2012年1月11日水曜日

ニッポン異国紀行 在日外国人のカネ・性愛・死

ニッポン異国紀行 在日外国人のカネ・性愛・死
石井光太著
NHK出版新書

石井光太氏が在日外国人の知られざる生活について、独特の切り口で迫った本。彼らはどのように暮らしているのだろうか?今まで考えたこともなかったことが、たくさん書かれていた。




何年か海外で生活していたことがある。
当時、日本人の中で多数を占めていた大手企業の駐在員とその家族たちは優雅な生活を満喫していた。
日本の食料品店があり、日本食レストランがあり、日本人の子弟向けに送り迎え付きの学習塾があり、
日本人向けのお手伝いさん斡旋所があり、日本のテレビ番組をレンタルするビデオショップがあり・・・
日本人とだけ交際し、日本語のみを話す生活もできたと思う。
現地採用の日本人はそれよりもう少し現地に溶け込んでいたが、それでも宗教や慣習の違いから、
なかなか地元に溶け込むまでは難しいようであった。

そんな日本人の生活をほとんどの現地の人は知らなかったと思う。
それと同じで、日本に住んでいる外国人の生活はよく知られていないのではないか。

この本は
  日本で亡くなった外国人
  韓国勢が席巻している風俗業界
  外国人たちの宗教活動
  病気になった外国人たち
の4章に加え、スクラップ屋、学習塾、インド人のいないインド料理屋・・・等についてのコラムから成っている。

外国人が不幸にも日本で命を落とした場合、たいていエンバーミングを施すという。
そのあと、お葬式は?棺桶は?パスポートは?本国への輸送は?
私は今まで、そんなこと考えたことなかった。
疑問にすら思わなかった知らないことがたくさん書いてある雑学書として、気軽に読める本である。


しかし、石井光太氏の著作はいつもそうだが、読者に重い問題を投げかけてくるのである。
本書は彼の著作の中ではずいぶん軽いほうの部類に入るが、それでもさらっと通り過ぎようとする私をひきとめる箇所がいくつもある。
ある側面を、また違う面からみるとこうなると提示してくる。

普段の生活とあまりかかわりのない事柄ばかりなので、考えるいいきっかけにもなった本であった。

2012年1月10日火曜日

さいごの色街 飛田

さいごの色街 飛田
井上 理津子著


1955年生まれの女性フリーライターが体当たりで取材した渾身のドキュメント。衝撃の連続。知られざる現代の廓を初めて明らかにした本。男女問わず真剣に考えるべき問題ではないかと思う。



大正7年に開業した飛田新地。(大阪市西成区山王3丁目)
その名前を知ったのはつい最近のことであった。
橋下徹氏が大阪市長選に立候補した際に、週刊誌で「橋下氏は飛田新地の顧問弁護士だった
という記事を読んで衝撃を受けた。
これはいわゆる「ちょんの間」(ちょっとの間で済ますの意)ではないか!
摘発されて今はないのでは?合法なのか?
気になって調べてみるとやはり摘発され、今は全国的に壊滅状態だが(細々と営業)、
飛田新地だけは別格で、今でも160軒ほどが昔の遊郭そのままの雰囲気で営業しているらしい。
かつては、あの阿部定も1年あまり働いていたという。

この本は、飛田新地の歴史、システム、経営者・曳き手・お姉さんなどの話から構成されている。
そして、是非や善悪を問うているのではない。問題提起をしているのである。

本書によると、
店は「料亭」で、料亭の中でホステスさんとお茶やビールを飲むことが「遊び」である。
お客が案内される部屋はホステスさんの個室。その中で偶然にもホステスさんとお客さんが「恋愛」に陥る。恋愛は個人の自由。支払う料金は、ビールやジュースやお菓子の料金である。
表向きにはそういうシステムであるという。(値段は20分で11000円ほど)
飛田の大門から300mほどの西成警察署も黙認している。

二間ほどの狭い間口が通りにずらりと並ぶ。ピンクや紫の怪しげな蛍光灯の下にお姉さんが座り、
曳き手おばさんが脇につく。中には、60過ぎや太ったお姉さんもいるらしい。

「飛田新地料理組合」の組長も「私らはイカンことしてるんやから。書かれては困るんや」と言っていて、広告もせず、秩序を守り静かに営業を続けているという。

著者は、旅行ペンクラブ所属のインタビューやルポを中心に活動しているフリーライターで、1955年生まれの女性である。12年にも亘って危険を感じながらも、体当たりで飛田周辺を取材した著者。その勇気と根性は生半可ではない。
内容的に全てを明らかにすることはできないので、表現に気を使いながら、書けないことを呑み込みながら書いたのであろう。
この本が出たことで危ない目に遭わないことを願う。

読み進めるうちに、何度も読んで涙した、からゆきさんについて書いた名作『サンダカン八番娼館- 底辺女性史序章』(山崎朋子著 大宅壮一ノンフィクション賞受賞作)を思い出した。
「サンダカン---」も本書も共通して、底辺で暮らす女性たちにスポットライトを当て、問題提起している傑作だと思う。
時代が違うだろうし、現在は遊びや自分の欲のために働く女性も多いだろうが、それでもまだまだ恵まれない環境で育ち「苦界に身を沈める」女性もたくさんいる。

いつも思うが、それを防ぐには、子供の教育それも、落ちこぼれをなくすことだと思う。
多くの人に読んでもらって、この問題を考えて欲しいと思う。

男たちの体験談
「今の日本に江戸時代が残っていた。」
「お姉さんは商売だと十分わかっていますが、何か事情があって、こういう仕事を選んだのだろうという境遇を含めて愛おしくなった。」
「こんな形と違って出会っていれば恋人になっていたかも」
「外でデートしたいなと思った。」
「不倫や他の風俗より健全」

しかし、なぜ愛しい男性たちは、こんなにも哀しくそしてアホなのだろうか。

2012年1月7日土曜日

おまえさん 上下

おまえさん 上下
宮部 みゆき著
講談社文庫

宮部みゆき氏の『ぼんくら』『日暮らし』に続く第三弾。上下巻合わせて1200ページ超の大作ながら、人情味たっぷりの安心して夢中になれる本。さすがとしか言いようのない傑作。



(上下巻合わせて)
舞台は花のお江戸。
南辻橋たもとで、辻斬りが出た。亡骸を番屋に移した後、掃除したにもかかわらず人像(ひとがた)が地面に染みとなって消えない。土を掻いて均して塩をまいてもまだ消えない。
そしてまた他の事件が…。
下町情緒たっぷりの人情味溢れる人々が登場する時代ミステリー。

「ぼんくら」同心・平四郎
世話好きで気のいいお菜屋のお徳
岡っ引き・政五郎
などおなじみの登場人物に加え、
今回活躍する、熱意にあふれた新任の定町廻り同心で、ちょっと残念なお顔の間島信之輔。
その大叔父上で、たびたび物忘れはするがまだまだ健在の源右衛門。
河合屋の三男坊で遊び人の淳三郎。

そして忘れてはならない14歳になったという弓乃助とおでこのコンビ。

弓乃助は、平四郎の細君によれば、「彼に近づく者の人生を変えてしまうほど」の罪作りな美形である。万事遺漏のないように見える弓乃助ではあるが、ここだけの話、おねしょという子供らしい弱みがある。
そして、驚異的な記憶力を持っているおでこ。
この子の頭の中には長い巻紙があって、体験したこと・見聞きしたことを、何から何までそこに書き付けるのだ。で、思い出すときにはぐるぐるとそれをほどいて探す。特技は見事のなものだが、覚えた話を諳んじているだけなので、途中で遮られると、最初からやり直さねばならなくなるという弱点があった。

そんな登場人物が、いきいきとお江戸の町を動き回る。
この「いきいきと」が、さすが宮部みゆき氏だなぁと思う。
威勢のいい江戸っ子の言葉。
魚の棒手振りの天秤棒が肩から外れかけ、よろよろ回ってしまう様子。
頭の中で、活気あふれるお江戸の映像が浮かんでくる。

前半はどんどん話が広がって、頭があちこちに飛んでしまうが、
最後はやっぱりきちんと収めてくれる。
だから、このシリーズは安心して夢中になれるのである。

そして、弓乃助とおでこのコンビも立派に成長して、少年から青年になりつつある。
この二人のファンである私としては、目を細めて二人を見守っている。
近い将来この二人が立派にお江戸の治安を守るであろうことを想像しながら・・・
ただ、成長を喜ぶべきなのだろうが、一方で二人が遠くへ行ってしまうようで、
さびしい気持ちも湧いてくる。
いつまでもかわいく幼い二人のままでいて欲しいと思うのはわがまますぎるだろうか。
冷静に考えると江戸で14歳と言えば、立派な青年で子供扱いされる対象ではないのでは?と思うが。

なんにせよ、読み終えてすぐ、次作が楽しみになる傑作であった。

※前半で出てきた汚い字の恋文、誰が書いたかわかった時には噴き出してしまいました。