2014年4月2日水曜日

海洋堂創世記

樫原辰郎著
白水社

「模型バカ」のオタク集団が「世界の海洋堂」へ。その裏には創業者親子と仲間たちの泥臭い青春の日々があった!



海洋堂といえば、「チョコエッグ」の中に入っているオマケが食玩(食品に付属して販売される玩具)とは思えないクオリティで、世間の注目を浴びた模型会社である。
今では、世界中から制作依頼が来るというアート製造企業へと発展している。

その海洋堂はどのように成長を遂げたのだろうか。
子供たちが集う町の模型屋さんからアート集団へと変貌していく過渡期を、当時アルバイトとして在籍していた著者が述懐していく。

海洋堂は東京オリンピックが開催された昭和39年、大阪・門真市に小さな模型店として誕生した。
創設者の宮脇修は開業するにあたって、プラモデル屋にするか故郷・高知で学んだ手打ちうどん屋にするか悩んだという。
海洋堂がうどん屋になっていたら、今のフィギア界は違ったものになっていたのだろうか。

お互い本名を知らず、帽子にメガネをかけているから「ボーメ」、親戚のヒサトに似ているから「ヒサトモドキ」・・・そんなテキトーなあだ名で呼び合うユルい関係。
常連客とアルバイト、社員の垣根も曖昧ないい加減さ。
ホコリと薬品の匂いが充満している雑然とした作業場。
そして、仕事が終わっても毎晩残って模型を作り続ける「模型バカ」たち。

「僕らには神も仏もなくて、模型だけがあった。」

毎日が「模型祭り」というお祭り騒ぎ!
女の子ともオシャレとも無縁のむさくるしさ!
泥臭い青春の日々!
まるで、文化系男子学生の合宿所のようではないか。

しかしそこに集まる男たちは、日常生活に支障をきたすくらい変人だが、造形の腕だけは誰にも負けない・・・そんなオタク集団たちだった。
その男たちを、創業者である宮脇修が「模型をアートに!」を合言葉に引っ張っていく。

そういえば幼い頃、近所に人気の模型屋さんがあり、男子たちでいつも混み合っていたなぁという記憶がある程度で、プラモデルを作ったことすらない私にとって、新鮮な驚きに満ちた世界だ。
今まであまり興味がなかったのだが、本書をきっかけに海洋堂の作品を検索し、その完成度の高さに今更ながら驚いた。
博物館から制作依頼が来るというのも頷けるレベルの高さだ。

今では美少女フィギアの巨匠と呼ばれ、世界的なアーチストとなったBOMEさん(帽子とメガネでボーメさん)は、極端に人見知りで口下手だという。
オタクのど真ん中に位置する彼は、海洋堂というオタク集団に属していたからこそ花開いたのだろう。

文章が荒削りで、思い入れが強すぎる部分もあるのだが、かえってそれが当時の泥臭さやカオス状態を浮かび上がらせているように感じた。
「未来ある若者の人生を狂わせるくらい魅力的な魔窟」であった海洋堂は、これからも多くの男たちを巻き込みながら成長を続けていくのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿

閲覧ありがとうございます。コメントしてくださったらうれしいです。