バナナが高かったころ―聞き書き 高度経済成長期の食とくらし2
赤嶺淳編
新泉社
「バナナは高かった。病気の時しか食べられなかった。」とはよく聞く話だが、私自身にはそういった思い出はない。
「なぜさっちゃんはバナナが半分しか食べられないんだろう、私はちっちゃくても何本でも食べられるのになぁ。」と思っていた。
バナナ貿易が自由化されたのは、1963年。
国民一人当たりの年間バナナ消費量は、自由化前年に0.87kgだったのが、1963年には2.6kg、1972年には9.8kgと激増している。
本書は、名古屋市立大学の学生たちがバナナが高かった頃~高度経済成長期の生活について、身近な人に聞き取ったレポートを再編集したものである。
聞き手は大学生、そして話し手は大正11年生まれから昭和18年生まれの12名で、生まれた場所や育った環境はそれぞれ違う。
食糧難の時は本当に困ったという方から、農家だったため食べるものは豊富にあったという方まで様々な生き方をされてきた。
力道山のテレビを近所の人が集まって観戦する。
食料を分けあって食べる。
人と人との付き合いが密で助け合って生きていく・・・助け合わないと生きていけなかった時代。
大変な時代だった、苦労されてきたんだろうと想像していた大学生たちは
「みんながそうだったから苦労だと思ったことはない」という前向きな発言に驚く。
大きな磁石をTVにくっつけて色が真ん中に集中し、周りが白黒になってしまった。
冷蔵庫に霜がついてそれをノミで削る。
タンクに水を入れるクーラー・・・
大昔ではなくちょっと前のことだからと思っていたが、昭和生まれの私でも知らない話がたくさん出てくるのだから、平成生まれの大学生たちが驚くのも無理はない。
彼らにとって高度経済成長とは、歴史の教科書に出てくる話である。
教科書には書かれていない生きた歴史を学ぶ貴重な体験だっただろう。
身近で暮らしているごく普通の人々の過去に、価値ある貴重な話がたくさんあるのだと実感した。
私ももっと積極的に両親はじめ周りの人から話を聞いてみよう。
そしておばあちゃんになったら、若い人たちに昔の話を聞かせよう。
黒くて丸くて真ん中に穴があいてるレコードっていう物で、傷をつけないように注意しながら音楽を聴いていたんだよ。
電話は黒くてダイヤルが付いていて、ジーコジーコと回してかけたもんだ。
電車に乗るときは切符を買って、改札で駅員さんにハサミを入れてもらったんだよ・・・
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