2014年4月23日水曜日

辞書になった男 ケンボー先生と山田先生

佐々木健一著
文藝春秋

辞書に人生を捧げた二人の編纂者はなぜ決別したのか?辞書編纂の裏に隠された謎を追う。



シンプルな言葉の羅列、「読むもの」ではなく「引くもの」、どれも一緒だが使いやすいのがいいなぁ。そう思っていた辞書にも「人格」があると教えてくれたのは「新解さんの謎」(赤瀬川原平著)だった。
一冊の辞書を作るのにどれほど膨大な手間と時間がかかるのか、教えてくれたのは「舟を編む」(三浦しをん著)だった。
そして今回、また辞書に関するすごい本に出会うことができた。
それがこの「辞書になった男」である。

本書は、NHKのディレクターである著者が、ドキュメンタリー番組「ケンボー先生と山田先生」を制作した際の取材内容に、新たな証言や検証を加えてまとめたものである。

昭和14年、24歳の大学院生であった見坊豪紀(ケンボー先生)は、文語文で書かれた辞書「小辞林」を口語文に直してくれと頼まれた。
そこでケンボー先生は、東大の国語学専攻で同期だった山田忠雄(山田先生)に協力を依頼する。
それ以来17年間、二人は「三省堂国語辞典」を共に編纂してきたが、ある時点を境に決別する。
二人はなぜ袂を分かったのだろうか?

その後出版された、山田先生がほぼ一人で編纂したといわれる「新明解」の用例から、少しずつ二人の関係が浮かび上がってくる。

(「新明解」より)
【上】「形の上では共著になっているが」
【実に】「助手の職にあること実に十七年(驚くべきことには十七年の長きにわたった。がまんさせる方もさせる方だが、がまんする方もする方だ、という感慨が含まれている)」
【時点】「一月九日の時点では、その事実は判明していなかった」

果たして、一月九日に何があったのだろうか。
文献を紐解き、多数の関係者にインタビューしながら、昭和辞書史の謎に迫っていく。

辞書に人生を捧げた二人の足跡を追いながらだんだんと明かされていく謎、そして最後にどんでん返しまで用意されていて、極上のミステリーのようでもある。
複雑に絡み合った史実を、表面的な出来事だけでなく多方面から深く掘り下げているため、これほどまでに面白いのだろう。

なかなか表に出ない「影の存在」である辞書編纂者に光を当て、
言葉とはこんなにも深いものなのだと教えてくれ、
辞書は編纂者の個性・人格が自ずと文面に浮かび上がってくることを明らかにした功績は大きいのではないだろうか。
山田先生の私生活がなかなか見えてこないのが残念なのだが。

まだ4月だが、2014年に私が読んだ本・ノンフィクション部門No.1はこの本に決定だ。(暫定)

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辞書に関する様々なトピックも面白かった。

・堂々めぐり
【男】を引くと「女でない方」、【女】を引くと「男でない方」など、単なる言いかえで言葉の意味にたどり着けないことがある。
山田先生は、「新明解」を編纂する際にそんな堂々めぐりをやめようと考えたという。
小学生の頃、この堂々巡りで困ったことが何度もあったなぁと思い出した。

・大ベストセラー
日本で一番売れている辞書は、「新明解」なのだそうだ。
「広辞苑」は累計1200万部、それに対して「新明解」は累計2000万部だという。
考えてみたら、「広辞苑」は持ち運びに不便だもんなぁ。

・まさに「辞書になった男」
現在辞書の編纂に携わっている方が、1年で4000~5000語の言葉を採集しているというが、ケンボー先生は生涯で145万例集めたという。
一日15時間仕事し、どんな時でも言葉を集めているケンボー先生のエピソードはすごいと思いつつも、ちょっと笑えた。

・名義貸し
辞書界では、「監修」や「共著」と名前が出ていながら、単なる名義貸しであることがまかり通っていたという。
絶対的な「金田一京助ブランド」が世間に存在する限り、出版社としては金田一氏の名前を落とすことができなかったらしい。

・「暮らしの手帖」事件
「暮らしの手帖」(1971年2月号)の「商品テスト」に、「国語の辞書をテストする」という特集記事が掲載された。
これにより、どの出版社の辞書も多少ことばを入れ替えただけのそっくりな文章が掲載されていること、間違いも踏襲されていることなど、長年辞書界に蔓延してきた「盗用・剽窃」体質が白日の下にさらされた。
現在は改善されているのだろうか。
 
我が家の「新解さん」第四版。
金田一京助氏の名前が一番上に表示されている。
 
 
 
「時点」の用例

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