2013年4月16日火曜日

空の拳

空の拳
角田光代著
日本経済新聞出版社

強く握り締めた拳の中に、彼らは何を掴んでいるのだろうか。



かつて、ごく身近にプロボクサーがいた。
彼は、ランキン上位にくい込んだもののそれだけで食べていけるわけではなく、バイトと練習に明け暮れる毎日を送っていた。
怖くて試合は見に行けなかったが、長くて白いバンデージを洗濯し、干し、そしてクルクルと綺麗な筒状に巻くのに慣れてきた頃、彼は一般企業に就職した。
プロといってもボクシングだけで食べていけるボクサーはほとんどいない。
しかも、殴られ痛いとわかっているのに、彼らがリングに上がるのはなぜなのだろうか。

この「空の拳」の語り手は、運動も人付き合いも苦手だが、本が好きで念願の出版社に就職した若手編集者だ。
彼は入社以来一貫して文芸部を希望していたが、「ザ・拳」というボクシング雑誌の編集部に配属されてしまった。
ボクシングの用語もルールも知らないやる気のなかった彼が、ボクサーたちと出会い交流しながら、自らもジムに入会しボクシングの練習を始める成長物語である。

読んでいると、アリスの「チャンピオン」のメロディと「立て~。立つんだ、ジョー」のセリフが頭の中で鳴り響く。

一瞬の試合のために苦しい練習と食事制限を続け、負ける恐怖と闘う彼ら。
そんな彼らの厳しい練習と試合、その合間の日常生活が交互に描かれ、一気に男たちの世界にひきずり込まれた。

スピード感溢れる試合のシーンでは、飛び散る汗や血がこちらにまで向かってくるような臨場感で、思わず顔をしかめてしまう。
ボクサーの筋肉の動き、肉を打つ生々しい音まで聞こえて来るようで、いつの間にか会場の観客と一緒に試合運びに興奮している自分がいた。

試合相手に個人的な恨みがあるわけでもないのに、彼らはなぜ殴り合うのだろうか。
いくら練習しても勝てるという保証はなく、負傷は当たり前、ときには再起不能になることもあるのに、なぜリングに上がるのだろうか。
しかもたった一人で。
彼らはなぜそこまで自分を追い込むのだろうか。
身体を鍛えたら心まで強くなるのだろうか。

また、殴られる姿を見る母、家族、妻たちは何を思うのだろうか。

この物語を読んでもそれらの問いに答えてはくれないが、男たちの熱い情熱を堪能させてもらった。

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