2012年9月13日木曜日

刑務所で死ぬということ

刑務所で死ぬということ
美達大和著
中央公論新社

服役中の無期懲役囚が語った塀の中。




これは、2件の殺人を犯し「LB級刑務所」で服役中の無期懲役囚である著者が、塀の中の面々や過密化する刑務所内の様子を語った本である。

※「LB級刑務所」とは、刑期10年以上かつ犯罪傾向の進んだ者のみが収容される刑務所。
 年3万人前後の受刑者の中の約3%が長期刑受刑者。

ほとんどの方は、刑務所それも「LB刑務所」とは縁のない暮らしをしているため、懲役囚たちが何を考え、どう暮らしているのか知る機会はない。
そういう意味で、内部から発信する著者の言葉は貴重である。

漠然と、厳しい生活・辛い毎日、そして事件の反省と被害者への贖罪の日々を過ごしているのではないかと考えていると、本書を読んで愕然とする。

心から被害者・遺族のことを考えている無期囚に会ったことがない。
自らが長い服役をすることになった理由を、亡くなった被害者のせいにしている。
3食付いて娯楽まである今の刑務所は最高。
老囚にとっては話し相手のいる福祉施設。
反省するといっても「指紋を残したことがまずかった」「下調べをちゃんとすべきだった」と犯行の杜撰さを反省する懲役囚たち。・・・

著者自身も、現在月に70~250冊の本を読んでいるという、本好きにはある意味羨ましい生活をしている。
「少しも辛いところではありません」と言い切る著者の言葉にやりきれなさを感じる。
著者の意見のみで、刑務所の内情を決め付けるわけにはいかないが、再犯率の高さを考えればある程度真実なのだろうと思う。

二度と入りたくないと思わせるのが矯正施設の役割なのではないか。
隔離するだけで、罰として十分なのだろうか。
加害者の人権も大切だが、被害者感情は置き去りにされていないだろうか。

現実的には、年老いた懲役囚たちを改心させるのはとても難しいことのように思える。
だからこそ将来の犯罪者を少しでも減らすために、子供の教育それも落ちこぼれの救済や居場所の確保が必要ではないだろうか。

※純粋に受刑者にかかる費用・行刑費は、昭和58年まで刑務作業等により約100%賄っていたが、それ以降は足りていない。
人件費・施設費は税金が使われている。

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