2017年2月18日土曜日

人魚の眠る家

脳死した娘は患者なのか、それとも死体なのか?「死」の定義とは?



《あらすじ》
薫子は、夫・和昌の浮気が原因で別居していた。
話し合いの末、娘・瑞穂の私立小学校受験が終わったら離婚することになっていた。
そんな中、娘・瑞穂がプールで溺れ、意識不明となる。
脳死の可能性が高く、医師から臓器提供の意思を確認された。
一度は臓器提供を決断した夫婦だったが、 ピクリと手が動いたことがきっかけで娘は生きているのだと思うようになる。
臓器提供を断り、離婚ぜすに娘と生きることを決断した。

薫子は、脳波の反応もなく寝たきりの娘を自宅に連れ帰り、手厚い看護をする。
自発呼吸ができる横隔膜ペースメーカーを装着し、人工神経接続技術で瑞穂の体を動かし、筋肉を鍛えたりと努力を続けていくが・・・


重たいテーマの小説である。
「色々な機器を装着させて無理矢理生かすのは、神への冒涜ではないか」
「臓器移植は、命をお金で買う行為だ」
脳死した娘は患者なのか、それとも死体なのか?
臓器提供を待つ人がいる中、生かしておくことは親の自己満足なのか?
答えを出せない問いが、次々と読者に投げ掛けられる。

例え自分では死後の臓器提供に同意していても、いざ家族がそうなったらどうだろうか?
心臓が動いている限り、
寝ているだけでもいいからそばにいてほしい、
奇跡があるかもしれない、
愛する者の死を認めたくない、
そう思うかもしれない。

色々考えさせられた物語だったが、
どうすればいいのか、
どれが正解なのか、
結論はどうであれ、悩んだ末に出した答えが一番なのだと言っているように感じた。

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