2012年8月31日金曜日

宇宙へ「出張」してきます ―古川聡のISS勤務167日―

宇宙へ「出張」してきます ―古川聡のISS勤務167日―
古川聡・林公代・毎日新聞科学環境部著
毎日新聞社

「宇宙に持って行きたくないものは、喧嘩と争いごと」という古川さんの宇宙への出張ドキュメント。



本書は、国際宇宙ステーションに長期滞在した宇宙飛行士・古川さんの生い立ちから宇宙滞在記、帰国後の生活まで書かれているドキュメントである。
宇宙へ出張して帰ってきた古川さんと、それを取材してきた記者たちの視点から複合的に書かれている。

やんちゃ坊主だったという古川さん。
掃除の時間にふざけていて校舎の二階の窓から落ちたり、「仮面ライダー」を真似しながら両手放しで自転車をこいで電柱に激突したなど、腕白ぶリが伺えるエピソードが書かれていた。
そして、大学生の時に「風雲!たけし城」に出演し、ビートたけしを笑わせたシーンが全国放送されたという輝かしい?過去をお持ちだという。
そういうイメージはなかったので意外に感じた。
しかし、高3まで野球部で汗を流しながらも、栄光学園から東大理Ⅲに現役合格するとはさすがである。

また、怒った様子を見たことがないと友人たちが口を揃えるほど穏やかな性格だそうで、「宇宙飛行士選抜試験」に書かれていたように、究極の「人間力」を試される試験に受かるべくして受かったのだなぁと納得する。

地球に戻って、
首を支える筋肉がプルプル震える、
重心がどこにあるかわからない、
自分の体でないみたい、
歩き方も忘れている・・・
宇宙から帰還すると筋肉が弱ったり骨量が減ったりして大変だという話は聞くが、ご本人から具体的なわかりやすい表現で説明されると、改めてその大変さに驚く。

その他、訓練や滞在期間中の様子も、ユーモアを交えながらわかりやすく説明してくれるので、宇宙に詳しくない私でも楽しく読める本だった。

肉体へのダメージや、1%という決して低くない事故率を考えると、人類の憧れを背負っている宇宙飛行士はやはり死と隣り合わせの危険な職業なのだと思う。

仕事仲間ももちろんだが、古川さんの学生時代の友人、ご両親、そして奥様やお子さんたちもまた宇宙飛行士という職業を支えているのだなぁと、本書を読みながら感動した。
これからのご活躍も期待したい。


※宇宙からの帰還が最大の見所ということで、本書は帰還シーンから時系列を遡って書かれているのだが、少し読みにくさを感じて残念に思った。

2012年8月29日水曜日

旅屋おかえり

旅屋おかえり
原田マハ著
集英社

旅をしたくてもできない人の依頼を受けて代わりに旅をする・・・そんな旅代理業を始める事になった元アイドルの奮闘記。ほっこりできる一冊。




礼文島出身で、小さい頃から海鳥やアザラシを眺めては「海のあっち」の世界に憧れていた主人公の 丘えりか、通称「おかえり」
修学旅行で東京に行った時にスカウトされ、アイドルデビューするが泣かず飛ばずであった。
売れない元アイドル・おかえり 唯一のレギュラー番組「ちょびっ旅」のレポーター役も、自身の失敗から打ち切りになってしまう。
そんな32歳・崖っぷちタレント・ おかえり は、ひょんなことから旅をしたくてもできない人の依頼を受けて代わりに旅をする旅代理業を始める事になった。
本書は、そんな おかえり の奮闘を描いた物語である。

本書の最大の魅力は、明るく真っ直ぐな おかえり である。
おかえり の番組「ちょびっ旅」なんか見たことないくせに、すぐにファンになってしまった。
「こんな旅番組あったらいいなぁ」と思わせる内容なのだ。

そして、旅行は自分で行くから楽しいのであって、人に代わりに行ってもらうなんて・・・と最初は思うのだが、人それぞれ理由があり、突飛に思えた「旅代理業」という仕事にも納得する。
行く先々で土地の人と交流し人情に触れる・・・まるで女・寅さんのような話でもある。

後ろで支える事務所の人や番組スタッフたちも温かく おかえり を見守る。
旅に出る度に、「行ってらっしゃい」「おかえりなさい」と笑顔で声を掛けながら。

現実にはこううまくは行かないだろう。
しかし、だからこそ物語の中で感動できるのかもしれない。
読んでいてこんな触れ合いの旅してみたいなぁと憧れてしまう。

おかえり にはいつまでも旅をしていて欲しい、寅さんシリーズのように。
前作「楽園のキャンバス」とはガラッと変わって、笑いあり涙ありのほっこりした一冊であった。

2012年8月28日火曜日

僕はいかにして指揮者になったのか

 僕はいかにして指揮者になったのか
佐渡裕著
新潮社

「大人になったらベルリン・フィルの指揮者になる」小学校の卒業文集に書いた夢を実現させた指揮者・佐渡裕さんの自叙伝。豪快な性格の著者のコンサートに行ってみたくなる一冊。





本書は、京都・太秦で生まれ育ち、「題名のない音楽会」の司会をされている世界的指揮者・佐渡裕さんが関西弁で語った楽しい自叙伝である。

声楽を勉強していた母親の膝の上で音感教育を受け、2歳頃からピアノを習い、クラシックレコードを聴きながら育った著者は「耳の良さ」を自然と身につけることができたという。
小学6年生で始めたフルートでも才能を発揮し、京都市立芸術大学音楽学部フルート科に入学する。
大学時代に指揮者になりたいと思うが、そのままフルート科を卒業する。

そして、大学を卒業し関西二期会の裏方やアマチュアの指揮等を掛け持ちしていた著者に転機が訪れる。
ボストン郊外で行われている「タングルウッド音楽祭」に志願し、バーンスタインと小澤征爾に「面白いヤツがいる」と見出されたのだ。
そこから著者の指揮者としての快進撃が続く。
それにしても、バーンスタインと小澤征爾の懐の深さ・優しさには驚き感動する。

著者は指揮科を卒業せず、独学で指揮を勉強したことから自らを「音楽の雑草」と謙遜するのだが、一般人の私から見たら音楽エリートである。
才能があったからこそ、見出され今の地位を築いたのだと思う。

音楽家にとって、音楽の知識よりも人の心に訴える者を持っているかどうかが大事なのだと著者は言う。
そして、聴く側も知識よりもまずは音楽を好きになる事が重要であるという。
「佐渡流演奏会の楽しみ方」で、退屈になったら出番のないシンバル奏者に注目したり、ソロの前で緊張している奏者を見れば楽しめると肩ひじ張らない調子で教えてくれる。

クラシック音楽は敷居が高い、退屈だと思う人でも楽しめる本である。
そして、読み終わると身長187cmという大柄な著者がどういう風に指揮をし、どんな音楽を聞かせてくれるのか興味を持ち、コンサートに足を運んでみたくなる一冊であった。

2012年8月25日土曜日

レンズが撮らえた幕末明治の女たち

レンズが撮らえた幕末明治の女たち
小沢健志著
山川出版社

明治の女たちを中心とした写真が満載された本。色々な楽しみ方ができる一冊。






山川出版社の「レンズが撮らえた~」シリーズは、幕末~明治にかけての貴重な写真が満載の私の大好きなシリーズである。
本書はターゲットを女たちに絞り、レンズの向こう側にいる女たちが多数掲載されている。

被写体になる事は滅多にない時代のものなので、登場する女たちは裕福なご令嬢・ご婦人と芸妓がほとんどである。
そしてスナップ写真ではなく、スタジオでしゃちこばって撮った写真がほとんどであり、女たちがニコリともせず、緊張した面持ちでレンズを見据えている。

和装・洋装と洋髪・日本髪が混在し、ファッション的にも過渡期であった事が窺える。
ヅラじゃなく、地毛の日本髪だ!と当たり前のことに感動しながらページをめくる。

写真を見るのが楽しみで読み始めたのだが、思いの外書かれている文章が面白かった。

世界の写真史の中でも独特であるという、明治期に生まれた「美人写真」。
明治24年に初めて行われた「美人コンテスト」。
外国人カメラマンが日本の写真師に影響を与えた撮影方法。
など、なかなか読みごたえがあった。

令嬢たちがに着物合わせて、首からネックレスのように時計鎖を下げたり、指輪をこれでもかというくらいたくさんはめていたりと、当時のオシャレ事情を読み説くのも楽しい。
色々な読み方ができるお勧めの本である。

↓私が勝手に「天城越え」と名付けた写真

 

崖っぷち「自己啓発修行」突撃記 - ビジネス書、ぜんぶ私が試します!

崖っぷち「自己啓発修行」突撃記 - ビジネス書、ぜんぶ私が試します!
多田文明著
中央公論新社


自己啓発書を読みながら、著者自身の自己啓発も同時進行する体験ルポ。果たして著者は、本を読んで変わり、仕事を獲得することができるのか?
 
 


「自らを成長・変革させる糧として自己啓発書・ビジネス書を体験取材するルポルタージュを執筆してみませんか?」
悪徳商法の潜入ルポ『ついていったらこうなった』が2003年にベストセラーになってから、仕事が減ってきた著者の元に、そんな依頼が舞い込んだ。

本書はそんな著者が、『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー)からなぜか『成りあがり』(矢沢永吉)まで、古今東西50冊の自己啓発書・ビジネス書を読んで実践し、新しい仕事を獲得するというドキュメントである。

「崖っぷちに立つダメ中年から抜け出したいあなたに、これらの古典を読破して、身も心も新しく生まれ変わっていただきたい。」とひどい事を編集者に言われた著者は、50冊もの本を前にどこから手をつけていいのか戸惑う。
普段あまり本を読まないため、読み進めるのも苦労してしまうのだ。

多読のすすめやペンで印や書き込みを薦める「読書論」に関する本をペンで線を引きながら読んでいると、ある本に「線を引くなどと愚かな行為をする人はいないと信じたい」と書いてあり、赤線を引くのをためらう。

これだけの本を短期間に読むには速読が必要と「速読法」に関する本を読むが、本により様々な方法があり迷う。
書き手として読者には飛ばし読みをして欲しくないと思う著者は、「本は一字一句落とさず読むべきで、飛ばし読みはしてはならない」という本に出会い、自分にあった速読法を発見していく。

子供の頃から整理が苦手で母親から「ゴミ男」と呼ばれた著者は「空間と時間の整理法」に関する本を読み、ゴミ男からの脱却を目指す。

秋元康著『企画脳』などを読み、今まで自分から積極的に企画を考えて来なかった著者は、ヒット企画を生み出すため「発想法」を身につけようと努力する。

「会話術」に関する本を読み、成果が上がらなかった売り込み電話に再度挑戦し、プレゼン能力を向上させる。

こうして著者は様々な本を読みながら、いいと思った方法を試していく。
そして取捨選択しながら、自分のスタイルを構築していくのだ。

あの人にはベストの方法でも、自分にとってベストとは限らない。
ベストの方法であっても自分の頭で考え微調整を繰り返して、初めて実になるのだと教えてくれる。
著者は自分のダメっぷりや落ち込んだ様子もそのまま書いているので(実際は才能ある方だと思うが)、ビジネス書を書いている方々のようなスーパーマン・スーパーウーマンではないところに好感が持て、自分も努力すればできるのではと思わせてくれる。

そういう意味で、楽しく読める本なのだが本書自体がいいビジネス本になっている。

2012年8月23日木曜日

スリッパダイエット

おうちでオフィスではくだけ!スリッパダイエット
正しい姿勢に導いて、美しいボディラインへ
成美堂出版

履くだけで正しい姿勢になり、美しいボディラインへ・・・なれるのでしょうか?期待を込めて履いてみました。



この本を手に入れた時、もう痩せた気になって狂喜乱舞した。
しばらくして冷静になると「あっ、まだ履いてもいなかった∑(゚д゚*)」と気付く。

気を取り直し、とりあえずスリッパを履いてみる。
見た目は普通に外で履けるようなサンダルなのだが、健康サンダルのようにイボイボがついていて、室内限定だという。
マンション暮らしなので階下に響いては困るのだが、ポリエチレンよりも柔らかく弾力があるというEVA樹脂製の靴底で、音は心配なかった。
履いてみたらぴったりで(フリーサイズ・22~25cm用)、幸先のいいスタートに期待も一層高まる。

50ページ弱の本を開き、読んでみる。
監修は「骨格姿勢インストラクター」というあまり聞きなれない肩書の谷英子さん。
とても美しい方である。

特長は
・正しい姿勢をとることにより全身の筋肉を使う。
・小指側に重心が流れる事を防ぐインソールによって、太ももの内側の筋肉を刺激する。
・筋肉の柔軟性が高まり代謝アップ。
・血流をよくし、むくみの予防。
・胸が開き猫背など、悪い姿勢の改善。・・・
それらによって、ダイエット効果・美プロポーション効果・気持ちへのプラス効果が得られるという。

履いてすぐ、背筋が伸びてお尻がキュッと自然に締まる事がわかる。
ふくらはぎの筋肉にも効いているようだ。
イボイボは足裏マッサージと一緒で、血行が悪い人が履くと痛いらしいのだが、それも私は大丈夫だった。
しかし、長時間履くと少し痛みを感じる。
最初は無理せず、履いたり脱いだりがよさそうだ。

あとは継続して履き続け痩せるのみだが、家で履くスリッパの代わりにこのサンダルを履くだけなのでムリなく続けられそう。
履いていない時も意識して姿勢を正すことが重要だという。

ただ、
・ヒール分の5.5cm身長が伸びるわけで、キッチン・洗面台に立った時に違和感がある。
・足の裏にウオノメなど痛い部分がある方には向いていない。
・イボイボ部分の突起が私の体重で押しつぶされ、履いているうちに平らになりそうなど、耐久性が不安。
 (履きつぶした後に新たに購入できるだろうか?)
とも思う。

今もPCに向かいながら履いている。
うれしい効果を期待しながら。

下町ロケット

下町ロケット
池井戸潤著
小学館

直木賞を受賞したのも、これだけ人気が出たのも納得の一冊。



主人公・佃航平は宇宙工学を専攻し、ロケットのエンジンを開発したが、失敗に終わる。
父の死により研究職を辞し、町工場・佃製作所を継いだ。
特許侵害で訴えられたり、運転資金が足りなかったりと、中小企業経営者となった佃は窮地に立たされる。
この危機をどうやって乗り越えるのか。

人気のある作品なので、軽いタッチの勧善懲悪の話だろうと思いながら読み始めた。
確かに読みやすい文章なのだが、内容は骨太で極上のエンターテイメント小説だった。

「大企業に翻弄される町工場が、日本のものづくりを担ってきた意地を見せる物語」
一言でいえばそうなのだが、外からの危機だけでなく社内も真っ二つに分かれてしまうなど、様々な困難や主人公の夢が絡み、奥行きの深い話になっている。

見学に来た上から目線の男が、下町の町工場とは思えないほどハイレベルな設備、機械ではできない職人技などを見て驚き、町工場を見直すシーンには溜飲が下がる。

憎らしい奴と思っていた人が、町工場とバカにしていた佃の工場で社員たちの仕事ぶりに感動し、考えを改め、いい奴に変わっていく。
ストーリー的には予定調和なのかもしれない、机上の空論なのかもしれない。
でも私には、それでもいいじゃないかと思えるのだ。

実際はイヤなオヤジがオーナーの町工場もたくさんあるだろうし、理想に燃え真摯に働く大企業の社員もたくさんいるだろう。
それはわかっているのだが、安心して読め、そして感動を与えてくれた痛快な小説だった。

2012年8月21日火曜日

運命が見える女たち

運命が見える女たち
井形慶子著
ポプラ文庫

5年にわたって占い師たちを潜入取材した著者の運命はどう変化したのか?



霊感が全くない私は、占いをあまり信じていない。
しかし、絶対あり得ないとも思えない。
なにか不思議な力が働き、運命が見える人がいたら面白いなぁ、どこかにいたらいいなぁと思うのだ。

本書は、著者と占い師たちの5年間を追ったドキュメントである。
「一般の相談者を装って、霊感を持つ人の実態を突き止めて欲しい。」
出版社を経営している著者のもとに、ある日そんな依頼が舞い込み、3人の占い師の連絡先と共に、専用の携帯電話が送られてきた。
その日から、偽名を名乗った著者と占い師たちの密着した生活が始まったのである。

「鑑定料は1分間200円。銀行振り込みで支払ってください。」
そう言われ、電話で著者の周りの人の「魂」に問いかける「ララさん」。
普段は違う仕事をしていて夜のみ相談に乗る霊感タロットの「万葉さん」。(30分5000円)
そして「魔法使いさん」。
毎日のように3人に電話をし、人生を見てもらい相談に乗ってもらう著者。

互いの存在も知らない3人なのに、どんな質問を向けても返ってくる答えはほとんど同じだったことに著者も驚いていたが、読んでいる私も驚いてしまう。

ズバズバ言い当てる占い師たちに、著者がどんどん依存していく様子が細かに描かれていて、怖さを感じた。
崩壊していく会社、思うように働いてくれない部下たち、そんなストレスからか、占い師たちとの会話に依存していく。

登場する占い師たちは、霊感グッズを売りつけるでもなく良心的な部類だと思うのだが、それでも大変高額な鑑定料を払ったのではないか。
当初取材費として設定されていた200万円を超えても、著者は自腹を切ってまで彼女たちに電話をかけるのだ。

「老朽マンションの奇跡」など、著者の本は過去に何冊か読んだのだが、会社経営者・雑誌編集者・著述業・インテリアの専門家など多彩な顔を持つ強い方だと思っていた。
そんな自立した大人の女というイメージの著者が、のめり込んでいく様子に目が離せなくなる。
自叙伝、会社の成長記として読んでも興味深い本だった。

読んでいて怖さを感じたのは、誰にでも、もちろん私にも当てはまるなと感じたからだろう。
占いを信じていてもいなくても、過去も未来も言い当てられ、ことごとくその通りになってしまったら、のめり込んでしまうのは仕方がないのかもしれない。

そして、自分で考え判断する事をやめて占い師を頼ってしまう・・・まるで最近話題になった「オセロ」の中島さんのようではないか。
100%当たる占い師がいたとしたら、人を操るのなんて簡単なんだろう。
怖い。

2012年8月17日金曜日

城の中のイギリス人

城の中のイギリス人
アンドレ・ピエール・ドマンディアルグ著
澁澤龍彦訳
白水社


可哀想な男の物語。読了した方々と慰労会を開きたい、取扱注意の一冊。



「ページを繰る手が時折とまる。頭痛がするし、吐き気を催す。」
「全裸で闘牛!!」
「ザ・鬼畜」「愛情が1㎜も感じられず」

最初この本の書評を読んだ時、そんな本読みたくない!と思っていたのだが、いくつか書評を読んでいくうちに麻痺してきたのか、それとも城に招待されてしまったのか、なぜか気になり読んでみることにしたのだ。

ふとしたことから知り合ったイギリス人に城へ招待され、短期間滞在し、驚くような体験をする---筋書きは単純だ。
しかし、城がある土地「ガムユーシュGamehuche」は「舌で刺激する行為」という意味だし、城の主人「モンキュMontcul」は「尻の山」という意味だしと、まあ推して知るべしの話なのだ。

モンキュは古い城を買い取り、自分の好みに改造し、そこに引きこもって、興味のある研究を続けている。
城に招待された男が見聞きし体験した事は、舞台が現代日本の小説ではとても表現できない、私のような凡人の想像を超えたスケールだった。
「狩猟家の攻撃精神」で、ありとあらゆる残虐な方法で肉欲を極めていくのだ。
そんな方法しかとれないなんて、なんと憐れな男なのだろう。

作者は「できるだけ残虐で破廉恥で」という物語を書きたかったそうだ。
その通り、ある種の嗜好をお持ちの方にはぴったりの本なのかもしれない。
が、私は眉間にしわを寄せながら読んだ。
きっと人からは「難しい本を考えながら読んでいるんだな」と思われた事だろう。

「洗練された苦痛」を描いたと著者は言うのだが、これが洗練されているのか、「想像を超えた苦痛」ではないかと思う。
しかし、確かに残虐の極みであり、気持ち悪さや怖さを感じながら読んだのだが、なぜか格調の高さを感じた。
「城」「ヨーロッパ」「貴族」などのキーワードから勝手に先入観を持ったのか。
澁澤龍彦の訳だからなのか。

ただし、やはり多感な年ごろの少年少女には決して読んで欲しくない、取扱注意の本である事は確かである。

2012年8月16日木曜日

『薔薇族』編集長

 『薔薇族』編集長
伊藤文学著
幻冬舎

偏見を少しでもなくすために「薔薇族」を創刊した著者の苦労を綴った一冊。彼らの絞り出されるような苦悩に何度も涙した。



大学を卒業し、父親が経営していた小さな出版社を手伝うことになった著者。
あるきっかけから、同性愛の悩みを綴った手紙を受け取る。
日本のあちこちに悩んでいる男性が多い事を知った著者は、1971年、社会的にタブーの領域であったその分野の雑誌「薔薇族」(当時¥230)を創刊した。
「地方にいて孤立している彼らに少しでも連帯感を持たせ、日本の薔薇族たちが明るい方向へ前進するように」と。
そして、中学生から80代までと幅広い層から熱烈歓迎を受けるのだ。
驚くことに著者はノンケで妻子もいるという。

本書は、雑誌を創刊してからの著者の苦悩や葛藤を綴った本である。

海外からも手紙がくる、中国の少数民族が宝物のように読んでいる、「美少年の同性愛者と結婚したい」というBL好きの女子高生・・・等驚くような話がたくさん書かれていた。

当初知名度も低いため、書店の園芸コーナーに置かれたなど、笑える話もある。
しかし、本書の中心となっているのは薔薇族たちの切実な苦しみだ。

日本中に300万人ぐらいの男性同性愛者がいる(本書より)、そして大半がそれを隠して(ときには奥さんにまで)、普通に生活しているという。

定期購読者に「薔薇族」を送る封筒も特注で丈夫な二重封筒にし、中が見えないように気をつける。
彼らがどれだけ弱みに思い、ばれないかとびくびく暮らしているか、著者は知っているのだ。
そういう風に生まれたのは彼らのせいではないのに、オヤジ狩りのようにゲイバッシングと称して襲われたり、偏見に苦しんだりと辛い思いをしている薔薇族がたくさんいる事を本書は教えてくれた。

「子供のいない人生、伴侶のいない人生、私は家庭が欲しい。互いに助け合って生きてくれる人が欲しい。」
雑誌が見つかり母が心労のため倒れてしまい、「お母さん、驚かしてごめんなさい。」
読者からの絞り出すような苦悩の手紙に、何度も目頭を押さえる。 
大事故や大震災で犠牲になった恋人をニュースで知っても、故人との関係を伝えることも、葬儀に参列することもできずに悲しんでいる人たちが多数いるという。

そして、避けては通れないエイズ問題。

創刊当時よりはましになってはいても、まだまだ薔薇族たちの苦悩は続く。

興味本位で読み始めた私の頭を、ガツンと殴って気付かせてくれたいい本だった。

ただ、少年愛についての記述は、受け入れられない箇所がいくつかあった。

2012年8月15日水曜日

生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント

生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント
西原理恵子著
文藝春秋

 サイバラが人生相談の回答者に! ズバッと回答してすっきりすると思ったら、志麻子姐さんが乱入してくるから・・・



「サイバラが新書で登場」という広告を見て迷わず購入してしまった一冊。
これは悩める仔羊たちのお悩みにサイバラがズバッと回答するという人生相談の本である。
「仕事編」「家庭編」「男と女編」「性格編」「トラブル編」と5章からなり、60の相談に乗っている。

その他「創作意欲が低下気味で」(綾辻行人さん51歳)、「夫婦仲がいいのですが、これでいいのでしょうか」(伊藤理佐さん42歳)、しりあがり寿さん、重松清さん、角田光代さんの相談にまで乗るというサービス精神満点のサイバラなのだ。

「どう考えても向いてない部署に異動になってしまいました。」
---会社にどうにかしてもらおう、周りにどうにかしてもらおうじゃなくて、自分で動かないと。
「夫が脱サラして田舎で蕎麦屋をしたいと言い出した。」
----あっぶねー。客来ないよ。人いないから。

イヤな姑は「そのうち死ぬから放っておけ。」など、苦労人であり現実主義者のサイバラがズバッと指摘し、その中にも優しさが見え隠れする、さすがサイバラと思うような回答が続く。

と思っていたら、岩井志麻子姐さんの登場場面では、一転雰囲気が変わる。
 ・志麻子ちゃんのところにはツワモノが「頼もう!」ってやってくる。
 ・志麻子ちゃんの携帯にはどんな禍々しいものが入っているか・・・
これ以上詳しくは書けませんが。

また、一貫して「子供の教育は何より重要だ」というサイバラには諸手を挙げて賛成する。
子供や弱者には優しいが、なまっちょろい考えを持つ人には厳しい回答が小気味いい。

見栄を張らない、飾らない自然体、そして逞しい生活力。
そんな生き方ができるサイバラは逞しいなぁ、凄いなぁと憧れる。
しかし、一見楽なようであるその生き方は、実はとても体力が必要な生き方なのだろうとも思う。
周りに同調し波風立てないように生きているおとなしい日本人の中では、浮いてしまう事も多々あるのではないか。
私自身も見習いたいと思う部分も、それはサイバラだからできるのだと思う部分もたくさんあったが、
「生きるヒント」にはなるだろう。

2012年8月14日火曜日

人種とスポーツ - 黒人は本当に「速く」「強い」のか

人種とスポーツ - 黒人は本当に「速く」「強い」のか
川島浩平著
中央公論新社

「黒人は身体能力に優れている」というのは思い込みや先入観なのだろうか?



ロンドンオリンピックの陸上100m決勝出場者は全員黒人だった。
ここ30年、100m決勝はずっと黒人のみだという。
それに対して、水泳選手には黒人が少ない。
やはり生まれつきの身体能力によって得手不得手があるのだろう、日本人とは足の長さからして違うからなぁ、と思っていた。
本書は題名から、そんな黒人の身体能力を、骨格・筋肉・遺伝子レベルまで最新の科学から解き明かす本だろうと思い読み始めた。

しかし、黒人の悲しい人種差別の話から始まる本書は、野球・バスケットボール・アメリカンフットボールを中心としたアメリカのスポーツを、19世紀から丹念に追ったスポーツ史ともいえる本だった。

そもそもスポーツとは余暇に楽しむもので、奴隷として過酷な肉体労働に従事していたアメリカ黒人たちにとっては身近なものではなかった。
一部の黒人アスリートが優秀な成績を残しても、黙殺される「不可視」の時代が長かったのだ。

・黒人は「意志が弱く筋肉の制御ができない」「呼吸も血液の循環も不完全」である。
・プロ野球選手がホテルの滞在を拒否され「黒い肌、どうしたらこいつを白くできるのか」と声を震わせる。

そんな記述を読むと、改めて人種差別の恐ろしさを感じると共に、胸が痛む。

1930年代頃から徐々に黒人アスリートのパイオニアが道筋を作り始め、白人たちも無視できない状況になっていく。
また、一部のスター選手を夢見て、黒人がアメリカンドリームを実現させる数少ない道が、芸能界とスポーツ界だったため、たくさんの少年がスポーツに夢を抱く。

その後、報道で「黒豹」「ジャングル」とタイトルをつけられ、研究者にも「生まれつきの」「天性の」と評され、負けた白人に「やつらは努力しなくても勝てるんだ」と屈辱感を紛らわす言葉をかけらる。
こうして「黒人は原始的で、先天的に身体能力がある」というステレオタイプが出来上がっていったのだ。

長い長い黒人差別の歴史が書かれた後に、長距離選手が多いケニア・エチオピアの考察へと移る。
それらの国の中でも、トップレベルが排出されるのは一部の限られた地域だという。
その一部の地域の文化・歴史・地形が長距離に適していたのだと著者は言う。
つまり黒人だから身体能力が優れているというのは先入観だと著者は結論付けているのだ。

確かに日本人だから全員相撲がとれる、柔道ができる、着物が着られる、大和撫子だ、と決めつけられても困惑するよなと思う。
黒人の中でも運動音痴はたくさんいるだろうし。
そして「黒人は速い」と思うようなことが人種差別につながるのだと言われたように感じた。

本書は「アメリカのスポーツ界における人種差別の歴史」ともいうべき読み応えのあるとてもいい本だった。

しかし、最後まで読んで納得したのだが、無理やり納得させられた感もある。
やっぱり脚は長いし、お尻はプリッと上がっているし、顔は小さいし。
いや、こう思う事が人種差別なら、すみませんと謝るしかない。
そういう人ばかりではなく、太っている人もいっぱいいるのだから。
そもそも黒人の定義が広すぎるので、一部の人のイメージで全体を決めつけてはいけないというのも理解できる。

でも、陸上競技にはやっぱり黒人が圧倒的だし、日本人が最先端科学を用いてトレーニングしても太刀打ちできなさそう・・・
だから、著者は「黒人であること」が強さの要因ではなく、環境的な要因だと言っている・・・とループに迷い込んでしまう。

やはり科学的に肉体構造の違い(違わないかもしれないが)を解析した本も読んでみたいと思った。

2012年8月13日月曜日

僕はお父さんを訴えます

僕はお父さんを訴えます
友井羊著
宝島社

「リクは大切な家族だから、警察には任せたくない。僕の手で仇打ちをしなくちゃダメなんだ。」 中学生が民事で父を訴える物語。



中学1年の 光一 は、母を亡くし父と二人で暮らしている。
小3の時に自分で買った愛犬「リク」が死んでしまった。
ある疑いを持った 光一 は、民事訴訟を起こすことにする。
「リクを殺した罪で、僕はお父さんを訴える」
ところが、未成年者は裁判を起こせない事がわかり---。
第10回「このミステリーがすごい」優秀賞受賞作。


解説で「ラノベのよう」と書かれているように、軽く読めるのだが、内容的には重く深い。
そして、中学生が父親を裁判で訴える話、と聞くと現実味に乏しいのではと思えたが、読んでいてもあまり違和感を感じなかった。
それは、所々に出てくる主人公の心の描写に、納得するからなのだろう。

難しい法律用語や裁判の進め方も、司法浪人である年上の友人 の口を通してわかりやすく解説してくれる。

これは伏線だろう、何か複雑な事情が裏にあるのだろう、と読者がすぐ気付くようにわかりやすく書かれているのだが、それでもラストの展開には驚いてしまう。

読後感が決していいわけではないが、希望のある終わり方をしている所に救いがある。
しかし、主人公の行動を受け入れられるかどうかによって、好き嫌いのはっきり別れる物語だろうなと感じた。

2012年8月12日日曜日

ロスト・トレイン

ロスト・トレイン
中村弦著
新潮社

「誰にも知られていない廃線跡の、始発駅から終着駅までたどれば、ある奇跡が起こる」 読者と共にロスト・トレインを求める旅へ



廃線跡を訪ねるのが趣味の会社員 牧村 は、ふとしたことから37歳年上の 平間さん と知り合う。
平間さん は生粋の鉄道ファンで、様々な事を教えてくれた。
牧村 にとって、年は離れているが友達のように接してくれるかけがえのない人だった。
ある日
「誰にも知られていない、幻の廃線跡がある。その始発駅から終着駅までたどれば、ある奇跡が起こる。」
そんな噂を教えてくれたあと、行方不明になってしまう。
平間さん の鉄仲間である旅行代理店勤務の 菜月平間さん を探す。
果たして 平間さん はどこへ行ったのか。


私自身は鉄道にあまり興味がない。
だから、鉄道ファンの心理もよくわからない。
電車のデザインが好きなのか、乗って景色を見るのが好きなのか、と鉄道ファンの知り合いにしつこく聞いたことがあった。
その人の回答は要領を得ないものだったが、きっと「乗っている時の振動と乗っている自分」が好きなのだなぁと私の中で勝手に結論付けた。

この本では、鉄道マニアたちが、何を求めて鉄道に乗るのかは様々で、色々なタイプがいるのだとわかる。
主人公の 牧村 はマニアではないが、廃線跡を訪ねて自分が生まれ育った街への懐かしさを感じるのが好きなのだ。
他にも写真を撮ったり、時刻表を集めたり色々な鉄たちが登場する。

しかし、彼らは特別個性的なわけではない。
鉄道が好きな普通の人々だ。
本書には衝撃的な表現もない。
静かに物語は進んでいく。
その語りかけてくるような落ち着いた雰囲気が、私にはとても心地よく感じた。

そして、「人の一生は鉄道と似ていて所々に乗り換え駅がある」という表現にうんうんと頷いた。
今、別に人生の岐路に立っているわけではないけれど、たまには立ち止まってじっくり考えることも必要だなぁと思う。

とても素敵な雰囲気の幻想的なミステリーで、出会えてよかったと思える一冊だった。

2012年8月10日金曜日

理系の子―高校生科学オリンピックの青春

理系の子―高校生科学オリンピックの青春
ジュディ・ダットン著
横山啓明訳
文藝春秋

高校生たちによる「科学オリンピック」。その背後ににあるそれぞれのドラマを描いた感動のドキュメント。



アメリカでは子供たちが科学の自由研究の成果を競う「サイエンス・フェア」が盛んで、毎年数多く開催されているという。
その中でも最大なのが、本書で取り上げられている科学のオリンピック「インテル国際学生科学フェア」
毎年50カ国以上の国々から1500人以上の高校生が集まり、研究成果を披露する賞金総額400万ドル超という規模もレベルも最上級のフェアである。

理系でも文系でもなく、しいて言えば体育会系の私の理解を完全に超えた、中高生の自由研究とはとても思えない高度な研究ばかりである。

登場する少年少女たちは、境遇も様々である。

小さい頃から天才的な頭脳を発揮している人たちもいる。
10歳で元素周期表の全てを覚え庭で爆弾を製造し、14歳で「核融合炉」を作った少年。
幼稚園児の頃からフェアに参戦し、FBIの捜査を受けた少女。
2歳のクリスマスに延長コードをねだり、4歳で増築した部屋の配線をし、8歳でロボットを作った少年。

親たちも彼らの才能に驚き、どうしていいか戸惑う様子が描かれている。

幼い頃から「科学オタク」のような子ばかりではない。
貧困のため必要に迫られて「太陽エネルギーによるヒーター」を発明した少数民族の少年。
女優として活躍しながらさらなる飛躍を夢見ていた、科学が苦手な少女。
勉強とはかけ離れた生活をしていた少年院の非行少年。

著者は丹念な取材から、そんな彼らの背後にあるドラマを生い立ちから丁寧に描いていく。
そして、彼らの周りには必ず理解を示す大人がいるのである。
それぞれの個性を生かした研究に、一生懸命邁進する彼らに何度も感動した。

最後に優勝者が発表されるのだが、勝っても負けても挑戦してきた若者たちは変わる。
苦境をバネに努力し、研究してきた過程が彼らを変えるのだ。

私が中高校生の頃、頭の中は遊ぶこと・食べること・男の子のことで占められていた。
そんな自分が恥ずかしくなるほど彼らは凄い。
才能も凄いが、努力が圧倒的に凄いのだ。

最後に日本人女子高生の手記が掲載されていた。
頼もしく感じ、そしてうれしくなる。

報道では若い世代の犯罪にばかり目が行きがちで暗い気持ちになるが、この本を読んだらそんなことはない、希望はたくさんあるよと言われた気がした。
この本に出会えてよかったと心から思える本だった。

2012年8月8日水曜日

悦楽王

悦楽王
団鬼六著
講談社

団鬼六の抱腹絶倒自伝エッセイ。



26歳の時書いた相場小説が大当たりし、それを元手に新橋で大きな酒場を経営したが上手くいかず、穴を埋めようと小豆相場に手を出してさらに壊滅し、友人のコネで中学の英語教師となった著者。
やる気のない鬼六先生は、授業中に映画の脚本を書き、休み時間に生徒を使って郵便局から発送していた。
本書は、その後上京し「鬼プロ」を立ち上げ、雑誌を発刊していた3年間を中心に綴った自伝エッセイである。

著者が体験したエピソードは半端ないものばかりだ。

「鬼プロ社員第一号」のたこ八郎が幼稚園児の娘と動物園に行き、たこの方が迷子になってしまう。

雑誌「SMキング」を発行している著者のもとに、大学生が雑誌編集者として就職したいと電話してくる。
ならば、「女性と一緒に来て、僕の目の前で実践するという簡単な面接をする」と著者は奇想天外な就職試験を提案するのだ。
なぜ、編集者に実践が必要なのかはわからぬが。
まさか来るはずはないと思っていたその学生は、女性を連れて本当に来てしまう。
そして、なぜか「マサイ族の太鼓」のBGMをかけ、リズムに合わせて踊り、その後始める二人。
その周りをなぜか「ハイッオイッウイッ」と掛け声を浴びせながら廻る著者。
よくわからないが、大笑いしてしまった。

そんな「マサイ族」川田君、上司を色仕掛けでたぶらかし2回もクビになった「むささびのお銀」、団氏に「愛人はいりませんか」とポン引き行為をする学生らと新生「SMキング」を成功させていく。
著者はそのポン引きに自ら引っかかるのだが。

ある日、自称「きわめて正常な神経を持つ健康人間」である著者の自宅で、雑誌の写真撮影が行われた。
何日か前に特注して届いたばかりの高価な飛騨の机の上に、雁字搦めに縛り付けられたモデル。
団氏の意に反して、いちじくが登場したからさあ大変。
助手をしていた「マサイ族」川田君の顔面や、大切な机の上に大量に溢れてしまったのだ。

雑誌が発禁処分を受けショックを受けるも、自分が書いた小説は何のお咎めもない事にもっとショックを受ける団氏。

その後優雅なる倒産をして「鬼プロ」は、幕を閉じたのであった。

他にも女王様を敬愛する大学教授など、濃いキャラクターの方や面白エピソードが続々登場する。
著者の小説は敷居が高いと思われる方でも、自伝やエッセイは笑い度が高く、比較的読みやすいのでお勧めである。

2012年8月7日火曜日

昆虫食入門

昆虫食入門
内山昭一著
平凡社新書

今年の夏は、夏バテ防止に虫を食べてみませんか?


人口増加による食糧危機の対策として、貴重なタンパク源である昆虫が見直されている、とはよく聞く。
食文化について外野がとやかく言うのはよくない、と思う。
それはわかっているのだが、表紙を開けていきなり目に飛び込んでくる虫料理の数々。
しかもカラー写真であり、そのインパクトにはのけぞった。

いや、私だって自分から虫を食べたことはないけれど、アジアの不衛生極まりない屋台で散々飲み食いしてきたのだから、知らない間に何匹も口に入れていると思う。
顔をしかめているあなただって、大口開けて寝ている間や、サラダや果物についている虫を知らず知らずのうちに食べているかもしれないのだ。


著者は、昆虫料理研究家で、ほぼ毎日虫を食べているという。
また、「バッタ会」「セミ会」「虫菓子を食べる女子会」など定期的に昆虫料理の例会を主催している。

大正8年の報告書によると、当時55種類もの昆虫が食用とされていたという。
今でもイナゴやハチの子は食品成分表にも記載されている立派な食品である。

甘くてクリーミーなウナギの味がするハチの子、病みつきになる川海老のようなザザムシ。
マグロのトロのようなカミキリムシの幼虫、ナッツの味がするセミ。
そう言われると美味しそうに思えてくるが、言葉だけではやっぱりよくわからない。
自分で調理する勇気はないが、安全なものなら食べてみたくなる。

本書は新書の割にボリュームがあり、日本だけでなく世界各国の昆虫食事情、歴史、心理的・科学的考察、そして昆虫食の未来についてと、内容的にも盛りだくさんの真面目な良書であった。
そして読み終わると、衝撃的だった冒頭のカラー写真の料理に挑戦したい気持ちになってくる。
さすがに美味しそうには見えないが。

昆虫は古くから漢方薬の成分として重用されてきたが、食品としてはほとんど研究されていないため、まだまだ未知の領域だという。
ということは、若さ・美しさ・ダイエットなどに役立つ嬉しい成分がこれから発見される可能性が高いのではないか。

今の季節、外で鳴いているセミの声が「美味しそう」に聞こえる日が来るかもしれない。

参考画像
本書の冒頭に載っているカラー写真です。
苦手な方はご注意ください。
虫寿司
虫ミックスピザ

2012年8月6日月曜日

無名の女たち 私の心に響いた24人

無名の女たち 私の心に響いた24人
向井万起男著
講談社

医師でありエッセイストである著者の向井万起男氏が出会った24人の女性たちについて綴った一冊。





医師でありエッセイストでもある著者が、今まで出会った女性たちとの交流を綴ったエッセイ。
「私の自尊心を傷つけた人」「私の向学心を奮い立たせた人」「私の本心を聞いてくれる人」など24人の無名の女性たちが登場する。

著者ご本人も、「芯からミーハーで」「初対面の人とも気楽に明るく接している」性格だとおっしゃるように、文章も明るくこちらも読んでいて楽しくなるようなエッセイが多い。

この本でも、エッセイ賞を受賞した際の新聞記事の見出しに「向井さん夫」と書かれても、「私の職業は向井千秋の夫なのか」と笑い転げてしまう前向きな明るさがある。

新幹線で松田聖子に遭遇した友人と、2時間にわたって微に入り細に入り聖子ちゃんの実況中継のメールをやり取りしたり、12歳年上の会社経営者の男性に知り合ってすぐ、巨人開幕戦のボックス席を毎年くれるようねだったりと、楽しいエピソードが書かれている。

なかでも、奥様の次に頻繁にメールのやり取りをするという知り合って13年のYさんとは会ったことがないというのには驚いた。
みなさんから好かれ、可愛がられ、尊敬されているお人柄の良さが伝わってくる。

「初対面で意気投合した」「初対面で一気に心が通じ合って生涯の友となってしまった」と初対面でこれだけ仲良くなれるのは、やはり著者が誰とでも分け隔てなく明るく接するからなのだろう。

著者は、「多くの男性にコロッと惚れさせておいて結局は棄てちゃう女性」に会うと、握手を求めなかなか手を離さないのだそう。
その間に相手の表情を観察し、性格を読み取っていくのだという。
そうやって、気の合う友人を見つけ付き合っていくのだ。

文章も読みやすく、内容も楽しいので、気軽に読めるいい本だった。

2012年8月5日日曜日

南極1号伝説 ダッチワイフからラブドールまで--特殊用途愛玩人形の戦後史

南極1号伝説 ダッチワイフからラブドールまで--特殊用途愛玩人形の戦後史
高月靖著
バジリコ

特殊用途愛玩人形について、歴史から素材・現状・未来まで一通り網羅し解説している、入門書としても最適な一冊。




もともと水夫たちの「航海の妻」として、また兵隊たちの病気予防として発達した特殊用途愛玩人形は、現在素材的に空気式・ゴム製・シリコン樹脂製、また形状的には枕タイプ・トルソタイプ・全身タイプと分けられる。
価格も空気式の1000円台~シリコン製の100万円台まで、それぞれ使用感も大きく異なり、多様化する消費者のニーズにこたえる品揃えとなっている。

この業界が大きく様変わりしたのは、ネットの普及であるという。
誇大広告に引っかかったり、粗悪品を掴まされたりしても、商品の性質上文句も言いにくかったのだろう。
ネットにより、広告を比較し、体験者の声を聞き、マニア同士のコンタクトも可能になった。
そして何より注文がしやすくなったのだ。

本書は、そんな愛玩人形について写真付きで丁寧に解説してくれる良書である。
とりわけ開発者たちの涙ぐましい苦労話は、彼らの情熱への感動とともに、ここまでこだわるのかと驚いた。

マニアの方々は細かい部分にまでこうでなくちゃというこだわりがとても多い。
髪型・衣装・サイズだけでなく、リアルな質感・自由な伸縮性・扱いやすさ・実用にも鑑賞にも耐えられる見た目・耐久性・手入れのしやすさ・使用感・・・と、消費者のわがままなニーズに応えなければならないのだ。

しかしなんといっても、人形は顔が命だそう。
コストパフォーマンスとクォリティの両立に苦労する彼らが目に浮かぶ。

そして、ニーズは少ないが男性の人形もあり、ユーザーは男性だというのは驚きだった。。

その後、代表的な4つのメーカーのインタビューと続くのだが、各社特徴のあるラインナップで差別化を図っている。

一番興味を惹かれたのが、愛玩人形を擬人化して人間のパートナーのように扱うドーラーと呼ばれるマニアたち。
はけ口としてだけでなく、着替えさせたり写真を撮ったりと、まさしく愛玩している。

中でも普通のサラリーマンだという「Ta-bo」さんは、これまでに2000万円以上投資したという。
数十体の人形がリビングルームを占領している写真は、夜中に見たら怖いなぁとひいてしまう。
しかし、業界では「御大」であり、メーカーにアドバイスしたり、ブログ「たぁー坊の着せ替え資料室」の更新が少しでも途絶えると、2ちゃんねるで再開を願う声と共に叩かれるという。

ところで、表題の「南極1号」だが、公式には認めれれていないが「弁天さん」という名前で実在したが、純潔のまま帰国の途に就いたという。

2012年8月4日土曜日

宇田川心中

宇田川心中
小林恭二著
中央公論新社

生まれてからずっとあなたを待っていた。逢ってもいないうちから、あなたの事を想っていた。



先日、男子高校生から恋愛相談を受けた。
「コクって付き合う事になったのに、部活が忙しくなかなか遊ぶ時間が取れなかったら、1週間でフラれた」というのだ。
そんな話はザラにある。3日で別れた、6時間で別れた・・・というのも聞く。
そういうのは付き合ったうちに入らないと思うのだが。

彼らの恋愛には、「障害」が少ない。
連絡を取ろうと思ったらいつでも取れる。
そして、ちょっとでもイヤな面が見えたら躊躇なく別れてしまう。

私が中高生の頃は、家電(いえでん)に掛けなければならなかった。
親が出たらどうしよう、遅くなったからもう掛けられない、などいつでも好きな時に連絡を取ることは難しかった。

もっと前は電話もなく、人目を気にしなくてはならないため、恋する二人の「障害」は今とは比べものにならないくらい大きかっただろう。

会えない間に、相手の事を考え身を焦がし、
「障害」があればあるほど、恋の炎は燃え上がるのだ。

本書は、江戸末期の恋愛模様を中心とした「出会ってしまった二人」の物語である。
女は、許婚のいるお嬢さん。
男は、恋愛禁止の僧。
「障害」MAXのシチュエーションである。
燃え上がらないわけないのだ。

そして、二人は純粋に惹かれあう。
お金や家柄、学歴につられたわけではない。
そのピュアさが今となっては新鮮ではないか。

近松チックな時代劇のようでもあり、SFファンタジーのようでもある恋愛物語。
読み終わり、身を焦がすような恋に今更ながら憧れてしまう。
そしてこれから街に出た時、会った瞬間にわかるという「運命の人」をキョロキョロ探してしまいそう。

今年の夏は、「障害のある恋」に身悶えしてみてはどうだろう?
妄想だけなら、どんなに燃え上がっても人に迷惑かけないのだから。
倦怠期の方はわざと「障害」を作ってみるのもいいかもしれない。

2012年8月1日水曜日

英国大使の御庭番

駐日英国大使館専属庭師の孤軍奮闘25年日記
英国大使の御庭番 傷ついた日本を桜で癒したい!
濱野義弘著
光文社

日本で最後の英国大使館の専属庭師として働いた著者の25年。



町の植木屋さんとして働いていた25歳の青年が、「英国大使館住込庭師募集」という新聞広告を見つけた。
Tシャツにジーンズ姿で気軽に面接を受けに行き、その後25年にわたって大使館の御庭番として働いた著者の自伝である。

大使館の敷地1万坪のうち、大使公邸の1千坪を任された著者の目に飛び込んできたのは、荒れ果てた庭だった。
それを見た著者は、元の美しさを取り戻したいと俄然やる気になるのだった。

英国大使館は武家屋敷跡に建てられたためか、人骨・古銭など様々なものが出土したり、大使夫人に「周りから丸見えになるからあまり木を切るな」と言われながら、著者は孤軍奮闘していく。

日本の企業と違い、ゆるい雰囲気の中一人で働いているため、サボろうと思えばいくらでもサボれるような状況で、著者は懸命に働く。
夜は夜で、花の管理の本を読み漁る。
もともと生真面目な方なのだろう。

かつて弟子として働いていた頃の回想で、「師匠が行く現場なら、賃金がもらえなくても一緒に仕事をしたい。この人とやれば腕が上げられると心から思える人でした」と著者は言う。
その文章を読んだ時、私は心を鷲掴みにされてしまった。
職人の鑑ではないか!!

10年かけて満足いく庭になったと思ったら新しい大使夫人に、「今あるもの全て引っこ抜いて、新しいバラの花壇をすぐに作ってください」と言われてしまう。
自分の思い通りの庭造りができないジレンマの中、著者は精神的にも成長していく。

私生活でも苦労されたが、「庭師は年中無休の仕事だ」と言いながら、都会のど真ん中にある「自然の王国」を維持してきた著者に感動する。

この本を読んで、著者の魅力にとても惹かれてしまったのだが、やはり私は「男の髪の毛は短ければ短い方がいい。ベストは禿頭」と考える。
表紙でにっこりほほ笑む著者の長髪が、坊主頭であったら、もっとかっこいいのにと思う。