫期に、手間ひまかけて誕生する昆布の製造過程。
ワインのように収穫される場所やヴィンテージ(収穫年)によっても品質が違うという話。
永平寺の「心」が最も大切だという食の教え。
母乳と同じ旨味成分「グルタミン酸」。
フランス料理のシェフも注目する出汁の美味しさ。
旨味成分が一番抽出しやすいのは60度。
など1冊まるごと興味深い話が満載だった。

私がとりわけ惹かれたのは熟成させた「蔵囲昆布」(くらがこいこんぶ)である。
昆布を蔵で寝かせて熟成させると雑味のない、旨味だけが凝縮した出汁がとれるのだという。
出汁をとる一瞬のために、海で育つこと2年、手間ひまかけて製品になり、蔵囲いして熟成させる・・・なんという贅沢さだろうか。

奥深い昆布の世界をわかりやすく解説してくれる極上の一冊だった。

※気になって調べてみたら「蔵囲利尻昆布 80g」が1,365円だった。(私が普段使っているのは65g398円)
ちょっとお高めだが、本書を読み手間暇かかっていることを知った今ではそれでも安く感じる。
頼りない私の腕前で極上昆布を使いこなせるのか?、繊細な舌を持ち合わせていない家族たちに違いがわかるのか?と不安を抱きながらも、お取り寄せしてみた。
素人の私でも濃く上品な味のだしを取ることができた。
残念ながら家族は誰も気づいてくれなかったのだが。

 
昆布を水に浸してから60度を目安に加熱する。
 

 
澄んだ昆布だしができました。
 

 
その後、鰹節を入れ取り出したところ。

2013年10月3日木曜日

出世花

高田郁著
角川春樹事務所

高田郁さんのデビュー作。優しさが溢れ出てくる時代小説です。



本書は、漫画原作者から時代小説作家へと転身された高田郁さんのデビュー作であり、4つの短編からなる連作時代小説である。

主人公は武家の娘「艶」(えん)。
下級武士の源九郎と娘の「艶」は、不倫の末駆け落ちした妻と相手を討つため旅に出た。
2人は行き倒れて、下落合にある青泉寺の住職に助けられた。
その後、父は住職に娘を託しこの世を去る。
その青泉寺は、死人を弔い、荼毘に付し、埋葬する、葬祭のみを一手に引き受ける「墓寺」だった。
そこで「艶」は、「縁」と名を変え寺で働くことになる。
死者を弔う気持ちに心を打たれた「縁」は、大店の養子にならないかというありがたい話を断ってまで、湯灌を手伝うと自ら名乗り出る。
死者を湯灌し、安らかに浄土へと旅立っていく手伝いをするために。
そして「縁」は「正縁」という名を授かる。
仏教で「出世」とは、世を捨て仏道に入ること。
縁は名前を変えるたびに御仏の御心に近づいていく。まことに見事な「出世花」だ。


実の母との悲しい物語があったり、手篭めにされかかったり、「屍洗い」と蔑まれたりと辛い出来事の中、仕事にやりがいを見出していく・・・まるで「おしん」のように、芯が強いけなげな少女だ。

白麻の着物に着替えて行う湯灌のシーンでは、魂を清めるという厳粛な雰囲気が漂う。
死者を悼む気持ちから、痩せこけた頬に綿を詰め紅を差し浄土に旅立つ手助けをする・・・「おくりびと」の世界だ。

考えてみて欲しい。
「おしん」のような少女の成長物語、「おくりびと」、それに高田郁さんである。
数式に直すと(おしん+おくりびと)× 高田郁である。
どう計算しても答えは、優しさが溢れ出てくるような無敵の時代小説になるに決まっているではないか。
その上、的確に涙腺のツボをキュッキュッと押してくるのだから、読者はたまったものではない。
こんな完成度の高い物語がデビュー作とは、驚くばかりだ。

少しだけ出てくる食べ物の描写では、高田郁さんはやっぱり食べ物好きなんだなぁとニンマリしてしまった。
「縁」のその後が気になるところだが、あとがきで「みをつくし料理帖」の次にこの「出世花」の続編を必ず書くと約束してくださった。
(えっ!「みをつくし料理帖」シリーズが終わる!?終わるのは悲しいが、多くの読者が納得する終わり方をしてくれると信じている。)

ならば、「縁」に再開できるその日を、いつまででも待とうと思う。

2013年10月1日火曜日

どうして人はキスをしたくなるんだろう?

みうらじゅん・宮藤官九郎著
集英社

どうして男は、こんな話ばかりしたくなるんだろう?



とうとう大好きな「あまちゃん」が終わってしまった。
悲しみの海に溺れている時、「宮藤官九郎」と表紙に書かれたこの本を発見し、思わずしがみついてしまった。
中身をよく確かめなかったため、こんなに18禁満載の対談だったとは知らずに・・・

本書は、「週刊プレーボーイ」で連載中のコラム「みうらじゅんと宮藤官九郎の大人になってもわからない」を加筆・修正したものである。

紅白に出ようとも「あまちゃん」で大ブレイクしようとも、有名人オーラゼロが魅力の宮藤官九郎さん、1970年生まれ。
「人生の2/3はいやらしいことを考えていた」(㊟)という、あと5年で還暦を迎えるみうらじゅんさん、1958生まれ。
そんな自称「文化系」の2人が、「男と女」「人生」「仕事と遊び」について語り合っている。

まず目に飛び込んでくるのが、大きな文字の見出しだ。
「童貞を喪失すると何が変わってしまうんだろう?」
「SとMの判断基準ってなんだろう?」・・・
などはまだいい方で、ここにはとても書けないような見出しが並ぶのである。
電車の中で読んでいるのに、困ってしまうではないか。
こんなどデカイ文字にしなくてもいいのに!
やっと「どうして歳を取ると涙もろくなるんだろう?」という見出しにホッとしていると、不意打ちのようにまた大きな文字で放送禁止用語が目に飛び込んでくるのだから、もうすっかり挙動不審者になってしまった。

クドカンが小2の娘といつまで一緒にお風呂に入れるか心配したり、みうらさんが親を困らせようと女装姿で実家に帰るとなぜか絶賛されたりといった心温まるいい話(?)もあるのだが、基本はプレーボーイ路線だ。

出生届にどんな体位で出来た子か○をつける欄があったら・・・
友人と親友の違いは、相手の×××をくわえられるかどうか・・・
ああ、もうこの2人ったら!
これじゃあ、少年の心を持った純な大人というより、モテない・冴えない大学生の会話みたいだ。
(実際はお二人共おモテになるだろうが)

色気のある人って、やっぱ過去にデカい借金をしてるイメージがある」
「たぶんお金に一度も困った経験がない男って、女からすると頼りないんだよ

ちょっと待って!借金ない男のほうがずっと頼りになると思うけど!
もう、男2人で勝手に決めないでよ!
なんだか自分が真面目な学級委員長になって、腰に手を当て「君たち、いい加減にしなさいよ。」と男子たちに注意している気分だ。
優等生キャラになってみたい人にはおすすめの本だろう。

みうらさんはともかく、クドカンもいまだにAVを買っているというのはビックリしたなぁ。
男って、結婚してもいくつになってもそうなのだろうか?

クドカンが「あまちゃん」を見ながら、展開を知っているのに無意識にボロボロ泣いていたというエピソードは良かった。
それだけでもこの本を読んだ甲斐があった!

それにしても、どうして愛しい男たちは、おっさんになってもこんなにアホなのだろうか?

㊟:「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた。」・・・みうらじゅんさんが週刊誌に連載しているエッセイ「人生エロエロ」で、毎週冒頭に書かれている一文。
ちなみに「人生エロエロ」の題字は武田双雲さんが担当している。