2012年8月14日火曜日

人種とスポーツ - 黒人は本当に「速く」「強い」のか

人種とスポーツ - 黒人は本当に「速く」「強い」のか
川島浩平著
中央公論新社

「黒人は身体能力に優れている」というのは思い込みや先入観なのだろうか?



ロンドンオリンピックの陸上100m決勝出場者は全員黒人だった。
ここ30年、100m決勝はずっと黒人のみだという。
それに対して、水泳選手には黒人が少ない。
やはり生まれつきの身体能力によって得手不得手があるのだろう、日本人とは足の長さからして違うからなぁ、と思っていた。
本書は題名から、そんな黒人の身体能力を、骨格・筋肉・遺伝子レベルまで最新の科学から解き明かす本だろうと思い読み始めた。

しかし、黒人の悲しい人種差別の話から始まる本書は、野球・バスケットボール・アメリカンフットボールを中心としたアメリカのスポーツを、19世紀から丹念に追ったスポーツ史ともいえる本だった。

そもそもスポーツとは余暇に楽しむもので、奴隷として過酷な肉体労働に従事していたアメリカ黒人たちにとっては身近なものではなかった。
一部の黒人アスリートが優秀な成績を残しても、黙殺される「不可視」の時代が長かったのだ。

・黒人は「意志が弱く筋肉の制御ができない」「呼吸も血液の循環も不完全」である。
・プロ野球選手がホテルの滞在を拒否され「黒い肌、どうしたらこいつを白くできるのか」と声を震わせる。

そんな記述を読むと、改めて人種差別の恐ろしさを感じると共に、胸が痛む。

1930年代頃から徐々に黒人アスリートのパイオニアが道筋を作り始め、白人たちも無視できない状況になっていく。
また、一部のスター選手を夢見て、黒人がアメリカンドリームを実現させる数少ない道が、芸能界とスポーツ界だったため、たくさんの少年がスポーツに夢を抱く。

その後、報道で「黒豹」「ジャングル」とタイトルをつけられ、研究者にも「生まれつきの」「天性の」と評され、負けた白人に「やつらは努力しなくても勝てるんだ」と屈辱感を紛らわす言葉をかけらる。
こうして「黒人は原始的で、先天的に身体能力がある」というステレオタイプが出来上がっていったのだ。

長い長い黒人差別の歴史が書かれた後に、長距離選手が多いケニア・エチオピアの考察へと移る。
それらの国の中でも、トップレベルが排出されるのは一部の限られた地域だという。
その一部の地域の文化・歴史・地形が長距離に適していたのだと著者は言う。
つまり黒人だから身体能力が優れているというのは先入観だと著者は結論付けているのだ。

確かに日本人だから全員相撲がとれる、柔道ができる、着物が着られる、大和撫子だ、と決めつけられても困惑するよなと思う。
黒人の中でも運動音痴はたくさんいるだろうし。
そして「黒人は速い」と思うようなことが人種差別につながるのだと言われたように感じた。

本書は「アメリカのスポーツ界における人種差別の歴史」ともいうべき読み応えのあるとてもいい本だった。

しかし、最後まで読んで納得したのだが、無理やり納得させられた感もある。
やっぱり脚は長いし、お尻はプリッと上がっているし、顔は小さいし。
いや、こう思う事が人種差別なら、すみませんと謝るしかない。
そういう人ばかりではなく、太っている人もいっぱいいるのだから。
そもそも黒人の定義が広すぎるので、一部の人のイメージで全体を決めつけてはいけないというのも理解できる。

でも、陸上競技にはやっぱり黒人が圧倒的だし、日本人が最先端科学を用いてトレーニングしても太刀打ちできなさそう・・・
だから、著者は「黒人であること」が強さの要因ではなく、環境的な要因だと言っている・・・とループに迷い込んでしまう。

やはり科学的に肉体構造の違い(違わないかもしれないが)を解析した本も読んでみたいと思った。

0 件のコメント:

コメントを投稿

閲覧ありがとうございます。コメントしてくださったらうれしいです。