2012年10月30日火曜日

うちのご飯の60年―祖母・母・娘の食卓

 うちのご飯の60年―祖母・母・娘の食卓
阿古真理著
筑摩書房

祖母から母、娘へとつながる食の歴史。




本書は、祖母、母、娘(著者)が、作り食べてきたリアルな家庭の食卓を再現し、多数の資料を添えて食べることの歴史を考えていくノンフィクションである。

明治36年生まれ。
広島の林業で栄えた村で暮らした祖母の時代。
コメや野菜を田畑で育て、庭に実がなる木を植え、山で山菜やきのこを採る。
食べ物はほとんど自分たちの手でまかない、
かまどで保存食を作り、年中行事の際はごちそうを用意する。
家事を主婦一人でこなしきれないため、娘たちに手伝わせながら家事を教え込んだ。

昭和14年生まれ。
農村で育ち、都会に出た母の時代。
時間に余裕がある専業主婦で、子供の頃の記憶をもとに和食を作り、
雑誌や本・料理番組で洋食や中華を覚え、バラエティ豊かな食卓を整えてきた。
食材はスーパーで買ってきて、キッチンに家電製品を並べる。
子供たちが嫌がるので和食メニューからは遠ざかり、洋食を食卓に出す。
添加物や農薬が気になり、食の安全に敏感になった。

昭和43年生まれの娘の時代。
子供向け番組でスナック菓子のCMが流れ、お菓子の情報をすり込まれた。
母が夕食を作る間、テレビに夢中になり料理のつくり方をほとんど覚えなかった。
居酒屋で様々な料理を知る。
仕事を持ち、料理をする時間が少なくなり、外食や中食が増える。
レトルトや冷凍の技術が発達する。

こうして家庭の食事を時系列に見ていくと、法律改正や技術革新などの転機により人々の食生活が少しずつ変わっていくことがよくわかる。
かつては多くの人が自給自足に近い生活をしていたが、今は生産者の顔が見えない物を食べている。
口にする物の安全性を、知らない人に任せることで自分たちの食生活が成り立っているということだ。
便利な反面、危うさも孕んでいることに不安を感じる。

また、現代人はサバイバル能力が低いことも痛感した。
私自身は、釣り堀以外で釣りも、山菜採りもしたことがない。
無人島に漂着したり山で遭難したら、まず生きていけないだろう。

そして、私はまさに「娘の時代」にどんぴしゃり。
あまり母の手伝いもせず、本を見て料理を覚えた。
梅干し、まんじゅう、おはぎ、赤飯・・・いまだに母が作ったものをもらうだけだ。
せっかく教えてもらえる立場なのに勿体無い。

痩せたいと言いながらもお菓子を貪り食べている私は、まず反省からはじめよう。

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